Paradise_B diary

CGやPCに関する日記

魔法少女まどか☆マギカの感想

2012年01月15日 | アニメ
※ネタバレあります。まだ本編を見てない方は見ないようにしてください。
本編を見ようか迷っている方は見ることを強くお勧めします。素晴らしいです。

アニメとかほとんど見てなかったのですが、ニコニコ動画とかで話題になったアニメは最近見るようになりました。
他に面白いテレビもありませんしね。

「けいおん!」とか「とある科学の超電磁砲」とか「パンティー&ストッキング」とか見ました。
どれも面白かったと思います。

2011年で話題になったのは「魔法少女まどか☆マギカ」と「TIGER & BUNNY」辺りじゃないでしょうか?
まどかは何か「マミった、マミった」言われてるので「何だろう?」と思ったのとタイバニはなんか初回限定BDが高騰しているというニュースを見たので知りました。

タイバニは再放送を見ているところです。
「魔法少女まどか☆マギカ」は再放送しないのでDVDを借りようと思ったんですが借りに行くのも返しに行くのも面倒くさい…(近くにない)
そこで、以前から気になっていた宅配レンタルを利用することにしました。

そして、年末にやっと全巻揃って見ることが出来ました!
ちなみに借りたDVDは40本目、最優先にしていたのに…これがDMMの借りやすさレベル3の真実…

そして、設定資料などを見たわけではないので放送範囲内感想ですが…
素晴らしいですね。ビックリしました。

ストーリーも音楽も素晴らしいと思います。
唯一好きじゃないのは魔女の描き方ですかね…異空間感を出したいのかも知れませんけどあのアートスタイルは紙芝居のようで3次元が急に2次元になってしまったように思えます。ちょうど今の擬似3Dテレビみたいに3Dではなく階層のある2Dみたいな感じがしますし、私にはきちんとした立体的なデザインを省略するための妥協に見えます。
ワルプルギスの夜や、シャルロッテ?(なんで皆名前分かるんだ…?)など重要な魔女はきちんとデザインされていたのがその証拠だと思います。

最初は「マミった」のが衝撃的だっただけのアニメか半ば批判的に見ていました。
マミさんはとても良い人で、その人が無残な死に方をする…元々知っていた事もありこれは別に驚きませんでした、天邪鬼な作者ならば無残な死に方をするキャラはなるべく皆から好かれるキャラにすると思います。
それに、嫌なキャラが死んだって「ざまぁw」で終わってしまって何も残らないでしょうからね。

あの無残な死に方に注目が集まっているようですが、ストーリー上魔法少女の幻想とは違う過酷な現実を一発で見せ付けるのにあの「マミった」は非常に有効だったと思います。
そこから、「素敵なもの」であったはずの魔法少女が「なるべくなりたくないもの」という存在に変化して、どのようにして登場人物たちが魔法少女になっていくのかというストーリーに変わっていきます。ここでエンディングが典型的萌えアニメーションっぽかったものから暗い真のエンディングになったのも素晴らしい演出だと思います。

そして、4~8話で次々と魔法少女の真実が明らかになり、最終的に魔法少女は「なったら終わり」の存在になって行きます。

9話~最終話までは、もう涙無しには見てらんない…ナウシカも最後の感動的なシーンの前には何度見ても涙が出てきてしまうのですが、これもそうですね。
あんまり無いんだけどなぁ…
9話はストーリ的にはそれほどでもないんだけど、エンディングの1枚絵と歌にやられました。
自分は人に何かを感じさせる絵が描けないのでうらやましいです。


そして、10話が凄すぎます。ここで、ほむらの過去?とまどか達の未来?が次々に明らかになります。ここで特に凄いのがまどかになぜ常識外の素質が備わっていたのかという理由がはっきりすることです。ありきたりな主人公だからとか、前世が…とかいう理由でないのが素晴らしい。
こういうのを見ると昔自分が描こうと思っていた漫画がいかにストーリーを練ってないかがわかってがっかりします。所詮は素人のお遊びでした。
それと、画面が美しいですね、空が黄金に輝き水が薄いピンクのクリアな水です。雨も美しい。私だったら普通に曇天・泥水にして汚い回想シーンにしているだろうなぁ…

そして、私は海外の反応を紹介しているサイトを見るのが好きなんですが、そこの感想に「オープニングの歌はまどかじゃなくてほむらの歌だったんだな」というのがあり、あ、そうか!と思いまた感動です。

そしてまた、ストーリーに無駄が無いというのがいい。ほむらが頑張ったせいでまどかが最悪の魔女になる素質を持ってしまったわけで、彼女はその頑張りを無駄なこと、もしくは逆効果だったと思い絶望しかけますが、その頑張りがなかったらまどかの壮大な願いがかなえれず全ての魔法少女たちを救うことが出来なかったわけですから、ほむらの頑張りも重要だったわけです。

10話以降はほむらが主人公にしか見えないわけですが、ほむらが下準備をして下準備をして、最後にまどかが一発かますという、やっぱり主人公はまどかですね。
終わり方に賛否両論あるようですが、私はああなるしかないよねって感じで良いと思っています。
一ファンとしてはまどかもほむらもマミさんも何の心配も無く一緒に魔女退治をして欲しいところですが、それでは”なあなあ”の妥協ストーリーにならざるを得ないと思います。

そして、1話の最初と最終話の最後でリボンでまどかと母の絆が表現され、そこにほむらも加わっているのがまた素晴らしい。一体どこまで考えてストーリーを作っているんだろうかと感心してしまいます。

私は、放送したものしか見ていないので
1.なぜ過去のマミがワルプルギスの夜が来るのを知っていたのか。
2.魔法少女になっても別に魔女と戦わなくてもよいのでは?(もしかしたら本体が死体同然なので常に修復してて微量の魔力を使うのだろうか?)
3.過去の魔法少女の魔女化まで止めてしまっては、現在の人口、科学の発展状況、国のあり方等大幅に変化するはずなので、ほむらやマミが魔法少女化しているどころか存在しているはずが無く、まどかだけが消えてしまったような最後のシーンは絶対ありえない。
など、細かい疑問はあるのですが、当然作者も考えているでしょう。(昔、アニメや漫画で過去や未来を描くとたいていグダグダになって矛盾だらけになるので私は絶対描かないぞと思ったものです…)


最後に、エヴァンゲリオンに似ているという人がいるようですが、私は全く違うと思います。
もっとも私はエヴァンゲリオンはテレビ版と劇場版、新劇場版はテレビでやった破しか見ていないので、他を見た人とは違うかもしてませんが…
似ているといっている人はどこが似ていると言っているのでしょうか?最後に街が破壊されて水浸しになったから?
地球全体のルールを書き換えることになるから?少なくともエヴァ劇場版では皆死んで(一体化して?)シンジとアスカが残っただけのような気がするんですが…
よく分かりません。

まどかとエヴァでは決定的に違う点があります。それはエヴァの登場人物がシンジからアスカ、ゲンドウ、ミサトまで人格が破綻する者か深いコンプレックスを抱いた人間で、その人間の行動原理でストーリーが構成されていることでシンジにはイライラするし他のキャラも心理的な気持ちの悪さを感じさせるキャラが少なくありません。一番まともなのはアニメの中で異常者扱いされている綾波レイだという…そして基本的にすべて受動的に進みます…誰もシンジが道を切り開いたとは思わないでしょう。誰かが作ったストーリーの終着点に向かっていくという話です。
それに比べ、まどかの登場人物は極めて理性的で常識的な判断をします。ほむらもさやかもきょうこも自らの強い意志で行動し、弱気だったまどかも(弱気というより正解を探していたという感じですかね)最後には(正解を見つけた時には)強い意志を持って行動を起こし、ほむらの努力とまどかの決断によりインキュベーターの作ったルールを破壊するという能動的なストーリーです。

これはエヴァ批判ではありませんよ。エヴァ嫌いではないですし、テレビの最初のノー天気に戦ってる頃が一番好きだったんですけどね…落ちてくる使徒を受け止めるシーンが好きですね。
先日、破を見たらなんだだか以前より萌えアニメっぽくなってて嫌だったけど…

借り暮らしのアリエッティ(ジブリアニメ)の感想

2011年12月17日 | アニメ
ドラクエ4もう少しなのに全然やる気起きない…

アリエッティがテレビでやっていたので見ました。

 作画というのか、画面は美しくて透明感とボリュームがあってとても良かったと思います。
最初のシーンの草の描き方が宮崎駿さんよりも塗った感じの形のはっきりしない感じの描き方でした。
あと、水とかの液体が全体的にねっとりとした感じでした。

 細かく気になったところは、今は他に同じ種族がいるのかも分からない、昔でも他に二家族しかいなかった割に、相当な工房と、それを必要とするコミュニティが存在していなければいけないほど、小人用の家具が充実していて家もしっかり作られていたことです。
本当に3家族位しかいなかったら後から出てきた男の小人のような原始的な生活が限界でしょう。
 それと、非常におかしいと思ったのは人間たちは和風ではないですが典型的な日本風の生活様式、アリエッティたちは完全に北欧風の異空間、後から来た男の小人はコオロギの脚を持ち歩いて食う原始人。これは違和感があり過ぎます。世界観がバラバラすぎる。

 あと、非常に細かくなりますが、糸巻きのエレベーターが、親父が登ったあと、親父が石を引き上げただけなのに糸巻きに糸が巻きついていたこと、カラスが暴れた部屋で羽を片付けずに羽の上に寝転がったように見えるところなどが気になりました。
 細かいようですが、このような違和感は宮崎駿さんの映画では感じないんですよね。

 キャラクターですが、ゲド戦記にも言えることですが悪役(今回は家政婦)が全く愛せないことです。ゲドの時の兵士みたいなのは胸糞悪いくらいのクソでしたし、今回も正直精神が異常なのではないか?と思うような人間です。宮崎駿さんの悪役はみんなどこと無く憎めない人たちです。ナウシカのクロトワ、ラピュタのムスカ、千と千尋の湯婆々など、結構皆に好かれているでしょう。
 そして、アリエッティの母親がウザ過ぎる。ウザい部分と人格者部分がちぐはぐ過ぎて一人の人格として成立していないように見えます。それと、見た目もこの両親を足してアリエッティが生まれるとはとても思えない。魔女の宅急便やとなりのトトロのような納得の行く親子ではなかったです。(メイだけは異質だったかな?)
 あと、CMのときから思ってましたが男の口だけアップにして「怖がらないで~」は気持ち悪すぎる。

 ストーリーはなんか飛び飛びな感じでハァ?って感じだったかな?昔から人に見られないようにしていたはずなのに、初めて借りにでて人に見られて砂糖を返しに行ったり単独で会いに行ったりいきなりそんなにならないだろって感じ、そこに至るまでの心情の変化が飛びすぎてます。
 それに少年も、初めて会ってなにも分からない種族の相手にいきなり「滅び行く種族なんだよ。」とか言わないだろ…
 猫も、直前までアリエッティを食おうとしていたのになんでいきなり分かり合ってんだよって感じでした。
 家政婦は自分の主人である少年を閉じ込めたり、家主の女性に無断でねずみの駆除業者を呼んだり、「普通に家主と話をすれば済む話なのに、なんで自分の立場が危うくなるようなことまでやって小人を捕まえることに執着してんだよ。」という感じで正直精神異常者にしか見えませんでした。

 総合的に見て、非常に内容の薄い映画でしたね。ナウシカを見た後の感動や、ラピュタを見た後の喪失感、千と千尋を見た後の満足感と寂しさのようなものもありません。いかに宮崎駿さんの映画が多くの内容を詰め込んでいるのかが分かりますね。
 正直、今回のアリエッティはテレビのシリーズアニメの第一話の「追い出されたアリエッティの大冒険がこれからはじまるよ。」っていうストーリーのプロローグの30分位の内容程度を見せられた感じです。

 個人的にこの映画の気に入った部分ですが、カマドウマ、ゴキブリ、ダンゴムシという、一般的には忌み嫌われているような昆虫を親しみやすく登場させたことです。この監督さんは虫が大好きなんではないでしょうか?アリエッティの母親を捕まえた時もビンにラップを張って空気穴を開けるというやり方は子供の頃によく虫取りをやった人間の発想です。
 この人はファーブル昆虫記なんかをアニメシリーズでやったら良いもの作りそうな感じ。自然描写も美しいですし…
 ただ、角砂糖にたかってるアリを払ってたシーンですが、あのサイズではまずアリの力にはかなわないし、かまれたら骨折は免れないと思いますけどね…

ゲド戦記(ジブリアニメ)の感想

2011年07月17日 | アニメ
今日、初めてゲド戦記を見ました。

原作のゲド戦記は宮崎駿監督が大ファンで世界中で読まれており、様々な作品に影響を与えている作品だというので読んでみたいと思うのですが、ゲド戦記の映画を見てからにしようと思っていました。

世間的にジブリのゲド戦記は評判が良くありません。原作を読んでしまっては絶対に原作と比較してしまって悪い評価をしてしまうだろうなと思ったからです。幸い、原作を読んだことが無いのでまっさらな状態で映画を見れるのは幸運だと思います。

そして、都合の良いことにテレビで放送してくれました。
そして感想ですが…

正直、想像より酷いものでした。ここまで酷いとは思わなかったというのが正直な感想です。
原作との比較云々以前の問題でした。印象としてはアニメ創世記の映像のようでした。(キャラクターのアップやテンポの変化が少なく淡々と進んでいく感じ。)
表現者としては、「このシーンで魅せる!」っていうシーンを作ると思うんですが、この作品には全くありません。もののけ姫なんかはストーリーは微妙ですが、そういったシーンの連続なので「おおっ!?」という感じで楽しめます。

キャラクターの感情表現や表情の変化の違和感、間のおかしさ、展開の不自然さ。正直、ストーリーを考える以前に違和感で見ていて気持ち悪くなりました。最後の方は音声が出るレベルで早送りしました。
そして、ヒロインが下手だなと思っていたのですが、最後のヒロインの声優の名前の後に(新人)と付いていたのですがこれは何なんでしょうか?あまりアニメに詳しくないのですがこんなの通常つけるんでしょうか?

映画のヒロインとして、プロとしてお金をもらって出演する以上、新人もベテランも無いはずです。
「新人だから下手でも許してね。」という意味であれば、「最初からそんな人間を使うな!」という話ですし、声優本人にも失礼な話です。


色々不満を書きましたが、今回駿氏の息子の吾朗氏が監督ということで、彼が批判されがちですが、彼を責めるべきではないでしょう。彼にも「やる」と言ってしまった責任はありますが、問題は彼に監督をやらせた鈴木プロデューサーでしょう。
しかしながら、鈴木プロデューサーも駿氏が加齢で監督を出来なくなってしまった後を考えて、ジブリの社員たちを食わせていく為の事でしょうから責められません。
「駿氏がもう監督を出来ないし、俺も食っていくだけの金があるから君たちは勝手にやってね。」と無責任な事が言えたらどんなに楽かと思っているのではないでしょうか?
吾朗氏も作品を一つ仕上げられて、ジブリ美術館のプロデュースが出来るくらいなので賢い人でしょうから世界の駿氏ほどの作品は作れないことは重々承知でしょう。それでも、鈴木氏曰く「宮崎駿は新人監督を潰します。」というスタジオジブリで監督を引き受けたとするならば、駿氏に怒られて、世間からは叩かれるという、かなり辛い立場であることを分かった上で宮崎駿後のスタッフを食べさせるために引き受けたと考えることが出来ます。
そう考えると吾朗氏に同情を禁じえませんが考え過ぎですかね?

そうそう、
アリエッティはCMしか見たことがありませんが、画面の色彩や情報量、主人公の動きなどは「おおっ!?」と非凡なものを感じますね。
ただ、猫の動きは気に入らなかったな…

海がきこえる(ジブリアニメ)の感想

2011年07月16日 | アニメ
数ヶ月前に「千と千尋の神隠し」がテレビでやったのを初めて見て、ジブリアニメ熱が発生し、ヤフオクでナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、ぽんぽこ、もののけ姫のLDを買って見てたのですが。(LDは安いんですよ。500円位)LDって画質悪いんですね。がっかりしました。

今回、「ゲド戦記」とともに「海がきこえる」というのがやるということで見てみました。 視聴10分位で「これって…?いや、そのうちなんかあるだろう…。」と思いながら見続けました。

感想ですが、原作は知りませんがこの映画は女性からの評判が悪いのではないでしょうか?

ヒロインはとびきり美人というだけで性格は最悪レベルに悪いです。映画に出てくる範囲だと性格的に魅力を感じる要素は全くありません。多少、考慮すべき背景はありますが、それを差し引いても最悪です。それでも主人公は実は好きだったんだ的な感じで終わる。そして友人も「この地域の人間全員嫌い。それで好きとか言うなキメェ。」レベルのことを言われてもなお親友を殴るくらい想い続けます。

女性から見たら「美人だったら何でも良いのかよ!」って感じではないでしょうか?

そして、私が視聴10分で感じた疑問ですが
それは、「この内容をアニメでやる意味があるのか?」ということです。
結局、その意味を最後まで見出すことは出来ませんでした。

ストーリーも舞台も出てくるキャラクターも全て現実世界のものです。超人的な動きをするわけでもありませんし、時代も現代であり、すごい過去や未来の話というわけでもありません。

キャラクターデザインも一般アニメの脇役レベルの無個性キャラです。私は見終わった直後には登場人物の名前は全て忘れてしまいました。

正直、ジャニーズのタレントでも使った方がまだ個性があったんではないでしょうか?そして、この作品の製作期間は1992年8月11日~'93年4月10日らしいですがおよそ8ヶ月掛かっています。実写ドラマであればあの内容であれば1ヶ月掛からなかったのではないでしょうか?

正直、実写でやれという感じです。