写進化・ヲアニーの徒然日記

秀峰大山を中心に山陰地方の風景等を掲載。(※古い記事の画像は、削除しているのもあります。)

丸亀城

2013年05月05日 | 県外旅行記(中国・四国)

今回の四国旅行最後の観光地は、丸亀城です。

話がそれますが、丸亀と聞くと、相撲取りの大豪(だいごう)を思い出します。旧しこ名は、若三杉と言いました。
私が小学校から中学校のころの力士でした。最高位は、関脇だったと思います。
二所一門の花籠部屋の所属で、二所ノ関部屋の横綱大鵬が土俵入りのときは、太刀持ちか露払いを務めていたこともあったと記憶しています。
当時の時津風理事長(元横綱双葉山)の英断により、それまでの一門別総当たり制から部屋別総当たり制に改められ、大豪は大鵬と対戦するようになりました。
相撲放送を聞いていると、「東(西)方、関脇大豪、香川県丸亀市出身花籠部屋」という館内アナウンスが思い出されます。
初代若乃花の二子山親方の親族と婚約し、更に人気を高めました。
結婚が決まってからは、呼び出しが「大豪」を告げると、一際大きな拍手がわいたのをテレビでよく見たものです。
色白の美男の力士でした。


さて、話を丸亀城に戻しましょう。丸亀城は、標高66mの亀山に築かれた平山城です。
「石の城」と形容され、石垣の名城として有名だそうです。


大手一の門をくぐって城内へと進みます。



長い坂が続きます。

66mの城山ですが、この坂を登ると結構疲れます(笑)



急な坂を登ると、戌亥(いぬい)櫓跡にたどり着きます。
ここから讃岐富士を見ることができます。


丸亀市内をパノラマで。
大きく見るには → こちら


3階3層の、高さ約15mの丸亀城天守です。
1660年(万治3)に完成、日本一小さな現存木造天守だそうです。


天守に入ってみました。
下からは大きく見えた丸亀城ですが、案外小さいお城でした。

以上で、四国旅行記は終わりです。
ごらんいただき、ありがとうございました。


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4 コメント

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Unknown (ボンジュール)
2013-05-05 18:12:47
これが丸亀城ですか。
子供の頃に祖母からうちの祖先は丸亀城の武士だったと聞きました。
真偽のほどはわかりませんが、未だに行ったことがなく、どんな城かもわかりませんでした。
お見せ頂きありがとうございました。

相撲のことは、全然わかりません。(爆)
返信する
Unknown (ina)
2013-05-05 18:59:03
こんばんは

四国旅行記最終回ですか?
寂しくなります

丸亀城 香川では一番お城らしい城です
上まで上がると疲れるでしょう
桜の時期は綺麗ですよ
夜桜写しに行ったことあります
お城祭りには 
松江の火縄銃部隊が来てるのかな

四国旅行で また来たくなりましたか?
是非通って下さい
返信する
ボンジュールさんへ (ヲアニー)
2013-05-05 20:56:10
こんばんは(^^)
オランダにお住まいのボンジュールさんは、祖先はドン・キホーテではなく、
丸亀城の武士だったとは。
ちなみに、我が家の祖先は近所の人から、公家・・・いや、「苦家」だったと言われてましたが(爆)
花は桜木、人は武士と言いますが、ボンジュールさんは、剛直で信義が厚く、武士の風格が
備わっているなとお会いしたときから思ってました(笑)

>相撲のことは、全然わかりません。(爆)
いえいえ、それでいいのですよ。
私にとっても大鵬は、子どものころに希望と勇気を与えてくれた神様のような存在で、
大鵬が現役のころの力士はいつまでも記憶に残っているので。
大鵬が現役を引退してからは、相撲はほとんど見なくなりました。
返信する
inaさんへ (ヲアニー)
2013-05-05 21:01:41
こんばんは(^^)
個人的な四国旅行は、小豆島を含めてこれで4回目です。
それまでは写進化でなかったので(笑)、ほとんどが家族との写真しか撮りませんでしたが、
これからは何とか関所を通らずに行ける方法を考えようかと思ってますが、無理ですね(笑)
丸亀城は、確かにこの坂を登る途中で息切れして、足がつってしまいました。
前日の金刀比羅宮参拝が影響したかもです(笑)
行ったときは既に桜は散った後でしたが、桜と城は本当によく似合いますね。
inaさんは山陰病ですが、私は四国病にかかりましたよ(笑)
返信する

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