WITH白蛇

憂生’s/白蛇 セカンドハウス

ぬながわひめ・・のこと。

2015年10月21日 | 作品に寄せて・・2

この作品も、ずいぶん、長いこと放置していた。

独自というよりも、

勝手な解釈・勝手な設定でかきだしたものである。

本来は明治維新のころが好きで

龍馬の生き様をかいてみたいとおもっていたのだが、

それは、無謀とも

己の技量を知らなすぎるともいえる。

多くの資料も必要になり、史実からはなれることも難しい。

諦めて

お茶濁しに沖田と土方を主人公?にした壬生浪ふたり・俄狂言・「恋語り」をかくことにした。

そうこうするうちに、

にぎはやひ、という存在がきになりだし

しらべはじめたが、諸説紛々の存在であり

さっぱり、実態がつかみきれずにいるところに

島根の美穂崎にでかける機会にめぐまれた。

ここで、またしても?奇妙なものをみた。

美穂崎灯台のちかくにある事代主が釣りをしていたという場所に

愛媛の河野氏の紋がはいった鳥居があった。

美穂神社の千木は天千木と国千木が横並びに並び立っている。

国譲りのあった場所でもあり、

そのさまをにおわすような、諸田船神事?が残っている。

古事記のなかでスサノオが斑馬(ふちこま)を投げるが

日本に馬がいたとすると、愛媛の岬や壱岐・・とかに野生馬がいたと考えられる。

すると、愛媛の河野氏が、馬をもってきて、参戦したか?

と、かんがえたりしているところに

今度はスクナ彦が、羅馬船(かがみふね)にのってやってきた。という文書をみつける。

羅馬船をしらべると、

馬を連ねて・・という意味合いになり、これもまた馬をつれてきたとも考えられる。

羅馬船や千木について、ここに書くと長くなるので省くが

そうするうちに、さらに発見していくのが

ー国譲りのときににぎはやひがかけつけていたー

と、いう一文であり

なにか、このあたりで、おぼろげに構想ができはじめていたところ。

さらに、ぬながわ姫をしらべていけば、越の国の技術力の高さ

現在まで続く、刀剣 和紙 漆器・・などなど

後に継体天皇を輩出する土地柄であるのもうなづける。

まとまらないまま、

あるいは、こうも解釈できないかと

ぬながわひめを書き始めていた。

 

 



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