ふみおのメモ帳

気まぐれ日記+覚書(メモ)。年の所為か物忘れと体のガタが気になる今日この頃です。

2005-08-15 18:38:41 | 読書
漱石の『門』を読んだ。
宗助と妻の御米。宗助の弟小六。
宗助の父は既に亡くなった。叔父の佐伯も亡くなり、叔母とその息子安之助。
代助は役所勤めで毎日生活に疲れている。
小六は学生で佐伯に厄介になっていたが、金銭上の問題から宗助の狭い家に
移らなくてはいけなくなった。
宗助は夫婦の生活だけで精一杯でとても小六の学費までは出せない。
どろぼう事件から家主の坂井と頻繁に会うようになり懇意になる。
学生時代の友人安井が連れて来た御米を代助は奪った道義上の罪を背負い、
広島、福岡と渡り東京に戻ってきたという過去が明らかにされる。
その安井が坂井の弟と満州から蒙古に渡っていたことが坂井の話から分かる。
坂井の弟と安井が坂井の家に来ることを知り苦悩する宗助。
宗助は役所を1週間休み鎌倉の禅寺に行く。
宗教に関係する人物が出てくるのはこの作品がはじめて。
宗助はこの1週間で何も得ないまま家に帰る。
坂井の弟と安井は既に蒙古に戻ったことを知る。
小六は坂井の家に書生として居候することになる。
また平凡な生活が始まるが、またいつか不安に怯える時が繰り返され
逃げ回らなければいけないことを宗助は自覚している。

宗助は『それから』の代助のその後を書いたような感じがする。

赤嶺さんの漱石作品論には以下の記述がある。
>『それから』までの作品では自己肯定的な意識が支配的で、その意識と
>対立した客観的な状況がその意識を否定していく過程が精神の発展過程であった。
>この作品からは自己の無力を意識した、自己否定的な意識が支配的、
>表面的な意識となり、その意識にによって形成される状況を反映した精神の獲得
>として、自己否定的な精神が発展している。

それから

2005-08-15 15:45:38 | 読書
漱石の『それから』を読んだ。
青空文庫には旧仮名遣いのテキストしかなかった為、読むのに苦労した。
不図という字が”ふと”と読むことや、抔が”など”と読むことを知った。
抔は最初はルビが振ってあって何の気なしに読んだが、その後頻繁にでてくるが
ルビが振られていないので仕方なく、インターネットの漢字辞典を探す羽目になった。
infoseekの漢字辞典でやっと抔を見つけた。
読み方が分からない漢字を探すのはinfoseekが探しやすい。
漱石の小説で必ず出てくる言葉で気になるのは、書生、下女、縁側、口髭。
書生は学生とか、家事手伝いをしながら勉強する人のことだそうだが、
まともな書生と言えるのは三四郎ぐらいか?

『それから』の門野は家事手伝いはするが勉強はしない。
主人公”代助”は卒業しても仕事につかず、父親の金で毎日ブラブラしている。
生活に困らなければ、仕事に就かずブラブラする人間がいることは昔も今も同じようだ。
ニートの問題は社会が豊かになったことから働かなくても困らない人が増えただけか?

中学からの友人平岡は銀行の仕事について大阪の支店に転勤したが、
会計係りの不正使用に巻き込まれ上司の為に辞職し東京に戻ってきた。
平岡の妻は代助が薦めて結婚させた三千代。
本当は代助が三千代を好きだったにも関わらず友達の義理人情から三千代と結婚させた。
代助の父と兄、兄嫁の梅子は代助を結婚させようとお見合い話を何度となく持ってくる。
代助の父は何としても結婚させて世間体を保とうとするが、代助にはその気がない。
代助は三千代と会っている内に本当は三千代が好きだったことに気が付く。
平岡に三千代をくれと告白した代助。
父親からは勘当され、毎月の生活費も貰えなくなり仕事を探しに電車で出かける場面で終わる。

Akamine's Web Page
>『それから』までの作品では自己肯定的な意識が支配的で、その意識と対立した客観的な状況が
その意識を否定していく過程が精神の発展過程であった。

漱石が人間の内面を追求し苦悩しながら解決を求めようとする過程が
作品となって表出していることが何となく理解できたように思う。

麺屋とらのこ(大泉学園)

2005-08-09 20:11:53 | ラーメン
今日は有休だったので久しぶりにラーメンを食いに行った。
大泉学園の近く妙延寺からozに向かって途中のセブンイレブンの脇の路地前に
ラーメン・つけ麺ののぼりがあったので気になっていた。
行ってみたら、『とらのこ』というラーメン専門店があった。
入り口が狭く低く入ったら店の中も狭かった。jazzがかかっていて不思議な感じがした。
カウンタは7人、脇の小さな机に2人しか入れない。狭い。
12:10ごろだったが席は一杯だった。あとから店の前に4人列ができた。
若い主人とさらに若い女性店員の2人(夫婦かも?)
つけ麺650円、にんにく風味のラーメン550円、魚だしラーメン600円。
つけ麺が超おすすめと書いてあったので頼んだ。
店の中があまりエアコンが効いていなかったようだったのでラーメンは躊躇した。
麺は大勝軒より気持ち細めか?ちょうどいい。カイワレと大きなのりがのっていた。
つゆはこってりまろやか。酸味がそれほど強くなく甘めでかつおだしが効いている。
辛さきつくなく辛いのが苦手な私でも気にならない。
めんまとチャーシューと長ネギみじん切りが入っている。
麺大盛りは100円プラス。ぶためし200円というのがあった。
大勝軒や十兵衛より好みかも。

でも大勝軒は1.5人前でも2人前でも1人前と同じ650円なので、
近場で安くて目一杯ラーメンを食いたいときは大勝軒かな?
大勝軒は確か煮卵半分となるとが付いているし、チャーシューはとらのこより大きくて柔らかくておいしい。
それと駅から近いのがいい。
また去年みたいに味が落ちる可能性は拭えないが。(前例があるので)
大勝軒の方がとらのこより広くゆったり食べられる。
十兵衛は駅から遠いのでつらい。とても汗をかいてまでこの暑いなか自転車で行く気になれない。

やっぱり好みでいうと『とらのこ』がいい。自転車で5分と違わないし、目一杯食べたければ大盛りにすればいい。でも2人前はきついので1.5人前がちょうどいいのだが。

8月末までの限定でタピオカ入り平打ち麺というのがメニューにあったが頼んでみる勇気はなかった。
次は是非魚だしラーメンを食べてみたい。

営業時間要注意。平日 11:30~14:00と18:00~23:00? 土日祝日は違っていたようだが覚えていない。

大泉学園でまだ行っていないラーメン店は麺屋しみず、だんだん、さとし、竹之家他。
特にそれほど評判がいいようではないので行くのを躊躇っている。
麺屋しみずは先週店内改装していたようなので行ってみたい気もするが。
保谷にも行っていないところがいくつかある。
石神井公園も『いちや』他何店かあるが、とても往復の電車代を出してまでいけないので自転車になるが、
こう暑くてはとても行く気にならない。
保谷と石神井公園は涼しくなったら考えよう。





三四郎

2005-08-07 20:05:21 | 読書
夏目漱石の三四郎を読み終えた。

熊本の高校を卒業して東京大学に入るため、汽車に乗って上京する三四郎。
物理の研究で世界では有名な同郷の野々宮さん。
野々宮さんには妹のよし子がいる。
大学で知り合った学生の佐々木与次郎。与次郎が尊敬する広田先生は中学の教師。
野々宮の同僚の妹の里見美禰子(みねこ)。
里見の死んだ別のお兄さんが広田先生と知り合いだった。
美禰子の自画像を描く画伯の原口さん。
学者の野々宮さん、教師の広田先生、画伯の原田さんはいずれも俗世間からかけ離れた人物として描かれている。

三四郎が美禰子に淡い恋心を持つが、美禰子に翻弄されたあげく美禰子は誰かと結婚してしまう。

美禰子はブルジョアの象徴?。
エリート、インテリ、ブルジョア、権力者の世界にあこがれる小市民とは一線を画す広田先生。
広田先生を尊敬している与次郎は先生を有名にする為奔走するが失敗し、新聞で叩かれ厄介なことになってしまう。

漱石の描く小市民は今の時代では一般的で、ほとんどの人間が小市民ではないかと思えてくる。

それにしても不思議なのは、貧乏な中学教師でも普通の家庭であっても漱石の小説には、必ず『下女』が出てくることだ。
明治の時代では下女がいることが普通だったのだろうか?
今で言えば家政婦だが、現代では家政婦がいる家はかなり裕福な家だ。
下女の存在だけは読んでいていつも不思議な気がしている。
いったい明治時代の妻は、普段家で何をしていたのだろう。
現代では家事の自動化が進み、お手伝いさんがいなくてもやっていけるように
なったとも言える?
また教育も受けられない極貧な家庭が昔は多かったせいか。



desktop PC トラブル(続報)

2005-08-01 15:11:55 | IT
やっぱり画面が落ちる。
しばらくすると使えるようになる場合もあったり、まったくだめで何度かrebootしていたら使えるようになったり、
たまに落ちたりと事象は定かではない。
PDAでは漢字変換とスタイラスの所為でメモったりblogの投稿をするのが億劫なので、
blog投稿はdesktop PCでやっているが、こう画面が落ちていては使い物にならない。
ケースの蓋を全開にして少しでも熱が篭らないようにしている。
この自作PCも4年目になるので、そろそろ新しいのにしたいが金がないので何とかしたい。
FANの掃除はしたが改善されないので、今度はもう一度組み直して接触部分やケース内の埃の掃除をしてみよう。
返って事態が悪化するリスクはあるが...
結構大変なので夏休みにすることにする。


野分

2005-08-01 14:56:01 | 読書
夏目漱石の野分を読み終えた。
 野分の意味が分からなかったのでgooの国語辞典で調べた。
  〔野の草を吹き分ける風、の意〕
   二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。台風。あるいはその余波の風。
   また、秋から初冬にかけて吹く強い風。のわけ。のわきのかぜ。

中学の教師を辞めた文学士の道也先生。
インテリとしてブルジョアを批判するが、金に困り妻の御政が道也先生の兄から金を借りる。
中学の時いたずらで道也先生を追い出した生徒の一人である高柳君。
文学者を目指すが、病弱で独りぼっちで生活もままならない。
二人を見ていると漱石の嫌世観・孤立観により世間に煩悶している様が良く分かる。
高柳君は唯一の友人で金持ちの中野君が療養の為都合してくれた壱百円を
尊敬する道也先生が書いた原稿の代金として渡してしまう。
いつも漱石の書いた本は特に結末がおもしろい。
起承転結がすばらしい。さすが文豪だ。
文学のお手本として勉強になる。