WITH白蛇

憂生’s/白蛇 セカンドハウス

言霊と思霊と・・

2015年10月21日 | 作品に寄せて・・2

銀狼をかきながら、追従していることのひとつが見えてくる。

 

言葉のエネルギーが発動するというのが、言霊であるとするならば、

思いのエネルギーが発動するというのが、思霊であろう。

 

と、いう部分であるが・・・。

 

知らずに思ったというべきか、

感情にふりまわされてしまったというべきか、

「マイナス」な思いが発動するということがおうおうにしてある。

 

以前の日記でかいたことであるが、

「自分を苛めるものは、人にも苛められる。自分が苛めて良いような人間など、人がいじめて当然である」

と、いう極論を書いた。

 

様々な霊現象にみまわれたある女の子も、

「どうせ、自分なんか」という自分を苛めた思いをもっていた。

 

現象(苛められる・よくないことがおきる)がおきても、まさか、その原因が自分の思いであったとは気がつかないで居る。

 

よく、ひきよせの法則とか?(まともに読んでないので、言葉しかしらないので、意味あいがちがうかもしれない)

ハウツーとして、幸せになる方法として、語られているが、

ようは、上のことを応用しているのだとは思う。

 

ところが、ちっとも、引き寄せがうまくいかない。

と、言う場合が在る。

 

それは、なぜかというと、

「当て込んだ思い」「打算的な思い」であるからではないだろうか?

 

まさか、その原因が自分の思いであるとは気がつかない。

 

と、いうほどに、

「思い」の質を鑑みない。

 

憂生が引き寄せという考え方が嫌いなのは、引き寄せの根本が、「当て込んだ思い」であるわけで、

これも、お登勢のラストに書いている。

 

表現が違うが・・・。

 

*情けは人のためならずという。

情けをかければ、いずれ、それが自分に帰ってくるという意味だけど、

自分に良い結果が帰ってこないということは、

自分の思いが本物でなかったせいだ。*

 

ようは、自分が本物の思いをもつということがだいじなわけで、

情けがかえってこないかな?

良い事が帰ってこないかな?

こうすれば良くなるんだ。

などは、すでに思いが濁っている。

 

と、なると、「自分の思いがどうであろうか?」という詮議のほうが大事なわけで。

 

そこを忘れて、パワーを貰いたいとか、幸せを引き寄せるんだとか、では、

当て込んだ思いが、思霊になって発動するかもしれない。

 

もちろん、その結果についても、本人は

その「思い」のせいであると、きがつかずにいるんだから、幸せかもしれない。

あるいは、そこだけを取れば、充分、幸せを引き寄せているといえるかもしれない



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