MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る




二浪して最終的にはICUに入ったのは1994年。

 

その時から20数年から30年近く経ち、卒業してからも早24年が過ぎようとしている。年齢的にも折り返しだろうし、社会人人生としても折り返しくらいか。

 

そんな話が普通に出てくるような、そんな邂逅であった。それもいつぞや会ったSingapore以来。同じゼミだったが、最早連絡が付くのは数人。殆どが消息不明。ま、連絡が付かないだけで何処かで活躍していることかと思われるが。

 

思えば恩師、故奥平教授が亡くなられてからも暫く経つが、ゼミ飲み会なんかもおいらがMilanoのMBAに行くまでくらいだったかな。恩師には、結婚式のスピーチをしてくださったのが最後でしたが、今日会ったICUの同級生は同じ故奥平教授ゼミの同級生でもある。しかし会わなくなるものですわね。しかし、京都の会社に転職したのは知っていたので、事前に連絡していた。おいらたちくらいの年齢にもなるとそれなりの役職になっていたりするが、御多分に漏れずそんなポジションのようで、それなり以上の働きを求められるようになっている。

 

そんな話を2時間半。

 

途中で奥さんがみらんくん連れてきて、何となく解散にしたけど、話していて終わりなきと言う感じでした。ICUの同級生でも話の合う合わないはあると思うけれど、長く話していてもその時間を感じなかったのは同じゼミだったからなのか…。ICUにしては珍しく濃いゼミだったのよね。定期的に『金魚鉢』の中の部屋でゼミしていたし。ゼミ合宿も2回したし、卒業の時にゼミ旅行もしたしね。今日会った彼は日光には一緒に行ってなかったみたいだが。少なく共に此処には写ってない。

 

また何処かで会いましょう。



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