残された日々

貴重な時間を有意義に

梅雨

2007-06-22 17:28:25 | Weblog
06/22(金)
本格的に降り出した。まさに梅雨そのものである。
窓外には雨に打たれた雑草が実に生き生きと繁茂している。
数日前にはほんの双葉くらいに思っていたヤマゴボウが20本以上、掌より大きな葉を広げている。
今度晴れたら何はともあれ除草剤散布しなくてはなるまい。
畑は除草剤散布できないので手作業で草抜きしなくてはならない。
アスパラガスの畑に黄花コスモスが繁茂し花を咲かせている。
もったいないが処分しなきゃなるまい。

今日も欠勤。
だんだん横着になって職場放棄しないか我ながら心配だが、倦怠感は抑えようがない。
朝、出勤時刻になると猛烈な睡魔が襲う。
あらかじめ欠勤を決めているからかも知れないが情けない話である。
私が欠勤して会社がうまく回転すればこんな嬉しい話はない。
少しくらいの不具合は眼を瞑らなければなるまい。

体調はまずまず。
痛さはほとんどないのでモルヒネを減量してみようか思案している。
モルヒネ減量で痛くなるより便秘下痢のコントロールの方が心配。
現在は少し便秘状態。少し便通がある程度。
当面、寝汗が一番困っている。
1日4~6回、シャツとパジャマを交換している。
エアコン調節やパジャマの種類を換えて対応しているが効果がない。
眼は変化なし。失明した左眼はやはり点眼を欠かすと痛くて眼が開けられない。
抗生剤を飲んでいるが微熱は続き、時として頭痛がある。
咳や血痰・鼻出血は全くない。
血圧はかなり低い位置まで下がってきた。
発病前から降圧剤を3年飲んできた。
先般の入院の際、降圧剤を継続するかどうか議論があった模様。
体重が下がる。入院以後、また1㎏程度下がったようだ。
裸を鏡で見て情けない思いをしている。
頻尿対策ハルナール錠は今のところ効果が確認できない。

便通

2007-06-21 19:58:34 | Weblog
06/21(木)
いつもの事ながら便秘が続き、昨日はレシカルボン挿入で若干の便通があった。
残余感は続き下剤ラキソベロンを服用しようと考えているさなか、突然便通があった。
量は充分ではなかったが、1時間後にまた便通があった。
今度は少し量が増えて残余感も少なくなった。
完全にスッキリした訳じゃないがヤレヤレである。
現在マグラックス(緩下剤)は日量3錠。
これを継続する予定。

退院後、特に変わった事はなく倦怠感は続く。
昼も夜も眠い、眠い。
寝汗も解消されない。エアコンをかけてみるがシャツやパジャマまで重くなるくらい発汗する。
頻繁に下着やパジャマ交換するしかない。
抗生剤クラビット錠を服用しているが微熱は続く。
制尿剤ハルナールは効果が出ているかも。
夜間の頻尿が減少した。

また完熟マンゴーが届けられた。
上位の取引先からの贈り物なので対応に苦慮している。

便秘

2007-06-20 16:02:21 | Weblog
06/20(水)
金曜日に軟便の便通があったが5日間便秘状態である。
マグラックスを毎食後各1錠飲んでいるが全く気配がない。
「新レシカルボン坐剤」を挿入してみた。
ちょうど1時間後少量の排便があった。
昨年の入院時、浣腸剤として処方され、挿入10分後、完全に浣腸された。
それ以後はあまりうまく作用していない。
ネットで調べた効能書きでは「下剤・浣腸剤」とあり「10~30分後に効果発現」と説明があった。
あまり強烈に作用する薬は避けたいのでちょうど良いかも知れない。

制尿剤ハルナール錠の効果が出ているかも知れない。
1日9回くらいトイレに行っていたが5回くらいに減っている。
以前は夜間の頻度が高かったが、密度が平均してきた感じ。

東京の郷土史家から単行本が贈呈されてきた。
全く面識のない人だが、私のルーツ探しのホームページにたどり着き数度のメール交換があった。
有難い事である。

退院

2007-06-19 19:27:10 | Weblog
06/19(火)
本来昨日退院予定だったが主治医が多忙で退院判定が遅れた。

結局何の問題もなく本日の退院となった。
医療費385,930円3割負担115,780円。高額医療費還付71,380円。
患者負担44,400円。食事電気料5,515円。支払い合計49,915円。

今回から窓口で高額医療還付を清算してくれるので助かる。

頻尿対策ハルナール錠は今のところ効果がない。
抗生剤クラビットは点滴の代替品。
退院はしたがやはりシャキッとしない。
何となくダラダラしている。
便秘が続いているからかも。しばらく欠勤を続けてみよう。

薬品名効能薬価単位処方金額単位
イレッサ抗癌剤6,7741494,842250mg
オキシコンチンモルヒネ9785654,78540mg
クラビット抗生剤229214,801100mg
マグラックス緩下剤684538330mg
リンデロン吐き気止め18142520.5mg
ディオパン降圧剤66281,85240mg
ロキソニン鎮痛剤23841,95760mg
ベネット骨代謝143141,9952.5mg
ハルナールD錠制尿剤178.9101,7890.2mg
合計162,810
3割負担48,843円

本日処方された薬剤。
状況によっては患者に増減の裁量権を与えられている。

隻眼

2007-06-18 19:09:11 | Weblog
眼窩転移による左眼失明について。
「不幸なことに」「気の毒に」などと周囲から慰めの言葉をもらったり、不自由な生活を実感すると情けない。
何の因果かこんな結果になり失明して、読書などを敬遠するようになった。
PC操作は読書より辛いだろうと言われているが、案外、読書より楽である。
PCの場合、フォントやサイズを好みに合わせて変更できるのが大きな原因だと考えている。
「気の毒」な同病を探してみると意外な人物が隻眼だった。
ハンニバルが隻眼だったとは私もモノ知らずだと恥じ入った。
小泉八雲や北一輝も意外だった。
ダヤンはイスラエルの国防大臣で夫人はかなり歳の離れた若い美人だった記憶がある。
柳生十兵衛がマユツバとの記述もあり、あるいは隻眼はカタワモノ(片輪物)の認識が薄かった可能性がある。
私の祖父も隻眼だった。若い頃竹やぶで眼を突いたと聞いた。
隻眼でも後世に名を残す人物がいると言う事は、あるいは彼らは隻眼を苦にしていなかったのかも知れない。
私も隻眼を理由に甘えてはいけないと自戒したい。

以下はネットで拾った隻眼談義の抜粋。

隻眼(せきがん) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
抜粋
隻眼(せきがん)とは、片側の目そのものや視力を失った状態を言う。
病気(腫瘍など)の内因の他、事故や戦闘中の負傷など外因、奇形による先天的な要因の場合もある。
失った目が、右目でも左目でも同じように呼ばれる。
目が失われたために義眼を入れたり、眼帯などで隠し、自らの威厳の誇示を兼ねることがある。

主な隻眼の人物
アンティゴノス1世(前382年-前301年)
ハンニバル (前247年 - 前183年)
夏侯惇 (? - 220年) -自分の目を食べたとされるが、三国志演義による創作である。
丁儀 (? - 220年)
苻生 (335年? - 357年)
李克用 (856年 - 908年)
バイバルス (1277年 - ?)
山本勘助 (1493年? - 1561年)
岩松八弥 (? - 1549年)
本多重次 (1529年 - 1596年)
前田利家 (1539年? - 1599年) - 1560年前後に負傷により隻眼となったという説がある。
伊達政宗 (1567年 - 1636年)
柳生十兵衛 (1607年 - 1650年) - 後代の創作との説あり。
ミハイル・クトゥーゾフ (1745年 - 1831年)
ホレーショ・ネルソン (1758年 - 1805年) - 隻腕でもあった。
小泉八雲 (1850年 - 1904年)
星一 (1873年 - 1951年)
北一輝(1883年 - 1937年)
双葉山定次(1912年 - 1968年)
モーシェ・ダヤン (1915年 - 1981年)
渋川剛気 (1926年 -) - 渋川流柔術・合気の達人
ピーター・フォーク (1927年 -)
ピーコ (1945年 -)
麻原彰晃 (1955年 -)

本日の血液検査の結果で退院予定だった。
主治医が多忙で判定が遅くなり明日19日(火)午前の退院と決まった。

紹介状

2007-06-17 18:56:53 | Weblog
06/17(日)
頻尿が話題になり薬まで処方してもらった。
実際はどうなのか統計を取って見る事にした。
折角の投薬なのに昨夜は何故かこの薬のみ服用していなかった。
未明に気付き悩んだがこの時点で服用した。
従って現在のデータは信頼性に疑問が残る。
初日は合計9回の放尿があり、そのうち7回が夜間である。
翌日は合計8回、うち夜間5回。
夜間は午後6時から午前6時と定義してみたが、この時間帯で3回以内が望ましい。
4~5日後が楽しみである。

日曜日とあって長女・次女の家族全員が病院に集結した。
長女の娘は海岸の石を拾ってきて、画用紙に素晴らしいモニュメントを制作してくれた。
デイルームで賑やかに食事をした。

この病院の眼科医が6月末で退職されるのは承知していた。
入院してみると既に明日(18日)から休診になっていた。
医師が有給休暇を消化するために前倒ししたと容易に見て取れた。
7月以降は週2回の診療になるらしい。
当然、別の医師が診療するだろう。
退職した医師は困難な手術事例にのみ市民病院に出張して来ると看護師に聞いた。
釈然としないが、私は開業医を頼る予定で主治医に紹介状を書いてもらう予定。

頻尿とは別の次元で便秘に悩んでいる。
数日間、便通がないので今夜あたり緩下剤マグラックスを飲んでみる予定。
1錠くらいじゃ反応しないだろうから徐々に量を増やす。
このコントロールを誤るとひどい下痢になる。

明朝、採血と採尿がある。
検査結果に問題がなければすぐ退院になる。

一段落

2007-06-15 19:22:45 | Weblog
06/15(金)
3分粥から徐々に7分粥まで上げてもらって食事がおいしく食べられるようになった。
下痢から少量ではあるが固形便になった。
大した問題ではなかったが頻尿の件が話題になりハルナール錠が処方された。
夜間にぐっすり眠れた方が疲れが溜まらなくて良いと気配りされたのである。
回復が顕著なので早ければ週明けにも退院可能と通告されている。
家内や家族はもっと滞在するよう願っている。

入院

2007-06-14 20:47:49 | Weblog
06/14(木)
日曜日は無気力感でほとんど動いていなかった。
月曜日、いつものように出勤しようとベネットを飲み、30分の時間差で食事しようとしたが違和感を覚えフルーツのみ食べた。
疼痛指数が3程度だったのでオキノームを5包飲もうとした。
オキシコンチン160mgの六分の一すなわち25mg5包である。
続けてオキシコンチン、イレッサなども飲むつもりで準備していた。
オキノームをちょっと口に含んだ時点で猛烈な吐き気に襲われ胃の内容物をすべて吐き出してしまった。
出勤を諦め、薬が飲めないからポルタレン(鎮痛剤座薬)を挿入した。
終日軽い痛みとひどい寝汗で困った。
夜になっても寝汗と下痢が続いた。
いづれも1~2時間間隔で寝汗はシャツが重くなるくらい濡れた。
下痢はほとんど出るモノはないはずなのにすさまじい音量で微量の水様便が続いた。
念のため「おむつ」を着用した。
激しい症状に家内がうろたえて、さかんに救急車をコールしようとする。
私は家内を制して、明朝8時になったら病院に電話してから救急車を要請するよう指示した。
後日看護師に確認したら私のやり方がベストらしかったが深夜でもこの方法が通用するか未確認だ。
結局朝まで寝汗と下痢が続き、待ちきれず家内は7時半に救急車を読んだ。
2~3分で救急車が到着し屈強な救急隊員にいとも簡単に車に乗せられた。
行く先を申告したら、これも何の抵抗もなく6~7分で病院に到着した。
とりあえず診察してくれたのは主治医ではなかったが、看護師が見覚えのある人が多く安堵していた。
採血・レントゲン撮影が終わると主治医が診察してくれた。
抗生物質と栄養剤の24時間連続投与が開始された。
ナースセンターに隣接する処置室に収容されたが寝汗は続いていた。
点滴治療中は着替えが困難である。
点滴チューブをシャツやパジャマの袖を通過させないと着替えできないから、必ずナースの介添えが必要なのだ。
いつの間にか長女も来ていた。次女は家内と時間差で荷物を運んでくれた。
女で良かった。男子なら異変の度ごとに父親に付き添うのは困難である。
熱もさほどではなく、痛さもそんなにひどくはない。
何故か目やにが大量に固まり、洗顔したくらいでは、ほぐれない。
涙誘発剤ヒアレインと涙で少しずつほぐして最終的に洗顔する。

水曜日にはかなり良くなって3分粥だが病院食が完食できた。
何週間もまともな食事が出来なかったのに信じられない。
と同時に下痢が止まった。
量は少ないが固形便になり非常に楽になった。

木曜日は更に回復した。
おむつは外した。
看護師や家族から祝福の言葉が多数寄せられた。
主治医でさえ「何だったのかなあ」と不思議がっている。
「マグラックスのコントロールを失敗したと思っています。」
と話してみたが
「マグラックスくらいではこんなひどい脱水症状にはなりません。何らかの強い雑菌に冒されたと考えてください」
・・・・・・とすると孫の風邪かも。
主治医は「可能性はある・・・」と煮え切らない。

次女にPCを運んでもらい数日振りにメールを確認したら400通あまり届いていた。
必要なメールは5~6件だった。
当地は本日梅雨入りが発表された。
昨年より8日遅くこの20年間で最も遅いとか。

無気力感

2007-06-10 19:42:34 | Weblog
06/10(日)
昨夜も雷鳴は轟いていたが雨は降らなかったようだ。
何となく無気力感で寝坊する。
(朝のベネット内服、30分待機、朝食、薬内服はきっちり消化。)
家内が起床、孫たちが押し寄せると、寝ている訳にもいかない。
軽い園芸作業をした。
マリリンモンローの置物を誤って落とし割ってしまった。
粉々になっていてジグソーパズルになってしまった。
平面のジグソーパズルなら時間をかければ何とかなるかも知れないが、
3次元の破片をつなぎ合わせるのは至難の業である。
私は考古学者にはなれないなと、つくづく思う。
途中で中断してしまった。

数日前に鳩が巣立ったようだ。
巣立ちとはどの時点を定義するのか知らないが、自分で巣から離れると立派な巣立ちと言える。
4日前、巣が空っぽになった。
カラスや猫に食われたのかと心配したが、昨日、巣の傍に一羽止まっていた。
大きさから見て明らかにひな鳥であった。
何かに驚いたか急に林の方角へ飛び上がった。
間髪をいれずどこからか親鳥が追っていった。
今朝、一羽巣に戻っていた。
まだ完全に親離れしていないのかも知れない。
画像は巣に戻ってきた雛鳥。


病状安定

2007-06-09 19:21:05 | Weblog
06/09(土)
昨夜も強い雷雨だった。
雹も混じっていたのだろう、金属部分に接する場所はすさまじい音だった。
一夜明けて今朝は素晴らしい快晴である。
画像は2~3日前の庭の一部。
今年は紫陽花(アジサイ)の玉が小さい。その分だけ花の数が多い。
ガクアジサイも同じように花が小さく花数が多い。
クリスマスローズが異常繁茂している。
時期を見て少し透かす必要がありそうだ。

1週間前から何となく倦怠感。
今朝も出勤しようと玄関まで出たが、猛烈な睡魔と脱力感で引き返した。
問題山積なのだが無理するとドジを踏む。
おとなしく静養することにした。
4歳の孫は39度以上の熱なのだが走り回っている。
小3の孫娘も同じくらいの熱があり、こちらは虚ろな眼をしている。
今の処、両親は健在だが母親にうつるのは時間の問題だろう。
私の倦怠感や炎症反応は、もうとっくに、うつっているとの判断だ。

倦怠感と無気力感とは別の次元で病状は安定している。
疼痛も押さえ込んで咳や血痰も全くない。
血圧も最近は非常に安定している。
1月2月は高めに推移、3月は少し落ち着いた。
4月5月も1時期を除いて安定していた。
6月にはかなり低く推移している。