残された日々

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隻眼

2007-06-18 19:09:11 | Weblog
眼窩転移による左眼失明について。
「不幸なことに」「気の毒に」などと周囲から慰めの言葉をもらったり、不自由な生活を実感すると情けない。
何の因果かこんな結果になり失明して、読書などを敬遠するようになった。
PC操作は読書より辛いだろうと言われているが、案外、読書より楽である。
PCの場合、フォントやサイズを好みに合わせて変更できるのが大きな原因だと考えている。
「気の毒」な同病を探してみると意外な人物が隻眼だった。
ハンニバルが隻眼だったとは私もモノ知らずだと恥じ入った。
小泉八雲や北一輝も意外だった。
ダヤンはイスラエルの国防大臣で夫人はかなり歳の離れた若い美人だった記憶がある。
柳生十兵衛がマユツバとの記述もあり、あるいは隻眼はカタワモノ(片輪物)の認識が薄かった可能性がある。
私の祖父も隻眼だった。若い頃竹やぶで眼を突いたと聞いた。
隻眼でも後世に名を残す人物がいると言う事は、あるいは彼らは隻眼を苦にしていなかったのかも知れない。
私も隻眼を理由に甘えてはいけないと自戒したい。

以下はネットで拾った隻眼談義の抜粋。

隻眼(せきがん) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
抜粋
隻眼(せきがん)とは、片側の目そのものや視力を失った状態を言う。
病気(腫瘍など)の内因の他、事故や戦闘中の負傷など外因、奇形による先天的な要因の場合もある。
失った目が、右目でも左目でも同じように呼ばれる。
目が失われたために義眼を入れたり、眼帯などで隠し、自らの威厳の誇示を兼ねることがある。

主な隻眼の人物
アンティゴノス1世(前382年-前301年)
ハンニバル (前247年 - 前183年)
夏侯惇 (? - 220年) -自分の目を食べたとされるが、三国志演義による創作である。
丁儀 (? - 220年)
苻生 (335年? - 357年)
李克用 (856年 - 908年)
バイバルス (1277年 - ?)
山本勘助 (1493年? - 1561年)
岩松八弥 (? - 1549年)
本多重次 (1529年 - 1596年)
前田利家 (1539年? - 1599年) - 1560年前後に負傷により隻眼となったという説がある。
伊達政宗 (1567年 - 1636年)
柳生十兵衛 (1607年 - 1650年) - 後代の創作との説あり。
ミハイル・クトゥーゾフ (1745年 - 1831年)
ホレーショ・ネルソン (1758年 - 1805年) - 隻腕でもあった。
小泉八雲 (1850年 - 1904年)
星一 (1873年 - 1951年)
北一輝(1883年 - 1937年)
双葉山定次(1912年 - 1968年)
モーシェ・ダヤン (1915年 - 1981年)
渋川剛気 (1926年 -) - 渋川流柔術・合気の達人
ピーター・フォーク (1927年 -)
ピーコ (1945年 -)
麻原彰晃 (1955年 -)

本日の血液検査の結果で退院予定だった。
主治医が多忙で判定が遅くなり明日19日(火)午前の退院と決まった。

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