天から届く愛のメッセージ・Love Messages from Father

伝統、宗教に中立で、生命の真実を知ることが出来ます。「はじめに」をご参照ください。

94.個人的利益を超えたものは、一人の肩から、その荷を皆が手を貸して取り除くことになるのが自然の摂理です

2011-06-15 16:36:39 | Weblog



今日もようこそ。
原発問題はいつになっても解決に至る様子が見えません。
どこかがおかしい・・・なにかが違っているのかも知れない・・・と思えてきます。

私たちはこの物質文明の中で、ずっと欲望を膨らましてきました。
これが文化、幸せの源とばかり、次から次へと欲しいものが、自分の心の中にも、社会全体としても生まれ、提供され、それを持つのがトレンド、文化なのだと思ってきました。

でも、今、少し、世の中のエネルギーが変化をスタートしたように感じます。

以前、テレビ番組で、ある日本人男性が自分がどれだけお金を持っているか、どんなに豪華な家や車や、宝石、時計や家具を持っているかを見せるものがあり、私も、すごいなぁ~、どうすればそんなにお金持ちになれるのだろう、と思って見ていたことがありました。
今でも忘れられないのは、その後、時折、自然にその時のシーンがフッと心に浮かんできたことでした。特に、ダイアモンド。熟年男性のごつい指にはめられた重そうな大きなダイアモンドが、その人の表情と共に思い出されてくるのです。
なぜか、何とも言えない不愉快な気分を伴って。

ああいうタイプ苦手・・・と簡単にかたづけられない、何とも言えない、気持ち悪いものが何度も何度も繰り返して・・・身体全体に蘇ってくる感じでした。

その人が一生懸命働き、お金を集めて、自分が望むものを得たのが何が悪いのか、よかったではないか、私だってそうしたかもしれないじゃないか、と、一生懸命打ち消そうと考える一方で、どうしても気分が悪くなるのです。

今回、その理由が分かったような気がします。

どうぞ、今日もごゆっくり、お読みいただけますように。
そして、時を変えて、何度か、繰り返し、お読みいただけますと、また、ご理解も
深まるかも知れません。

ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとう、それでは書きましょう。

今、何が大切なのか、何をもって皆のモットー、心がけとするべきかについて言及しましょう。

私達は、日常つい忘れがちなのは、何のために生きているのか、ということです。

私達は、何故毎日食べものを口にし、そして動き回り、考え、排出し、また食べ物からエネルギーを得て・・・を繰り返しているのでしょう?

(中略)

どうして、人はこうも忙しく動き回り、消耗し、そして、ついに病に倒れるのでしょうか。

「そういうものでしょう・・・
いつか人は年をとり、老化し、機能が衰え、ついに命がつきるのだ・・・」
とお考えのようです。

しかし、私は今朝、このようにご提案いたしましょう。

もっと、違った生き方をしてみてはいかがでしょう。
もう少し違った視点から人生を眺め、ご自分を認識することから、人生がもっと違った価値
を持ち始めるのを知っていただきましょう。

さて、それはどういうことか・・・をご説明しましょう。


あなたは、毎朝「今日も良い日でありますよう、今日も皆が無事に暮らせますように」
と願います。

しかし、私にとって、それは少し見当違いのような感がいたします。

あなたがこの場におられるのは、無事に何事も無く、無為に過ごすためではありません。
むしろ、その逆でしょう。

この地で、素晴らしいことも体験し、成長し、何かそれによって得るものを手にするために降り立ったのです。
決して、ことなく何もせず時を過ごし、戻ってくるためではなかったはずです。


しかし、人の常として、今日も安心して過ごせますよう・・・何事も無く・・・つつがなく暮らすのが毎日の願いとなるのは、何に故なのでしょうか。

それは、明らかに、苦しみ、痛みを伴う体験を嫌うが故、避けたいお気持ちからでしょう。

ごもっとも・・・とは言えるでしょう。
なにも苦しみを願うことも無い、願って痛みを体験することもないだろうと思われるのは人の常と申せます。

それでも、許されるなら、今朝も敢えてこう申しましょう。

大いに苦しみ、痛みを体験するのも、決して悪いわけではありません。
その中から見えてくるもの、得られるものを避けてはいけません。
避けることで、あなたの人生の目的の一部が失われ、完遂できなくなるのです・・・とお伝えしましょう。

「何で? 苦しいことはイヤですよ・・・それが神サマのおっしゃること・・・としたら、何か変・・・」
とお考えなのですね。

私の頬は、また、ゆるみます。
「・・・マア・・・またですネ・・・」と。

私には笑いがこみあげてくるのを否めません。
あなたは、かつて腕まくりして、
「サア、出かけてきます・・・がんばって、成長してきましょう」とおっしゃいました。

でも、これが人の常だというのを私もわからないわけでもありませんから、今日、こうしてこれからご説明を試みようとしております。
成功しますかどうか・・・というところでしょうか。


あなたが、今、吹雪の夜、ドアに立って、それでは行ってくるよ・・・と家族に告げ、旅立つところをご想像下さい。

あなたはどう思われるでしょうか。
「なにもわざわざ吹雪の中、それも夜に出掛けることはないんじゃないの・・・」と?

その通りでしょう。

しかし、その裏にはこんな事情があったとしたらどうでしょう。

その人は、今、急病人を抱え、一時も無駄にできない状況にあり、その病人搬送するところなのだ・・・と知ったら、あなたはどうお考えになるでしょう。

先ほどと異なる反応をなさるに違いありません。
その様に目的が背後にある行動は、また違ったものになるのです。

人生も同じことです。

目的を意識することから、人生への心構え、見方、取り組み方が違ってくるのは容易にご理解頂けるでしょう。

そのように、私がこれから申し上げたいことは、あなたも人生に目的をはっきり持ち、そして一歩一歩歩むことで、苦しみも苦しみでなく、歓びや楽しささえ手にすることができますよ・・・とお伝えしたいのです。

苦しみとはどういうことか・・・と、苦しみそのものを知ったり、味合ったりすることだけを見つめると耐えがたきものになりますが、その苦しみは何のためなのか、その後に手にすること、それによってあなたが手にするであろうことを心に描く時、その苦しみは変質してくるはずです。

例えば、こうです。

あなたは今、苦しみの中に居られるとしましょう。
苦しくて、一時も早く逃げ出したいと思われています。
ですが、それはなかなかなりません。

それは逃げようとしているばかりに、その苦しみ、原因、本質を見る余裕がないからともいえます。

初めから逃げ腰ですと、その苦しみの中味から目がそれてしまいます。
その苦しみは何故起こっているか、どこから、どうして、苦しみとして変質して感じられ、自分に降りかかっているのか、
そこから逃れるためにはどういうことが必要なのか、よ~く冷静に見つめることが大切なのです。

「苦しい時にその原因を知る?」
「どうやってやるのでしょう、教えて下さい」

と、あなたの心はまだ疑っていらっしゃいます。

そうです。
大切なのは、しっかり、ものの中味を観察し、それを解決する手立てを考えることです。

しゃにむに苦しがってもがくのではなく、
何故、苦しさを呼び込んでいるのか、
何故、どこをどう苦しいと感じるのか、を冷静に判断することも時には必要です。


それではご希望の、いかにして、どうやったら苦しみを分析し、力を決していけるのか、を申し上げましょう。

先ほど、大吹雪の夜のことをお話ししました。
そのように目的があると、同一の行動も違ったものに見えてきて、苦しみを苦しみとも思わない行動ができます。

それは何故でしょう。
状況は何一つ変化せずとも、心が苦しみと見なさなくなるのでしょうか。


私がお伝えしたいのはこうです。

他者のために働きなさい・・・と。


自分の為に働く時、苦しみは消えません。

他者の為に働く時、あなたには何倍もの力が与えられましょう。


「エッ?! それって反対でしょう・・・と思われる人も多いですヨ・・・」ですね。

そうです。

そこが問題なのです。


前回、人は皆つながっている、と申しました。

エネルギーはそのサークル、その人の輪を巡り、遠くの人にもあなたの想うこと、為すものが影響を与えることをご説明しました。

そのことからもお分かりのように、あなたの苦しみは他の人にも伝わります。
あなたが、純粋にご自分のための利益故に苦しんでおられるとしたら、その苦しみもご自分だけのものとなります。そのどっしりとした苦しみの原因、結果もしっかりご自分の手に与えられるでしょう。

しかし、その目的が他者の利益の為になっているとしたら・・・プロセスは全く違ったものになるのをお教え致します。

エネルギーは、良くも悪くも、皆のものとして分け与えられます。

皆に伝わり、それに皆が手を差し伸べ、その苦しみのエネルギーも分かち合うことになるからです。

得することも損することも、それは当人が付加した一時的現象、価値観にすぎません。

皆の為、個人的利益を超えたものは、結局、一人の肩からその荷を皆が手を貸して取り除くことになるというメカニズムが、自然の摂理として働くのを知っていただけば、あなたの心はどんなにか慰められ、落ち着き、安らかになることでしょう。

これから、毎朝のあなたの祈りは、
「今日も無事でありますように」から
「今日も他者のために何かできますように」となることでしょう。

おわかりになられたでしょうか。

すべてはエネルギーの働き方、動き方に関わり、あなたの心に浮かんだ意識・・・
つまりは、波は何一つ消えることなく、その輪に伝わり、めぐり、すべてのルールの元で、動き、処理され、一つの動きとなって、個が全てのために働くことで完全になるのを知って頂きたいのです。

あなたが他人の幸せを願う時、あなたにその幸せが巡ってきます。

あなたがその逆を願う時、それもあなたに巡ってくるのを知りましょう。


あなたが暗夜に手探りで外に出なければならないのが、ご自分のためなのか、
それとも他の誰かや、身にのためなのかによって、すべてが異なってくる・・・
発想や動機が方向や動きを機能させる発現元となるのを知りましょう。

この詳しいメカニズムはまたの機会に致しましょう。

(後略)

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利己から利他への、心・意識の返還 (嬉しい!楽しい!大好き!!)
2011-06-18 07:14:13
 今回も、素晴らしいメッセージをいただきましてありがとうございます。

 「他者の為に働く時、あなたには何倍もの力が与えられましょう。」

 「皆の為、個人的利益を超えたものは、結局、一人の肩からその荷を皆が手を貸して取り除くことになる」

 この部分が、今回のメッセージの核の部分だと思いますが、自分は、この部分に深く共感します。

 私は、人がこの世に生を受け、生きていくことの意義・目的は、悩み、苦しみ、喜び、成功、失敗等の様々な経験を重ねて、心・魂を磨き、純化させて、今世において、今までよりも美しい心・魂を作り上げていくことであると思います。

 そして、心・魂の成長の段階として、「主に自分のことに重きをおいて生きる段階」と、「自分のことも大切だが、それ以上に、自分以外の人々の喜びや幸せを中心に考えながら生きる段階」があると思います。

 言い換えると、「利己の段階」と「利他の段階」があるということになると思います。

 そして、「利他」にも段階があって、「家族や近隣の人たちのことを大切に思う段階」、「より広い地域の人たちのことを大切に思う段階」、「自分が属する国の人たちのことを大切に思う段階」、「世界の人たちのことを大切に思う段階」、「それ以上の段階」があるように思います。

 そして、宇宙の源泉・神様の波動は、「利他そのもの」、「利他の塊」・・・言い換えますと「愛そのもの」、「愛の塊」なのだと思います。

 人が、何回も何回も転生を繰り返して、心・魂の修行を続けていくのは、「利他心」、「愛他心」を深めて、元なる存在へと近づいていく為だと思います。

 自分は、至らぬながら、日々、「社会の役に立ちたい」、「世の為、人の為に生きたい」と考えながら、生活・仕事等をしておりますが、生涯、この気持ちは変わらないと思います。

 また、次回、利他の心で生きることの詳しいメカニズムを教えていただけるということですので、次回のメッセージを心より楽しみにしております。

 いつもありがとうございます。

 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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