がんばらない日

そんな日があっても良いと思います。

境界線

2007-09-20 23:10:16 | Weblog

今日は、町内会で、ちょっとした事件がありました。
消火栓に繋ぐホースの格納庫の扉が開いていて、中のホースが道路に落ちていた。
発見者は   私が、片付けても良かったのですが、町内会長さんを呼びました。

今まで、こんな事は無かったから、会長さんも驚き。
「悪戯で済ましたら駄目だな。 交番に電話してくれるか?」
と言うので、をして お巡りさんに来てもらいました

どうも、やったのは 近所のY君(小1)らしい。  このY君宅は、問題山積
・夜中の1時 2時に大騒ぎをしている。
 夏は、2階の窓は開けて寝るので、その騒ぎ声で目が覚める事もある。

・5年生のお姉ちゃんは、何故か別の公立小学校に通っている。

・このお姉ちゃんと従妹は、万引きの常習者で、近くのスーパーの事務所には、
 この子達の写真が貼ってある。 
 理由は、盗んでしまったら窃盗になるので、この子達が来たら、ピッタリマークして
 万引きをさせないようにするらしい。

・他所の家の裏で、真昼間 花火遊びをしていた。

他にも色々とあるのですが、一番厄介なのは・・・・ ヤクザさん関係 と言う事。 
だから、誰も注意出来ない。 

問題を起こすのは、Y君だけれど・・・ 小1のY君だけに、全ての罪があるのだろうか?
多少の個性の差は有っても、真っ白な状態で生まれていた子供達に、
どの様な色が塗られていくのかは、やはり生活環境が大きく関わると思う。

親が見張り役で、子供に万引きを指示し、やらされて育って来た子には・・・
それが、とても悪い事だとは理解できないと思う。

日々、暴力にさらされて来た子に、『他人を殴ってはいけない。』と話してあげても理解できない。

愛された事の無い子は、どうやって相手を思いやり・慈しみ・愛してあげるのか判らない。

来てくれたお巡りさんに事情を全て話したら、
「ならば、私がそのお宅に行って話しをしてきましょう。」と言ってくれました。

今は、悪戯で済まされるかも知れない Y君の行い。
でも、それはいつまで許されるのか?
やった事に対して、自分自身で全て背負わなければならなくなるのは、いつからなのだろうか?

この3日間、広島光市のニュース を読んだり見たりして、ずっと胸が痛かった。
 
一問一答    ニュース

今日、お母様が「家庭環境が悪かったという事が、犯罪を起こす いい訳にはならない。」
という様な事を仰ったらしいですが、私もそう思います。

そうは思いますが・・・ そう思いながら、色々と考えてみると・・・
人が育つ環境が、恐ろしく 人間形成に影響するのだと考えると・・・
 
”類は友を呼ぶ” と言いますが、不思議と同じような人達の集団が出来ている。
やはり、同じ考えを持っている人といる事の方が、楽だし楽しい。

Y君が、一緒に居る子の家庭も似たような感じ。 それが、彼の生活環境なのです。

子供が、自分では決して選ぶ事の出来ない環境なのです。

あの事件を許す事は出来ないし、許されてはならない事だと思います。
でも・・・ 
こんな事を書いたら、お叱りを受けるかも知れませんが・・・
人生に もし は無いと言うのが、私の考え方です。

でも・・・ もし・・・ 彼が、暖かい愛情にあふれた家庭で育っていたのなら、
こんな事件は起きなかったのではないかと思う。
沢山の人が、こんな悲しみに陥る事は無かったと思う。

だけれど・・・ 人生に  もし は無い。

「子供の恥は、親がかけ。」 と私は、親に言われてきた。
その言葉の意味が、やっと判ってきたように思う。
更に、いつ頃からだっただろうか・・・  こうも、よく言われてきた。
「孤独に耐えられる人に成りなさい。」  今、この言葉の重みを、ズッシリと感じる。


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