残された日々

貴重な時間を有意義に

退院2

2007-07-03 17:51:46 | Weblog
7/3(火)
画像は院内のルーフガーデン。

何度も入退院を繰り返すと要領がよくなる。
10時退院を病院や家族に伝えているので9時半までベッドでゆっくり休む。
家族も長女と家内が9時半ぴったりに迎えに来る。
私もPCやプリンターの片付けを始める。
医療費の概算は昨日確認して8万円程度と聞かされていた。
眼科への紹介状は朝も確認したので10時前には届いた。
低残渣食を食べていたので退院後の配食サービスについては昨日中に調べていた。
院内の地域連携室でリストやパンフをもらっていた。
低残渣食にはこだわらなくて良いと主治医に言われていた。
生ものは避け、トウモロコシのようにカスが残る食品は控えるようにと言う事であった。
手際よく病棟の検温カートを借りて退出する。
支払いは昨日の確認とは金額が大きく違っていた。
6月分40,133円、7月分61,838円、合計101,971円だった。
個室料金50,000円が含まれるがこれは保険の適用外だ。
帰宅してみると次女と孫娘は風邪で医者に診てもらったそうな。
雑菌の巣窟に戻った。

父の命日

2007-07-01 17:01:32 | Weblog
7/2(月)
53年前、1954/07/02父が死んだ。数え年41歳だった。
53年前も大雨だった。
大雨の中を片道4K㎞の町まで2度もお使いをさせられた。
最初は父にお茶を飲ませるための吸い口を買いに行った。
結局、戻ってみると父は亡くなっていて用を足さなかった。
2度目は父の死を確認して診断書を書いてもらうために医者を呼びに行った。
つらいお使いだった。
大した病気ではなかったが健康保険がない時代で、
充分な治療を受けられないまま無念の死であったろう。
私は10歳になったばかりであった。
父の亡くなった歳を20歳以上越えた。
充分と言えば充分だが与えられた命を粗末には出来ない。
私がどこかへ出かけようとする時、孫の恨めしそうな眼を見るのが辛い。
祖父は40年前、82歳の天寿を全うした。
母は4年前、87歳まで生きて、安らかにあの世に旅立った。
祖父までは19年、母までは24年頑張らなければならない。
物理的に不可能と引導を渡されているが…。

食事

2007-07-01 16:44:46 | Weblog
07/01(日)
孫たち来院。昨日に引き続きお昼に孫たちが病院に勢ぞろい。
今日は3Fデイルームで食べた。
テーブルを並べて大量の皿が配された。
私は見ただけで食欲が減衰した。
病院食が3割残ってしまった。
子供たちがたくさん、おいしそうに食べるのを見て私は満腹になる。

だんだんと便の状態がよくなってきた。
量は少ないが通常便になった。

今日は何となくブルーな1日だった。
せっかく孫たちが来てくれたのに愛想なしだった。
一番下の4歳の孫が帰り際にべそをかいて大泣きしたが、こちらもやりきれなくなる。

満月

2007-07-01 01:10:05 | Weblog
07/07/01
画像は点滴中の栄養剤。ほとんどブドウ糖のようだ。
初日には5本以上点滴、徐々に減らして今日は1本。
明日からは点滴なしで自力で食事から栄養を摂取する。

真夜中、ブラインドから月が透けて見える。
トイレに立ったついでにブラインドを上げてみる。
見事な満月だった。
早速天文データを探してみた。
天文薄明 3:12
常用薄明 4:28
日の出  4:57
正中   12:10
日没   19:23
常用薄明 19:52
天文薄明 21:08
月齢   16.0
月輝面  99.6%
月出   20:17
正中   00:14
月入   05:02
大潮 干潮6:06-156cm
   満潮11:06-303cm
   干潮17:38-44cm
   2度目の満潮は翌日0:19-390cm

プレジャーボートを所有していた頃、このデータは必須だった。
これを無償でネットに配信してくれる奇特な方にいつも感謝していた。
同じようなソフトはかなり出回っており、有料サイトも少なくない。
何とか自作しようと思ったが、それより先に作らなければならない社内用のプログラムが残っている。
2000年問題が目先の課題になったとき、2000年までに片付けると宣言してしまったのだ。
このプログラムが手付かずの状態なのにホビーのプログラムから着手するのはルール違反と考えられた。
結局、古いプログラムで稼動しているので最新バージョンのPCに対応できなくて頭を抱えている。
膨大な時間を費やして作ったプログラムなのだが最新バージョンで稼動する流通ソフトに頼らざるを得まい。
気が付いたので記録。これからまた寝る。 

便秘解消か

2007-06-30 18:32:20 | Weblog
06/30(土)
孫たち来院。
お昼をめがけて孫たちが病院にやってくる。
昼食を一緒にいただくためである。
せまい病室で身を寄せ合って食べるのだが、
時にはルーフガーデンやデイルームで食べる事もある。
今日も、め一杯食べて帰った。

昨日は微量ながら軟便がでた。
今日は少量の軟便がでた。
どうやら下痢から解放された気配だが油断は禁物だ。
おむつも外したが気配があれば復活させる。
気配を感じてからでは手遅れかも知れないが・・。

血圧が低い所を推移していて非常に気分が良い。
上は120を越える事は少なく、下は殆ど80以下である。
血圧計のメモリーを見ると30回(10日)平均値114/75だった。
体温は少し高めで36.6度近辺だ。
普通の人には平熱だが私の平熱は35.8度あたりなのである。
問題になる体温ではない。

かなり楽になった

2007-06-29 20:46:34 | Weblog
06/29(金)
朝、検尿・採血があった。まだ結果を聞いていない。
隣の4人部屋が週初めから2床空いている気配だ。
看護師に確認したが入院予約があるそうな。
「ホンマかいな」と思うが止むを得まい。
病棟看護師長に転室希望を伝えた。
個室は自由で快適だが孤独である。
何より自己負担が1日5,250円かかる。
これは保険適用外なので日数が増えると大きな負担になる。

窓外は暑そうだが夕刻から降雨がありそうだと気象情報。
明日は孫たちがやって来る気配がある。
うっとうしいには違いないが、無邪気な所作に触れると心が休まる。

食事ができるようになって案の定、便秘になった。
効果が期待できるかどうかは別にして本日昼からマグラックス再開した。
朝昼夕食後各2錠である。
少し多い気がしないでもないが、場合によっては更にラキソベロンを飲まなければならない。

回診に来た主治医に聞いてみた。
「皮膚科に同姓の女医が配備されたようですが・・・」
「嫁!」と短く回答された。
夫婦で勤務して病院を乗っ取るつもりかも(冗談)。

「今回は少し長く入院させてもらえませんか、過去2回辛い思いをしました」
「あまり意味がありません。孫が同居して感染症が云々なら孫のいる家には帰れません」
「うーん」
「月曜日に血液検査して異常なければ退院しましょう。
QOL優先で短い残り時間を有効に使いましょう。
MSTを大きく行過ぎたけれど、私たちも常にヒットと言う訳に行きません。
厚労省が慎重になって新薬の承認が極端に遅れています。
もう少し頑張れば初期に効果のあった化学療法でもう一度治療できます。
現在は原発巣が縮小している最も良い時期なので、病院でくすぶっているのはもったいないです。」
「冷たくなっている」とか言う表現が停滞なく出るようになり、主治医もかなり患者に近寄ってくれている。
本音が顔を出すようになった。
以前は余命を尋ねてもはぐらかされていた。
現在は雑談風にうまく話が乗ってくると何がしの量的回答を得る事ができる。
この会話は多床室では不可能で個室のメリットがここにもある。

この調子なら大部屋へ転室を申し入れた件が反古になる。
眼一杯栄養剤を点滴して来週初めには退院しよう。
調子に乗りまくっている主治医の幸運にあやかろう。

病状安定のもよう

2007-06-28 17:12:23 | Weblog
06/28(木)
画像は点滴中の抗生剤ホスミシン。数日後には内服になった。
食事カードには「低残渣食・7分粥250g(中)」と書かれていた。
お昼には焼肉と酢の物がついていた。
特別な食事ではないような気がしないでもない。
昨日は便通が5回もあった。それより前は8回10回と頻度が高かった。
頻便の場合ほとんど下痢である。
それが本日は16時現在でお昼過ぎの1回のみで、やはり水様便だった。

寝汗がかなり回復した。
点滴中は着替えの際、点滴チューブをシャツに潜らせないといけないので、
極めて面倒で看護師にも負担をかける。

食事が許可され体力が回復の方向にあるが、一気に回復とはいかない。
まだ立ち上がった直後は、かなりフラフラする。

昨日まで下腹を押さえると痛かった。
それ以前は押さえたら悲鳴を上げるほど痛かった。
今朝はまだいくらか痛かったが、お昼にはほとんど感じなくなった。
お昼頃までは検温に来た看護師が苦笑するほどグルグルと大音量で下腹部が鳴っていた。

抗生剤クラビットが明日の朝で切れる。
ホスミシンを継続しているので追加はされない模様だ。
風邪のような鼻づまりの現象も殆ど消えた。
明日の朝、血液検査と検尿がある。
炎症反応(CRP)の値に異常がなければ抗生剤の追加もないだろう。

あれほど苦労した咳は全くなくなった。
同じく血痰・鼻出血も気配さえ全くなくなった。

頻尿対策に飲み始めたハルナールは効果が見えない。
昨日は1日5回、その前とその前は共に1日6回。
今日も16時現在6回、今日はもう少し増えるだろう。

眼は可もなく不可もなし。
時にドライアイになって眼球が乾くのでヒアレインを両眼に点眼する。
PCにデータを打ち込んだり新聞を読んだりする時は左眼は閉じている。
これによる疲れは認識していないが、データ入力は時間がかかるようになった。
図面を作画する作業はもっと大変で以前の3倍以上の時間が必要になった。
JPEG,BMPなどの画像加工も同じように時間がかかる。
加齢による能力低下も要素の一つではあるが・・。

頭髪がかなり伸びた。
フサフサという訳にはいかないが、今度退院したら散髪必要だろう。
眉毛ははっきりしない。腋の下や陰毛も貧弱ながら少し伸びた。
頭髪は白髪が黒髪に生え変わったのではないかと喜んでいる。

爪はまだ完全にきれいにはなっていない。
1時期、脆いギザギザの、すぐ割れる爪は足の1部分を残して良くはなっている。

体重は今回の騒動で大きく減少した。
52.5kgまで下がった。
BMIの指数で間もなく「標準体重」から「痩せ」に移行する。
1年半前は71㎏まで膨らんで「妊婦みたい」と看護師から、からかわれたものだ。
この時は体重が増えるのが怖くて仕方なかった。
今度はこれ以上は下がるな!と祈るような気分だ。
これを書きながら少し気になってもう一度測定してきた。
54.0㎏と表示され、やれやれだ。

食事

2007-06-27 15:09:24 | Weblog
06/27(水)
土曜日の夕食以降、何も食べてなくてフラフラしていた。
今朝の朝食から5分粥が許可され味噌汁と野菜の煮物が供された。
お昼は更にケチャップ煮・下ろし和え・フルーツポンチだった。
美味しく食べられたのは言うまでもない。
食事カードには「低残渣5分菜」とあり「5分粥200g(中)」と書かれていた。
午後になって少量ながら軟らかい固形便が出た。
少しずつ普通の生活に戻っている実感がある。

再び入院

2007-06-26 14:37:19 | Weblog
06/26(火)
6/19に退院、6/24(日)にまた退院5日で再入院となった。
退院時、万全ではなくレシカルボン挿入などで対応してきた。
土曜日の午後、レシカルボン挿入したが反応がなかった。
日曜日の未明、突然嘔吐し、布団や枕がメチャメチャに汚れた。
嘔吐した量は2リットルもあっただろう。
下腹部が痛くて歩行困難なので受診を決めた。
痛みが少し治まるのを待って9時前に病院に電話した。
受け入れてくれると言うので次女の車で病院に向かった。
車椅子が準備され病院職員が待機してくれていた。
すぐレントゲン写真を撮影し、腸に異変があることを説明してもらった。
点滴が開始され23時まで続いた。
ヴィーンF(2回)・ホスミシン(抗生剤)・ロピオン(鎮痛剤)(2回)・
ビーフリード(栄養剤)(2回)等であった。
突然の来院なので病室が空いてない懸念があった。
案の定、部屋がないので入院が出来ないと言われた。
やむを得ず承諾したが、院内くまなく探して貰って消化器病棟の個室が1室確保できた。
やれやれ助かった。
入院当日は翌朝まで強い痛みと下痢に悩まされた。
部屋がないと帰宅させられたら困った事になっただろう。
1泊して主治医が回診に訪れた。
「イレッサの副作用かなあ」と頭を抱えている。
「体力が減衰しているので雑菌が入りやすいのでは?」とまるで医者の口ぶりで話してみる。
「それもあるが・・・・・・」と煮え切らない。
いずれにしても下痢が治まるまで食事をしない事になった。
食事をしないからパワーが出なくて歩行も辛い。
入院3日目すなわち今日、非常に調子が良くなった。
下腹部の痛みが激減した。下痢も回数が減ってきた。
下腹部に溜まっていたモノは殆ど下痢で出た感じ。
下腹部を押さえてみて痛みがかなり減少している。
しかし痛みが完全には消えていない。残存物があるのかも知れない。
まだ食事ができるほど回復していないようだ。

日曜日はイレッサとオキシコンチンしか飲めなかった。
昨日も服用はしたが変則的な時刻であった。
本日になってやっと規則的な内服が可能になった。
いつの間にか薬が増えている。
ハルナール(制尿)・クラビット(抗生剤)は先週から増えている。
ホスミシン(抗生剤)・ビオフェルミン(整腸剤)は昨日から増えた。
朝は8種類の薬を飲む。昼は4種、夕は5種類の薬だ。

治療経歴

2007-06-22 18:01:01 | Weblog
発病2年、治療略歴

日付  経過
日数
 内容投与形態
2006/6/14   ○○病院受診・CT   6/22気管支鏡検査  6/23骨シンチ 6/24造影CT 6/28頭部MRI 
2005/6/30   肺癌告知(StageⅣ)(T2N2M1)(手術不能の進行癌) 
2005/7/42005/10/594入院シスプラチン130mg+ドセタキセル100mg 4クール  10/05 退院(入院94日)週1回点滴(3週継続)+1週休薬
2005/10/13   ○○病院 サイバーナイフ(頭部腫瘍)(24Gy)(通院) 
2005/10/31   眼窩異常指摘(開業医+○○医師) 11/1眼窩造影MRI  
2005/11/142005/11/163入院○○病院 サイバーナイフ(眼窩骨転移)(38Gy) 11/16退院(入院3日) 
2005/11/292005/12/1618入院再入院  ナベルビン 3クール  12/16退院(入院18日)週1回点滴(3週継続)+1週休薬
2005/11/302006/1/437   ナベルビン40mg 合計5クール 
2006/1/132006/1/26  リニアック放射線治療(右脇腹骨転移)合計10回(30Gy) 
2006/1/112006/2/22  パクリタキセル60mg 6クール週1回点滴(3週継続)+1週休薬
2006/3/32006/6/2  ジェムザール1400(1200)mg 10クール週1回点滴(3週継続)+1週休薬
2006/6/162006/10/3  TS-1(120mg)3クール4週内服1週休薬
2006/10/32006/11/1039入院カルセド60mg点滴4週休薬2クール06/10/03 再再入院3日点滴3週継続1週休薬
2006/10/162006/11/622 リニアック放射線治療(全脳照射)合計19回(38Gy)11/10退院(入院39日(累計185日) 
2006/11/272007/1/1146 カルセド60mg点滴4週休薬第4クール通院治療3日点滴3週継続1週休薬
2007/2/12007/3/836 イリノテカン開始(通院)週1回点滴(合計5回)+(1週休薬)
2007/3/122007/3/2918入院イレッサ投与(内服)開始(3/13) 入院毎日内服
2007/3/30   イレッサ投与(内服)通院毎日内服
2007/6/122007/6/198入院感染症で下痢、脱水症状。救急車で入院。24時間点滴(鎮痛剤・栄養剤・抗生剤)