MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



以前、スタッフに、クライアントのあまりにも理不尽な内容の発言があったので、憤っている内容を多少感情的に解釈した状態で話をしていたら、感情的に話すの止めてもらえますか?と言われたことがある。

事もあろうに、そんなことを人に言ってきた奴が、感情的になってプロジェクトを途中で止めたのだから、たちが悪いと言うか、自分の発言なんて覚えていないんだろうなぁと。優秀だと思っていたが、なんのことはない、自分勝手な話で、最後は腫れ物に触るような状態でこっちは相対していた。と言うか、みんなが気を遣って話をしていたことに気付けずに止めたんだろうなぁと思うので、ある意味幸せと言うか、それ以上の成長がない状態であろうから不幸なことだなぁと。まぁ、今後一生会わないし、ましてや仕事なぞ一生絶対何があっても一緒にしたくないと思ってしまったので、もうおいらの人生には関係ないんだけどね。

翻って、人生に関係する世界観の中での話としては、通常オペレーションとして会話、コミュニケーションをしていかねばならない。

此方としてはその発言内容が何年前であろうと覚えているもの、と思っていたが、どうやらそうではないらしい…。一方的な言い回しで言えば、言ったのに都合よく忘れるなんて、って思ったが、認知能力と言うか覚えていられる記憶力なんて言うものは人それぞれで違うんだなと改めて思った。おいら、瞬間的にあの時のあの会話でこういう発言したじゃないの!って思い出す方なんだけど、どうも他人はそうではないらしい…。すっとぼけて覚えていないと言っているのではなく、本当に覚えていないと言っているっぽいので、もうその話自体を掘り下げたところで、自分との差異感に絶望と言うか相手の記憶力に落胆するだけの話で何も進まないと思ったので、差異がある事自体を自明的なこと、として受け止めることとする。

残念だが人は人、己は己。
いや、残念でもない話なんだろうな、きっと…。

今となっては、みらんくんも含めた家族3人であり、みらんくんを中心に据えたコミュニケーションを取っていくしかないと。消化するまで時間が掛かるので、その間は何を言われても、PCで演算処理をしている際に他のファンクションを使うとフリーズする。それと同じことが起きるんだが、それも納得してくれと言っても多分無理なんだろう。。。今までの膨大な過去の会話を思い出し、何が最適解で、どのような理論根拠に基づいてその会話が為され、論理整合が取れるように導くためにはどのような発言だったのか、その当時の会話や喧嘩を思い出しながら論理構成をしていく、と言うことを最近は年齢が重なってきていて、思い返す分量が多くなっているので、処理仕切るまでに前よりも時間が掛かるようになってきているんだがね…。そういった処理自体もしない人がいる。と言うか大多数の人はしないんだろうな…。

あの時のあの発言、と言うことを、蒸し返すのではなく純粋に思い返さないと、人生的な意味合いでの論理整合が取れなくてその会話に参加している人全てにとって矛盾が起きてしまうのではないか、と懸念するので思い返すようにしているだけなんだがね…。

色々としんどい性格しているのは知っているが、不都合が発生した時にどのようにそれを処理するのか、そういうことを仕事でもしているが、それをプライベートの中でもすべきと思っている。それは変えるつもりはないが、思い返すべきインプットを取捨選択するべきなのか、そこがまだ自分的には結論付けられない。。。幼稚園くらいの時から、あの時あの話したじゃん、と言うことを覚えていたりするのは、もしかしたら、あんまり意味のないことなんだとしたら、そろそろいくつかは忘れていっても良いのか、、、いやぁ、ファイル削除するように自分の記憶は消せないしなぁ…。



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