残された日々

貴重な時間を有意義に

寝汗

2007-06-08 19:35:53 | Weblog
06/08(金)
画像は抗癌剤イレッサ250㎎14錠入り。
@978X14錠=13,692円、3割負担で4,107円。

この数日、寝汗で困っている。
ほんの1~2時間の仮眠でもビッショリと汗をかく。
背中から臀部にかけ掌くらいの幅で下着が重くなるくらい濡れる。
一時期はパジャマまでベチャベチャになる寝汗だったが、最近は布団との接点くらいの幅だ。
着替えをモタモタすると、すぐ鼻水が吹き出す。
暖かくすると汗、涼しくすると鼻水。
コントロールが極めて困難になっている。
困難というより不能と言った方が当たっているかも知れない。
寝汗で目覚めたら身体や腕が、布団などに接触して出来たシワがそのまま残っている。
肌や腕に弾力がなくなってしまってシワが戻らないのである。

先日の定期受診で炎症反応上昇が指摘されたが、風邪気味かもしれない。
昨夜から今朝にかけて孫たちが39度前後の熱を出している。
私はほとんど熱はないが軽い頭痛が続いている。
朝のミーテイングの時刻には必ず頭痛が襲う。
早々に退社してベッドで過ごす。

昨夜は近い場所で雷鳴が続き、強雨が降った。
夕刻には庭や野菜に充分潅水したが無駄だった。
今日も雷鳴が続いて、保育園を休んでいる孫が抱きついてくる。

見えない左眼は涙を分泌する能力に劣るので、毎朝、涙誘発剤ヒアレインを点眼している。
念のため健康な右眼にも点眼している。
2ヶ月前までは左眼から湧出する涙が排泄物(ウンチ)の臭いがした。
最近はほとんど臭いがなくなった。
朝の点眼だけで充分になったが、以前は2~3回点眼していた。

定期受診

2007-06-07 14:43:34 | Weblog
06/07(木)
定期受診。
内科予約は13:00なので12:00までに血液検査とレントゲン撮影を終わらせなければならない。
本日は11:30までにレントゲンまで終わった。
まさかとは思ったが12:10頃診察呼び込みがあった。
1時間近く早い。
モルヒネ減量中である旨を申告、減量を継続した量の処方になった。
途中から増量はできないからレスキューのオキノームなどで対応する。
肝機能は若干悪化しているかも知れない。
炎症反応が上がっていて風邪引きを疑われた。
体重減少が気になると申し出たが「BMI21は最も長生きできる数字です」と事もなげに放された。
特に変わった処方なく「シャンシャン」で診察終わり。
モルヒネ減量のお陰で治療費が安くなった。
本日の治療費合計42,540円。

本日は家内も近くの開業医で胃カメラ検査。
私より少し早く帰宅。
「全く異常なし」の所見だそうな。
羨ましい話しだ。

鳩が2羽生まれた

2007-06-05 19:30:43 | Weblog
06/05(火)
何となくお疲れ気味。
出勤前に会社の駐車場を監視してみると、今日も違法駐車がいた。
真偽のほどは定かでないが福山平成大学の学生だと本人が申告した。
深夜に腹痛で動けなくなり駐車場で仮眠したと言う。

自宅の藤棚に営巣した鳩が2羽の雛を孵化させた。
ツバメの雛のようにうるさくしないで、あくまでも沈黙を守っている。
あと数週間で巣立ってしまうと思うが、世の栄枯盛衰の縮図のような気がする。
昨年は2週間あまりで営巣放棄した。
原因はカラスか猫か、まさかウチの悪がき共ではないと思うが・・・・・・。
何枚も写真を撮ったが2羽が並んできれいに写っているのはない。

一ヶ月前に指を貫通させたと勘違いした怪我が本日跡形もなく完治した。

朝、快便があった。
最初、兎の糞のような硬い便を搾り出すような感じだが、
しばらくすると通常の硬さの便が通常の2倍程度の量が出る。
下腹部の便秘のツボを押さえると内部で大きな音がして今度は下痢になる。
5分間の間で便秘状態から下痢状態に移行する。
この下痢状態は数日続く。
大した量じゃないのだが1日に何度も何度もトイレに走る。
この状態ならマグラックスは日量3錠だ。
量が出なければすぐ日量6錠に増量する。

発病2年総括

2007-06-04 15:08:36 | Weblog
06/04(月)
発病2年総括
なんだかんだ言いながら発病以来2年になった。
日記をひもといて見ると2年前(2005年)6月3日、禁煙して飴ばかり食べるので肥満をひどく気にしている。
その直後6/13以降6/30まで連日検査・検査の連続で遂に6/30には肺癌の宣告がなされた。
かなり冷静に対処していると自身では感じている。

2年間で胸のレントゲン写真は58回、CT写真は32回、放射線治療は33回、
抗癌剤点滴は6種類36クール、抗癌剤内服は2種類12週(TS-1)と84日(現在継続中のイレッサ)。

冷静に対応したとは思うが、うろたえたのは客観的な事実である。
同業者が同じ肺癌にかかり闘病半年であっけなく亡くなった。
この亡くなった人から半年遅れて私が発症したのでかなり参考になった。
夫人には大変お世話になり気丈にも何かと世話を焼いてもらった。

発病2年と言うのは何かと目安になる周期である。
最初の判定は非小細胞肺癌線癌ステージⅣ、
T2(3cm以上)N2(リンパ節転移あり)M1(遠隔転移あり)の絶望的症状である。
最初に投与される抗癌剤がシスプラチンとドセタキセルの場合、2年生存率は11.5%である。
肺癌告知された後、私は家族に余命2年から5年と告げた。
多分に希望的観測があるが、医学の驚異的な進歩のお陰で1割の生存率の仲間に入れてもらった。

最初は痛さは全くなかった。
痛さと言っても肩こりの延長みたいな痛さで病状には含めていなかった。
最初はひどい咳とたまに出る血痰であった。
咳はなかなか治らなかった。
リン酸コデイン散を毎食後1包づつ1年半以上継続した。
血痰が連続するようになり止血剤の点滴を1ヶ月以上続けた。
1段落して点滴を内服に切り替え完全に血痰が止まるまで2ヶ月以上継続した。
現在は血痰は全くなく、鼻出血も完全に止まった。
リン酸コデイン散も大量に残り、次女が時折飲んで効果を喜んでいる。

初期段階で肝機能が少し良くなかった。
γGTPの数字が飲酒と深い関係があることを知らされていたのでかなり気にしていた。
強力ミノファーゲンを毎日注射して貰っていたが、いつの日かこのアクションが消えていた。
その後、肝臓に転移したことが確認された。
CT画像で肝臓は黒っぽく写り、その中に転移が更に黒く移って見えるのだ。
抗癌剤カルセドや抗癌剤イリノテカン点滴にも効果なくむしろ拡大していた。
この頃からお酒がまずくなり、殆ど飲めなくなった。
現在のイレッサ内服で原発巣は劇的に縮小、肝転移も徐々に縮小してきた。
忠実に反映してお酒が飲めるようになった。
最初のきっかけは自家製の梅酒であった。
味を自由に調整できる強みで、好みの味に仕立てていたので、まずかろう筈もない。

酒が飲めないと食欲がわかないとは酒飲みの悲しい性である。
食べないから体重はどんどん減少する。
05年06月末ー66㎏ 入院前、肥満一歩手前で安定
05年12月末ー71㎏ 入院で無為徒食、一気に5㎏増加。
         (入院07/04~10/05 2度目の入院11/29~12/16)
06年07月末ー64㎏ 退院して徐々に減少。
06年12月末ー62㎏ 減少傾向は続く。(入院10/03~11/10)
07年03月末ー56㎏ また一気に減少した
07年05月末ー55㎏ 下げ止まりの様相
体重が変化すると家内が右往左往する。
洋服が合わないのである。
体重が減少してどんな不具合が発生するのか詳しくは知らないが、
現状で特に問題がなければ良しとしよう。
BMI21.0程度で標準体重の中間地点だ。

眼が良くない。
最初のMRI画像に既に異変があり退院前のMRI検査では顕著な異常がある。
主治医も放射線科の医師団も明らかな見落としであった。
この時点で何らかの対応をすれば病気の進行を制御できたかどうか微妙なところである。
この時点で私は別の治療法を選択した。
行きつけの病院でリニアック放射線治療を提案されたが、強く拒否してサイバーナイフを希望した。
主治医は申し訳ないを繰り返し紹介状を書いてくれた。
結果的にこの治療が大成功だったことを眼科の医師が繰り返し教えてくれた。
サイバーナイフは大成功だったが、やはり限界はある。
癌細胞は消滅までいかなくても、かなりのダメージを与えていた。
眼底が冒され網膜が壊れているらしい。
「眼科的に治療法はありません」と明確に突き放された。
左眼は現在かすかに明かりを感じる程度だが、眼が開いていると言う安心感が表情を明るく保つ。

痛さは昨日のブログで詳述した。

発病2年、その他の項目は追って詳述予定。

頭髪

2007-06-03 17:09:47 | Weblog
06/03(日)
画像は自身の頭髪。
昨年10月12日、抗癌剤カルセド投与開始と同時に剃髪した。
本年2月1日、抗癌剤はイリノテカンに変更されたが剃髪は継続した。
わざわざ剃髪しなくても、脱毛の後はほとんど伸びないので管理は楽である。
3月23日の記録上最後の剃髪から頭髪は放置し続けて2ヶ月あまり。
かなり「まだら」であるが頭髪の長い区域は頭髪を指でつまむ事ができる。
3/13から抗癌剤はイレッサに変更されたがドラスティックな結果を残しながら継続している。
有難いことにイレッサは私には脱毛の副作用をもたらさなかった。

疼痛指数が3~4である。
疼痛指数は自分で決めた5段階判定範囲である。
病院から支給されるフェイススケールは次の説明があり、参考にしている。
0. 痛みが全くなく、とても幸せ。
1. 少しだけ痛い。
2. 軽度の痛みがあり動くのが少し辛い。
3. 中等度の痛みがあり動くのが辛い。
4. かなり痛みがあり動くのがとても辛い。
5. 耐えられないほどの強い痛みがある。

モルヒネの鎮痛剤服用はできるだけ避けたい処である。
主治医は「痛みを消すための薬なので充分服用するように」と、常に多めの処方をしてくれる。
これは抗癌剤に限ったことではなく、他の薬も飲みきれずに残る事も多い。
鎮痛剤のロキソニン、鎮痛剤座薬ポルタレン、制吐剤ナゼアなど10種類程度残る。
違反であると思うがこれを家族に飲ませると効果抜群で大感謝される。

一昨日、昨日と同じ症状である。
無理を押してベネットを飲む。
ポルタレンを挿入する。
コタツでテレビを見ながら待機する。
15分程度で楽に歩ける程度になるのでバイタルチェックなどをして30分を消費する。
時刻になると食事をして薬を飲む。
食事が終わる頃には人間的な動作・挙動になる。

今日は日曜日で孫達は空港へ飛行機を見学に行った。
世話を焼く対象がいないのと若干の倦怠感がベッドへ私を縛り付ける。
結局、今日は何の農作業も行わなかった。

完熟マンゴー

2007-06-02 20:50:12 | Weblog
夕刻になって宅急便が届いた。
テレビで喧伝されている宮崎の完熟マンゴーである。
私は初めてだし、他の家族も多分初体験だろう。
贈り主は取引先の女社長だ。病身を気遣って何かと世話を焼いてくれる。
安いプレゼントではないらしい。
取引先とは言え相手は発注側で主客転倒であり、対応に苦慮している。

ユッカ

2007-06-02 20:47:23 | Weblog
06/02(土)
画像はユッカの花。
5~6本あったが今年は何故か1本しか花がつかなかった。
鋭い葉の先端部で怪我するのは嫌なので、この1本を残して全部切り倒した。
花が終わったらこの1本も処分しようと考えている。

朝、激痛で眼が覚めた。
昨日と同じ症状である。
起き上がるのが困難なくらい昨日より数段痛い。
何とか歩いて鎮痛剤を飲む。
今日は朝のルーチンであるベネット(骨代謝剤)は中止した。
ベネットを飲んだ後30分間は飲食不可、横になるのもダメ。
この痛さを30分我慢できないからだ。
鎮痛剤や降圧剤、制吐剤、抗癌剤なども飲んでベッドに入る。
なかなか楽にはならない。
ベッドで唸っている異変に家内が気付いた。
昨夜効果のあったポルタレンを家内に挿入してもらった。
10分で効果が現れた。30分経過したら昨日同様痛さは消えた。
誠に有難い薬である。

孫と梅の収穫を継続した。
今日は孫娘も参加し合計バケツ3杯の収穫だった。
この後、この梅の木は思い切って剪定した。

ポルタレン

2007-06-01 23:00:53 | Weblog
06/01(金)
画像は「棕櫚蚊帳釣り(しゅろがやつり)」。
奥ゆかしい命名に惚れた部分もあるがM家から1株持ち帰って、泉水に投げ入れたり、
湿気の多い場所に植えたりしている。

孫と梅の実を収穫した。
脚立に登らせて手でもぎ取るのだが、最初は怖がって仕事にならなかった。
すぐに慣れて喜んで収穫するようになった。
転落しないように手伝ってやるのだが、これが結構エネルギーが要る。
結局、バケツ半分で今日の作業は中止した。
数日間、継続必要。

午後になって背中が痛くなった。
心なしか顎(あご)も痛いし頭痛もある。
夕食後、ポルタレン(鎮痛剤・座薬)を挿入した。
効果抜群で30分後には疼痛指数はゼロになった。
頭痛と背中の痛みは完全に取れた。
アゴの痛みはいくらか残っている感じ。

ポルタレンにしようかオキノーム(モルヒネ・レスキュー)にしようか、ロキソニン増量か、
選択肢はいくらかあったのだが、見事に的中した。

白丁花

2007-05-30 13:50:34 | Weblog
5/30(水)
画像は白丁花(はくちょうげ)。
小さい花が無数に咲いて美しい。
木の姿はお世辞にも美しいとは言えないが、何となく引きつけるモノがある。
この一画にはシャガ・岩南天・柊南天・柊・など、どちらかと言えばマイナーな花が多い。
この白丁花は花弁がわずかにピンク色で可憐である。

便秘と下痢のコントロールに苦しんでいる。
緩下剤マグラックスを日量6錠だと通常便秘だが、4~5日目に大量に排便する。
最初は兎の糞だが間もなく通常の便になり最後には下痢症状の便になる。
この便通の後、緩下剤の用法に苦心するのである。
最近のパターンは大量排便直後から緩下剤を中止する。
中止しても下痢状態だが量は多くない。
2~3日経過して緩下剤を日量3錠にする。
どちらかと言えば下痢だが排便の量は非常に少ない。
日量3錠を数日継続して3日目くらいから日量6錠にする。
この後、「4~5日目に大量に排便」につながる。

便秘の元凶は抗癌剤イレッサや鎮痛剤オキシコンチンの副作用である。
オキシコンチンの服用量は変化するので当然便秘への影響が出る。
これらの薬の恩恵を受けている期間、この制御から逃れられない。

双子の孫来訪

2007-05-28 19:06:50 | Weblog
当家の孫は小3女児と4歳の男児。
高速道路のインターチェンジ二つ目に離れて暮らす長女の家族は小4の男女の双子。
偶然、どちらも昨日が休日参観日で今日は振り替え休日だった。
早い時間に揃って仲良く遊んでいる。
昼食はウッドデッキでBBQ。
陽射しが強いのでテントを張る。
今年はテントをもう少し簡単に張れるように考えてみたい。
泉水の近くでは「西洋イボタ」が満開になった。
4~5日前の変則咲きから見ると随分美しい。

便秘気味で緩下剤マグラックスを日量6錠服用中。
疼痛指数はずっと0なので、恐る恐る日量4錠に減量した。
何かの異変があればすぐ元に戻す。

画像は満開の「西洋イボタ」。