木に想う

家も建てちゃうドア・家具も創っちゃう材木屋 加藤木材の社長の想う木の話

この星は植物の星だ

2009-08-29 08:38:13 | 想う話
 写真は私の家の近くの側溝です。大雨で流れてきた土があるんでしょう。その土と太陽光線といくばくかの雨があれば、植物はそこに発生します。

 身の回りに目をやってみてください。いたるところに植物が生えています。これらをすべて人間が植えるとなると、途方もない金額でしょうね。一見植物なんて生えそうもないアスファルトだって、それはメンテナンスしているからであって、車が通らなくなって、放置すれば、ものの1年もしないで草が生えてくるでしょうね。

 植物は人類より先にこの星にいます。植物は人間という生き物がこの世に生まれても、それを根絶させなかった。「こいつらは、僕ら(植物)を植えて増やすだろうから、残しておこう。」・・・・なんてね。人間が支配?いやいやとんでもない。植物を根絶。絶滅させちゃ人間は生きていけないどころか、植物を絶滅させることなんて人間ごときにできやしない。せいぜい人間は同じ人間を絶滅させるくらいの力しかありゃしない。

 歳をとって、僕もそんなふうに植物に対して畏敬の念を持つようになりました。


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2 コメント

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草の命 (とこちゃん)
2009-09-01 18:37:50
こんにちは加藤さん
私も、この「草」について、この頃ずっと考えていました。
私の普段の仕事は農作業なので、今時期はいつも草刈りか土寄せのようなものばかりです。
地面さえあれば、いろいろな種類の草が、競うように生えてきます。
私の働く農家さんは、無農薬なので、除草剤もまかないため、草とはやや共存しながら野菜を育てています。
いつも思うのは、草は、生えたくて生えてくるんだということ。
生えて自分の子孫を残したい。
野菜に栄養が行くように、まわりの草取りをするのは、理由があるけれど、何も植えてないところに生える草を何故邪魔もの扱いしなきゃならないんだろ・・と不思議に思うのです。
きれいだな、と眺めたり、実を食べたりする草は、薬まで使って他を排除し大事に育てる。
それ以外は、どんなに一生懸命葉っぱを茂らせても、薬をシャーとまいて全滅させる。
私が午後活動しているどんぐり小屋の周りの畑も、何度も何度も薬をまいて小松菜を収穫しています。
とにかく草は少しも生やしたくはないようです。
土にも、薬を混ぜ、育てたい野菜しか育たない畑です。
果たして、育てられた野菜はうれしいだろうか?とここでまた疑問に思います。
人間と野菜は、基本的には協力関係にあります。
なぜなら、実をつけ子孫を残すことを人間は全力で協力してくれるから。
けれど、自分だけいい実をつけるために薬をまかれ、同じ大きさの同じ野菜仲間だけにされた野菜ってうれしいんだろうか・・・

加藤さんは、草いわゆる「雑草」といわれる植物たちが、何もないところに生えていることが、そんなに景観が悪くよくないことに思いますか?
彼らだって光合成して、酸素を放出しているんじゃないのかな?
何で、人間は必死こいて雑草とりをするんだろ・・と最近考えます。
こんなに気になるんだから、その考える過程や、結果になんだか重要な意味があるのかもしれないな、と思っています。

あまりこんなネタで、他の場所では熱く語れないため、長くなってしまいました。
申し訳ありません。

「木のこころ・・」(天)読みました。
ものすごくよかったです。
何度も読みたい本です。
土の命・・私が毎日毎日思いをはせるものです。
素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございました。
とこちゃんありがとう (加藤)
2009-09-02 10:55:34
 そうですね。「命のりんご」でしたっけ。そんな本が売れていますね。もっと実をつけるように品種改良されて・・そして他の植物(雑草)を排除して・・そんな甘やかされて育ったリンゴの木にはリンゴ本来が持つ強さがないそうです。

 だから虫にやられやすい。気候の影響をうけやすいんだそうです。

 これは生産者側から言わせるとそれは消費者が望んだものでありJAなどの指導によるものだ!となりますし、消費者側から見ますと、勝手にそんな商流を作って自分たちに選択させないのが、あなた達でしょ。って事になります。

 両者望むべく姿は同じなんですが、やってる事が「あるべき姿」とは違うんですね。両者ともね。

 僕が言いたかった点としても、あのアスファルトの側溝にもビッシリ植物が生息してるって事は、そこに土があって植物がいない場合は何らかの人為的な行為がなきゃ、そんな状態にはなりませんよね。・・・というのがあります。

 その人為的行為の良し悪しという論争だけにとどまらずに、僕らはもっと植物に学ぶべきだと思うんです。木に学び野菜に感謝し、「(命を)いただきます!」と植物にそして命に畏敬の念を持つ行動をとっていきたいものです。

 とこちゃんのように毎日土に触れて「考えて」という環境はある意味うらやましいものです。そこからさまざまな方にそれらが広がっていくといいですね。

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