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イエスからマグダラのマリアへの手紙・私は本当にかつてマグダラのマリアだったのか?

70) ある布教の旅でのこと 


 

 ありがとう、マリア。
あなたのその美しきお心に、心からの愛と感謝の意をお伝えしよう。

あなたが、今、苦しみの中で、いろいろネガティブなお気持ちになられているのを私も共有し、それも地球での体験の大きな大切な部分であるのを知り、しっかりとその意味、そしてその意義も感じ取っていただきたい。
苦しみのみが与えるものが必ずやあるのを知り、その中に身を置くことでのみ得られるものをしっかり手にされますように。



 それでは、今日の・・・内容に進もう。
あなたと私。かつての生活の中から、今にもかなりの影響を与えていることについて語ろう。


今までと同様大昔のことではあるが、時は容れ物であり、あなたにも他のどなたにも共通した、また現在にもしっかり共有すべきものである。

 あれは珍しい大きな、大きな山のような所に、私達が初めて行った時のことであった。
あなたもご存知のように、私達の住んでいた所は丘のように、ある程度の起伏のある場所ではあったが、あの地は今のあなたのおられる日本と違い、大きな山や高い山脈のような起伏はほとんど見られない場所であった。

それが当然、普通のこととして何の不思議さも感じてはいなかったが、ある日のことであった。

あなたが、しばらく私から音沙汰がない生活を送らざるを得ない時のことである。私が仲間達と旅に出ていたのである。

私達は10人近くの男達の集団となって、私達を待っている人々の所へと何日かの旅をしていた時のことである。
それまでは平らな砂地、そして原っぱでもあるような所・・・時には大きな石が所々に転がっており、草や小さな野の花が咲いているような所をしばらく旅していたが、急に地面に起伏が出て来て、私達のはるか向こうに丸い大きな山のようなものが目に入ってきたのである。

それまで私達はあまり山というものを見たことがなかった由に、男達みんなが多少興奮し、草履のような履物を整えたり、荷物一つにまとめ、背負ったりし始めたのである。

水は十分にあるか・・・食べ物もあるか、等々も確かめ、興奮気味で上り坂を少しずつ歩んで行ったのである。

その体験は私達を興奮させ、これを越した後に会える人々との話題も楽しいものだろうと思いながら、足元をよく見ながら登って行ったものだった。

かなり登ると、辺り四方の風景が下に広がって、私達は、初めて見る上からの景色を楽しみながら歩いていた時のことであった。

一人の男が大声をあげた。
皆が彼の方に目を向けると、そこには大きな蛇がいたのである。
住んでいたところで、私とマリアはたまに蛇を目にすることはあったが、細くて短いものがほとんどで、今回初めて目にしたのは、やや緑色がかった大きな太い長い蛇であり、私達はあまり近づきすぎない距離から興味深く眺めていたものであった。

 そんな旅を経て、私達は待っている人たちのお迎えの場所にようよう到着、ゆっくりと久しぶりにしっかりした食事を戴くことになった。
美味しいものを口にするそんな時、私はマリアや子供達にも味合わせたいと思ったものだった。

そして間もなく、皆の待ち望んでいる様々な相談を受けたり、質問に答えたりする時間となった。

私は、これまでと同様、どんな質問が来ようと、どんなに困難そうに思える困りごとにも自然に天から答えが与えられたので、それを伝えることで、一人一人の抱えた問題に対応可能であったのだ。

それらを伝えるために私達は旅をして来たのであり、その村の人達もそのために私達の到着を心待ちにしてくれていたのであった。
相談事は様々なもので、家族間のトラブルから、今で言う政治のようなものなどの社会生活にも及んでいたが、解決の基盤はこれまでと同様、天の意図とするお互いを大切にし合う・・・愛をもて対応するという事であったが、それが、一旦、人々の間の憎しみや利害関係となると、なかなか解決の糸口が見つからず、憎しみや妨害のようなものが深まっていくのが常であった。
相手の気持ちと自分の気持ちを同様に扱うことの大切さを考えることが常に求められていたのだ。

しかし、実際にこれはかなり難しい時も多々あるようで、あの時代も家族間でのトラブルから近所づきあいや、また、商売上のトラブルなど、多彩になりつつあった時代であった。
加えて、病に伏した人を抱えた男達も大勢待っていた。
老いた母親を板の上に乗せて運んで来たり、子供の怪我やけんかからの傷つけ合いの結果等、様々な病や怪我をした人々が私のヒーリングを待っていてくれたのだ。

私はこれらも自然に癒すことができたのである。
天の与える愛と生命のエネルギーは、これらの不調や病などを深く癒し、人々は喜び、お礼の言葉を口にしてくれたものだった。
時には珍しい食物も与えられ、私達はお土産として持ち帰ったりもしたものだった。


 そして、一番大切なのは、生きる姿勢・・・何を家族や社会の基本的信念とするか・・・いかに皆が皆の為になる社会を作っていくのか、という始まりの時代であったと言える。

少しずつ政治や経済のような活動が始まっていく時代であった故、何をもってその基盤と成すかを、人々が少しずつ考え、生活するようになる・・・そんな必要性が出て来た頃であった。

天の望む、あるべき地球での体験がしっかり為されるような体制が少しずつ作られる・・・そんな必要性に対応するべく、私達は働く必要があったとも言える。


 それらが今にも伝えられ、人々の心の拠り所のような役割を為しているのを知る時、私は大変嬉しく光栄に感じるのである。
が、しかし、その中に多少の誤解や伝達に誤りがあるのも目につくのである。長年に渡って多くの人々の手を経て来たため、様々な正すべき情報が目につくのである。

これらを少しずつ正すべく、これからもあなたにお伝えして頂こう。


ありがとう。今日も朝早くからありがとう。
これから少しずつ具体的に述べていこう。どこがどう真実と異なるのか、考えてお伝えしよう。

今日もあなたのご協力に心からの感謝をし、愛をどっさり置いて行こう。
あなたを愛し、守り、そして常に見守っていこう。

ありがとう、マリア。
愛している。
いつまでも・・・いつまでも。
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