プーケット津波情報総合 (スマトラ沖地震)

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津波被災体験談 (12/29 12:00収集分)

2004-12-29 12:03:48 | 記事スクラップ
静岡新聞より
無事帰国した島田の永江さん 「海が盛り上がり 泥水のような波」

「沖合五百メートルほどの海面が盛り上がり、海岸に近づいてきた。周りは紺碧なのに、津波だけが茶色に濁っていた」―。インドネシア・スマトラ沖地震で二十六日にスリランカが津波被害に遭った際、首都コロンボに滞在していた元榛原高校長で国際協力機構 (JICA) のシニア海外ボランティア永江史朗さん (69) =島田市河原二丁目=が二十八日、島田市の自宅に戻り、目撃した津波について語った。
永江さんはコロンボの海岸線にある大型ホテルの九階の部屋で、押し寄せる津波を目撃した。「三―四メートル水が引いたと思ったら、次の瞬間に泥水のような大きな波が押し寄せてきた。今まで見たことがない光景だった」。このホテルは海岸から十五メートルほどしか離れていなかったが、周囲で大きな被害は確認できなかったという。
恐怖を感じたのは空港に向かう途中で立ち寄った、コロンボから三十七キロ離れたリゾート地のニゴンボ。「町に入った途端、不穏な空気を感じた。道路に漁網やごみが散乱し、血相を変えた現地人の群衆が向かってきた。ただごとではないと実感した」。血を流したまま恐怖におびえる人もいて、欧米人男性は「高さ一・二メートルほどの速い波が来た」と答えた。
さらに、近くのホテルを見て驚いた。「ロビーにあるはずの調度品や備品が全て津波で流されていた。現地人の運転手が『怖い。戻りたい』と震えた。第一波の到来から三時間ほど経過していたが、次の津波が来たら、と私も恐ろしくなった」
永江さんが地震と津波の概要を知ったのはコロンボの空港で飛行機を待っている時。前日の二十五日には海岸線を列車で移動していて「一日違ったら、命を落としていたかもしれない」と声を震わせた。