天から届く愛のメッセージ・Love Messages from Father

伝統、宗教に中立で、生命の真実を知ることが出来ます。「はじめに」をご参照ください。

95.多くの努力や犠牲、そして予期せぬ病状が、自然や生物の中に生じるのは否めません

2011-06-29 14:42:16 | Weblog

今日もようこそ。

今回も放射能の現実的な対応についてメッセージをお願いしてみました。

私たち人間として実行するのは難しいようなことを提案されるのかも知れないと思って
おりましたが、いただいたものは、そんな内容ではありませんでした。

意外でしたので、自分の意識が混入したのかも知れないと思い、そうだとしたら、読者に
失礼なことをしてしまうことになりますので、アップするべきか否か、迷いましたが、
何度か読み返し、今まで通り、原文のまま、ご紹介することにしました。

私は出来るだけ、ただの媒介者、通訳に徹底したいと望んでおり、ご理解、ご判断は
皆様に託したいと思います。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。ごゆっくり、どうぞ。

*****************************************


それでは放射能についてお伝えしましょう。放射能について知るべきこと、知ることによって、生活の幾ばくかが安心出来るようなことをお伝えしましょう。

あなた方は、毎日おびえていらっしゃいます。
今日の空気中の放射能の値はいくらだ、とか、土の上の値はいくらだ、とかと
いう具合いにです。

私は申し上げましょう。
それ程、心配なさらなくても良いのだ、と。

何故かを申し上げましょう。

自然は循環します。
自然は生きており、皆さまと同じように思い、考え、そして、生き、成長しております。
形態こそ異なれ、自然の営みの中で成長し、進化するものとしては同じことです。

さて、その自然の中で放射能が放たれ、汚染し、その影響は多大なるものがあります。
それを、如何にして自然は元のようにきれいにする努力をするのか、
如何にして、純化を達するのか、をお伝えしましょう。

自然は生きて成長しています。
循環はその一つのサイクルです。
皆様が毎日起きて、食べ、寝て、というサイクルを持つように、そのサイクルの中で、
形態こそ異なれ、考え、思い、感じ、そして成長するのは自然も人間も同じことです。

この自然の中に、多くの現象が生じ、それに伴って、多くの生物やその他が起生し、
成長、進化を体験するのです。
いわば、その懐(ふところ)、場を提供するわけです。

自然の大きな役割、存在理由は、懐に多くのものを抱え、育み、成長の機を与えることでも
あります。
その任は、天の与したもので、ある一定のルールの元に大きな宇宙の営みの中で
運行を続けているのは言うまでもありません。

すべては、一定のルールの元でしっかりと運行を停りなく、とはいえ、急ぐことなく、
一定のスピードを保ちつつ、すべての生きとし生けるものにとって、暖かくあるべき
営みの場としての役割も果たしております。

さて、こうした中で、今回の汚染が生じるとどうなるかについてお伝えしましょう。

天のルールでは、汚染は自然の営みとして当然生じ得ることではあります。
何事も、予想内のこととして、ある程度の幅を準備してはあります。

自然の純化作用も行われます。従って、いつかは時間を経た後、元通りの
美しい純粋な自然の水、土壌に還ることでしょう。

しかし、その途上で、多くの努力や犠牲、そして予期せぬ病状が、自然や生物の中に
生じるのは否めません。

汚すものがあれば、その結果は必ずもたらされるということです。

ただ、これが利用するものである場合、利用する側の責任として、それなりの結果を
受取らざるを得ないのはいうまでもありません。


さて、それではどういう結果が生じ得るかについて、述べましょう。

あなた方の想われるように、病気、つまり、生体の乱れは避けようがありません。

人間やその他の生き物の生態は、一定のリズムとスピードの中で繰り返されるのは
ご存知のところです。

放射能は、このリズムのルールを大きく壊すものです。
壊し、分解し、そこから発する反方向のエネルギーを利用しようとしたのと同様の原理が
働き、生きる者の生態に大きな作用を与えるのです。

人間の例を述べましょう。

人間の細胞の中には、小さな核や、その内側にある核を構成するものがあり、
そのまた内部にも、又、下部組織があります。

その組織には、自然界のエネルギーが常に作用し、成長と衰退を繰り返す中で、様々な
体験をし、進化のプロセスがはかられます。

その一定の歩みの中で、この「自然でない、ルールを超したやり方、使い方、エネルギーの
生じ方」がこのプロセスに乱れを与えるのは、容易に皆さまにも予想がつくところでありましょう。

人間の核の中の「成長、衰退」のリズムが乱れ、それによって細胞そのものが、
正常な営みが出来なくなります。
細胞は身体の基盤となりますから、土台が少しずつずれて、ガタガタになっていく建物のような現象が起こってきます。

すると、その個体の弱い部分、力が集積する所に現象として病状や異変が起こります。
具体的には、血液、血管を通して、すべての部分、臓器に異変を生じさせる因が身体に
運ばれます。

その中から、その因を取り込み易くなっている部分、力的に臓器のガタガタし易い部位が
まず影響を受け、次にその近辺から少しずつ異常な状態になっていきます。

放射能は、みなさまが意としたように、「細胞を不自然に壊すことで、抵抗として生じる負の
エネルギーを利用しようとしたことと同様なこと、同じ原理、プロセスが反方向な流れと
して人に生じる」とでも表現いたしましょうか。

細胞のあるべき姿、プロセスを、力を加えることで早め、集積させ、その反方向の力、
抵抗の莫大なエネルギーを得ようとして、そこに、何らかの予想されない事態が生じることと同じことが生態に生じ得ることも、予め予想がついていたことでしょう。

人の細胞にしても同様です。

放射線による変質は、全てに影響を行き渡らせるでしょう。
水、土、空気と、人の営みの基本となる場を大きく変質させるのは、「変質させることで
プラスを得ようとしたこと」の、いわば、反対の結果をもたらすのは・・・前もって、
ご存知の範囲だったことではあります。

ただ、それが生じさせないように・・・生じることはあり得ないだろう・・・と
お考えだった点には無理がありました。

自然にはルールと同様、摂理も働きます。
天の創造のルールです。

そのルールには、人智を超えたものが現存する限り、それを人が変えたり、利用したり、
益を目したりする際には特にご注意する必要があります。

「それが進化、進歩というものではありませんか?」
と、お思いになるのも分からないではありません。

自然の中の秘、隠された事実を、一つ一つ、驚嘆の目に提したいとするのは分かります。
ただ、そのルール、あるべき姿を壊さず、ルールに違反しないやり方をなさることを
心しましょう。



それでは放射能の影響を最小限にするには、どうしたら良いか・・・について
お伝えしましょう。


あなたはいつもお考えです。

空気や水や・・・汚れてもよく分からない、吸っても飲んでも分かりません・・・どうしたものか・・・と。

大丈夫です。
ご安心なさい。

天のルールは、その許容値の中に、人間の愚行(失礼!)も予想内に入れている・・・と
申すと、あなたはどうお感じになるでしょう。

天には、ルールと共に予想される違反への結果も考えられており、これもその中に
あるものです。

自然の経験としては厳しいものであれ、自然は、時を経て、純化、美化のプロセスへと
入ってはいけます。

その間、人として、その中に包含される生物として、その影響は避けられませんが、
一つ、できることをお伝えしましょう。



皆さまのお身体に、太陽光と、できるだけ多くのなるべく美しい水とをお入れになること
です。

「エッ? 陽に当たる? 紫外線は?」とお思いです。
大丈夫です。
毎日、何時間、身体を太陽光にさらせと申しているのではありません。


これまでより少し、数分、数十分程多く、美しい木陰から時折、太陽光から得られる
生命力を受取ることで、細胞のいくばくかの清浄化と生命力強化がはかられます。

太陽光には、純化作用と生命力強化作用があります。
生きとし生けるものがその恩恵を受取ることで、基本の生命エネルギーを生成、
保持しているのを忘れてはなりません。

太陽光は生命の基であり、源であります。
その太陽の光の中には、皆さまの想像以上の力、要素、養分のようなものが含まれるのを
ご利用になることです。



また、水について申しましょう。

水の汚染、これは致命的なことではあります。

水も生命の基本です。

水が汚れた場合、生命を保つのは非常に困難をきたします。

どうしたら良いか・・・です。


私はこう提案いたします。

水を純化する方法を捜すことです。
水を早急に純化する方法も無いわけではありません。
山の水、谷の水、アルプスの雪解けの水と、捜し得るのも良いでしょう。

しかし、誰にも可能なわけでは有りません。
皆が出来、そして、比較的容易にできるのは、次のようなことです。

木を通し、土を通し、石を通すのです。

自然に生じるサイクルの小型を作り、それに純化させるのです。

「そんな方法で? いろいろな企業がしのぎを削って考えているはずでしょう?」
とお思いです。

そうです。その通りでしょう。

しかし、自然は複雑、かつ、とてもシンプルです。

石、水、空気、土、木、などという自然の基盤として表出されているものを組み合わせ、
水を純化させる方法を考えましょう。

昔の人が、生活の知恵として、かつては行ったことの中に利用すべきものがあります。
そして、それを一度、煮沸し、冷却し、飲用すれば、基の水より数倍、安心出来るものとなります。
手をわずらわすことにはなりましょう。
しかし、やってみる価値はあるでしょう。

それでは今朝はこの位にいたしましょう。
(後略)

コメント

94.個人的利益を超えたものは、一人の肩から、その荷を皆が手を貸して取り除くことになるのが自然の摂理です

2011-06-15 16:36:39 | Weblog



今日もようこそ。
原発問題はいつになっても解決に至る様子が見えません。
どこかがおかしい・・・なにかが違っているのかも知れない・・・と思えてきます。

私たちはこの物質文明の中で、ずっと欲望を膨らましてきました。
これが文化、幸せの源とばかり、次から次へと欲しいものが、自分の心の中にも、社会全体としても生まれ、提供され、それを持つのがトレンド、文化なのだと思ってきました。

でも、今、少し、世の中のエネルギーが変化をスタートしたように感じます。

以前、テレビ番組で、ある日本人男性が自分がどれだけお金を持っているか、どんなに豪華な家や車や、宝石、時計や家具を持っているかを見せるものがあり、私も、すごいなぁ~、どうすればそんなにお金持ちになれるのだろう、と思って見ていたことがありました。
今でも忘れられないのは、その後、時折、自然にその時のシーンがフッと心に浮かんできたことでした。特に、ダイアモンド。熟年男性のごつい指にはめられた重そうな大きなダイアモンドが、その人の表情と共に思い出されてくるのです。
なぜか、何とも言えない不愉快な気分を伴って。

ああいうタイプ苦手・・・と簡単にかたづけられない、何とも言えない、気持ち悪いものが何度も何度も繰り返して・・・身体全体に蘇ってくる感じでした。

その人が一生懸命働き、お金を集めて、自分が望むものを得たのが何が悪いのか、よかったではないか、私だってそうしたかもしれないじゃないか、と、一生懸命打ち消そうと考える一方で、どうしても気分が悪くなるのです。

今回、その理由が分かったような気がします。

どうぞ、今日もごゆっくり、お読みいただけますように。
そして、時を変えて、何度か、繰り返し、お読みいただけますと、また、ご理解も
深まるかも知れません。

ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとう、それでは書きましょう。

今、何が大切なのか、何をもって皆のモットー、心がけとするべきかについて言及しましょう。

私達は、日常つい忘れがちなのは、何のために生きているのか、ということです。

私達は、何故毎日食べものを口にし、そして動き回り、考え、排出し、また食べ物からエネルギーを得て・・・を繰り返しているのでしょう?

(中略)

どうして、人はこうも忙しく動き回り、消耗し、そして、ついに病に倒れるのでしょうか。

「そういうものでしょう・・・
いつか人は年をとり、老化し、機能が衰え、ついに命がつきるのだ・・・」
とお考えのようです。

しかし、私は今朝、このようにご提案いたしましょう。

もっと、違った生き方をしてみてはいかがでしょう。
もう少し違った視点から人生を眺め、ご自分を認識することから、人生がもっと違った価値
を持ち始めるのを知っていただきましょう。

さて、それはどういうことか・・・をご説明しましょう。


あなたは、毎朝「今日も良い日でありますよう、今日も皆が無事に暮らせますように」
と願います。

しかし、私にとって、それは少し見当違いのような感がいたします。

あなたがこの場におられるのは、無事に何事も無く、無為に過ごすためではありません。
むしろ、その逆でしょう。

この地で、素晴らしいことも体験し、成長し、何かそれによって得るものを手にするために降り立ったのです。
決して、ことなく何もせず時を過ごし、戻ってくるためではなかったはずです。


しかし、人の常として、今日も安心して過ごせますよう・・・何事も無く・・・つつがなく暮らすのが毎日の願いとなるのは、何に故なのでしょうか。

それは、明らかに、苦しみ、痛みを伴う体験を嫌うが故、避けたいお気持ちからでしょう。

ごもっとも・・・とは言えるでしょう。
なにも苦しみを願うことも無い、願って痛みを体験することもないだろうと思われるのは人の常と申せます。

それでも、許されるなら、今朝も敢えてこう申しましょう。

大いに苦しみ、痛みを体験するのも、決して悪いわけではありません。
その中から見えてくるもの、得られるものを避けてはいけません。
避けることで、あなたの人生の目的の一部が失われ、完遂できなくなるのです・・・とお伝えしましょう。

「何で? 苦しいことはイヤですよ・・・それが神サマのおっしゃること・・・としたら、何か変・・・」
とお考えなのですね。

私の頬は、また、ゆるみます。
「・・・マア・・・またですネ・・・」と。

私には笑いがこみあげてくるのを否めません。
あなたは、かつて腕まくりして、
「サア、出かけてきます・・・がんばって、成長してきましょう」とおっしゃいました。

でも、これが人の常だというのを私もわからないわけでもありませんから、今日、こうしてこれからご説明を試みようとしております。
成功しますかどうか・・・というところでしょうか。


あなたが、今、吹雪の夜、ドアに立って、それでは行ってくるよ・・・と家族に告げ、旅立つところをご想像下さい。

あなたはどう思われるでしょうか。
「なにもわざわざ吹雪の中、それも夜に出掛けることはないんじゃないの・・・」と?

その通りでしょう。

しかし、その裏にはこんな事情があったとしたらどうでしょう。

その人は、今、急病人を抱え、一時も無駄にできない状況にあり、その病人搬送するところなのだ・・・と知ったら、あなたはどうお考えになるでしょう。

先ほどと異なる反応をなさるに違いありません。
その様に目的が背後にある行動は、また違ったものになるのです。

人生も同じことです。

目的を意識することから、人生への心構え、見方、取り組み方が違ってくるのは容易にご理解頂けるでしょう。

そのように、私がこれから申し上げたいことは、あなたも人生に目的をはっきり持ち、そして一歩一歩歩むことで、苦しみも苦しみでなく、歓びや楽しささえ手にすることができますよ・・・とお伝えしたいのです。

苦しみとはどういうことか・・・と、苦しみそのものを知ったり、味合ったりすることだけを見つめると耐えがたきものになりますが、その苦しみは何のためなのか、その後に手にすること、それによってあなたが手にするであろうことを心に描く時、その苦しみは変質してくるはずです。

例えば、こうです。

あなたは今、苦しみの中に居られるとしましょう。
苦しくて、一時も早く逃げ出したいと思われています。
ですが、それはなかなかなりません。

それは逃げようとしているばかりに、その苦しみ、原因、本質を見る余裕がないからともいえます。

初めから逃げ腰ですと、その苦しみの中味から目がそれてしまいます。
その苦しみは何故起こっているか、どこから、どうして、苦しみとして変質して感じられ、自分に降りかかっているのか、
そこから逃れるためにはどういうことが必要なのか、よ~く冷静に見つめることが大切なのです。

「苦しい時にその原因を知る?」
「どうやってやるのでしょう、教えて下さい」

と、あなたの心はまだ疑っていらっしゃいます。

そうです。
大切なのは、しっかり、ものの中味を観察し、それを解決する手立てを考えることです。

しゃにむに苦しがってもがくのではなく、
何故、苦しさを呼び込んでいるのか、
何故、どこをどう苦しいと感じるのか、を冷静に判断することも時には必要です。


それではご希望の、いかにして、どうやったら苦しみを分析し、力を決していけるのか、を申し上げましょう。

先ほど、大吹雪の夜のことをお話ししました。
そのように目的があると、同一の行動も違ったものに見えてきて、苦しみを苦しみとも思わない行動ができます。

それは何故でしょう。
状況は何一つ変化せずとも、心が苦しみと見なさなくなるのでしょうか。


私がお伝えしたいのはこうです。

他者のために働きなさい・・・と。


自分の為に働く時、苦しみは消えません。

他者の為に働く時、あなたには何倍もの力が与えられましょう。


「エッ?! それって反対でしょう・・・と思われる人も多いですヨ・・・」ですね。

そうです。

そこが問題なのです。


前回、人は皆つながっている、と申しました。

エネルギーはそのサークル、その人の輪を巡り、遠くの人にもあなたの想うこと、為すものが影響を与えることをご説明しました。

そのことからもお分かりのように、あなたの苦しみは他の人にも伝わります。
あなたが、純粋にご自分のための利益故に苦しんでおられるとしたら、その苦しみもご自分だけのものとなります。そのどっしりとした苦しみの原因、結果もしっかりご自分の手に与えられるでしょう。

しかし、その目的が他者の利益の為になっているとしたら・・・プロセスは全く違ったものになるのをお教え致します。

エネルギーは、良くも悪くも、皆のものとして分け与えられます。

皆に伝わり、それに皆が手を差し伸べ、その苦しみのエネルギーも分かち合うことになるからです。

得することも損することも、それは当人が付加した一時的現象、価値観にすぎません。

皆の為、個人的利益を超えたものは、結局、一人の肩からその荷を皆が手を貸して取り除くことになるというメカニズムが、自然の摂理として働くのを知っていただけば、あなたの心はどんなにか慰められ、落ち着き、安らかになることでしょう。

これから、毎朝のあなたの祈りは、
「今日も無事でありますように」から
「今日も他者のために何かできますように」となることでしょう。

おわかりになられたでしょうか。

すべてはエネルギーの働き方、動き方に関わり、あなたの心に浮かんだ意識・・・
つまりは、波は何一つ消えることなく、その輪に伝わり、めぐり、すべてのルールの元で、動き、処理され、一つの動きとなって、個が全てのために働くことで完全になるのを知って頂きたいのです。

あなたが他人の幸せを願う時、あなたにその幸せが巡ってきます。

あなたがその逆を願う時、それもあなたに巡ってくるのを知りましょう。


あなたが暗夜に手探りで外に出なければならないのが、ご自分のためなのか、
それとも他の誰かや、身にのためなのかによって、すべてが異なってくる・・・
発想や動機が方向や動きを機能させる発現元となるのを知りましょう。

この詳しいメカニズムはまたの機会に致しましょう。

(後略)

コメント (1)

93.如何に対応し、結果を受取り、手にし、その中味を見、反省することから、再出発するのが望まれます

2011-06-05 18:19:57 | Weblog

こんにちは。今日もようこそ。

今回はこれから私たちはこの災害後の原発を含んだ対応をどうしたら良いのか、について
イエスの「父」にメッセージを求めてみました。

ところで、テレビを見ると、震災後、急に「僕たちはつながっている」とか、「一人じゃない」とかという励ましの表現が使われてきたように思います。

その表現の趣旨はなんとなくはわかるけれど、自分の理解は、果たしてここの繋がっているという意味と同じか、違うか、よくわからない、などと密かに思ったりもしています。

これを書き出してから思い出しますのは、2001年、ホーキング博士が来日され、東京大学安田講堂での講演の様子がテレビで放映された時のことです。椅子に全身をゆだねたように座られ、パソコンで制御されたマイクが彼の声帯に代わって一言一言を表現いく中から、意外な内容が伝えられたのを今でもよく憶えております。

それは、「実は、私たちの腰のあたりにコードのようなものがあって、それで他のみんなとつながっている」というような内容でした。

その時、私は、博士の筋萎縮症による肉体的制限の向こうには、広い意識的、感覚的な世界が広がっているのかもしれない・・・、肉体的条件から自由になった世界が存在し、普通の人には知覚認識不可能なものも実在として認識できるのかも知れない、と思ったものでした。

さて、この内容を思い出させるようなことが今回のメッセージの中に伝えられています。
肉体の五感に慣れている私たちにとって、理解は容易いものではないかも知れませんが、
幸い、日頃からエネルギーヒーリングやヒプノセラピーを通して、人の認識範囲の外にも
素晴らしい世界があるらしいことは信じられます。

読者のあなたはいかが思われるでしょうか。

どうぞ、今日もごゆっくり、出来ましたら、何度も繰り返しお読みいただけますことを
願います。

ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さあ 書きなさい。
原発の事故の後、今、何をすべきかについて申し上げましょう。

あなた方はいろいろ、それもあらゆる方面から事故後の対応をされているようではありますが、一つ、大事なことが欠けています。
それは、愛です。
愛と言うと描象的ですから、政治や経済の中で、具体化したり、形として顕すのは難しいとお考えになるかもしれませんが、それは当たりません。
つまり、愛という要素は具体的な形にも大いになり得るものです。

どういう風にしてか、というのをこれからご説明しましょう。

あなたが、今、道に迷っておられるとしましょう。
道は二方向に分かれています。
右へ、と左への二方向で、先々、行先は別方向へ大きく分かれます。
この時、あなたは何を基準に道を決めるでしょうか。
得か損か? 
あるいは将来の展望、展開の可能性か? 
あるいは単に好きか、嫌いか、感覚的な羅針盤を頼りにするか、
あるいは、皆の為になるか、自分のためになるか、等の、
いろいろな基準があるでしょう。

しかし、私が申し上げたいのはこうです。

すべてつながっているということを考慮することです。
一人が自分の為だけに選ぶ結果と、他の一人一人が実は堅くつながっており、
一人の人の在り様が、遠くはなれた、あまり関係のなさそうな人にも
結果がしっかりとつながるのを知る時、あなたの選択の基準が自ら
異なるのはお分かりでしょう。

つまり、あなたの選択は他の多くの人の在り様に大いに影響を与え得るのです。
あなたが、Aという選択をした時、富士山の頂きで吹く風の方向が変わる・・・
などと誰が思いましょうか。
あるいは今、あなたがこれから選ぼうとする今日着る服を選ぶ基準が、
アフリカで素足で踊る人の足の動きを変えるなどと、誰が発想しうるでしょうか。

でも、あなた方一人一人の心、行いや考えが、実は世界を変える原動力になるのを
是非知っていただきたいのです。

例えば、あなたが、そこで「コホン・・」と一つ咳をしたとしましょう。
すると、遠い山の頂の木のてっぺんにある木の葉が、コトリと揺れるかもしれないのです。

「何がそうさせますか? なぜ、そうなるのですか?」というご質問にお答えしましょう。

先ほど、一人一人は皆つながっていると申しました。
これはどういうことか、ですが、生きとし生けるものすべてが、実は一つのサークルの中にあり、それはエネルギーのひものようなもの、コードのようなものでつながれており、そのエネルギーはそのコードを通して、常に動きまわり、相互作用、連結作用、お互いに透過し合っているのです。
そして、そのエネルギーは常に大いなるものの源へと通じ、新しい創造と破棄とに関わっていることを申しましょう。
少しお考えになれば、これはお分かりになるでしょう。

それでは次の説明にまいりましょう。

その連結したものは、何一つ、無駄、無為なエネルギーを生みません。
つまり、エネルギーがぽっと変化すると、それは必ず、それなりの影響を与えるということです。
大きかったり、小さかったりはありますが、同様に、どんな小さくとも多様であろうとも同等の変化を生じるのです。

「エッ? 大きなものも、小さなものも、同等の変化?ですか。それはないでしょう」と思われるお気持ちも分からないでもありません。
すべて、多いか少ないか、上か下か、有か無か、で、お考えの習慣がおありでしょうから。
ここでは、こういう多いとか少ないとかという観念をいったん離れてご覧になってみましょう。

一つのことは、多くとも少なくとも、他のどれとも同様のエネルギーを持つ、ということを知って下さい。
それが、いくつか、多数集まることで、大きな力となると思って下さい。
つまり、たくさんお金を持っている人も、持っていない人も、同じく一つとお考え下さい。
小さな赤子の指も、大人のゴツゴツした指も、一本と同じく数えて下さい。
柔らかい風も、木をなぎ倒す風も、同じく風と思って下さい。

現象や、伴う価値観は、飽くまでも外から一時的、場所的、限定的につけられた
特質でしかすぎません。
人、一人の価値はどれ一つとっても同じであるように、あなたの心に浮かぶこと、
選択の基準として生じるものは、他のすべてのもの、ことに、同じような波、
力を生じるのです。

さて、これをしっかり、ご理解いただいたところで、次に進みましょう。

これで、あなた方一人一人は、つながっており、誰が何を思おうと、大きかれ、小さかれ、同様の影響を与えうることをご理解いただいたものとしましょう。

さて、それで、一人一人の小さな心に浮かぶことが全体のあり様に必ず響く故に、
今、あなた方一人一人が、日本人のお一人お一人が何を思うか、何を望まれるのか、
何を構想するのか、が大切であるのをご理解いただけるでしょう。

そのように、どこにいて何を思おうと、全体に影響を与えるとしたら、今後、どうしたら良いか、今、原発事故後の日本はこれからをいかに進むべきか、について、日本に住む、お一人お一人が真剣にお考えになる必要があるのがおわかりでしょう。

「それは赤ちゃんや小さなお子さんも含むのですか?」

についてはこうお答えしましょう。
それは違います。
一人一人自覚して、自分もその一員であり、自分も日本人だと思うことでつながるのだ
とお伝えしましょう。

「???」に対して、もう少しご説明する必要があるようです。
赤ちゃんや、二、三歳のお子さんはまだ日本人としての自覚はありません。
自分が日本に住む、日本人なのだというアイデンティティが生じることで、
そのサークルの一員となり、エネルギーがつながる・・・と申しましょうか、
つながるにはつながるための要素があり、赤ちゃんや子供にはまだそれが
育っていないと、説明致しましょう。

さて、先に進みましょう。

お一人お一人が、日本の国のあり方や進む方向について、如何に感じ、どう考え、
どう構想するかがとても大切だ、ということをご説明しました。

そこで、なぜ愛が関わってくるのか、にいきましょう。

すべての創造の元は、愛のエネルギーであると以前申しました。
愛という概念が、あるいは少し違って聞こえるかもしれません。
この際、愛と表現されるものは、大切な根源的なエネルギー、生きとし生けるものを生かしめ、育ませ、循環せしめている生命の元とご理解下さい。

愛という感情的なものは、そのエネルギーが人間として形容した時(形として顕れた時)伴って変容して感じられるものにすぎません。
そのエネルギーはすべてを陽、プラス、あるべき姿へとつなぐ力、原動力となり、又、元の純粋な命の種源へと還っていく推進力となります。

従って、汚れたもの、汚染され、破棄され、やっかいなものとなった、棄て去りたいもの、消えてなくなってほしいものは、この循環する大いなるもの、大いなる包容する力に取り込まれる以外、純化されたり、変容されたり、元に戻ることはあり得ない、不可能なことなのです。

人が愛すると感じることと、汚れたものを純化することと、どう関係があるのか、それはどう同じなのか、について、もう少し考察する必要がありそうです。

愛とは、すべてを生かしめている根源のエネルギーをさす言葉として用いております。
すべての現象も、そこから派生し、それを通し多様性を生じ得て、すべての派生した生物、鉱物、植物、又、自然現象までもが回り、循環し、様々な様想を創造し、そこで、
すべての生じたものが、お互いに相互に影響しあい、体験している・・・

その中に生じては、消滅し、また生じては消滅するという一種の存在を一時的に繰り返すことで、様々な、数えきれない、一時的なあり方、形、容、変、化、○、○(注:○適切な言葉が頭の中に存在しない)等を体顕、体験、体感することが可能になっているのです。

このエネルギーを「愛」と呼ぶのは、人の心に浮かぶ暖かいものは、お互いをつなぎ、お互い、すべての一時的変容する現象の基、根にあるものと同じものを根源としているからです。

さて、その様にあなたの心に生じる、うたかたの一粒の泡のようなお考えがとても大切なのは、つまりは、それが一つ一つをつなぎ、大きくなり、何かを動かしうる力となるからなのです。

自分だけがチョッと思ったり、チラッと考え、チョコッと行動したりすることは、大勢に何も影響を与えたりはしない・・・とは思わないでいただきたいのです。
あなた方お一人お一人が、今回の原発事故について、何をどう考え、どう行動し、
どう責任を持ち得るかが問われていると知っていただくことが大切です。


電気を使って、便利で快適な生活を望まれたのはそもそもどなただったでしょう。

その生活こそ、私達の未来の幸せに必要だと思い描かれたのは誰だったのでしょう。

お一人お一人が、次の望むこと、その先にある利便性や、快適性や、省力性(自分の力を省く可能性)を構想されたのは誰だったか、胸に手を当ててお考えになることです。

原発を作った人、管理した人、設計ミスを犯した人、現場の人が悪いか、本当に責任を持つべき人は、誰なのか、よくお考えになることです。

そうすれば、答えは自然に出てくるでしょう。
今、日本のお一人お一人が、あの事故をもたらした根っこにある因を見つけ、反省し、今後の進むべき方向性を探り、苦しみ、痛み合う中から、すべての人、すべての生物、存在にとって一番適切なあり方を、考え出すことが求められています。

ちょっと心の中で生じるお考え、望み、願いをしっかり見つめることです。

何を望み、何を手にし、どう使うか、は、すべての人につながり、影響を与え合い、
大きな力となり、物を動かし、大勢を決めるパワーとなるのを知って下さい。

あなた方一人一人が、今、如何に対応し、結果を受取り、それを手にしてよくその中味を見、それが何を含んでいるのかまで見つけ、反省することから、再出発するのが望まれます。

あなたが望まれるように、具体的なお答えにはなっていないかもしれませんが、これから、進む時、皆さまの何らかの手助けになります様、願っております。

それでは、今朝はこの位にしておきましょう。
(後略)

コメント