~プラモんモんな徒然に~

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ゴジラとGODZILLA

2014-08-18 | 国内特撮関連

 

ゴジラとGODZILLA

 

 

既に公開中のゴジラ(2014)ですが還暦ゴジラと併せてつらつらと赴くままに。

少し前ですがゴジラ(2014)公開に先がけてゴジラ(1954)のリマスター版が期間限定で劇場公開、及びBSプレミアムでの放送がありました。前売り券で劇場鑑賞半額特典(500円)でしたので私は劇場にて再鑑賞しました。(以降オリジナルゴジラを“ゴジラ”、ハリウッド版を“GODZILLA”と表記します。)

私は、第2次怪獣ブームが華やかさに陰りが見え始めた頃TVで放送される怪獣映画を多感な時期に観て育ちました。確か劇場でのゴジラ映画初観は“ゴジラ対ヘドラ”なのである意味悲惨です(苦笑)

特撮作品氷河期一歩手前の時期で現場で採算が色々な意味で合わなくなってきた当時、怪獣映画=お子様映画の図式が絶対でありました。すでに私ら世代はゴジラは人類の味方(ヒーロー)として定着していましたのでゴジラ(1954)の怨霊的イメージはずっと後になって認識したものです。

高校生くらいの時からビデオデッキが登場して家庭内でも過去の作品は観れつつある環境が整いましたがやはり当時は高額商品で所有できたのは随分後になってからだったように思います。それに加えソフトも高く、電器屋でのダビングサービスなるものを利用しコピーテープを大事に鑑賞したものです。

そんな折、大阪は阿倍野区に“新世界”と呼ばれる界隈にて怪獣映画のオールナイト上映会(当時の決起ゴジラファンによる)がありましてその時に最初から終わりまで劇場で“ゴジラ”を観たのが人生で最初でした。古いオリジナルなので雑音とフィルム傷が酷かったので細部が結構見えなかった記憶があります。(劇中の菅井きんを指摘できる嫌味な高校生でした(笑))

 時と共に映像媒体がテープ、LD、DVD、ブルーレイと目まぐるしく変化しながらも名作もアーカイブされるわけで時代によって感じ方も変わります。

私は円谷特撮贔屓でしたのでどちらかというと本多監督の本編部分を軽視していたのかもしれません。色々なところで語りつくされているので割愛しますが改めて見直すと本当によく出来ています。当時の技術的な限界で多少詰めの甘さもありますが、現在と違い経験値や実績無い中で、一歩間違えばゲテモノ扱いになりそうな作品は抑えた演出と実直な構成ができる本多監督ならではこそ活きてくるのでしょう。

私は条件反射の如く、“平和への祈り”の場面と先の災難で逃げ遅れ死んだ母親を白痴の如く見つめ挙句、号泣(どう聞いても本気泣きが凄いなぁ)する子供の場面が伊副部昭の重厚な音楽と共に今でもほろりっとなるのです。

  また、誰かが語られているかもしれませんがゴジラが上陸後、動物園なのか巨大な檻の中の鳥達を覗く場面(じーっ覗くだけで何もしない)と山根邸での避難する際にクローズUPされる小鳥篭のアップカットは何かの比喩なんでしょうか?(これの解釈が未だに解決しない)

閑話休題

 そんな作品ではありますがやはり旬のモノは当時の時代感を反映してなのか東宝も製作時は“怪獣映画”としてと云うよりは大義名分としての“反戦色”を前面に、且つ大衆向けに務める努力をしていたのではないでしょうか?(ゴジラ初期デザイン画は明らかに原爆のキノコ雲を想起させるケロイド状であったり、当時のスタッフセンスはやや危険な感じもするくらいです)

本多監督は従軍経験があり戦地の空気感を生で体感しているのでその思いが合致していたかは推測するしかありませんが、描かれているゴジラは謎の巨大生物でもあり、未曾有の自然災害でもあり、人類へ戒めの霊的な物でもあり、それら全て含む人智を超越した理不尽な“何か”であり、敗戦を経験し、奇跡的な戦後復興を成し遂げた当時の日本人のDNAには親和性が高く、確かに寄り添っている感じはします。

そう云った類の映画ですのでこの1954年度ゴジラは気安く“怪獣映画”の棚に納まるものではない隔離されたルーツなのかもしれません。(スミソニアン博物館保存的?)

それではGODZILLAはどうなのかと云えば“生物”としてハッキリと位置付けされているのが怪獣モノとして設定上の広がりの無さに繋がった感があります。対極的な天敵な立場としてのムートーの出現理由を生物の循環的な仕組みとして描き、人類は突如現れたその生態バランスの崩れの中で翻弄されながらその理不尽さに抗うディザスタームービーの奇形版という感想なのです。

 予告編から観た第一印象は実体の無い超自然災害のような描かれ方であるのかと感じ、和製ゴジラの持つ破壊神(GOD)的なものを象徴する描かれ方をもって得体の知れない超常現象と向き合う模索物語かなと感じていたのでその辺りが私的に減点ポイント。但し、序盤から対決モノとして割り切って話が進行するのは尺の都合からとは云え理詰めのマニアを振り切った清さ、思い切りの良さは褒めてあげても良いのでは?マストアイテム的なヒーローとしてのGODZILLAの復活を狙っているかの定番ラストシーンの歌舞伎ぶりは何とも・・・。

9.11 以降アメリカ映画は何かしら得体の知れないものからの侵略を恐れる物語が多く今作も踏襲しながらもそれを物ともしない巨大なモノがそれらを払拭する構成という如何にも判り易いお国柄が反映されています。、一体どれほどの人間が巻き添えをくらったか判らない位の甚大な被害にも関わらずさらに芹沢博士が原爆を隠喩したとしても悲壮感は画面からは感じられません。ここも好き嫌いがありますが減点ポイント。

以上の感じから・・・

ゴジラ(1954)=破壊(文明のリセット役)、戦争犠牲者の怨霊的現象(富める現代社会への戒役)

GODZILLA(2014)=単なる超巨大生物(但し生態バランスの調整役的なガイア理論的覇者?)

ってな感じで落着くのかなぁと思うのですがこれが平成ガメラだと古代文明の生物兵器の名残りとなり如何にも怪獣特撮映画らしくなるのはご愛嬌です。そう云えば金子ゴジラは怨念的なものとして解釈上別格的なゴジラではあり初代の設定イメージを色濃く引きずっていました。

さて、模型完成品と絡ませるのが基本原則としている当ブログ(そんな事してるから中々更新できんのじゃ)だけにこの際何かネタになりそうなプラモなかったかなぁと箪笥の肥やし状態のモノを掘り起こして完成させたのが今作モノグラム(旧オーロラ社)のゴジラのプラモ。

古いキット故にどうしても合わせ目など体表が金型の制約上甘くなるのは敢えてとして組み、最小限度で彫刻刃等で軽く修正しました。但し顔つきは爬虫類顔(キンゴジ風味?)が何となくいただけないので、海外品のカスタマイズヘッド(メーカー名不明)に差し替えて少し男前になりました。

お約束の電車丸カブリなのが解ってらっしゃる(笑)ゴジラのトレードマーク。

それにしてもゴジラのプラキットとしてはこの旧オーロラ製のゴジラが世界初だったそうでプラモも本国より先越えされているなんて・・・後にマルサンモデルがこれの劣化コピーソフビ人形と電動プラモの販売をしています。

いずれにしても新作が公開されなければこの先このプラモも完成しなかったと思います。こうしてまたプラモ成仏が叶ったのでありました。南無~っ

さてGODZILLAのギャレ監督のデビュー作品モンスターズは一度観賞しておくといいかもしれません。低予算でVFXなども含めて殆ど自費で製作された作品なのですが人物模写に焦点合わせながら自然災害(ディザスター)的扱いの宇宙人に翻弄される人情劇は今作GODZILLAの雛形として活かされているようです。(正直中盤はだるいよ)