ふみおのメモ帳

気まぐれ日記+覚書(メモ)。年の所為か物忘れと体のガタが気になる今日この頃です。

家計簿

2005-08-28 17:04:51 | 日記
家計が苦しくなったので家計簿をつけようと思いフリーのソフトを探したらいいのがあった。
『ファイナンシャルプランナーが作った家計簿 v2.95』
最初は操作が分からず戸惑ったが、慣れると簡単だ。
使いやすくて入力し易い。
メモやグラフ機能、締め日設定、月間一括入力など機能も必要十分以上で満足できる。
過去にも家計簿ソフトを買ったこともあったが、結局続かなかった。
女房が昔手書きの家計簿をつけていたこともあったが、いつも続かなかった。
今度は続けられそう。女房はパソコンが苦手なので、娘に手伝わせることにする。

PDAのメモリ

2005-08-28 16:41:48 | IT
PDAのメモリがやたら少なくなってすぐ固まるようになった。
rebootしても少ししか増えない。
メモリリークかと思ったら、インターネットを使うと一時ファイルや履歴が残っていて
使えば使うほどメモリがなくなることが分かった。
デフォルトは30日保存するようになっていたので、とりあえず7日にしてみた。
IEのツール>オプション>メモリで履歴のクリヤとファイルの削除をしたら
60MB中32MBが使えるようになった。
PDAのメモリは少ないのでインターネットを使う場合要注意。
こまめにメモリを確認して少なくなってきたら一時ファイルを削除すること。
あまりフリーのソフトを入れるのも考え物だ。
必要最低限の機能に絞って使うべし。
私の場合は、普段はT-TIMEで電子書籍が読めてインターネットが使えればいい。
たまにメモとメールを使う程度。

銀行振込手数料

2005-08-28 16:14:17 | 日記
ネットバンキングの手数料を調べた。
ネットバンク活用ガイド
りそなの他行振込手数料は100円。今使っている銀行の中では一番安い。
無料のところもあるが制約があって満たせない。
みずほは3万円以上420円、3万円以下210円。
UFJは3万円以上315円、3万円以下210円。
イーバンクは他行160円、郵便局100円、りそなに口座があれば無料。

カードを使ってもネットを使っても心配な今日この頃ですが、何とかならんもんでしょうか?
カードは東京三菱のようにIC化して手のひら静脈認証か。
ネットはりそなのように「nProtect : Netizen(エヌプロテクト : ネチズン)」のようなソフトを使う?
面倒だけど仕方ないか...



斜陽

2005-08-28 15:44:14 | 読書
一通り漱石の有名な小説は読み終えたので、今度は他の作家も読んで見たくなった。
青空文庫の作家紹介文に
>太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの困難な間も、妥協を許さない創作活動を
>続けた数少ない作家の一人である。
>戦後『斜陽』(昭和22年)は大きな反響を呼び、若い読者をひきつけた。
とあったので読んでみた。

高校時代に読んだはずだが、ほとんど覚えていない。読んでいると何となく昔読んだ気もする場面もある。
しかし、昔の何倍もの衝撃を受けた気がする。本気で泣けた。
父親の死から貴族の家族が崩壊し、母親が病死すると弟直治も自殺する。
戦後の荒涼殺伐とした時代で革命の名の下堕落・廃頽していく主人公のかず子。
太宰自身を書いた小説家の上原。
かず子は大田静子の日記が元になっている。

マッチさんのHPにあらすじ他いろいろ書かれている。
斜陽

夏目漱石も神経衰弱に何度もなるほど悩み、苦しんだ様子が小説から読み取れるが、
太宰の悩み・苦しみはその何倍もあったのではと思ってしまう。
毎日家には帰らず飲み歩いていて、よくあれだけの小説を書けたものだと思う。
太宰治は山崎富栄と心中してしまうが、昔の有名な小説家は若くして病死したり自殺してしまう傾向が多い。
漱石や太宰を読んでいたら病気や自殺で死なないほうがおかしく思えてしまう。
文芸春秋社と芥川賞と直木賞を創設した菊池寛は金も貯め漱石よりは長生きしたようだ。
麻雀でも有名で日本麻雀連盟の初代総裁だそうだ。
東京市議や大映社長、将棋5段とあらゆる方面に精力的だったが59歳(昭和23年)で狭心症で倒れた。
埴谷雄高は1909年~1997年 87歳まで生きているが、悩みも哲学的に考えると長生きできるのだろうか?
戦後で自殺して早死にしたのは三島由紀夫ぐらいだろうか?
1910年、20年代頃に生まれ、まだ健在な作家は小島信夫、安岡章太郎、阿川弘之
石原慎太郎は1932年生まれで73才ぐらい。大江健三郎は1935年生まれ。
北 杜夫は1927年生まれ。躁鬱病を患っていた。躁状態で株に手を出し破産も経験しているそうだ。
やっぱりいろんな人がいるものだ。

度量衡

2005-08-28 14:24:10 | 読書
昔の小説を読んでいると、長さの単位が分からない為距離感やものの大きさが
分からずピンとこない場合が多い。

webで度量衡換算表があったので助かった。
度量衡換算表

曲尺と鯨尺があることを知った。
赤字の単位は最低覚えておこう。

長さの換算(曲尺)・・・大工用
1里(36町): 3.9 km
1町(60間): 109 m
1段(反)(6間): 10.9 m
1丈(10尺): 3 m
1間(6尺): 1.8 m1尋(6尺): 1.8 m
1尺(10寸): 0.3 m
1寸(10分): 3 cm
1分(10厘): 3 mm
1厘(10毛): 0.3 mm
1毛: 30 μm

長さの換算(鯨尺)・・・裁縫用
1丈(10尺): 3.8 m
1尺(10寸): 0.38 m


道草

2005-08-28 14:01:21 | 読書
漱石の『道草』を読んだ。

健三とその細君
役人の兄
喘息もちの姉と亭主の比田
養父の島田、養母のお常

これは漱石の自伝的な小説だ。
漱石の年譜を見ても、この『道草』で書かれていることが当てはまる。
ただ本当に養父と養母にこれほど金銭援助を執拗に迫られたかどうかは
分からないが、もし似たような状況であったとしたら随分苦労したように思う。
道草から推測するに、漱石の生活は相当苦しかったようだ。
洋行もしていて金にはあまり困らなかったのかと思いきや、
洋行中も厳しい状況だったようだ。
教師をしながら本を書いていた時代の漱石。
明治36年漱石36歳で大学講師になり給料70円弱/月。
明治36年の消費者物価が今の1/3500とすると、23万5千円/月ぐらいか?
いまならいくら(消費者物価)
計算式:(1474.1÷0.52)×(100÷81.1)≒ 3,500
    (昭和57年日銀 1474.1  明治38年日銀 0.52 明治40年日銀 0.62
     昭和57年総務省 81.1  平成12年総務省 100)
     
明治40年漱石40歳で朝日新聞入社。給料200円/月。
明治40年の消費者物価が今の1/3000とすると、月給60万円。
朝日新聞に入社するまでの漱石の生活は苦しいものだったようだ。
給料が今の金で24万弱/月の時代に養父に100円(35万)を手切れ金として渡す。
姉にも月々いくらか小遣いを渡し、養母にも来たら5円(2万弱)を渡している。
教師や教授の苦しい生活から朝日新聞に入って小説家になった経緯にも
生活苦が影響していたのだろうか?
朝日新聞入社前の最後が『野分』で入社後の最初が『虞美人草』。

漱石もこのころやっと悟りを開いたのかあきらめたのか
現実と矛盾を受け入れ自己を確立する。
『道草』の最後で
「世の中に片付くなんてものは殆どありやしない」
と言っている。

『道草』あとが『明暗』だが、既に読んだのでまた気が向いたら読み返してみることにする。


行人

2005-08-20 21:15:05 | 読書
漱石の『行人』を読んだ。
二郎の家で食客をしていた岡田。
その妻の御兼は官省の属官の娘で頼まれものの仕立物を持って出入りしていた。
二郎の家に厄介になっているお貞さんと岡田が紹介した同じ会社の
若い佐野さんとの結婚話が進んでいる。
二郎は友人の三沢と大阪の岡田の家で待ち合わせをするが、なかなか連絡が来ない。
三沢は大阪に着くと胃を壊して病院に入院してしまった。
二郎は三沢を見舞いに毎日病院に通った。
三沢はもともと胃が悪いのに友人と酒を飲むことになった。
茶屋であった女も胃が悪く食欲がないと嘆いていたのに、無理やり飲ませた。
その所為か女も同じ病院に入院してきた。
相当悪いようで三沢も責任を感じ退院する時に二郎に頼んで岡田から金を借りて女を見舞う。
三沢は東京に帰る。
三沢と入れ替わりに実家の兄一郎と妻の直と母が大阪に来る。
大阪に2日滞在したあと和歌山経由で東京に帰ることになった。
和歌の浦に滞在するが、そこで兄の一郎から直の節操を試して欲しいと頼まれる。
いやいや和歌山に行くが、台風が来て和歌の浦に帰れなくなり、仕方なく泊まる。
何もなかったが兄にどう報告していいか分からず東京に帰ってもなかなか報告しない。
東京の実家には、母と兄夫婦以外に妹のお重と引退した父とお貞がいる。
兄夫婦には子供の芳江がいる。
一郎は教授で書斎にばかり閉じ篭っている。
二郎は三沢の紹介で有楽町の事務所に通うようになった。
お重は直を嫌っている。
一郎と直もお互いを信頼できないでいる。
一郎は神経衰弱でいつも機嫌が悪く家中が暗い。
二郎は居た堪れなくなり家をでて下宿する。
一郎はさらに悪化していることを三沢から聞き、
兄と親しいHさんと旅行するようHさんから兄に頼んでもらう。
一郎はHさんと旅に出る。
Hさんは旅先から一郎の様子を二郎に手紙で報告する。
手紙には一郎が考えていること悩んでいることをこと細かく書かれている。
学者の一郎は頭が良すぎるのと教育を受けていることで社会から孤立している。
宗教に頼ることもできず、悩み続けている。
一郎は漱石自身のようだ。
自分を客観的に見て小説の人物として書いている。
直は漱石の妻の鏡子がモデル。
漱石夫婦は小説で書かれているようにかなり問題があったようで、
妻の鏡子はヒステリで自殺未遂もした。
子供は女4人、男1人。4女の雛子は2才で突然死。
確か彼岸過迄で2歳の子が突然死する話があった。
漱石は神経衰弱に何度もなり、胃潰瘍を患った。
49歳で胃潰瘍が原因で亡くなった。
これだけ考え込んで始終悩んでいたのでは神経衰弱や胃潰瘍になるのも当然だ。
でもただ悩んでいただけでなく文学的に優れた小説をいくつも残したことが凡人と違うところ。
ただ仕事で悩み家庭のことで悩んでいる凡人の私はこれからどうしたらいいのだろうか?
49の私には今さら遅い。
後どれだけ生きられるか分からないが何かしなければと思い悩むことすら億劫。
安らかに穏やかに毎日を過ごしたいなんて思うのは浅はか?
仕事人間の私から仕事を取ると何も残らない。
定年後が心配だ。



天津菜館

2005-08-17 15:05:02 | ラーメン
今日は車で朝霞のりそな銀行から新座のPC-depot経由で大泉のOZに行った。
竹之家でラーメンを食べようと思ったが、また閉まっていた。
ちょうどお盆休み時期なのに、いつからいつまで休むとも書いてない。
となりの小料理屋くにには明日まで休みとかいてある。
やっぱりつぶれたのか。もう来るのはよそう。
仕方なくOZの最上階にあるレストラン街に行った。
久しぶりに中華料理屋のラーメンを食いたくなって天津菜館でラーメンセットを頼んだ。
13時過ぎだったが、ずいぶん混んでいた。待っている人もいた。
ラーメンは最悪だった。麺は延びきっていてまずい。
スープもただ濁っているだけでやたらまずい。
具は錦糸玉子と青梗菜とチャーシュー。太ねぎのみじん切りが入っていた。
錦糸玉子はラーメンにあわない。青梗菜は硬くて生っぽい。
セットでついてくる漬物は大根の漬物だったが、中国風なのか口に合わない。
チャーハンが付いていたが、これは普通に食べれた。
これで850円(ラーメンだけだと750円)はいかにも高い。
周りを見ると、焼きそばを食べている人が目に付く。
天珍麺という具沢山であんかけ風のラーメンを食べている人も何人かいた。
でもラーメンのスープから想像すると、あまり期待できそうもない。
もう二度と行く気にはならない。
口直しにロッテリアでバニラシェークとハンバーガーを食べた。
シェークは今なら100円。ハンバーガーも100円。
ハンバーガはおいしくなかった。シェークも甘すぎ。
小さい子供をつれたおばさんがやたら多く混んでいて騒がしかった。

夏休み

2005-08-15 20:00:40 | 日記
8/12~21まで夏休み。
もう今日で4日経ってしまった。
4日とも夏目漱石の小説を読んで過ごした。
このまま毎日本を読んで過ごすのもいいが、
PCの掃除とjava programmingのトライアルもしたい。
でも億劫。冬休みに延期しようか迷っている。
少しは外に出て体を動かさなければと思いつつ、
雨と暑さのせいにして出ていない。
今日初めて買い物に近くのスーパに行った程度。
寝ながらPDAで一日中本を読んだり、
眠くなったらそのまま寝たりして4日も続けていると
何だか体が痛くなってきた。背中が痛い。
病人になった気分。
今日家内の実家に行っていた娘が帰ってきて騒がしくなった。
だんだん休み明けの恐怖がひたひたと少しづつ忍び寄ってくる。

彼岸過迄

2005-08-15 19:33:42 | 読書
漱石の彼岸過迄を読んだ。
新聞小説を元日から書き始めて彼岸過迄に終わらせるつもりでタイトルを付けたそうだ。
この小説はいくつかの短編小説を重ねてひとつの長編小説にするという試みで書かれていて、
何となくその趣向は感じられるたが敢えてそう断らなくても普通に読める。
話し手が変わるところとか、それぞれの物語が重たいところとか
短編と言われればそうも思える。

学校を卒業して仕事を探している敬太郎と同じ下宿にいる役所勤めの森本。
経験豊富な森本はなぜか役所を辞めて大連にいってしまう。
森本が残していった蛇を彫った竹のステッキ。
敬太郎の友人の須永(市蔵)は、仕事をしなくても母と二人辛うじて生活ができる身分。
須永の母の親戚で田口の叔父とその娘千代子。
須永から敬太郎の職を世話して欲しいと頼まれる田口は、
試しに敬太郎に探偵の仕事を依頼する。
ある人を2時間偵察し報告させるが、その人は須永の母の弟松本。
敬太郎はまだ二人を知らない。
松本が田口の娘千代子と待ち合わせて食事をするところを敬太郎が報告する。
田口の悪戯だったことが後で分かる。
松本は自分は高等遊民だと言っている。
松本の5人目の子供が死んだ時の話。お通夜から火葬場の様子。
なぜ雨の降る日に紹介状を持った男と会わないかが明かされる。

軽井沢の別荘に市蔵と母が田口の娘二人に招かれて行く話。
そこで会う高木。市蔵とは正反対の人物として描かれている。
千代子と市蔵を須永の母は結婚させようとするが、結局結婚しない。
市蔵と松本の話から市蔵とその母の関係は実の母子ではなかった。
実の母はもう亡くなっている。
市蔵は試験が終わり旅に出る。一人でいじけていた精神が解き放される。
心の内へ内へと進むのではなく、外へ目を向けられるようになり救われたようだ。

敬太郎は森本、千代子、松本、市蔵からいろいろな話を聞いた。
自分がその中に入れず物足りなくも感じるが、中に入れないことが仕合せかもしれないと結んでいる。

赤嶺さんの作品論にはこう書かれている。
>この作品から自己否定的精神による驚くべき内容が描写される。
>『彼岸過迄』と『行人』は事件のない地味な作品であるが、内的な変化は劇的である。
>これらの作品の内容は直観によっては理解しにくく、厳密な分析によって初めて理解される。
>これらの作品の分析なくしては『こころ』に描かれた悲劇的な激しい現象の意味が理解できない。