
今日もあっさりと完封負け。しかも、先発投手が1回で降板した後も緊急登板となったリリーフ陣すら打てず。
なんだか、ピッチャーは防御率1,2位を独占しながらも打線が機能せずにダントツの最下位だった
2002年のつまらない試合を見ているようです。
(かといって、ボロカスに打たれまくった2003~2004年よりマシ?)
そして、ちょうど3年前の2009年5月16日。
オリックスがまたもボロカスに打たれて9連敗を喫したものの、最後までファンが大きな声援を送っていました。
特に最終回の攻撃は、せめてもの1点でも返してくれという願いを込めて、鳴り物なしで応援団主導のもと、声のみの応援。
このときは弱小オリックスの数少ないファンの声がドーム中に響き渡っていました。
それが翌日のスポーツ新聞の各紙は「オリックスファンが応援ボイコット!」との見出しで、
とにかくファンもチームを見放したという記事が書かれていました。
2009年5月17日のスポニチ記事。
(共同通信記事だったので、全スポーツ紙が見出しは異なるも同じ内容でした)
それ以来、現地のファンもネット上でもオリックスファンは随分叩かれたもんです。応援してたのに。
対して、かつて2001年に近鉄北川がオリックス大久保から代打サヨナラ満塁優勝決定ホームランを打った翌日、
阪神からトレードされた北川は、不振だった阪神時代、ファンから厳しい野次や車を傷つけられる等の嫌がらせを受けながらも
それで発奮した成果だという記事もありました。
本当にそうなんか?
私は、今の状況で選手の車を傷つけたりフィールドにモノを投げ入れたりしても、ただ自分らが責められる隙を与えるだけだと思います。
今のオリックスをガマンできずに見たくなければ、勝手に見なければいいだけのことですよね~。

「前・・見えへん」
そして、応援ボイコットとされた翌日の2009年5月17日。
今はトレードでロッテにいる光原が渾身の投球で10連敗を阻止し、4年ぶりの勝利を掴むとともにチームが長いトンネルから脱出したものです。
あのときはチームも応援席もただ1つの勝利に喜んだものですが、応援ボイコットをしてたらその和に入れないですよね~。
しかし、その喜びはいつ来るのだ?
明日の対杉内ではないかもしれないが、意外に杉内には2009年でも勝ってたので、多少期待しときます。
そんな状況でも、オリックスの観戦を楽しみにしているのは、5月25日から始まる「阪急ブレーブス」の復刻試合。
当時9歳の私が、親にねだって初めてプロ野球を球場に連れて行ってもらって見に行ったのが1988年8月の西宮球場、
阪急-西武戦。先発投手は山田久志と東尾修(リコパパ)。
序盤にウイリアムスと藤田がソロホームランを打つも、中盤以降に西武の猛攻に遭い逆転負けを喫したものでした。

巨人のクロマティのバッティングフォームは、
ウイリアムスのマネやと思ってたわ。
そんな試合でしたが、球場から帰る時に見知らぬお兄さんから「ボク、これあげるわ」と言われ、
頂いたものが阪急ブレーブスの応援旗。
その翌年には阪急球団はオリエント・リースに売却。
その後、阪神大震災もあり、実家の建替えなどで何度か引越しをしてるうちに、
応接間に飾られていた阪急の応援旗もいつの間にか処分されなくなっていました。
家のどっかに保管されているものだと思っていたのですが、
自分自身で管理していなかったわけで、親を責めるわけにもいかず仕方ないと諦めていました。
それが・・

今回の復刻試合の記念グッズとして、
あの当時の旗が売られていました。
神戸の人間にとっては、震災前と震災後で人生が分断されているところがあるのですが、
20数年の歳月を経て、震災前のモノに再び巡り合えたことに、ちょっとした幸せを感じたりしています。
(それは今の東北の方も同じかもしれません)
去年の70年代シリーズでのグッズは、まだ自分は生まれていない時代だったものですので、
今回の80年代の阪急ブレーブスこそが、私にとってのプロ野球の原点でもあり、震災前の自分でもあります。

ウイリアムズ・福良・ブーマー・松永・石嶺・藤井・熊野・藤田・弓岡・山沖・・・
地味で今よりもっと知名度はなくて、球場に人もいなかったけど、面白くて強いチームでした。
ということで、現在苦悩中の後継球団オリックス・バファローズには、
原点に立ち返って、選手も首脳陣も頑張っていただきたいと思ってます。
トンネル脱出記念日には、一緒に喜ぶのだ。
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
なんだか、ピッチャーは防御率1,2位を独占しながらも打線が機能せずにダントツの最下位だった
2002年のつまらない試合を見ているようです。
(かといって、ボロカスに打たれまくった2003~2004年よりマシ?)
そして、ちょうど3年前の2009年5月16日。
オリックスがまたもボロカスに打たれて9連敗を喫したものの、最後までファンが大きな声援を送っていました。
特に最終回の攻撃は、せめてもの1点でも返してくれという願いを込めて、鳴り物なしで応援団主導のもと、声のみの応援。
このときは弱小オリックスの数少ないファンの声がドーム中に響き渡っていました。
それが翌日のスポーツ新聞の各紙は「オリックスファンが応援ボイコット!」との見出しで、
とにかくファンもチームを見放したという記事が書かれていました。
2009年5月17日のスポニチ記事。
(共同通信記事だったので、全スポーツ紙が見出しは異なるも同じ内容でした)
それ以来、現地のファンもネット上でもオリックスファンは随分叩かれたもんです。応援してたのに。
対して、かつて2001年に近鉄北川がオリックス大久保から代打サヨナラ満塁優勝決定ホームランを打った翌日、
阪神からトレードされた北川は、不振だった阪神時代、ファンから厳しい野次や車を傷つけられる等の嫌がらせを受けながらも
それで発奮した成果だという記事もありました。
本当にそうなんか?
私は、今の状況で選手の車を傷つけたりフィールドにモノを投げ入れたりしても、ただ自分らが責められる隙を与えるだけだと思います。
今のオリックスをガマンできずに見たくなければ、勝手に見なければいいだけのことですよね~。

「前・・見えへん」
そして、応援ボイコットとされた翌日の2009年5月17日。
今はトレードでロッテにいる光原が渾身の投球で10連敗を阻止し、4年ぶりの勝利を掴むとともにチームが長いトンネルから脱出したものです。
あのときはチームも応援席もただ1つの勝利に喜んだものですが、応援ボイコットをしてたらその和に入れないですよね~。
しかし、その喜びはいつ来るのだ?
明日の対杉内ではないかもしれないが、意外に杉内には2009年でも勝ってたので、多少期待しときます。
そんな状況でも、オリックスの観戦を楽しみにしているのは、5月25日から始まる「阪急ブレーブス」の復刻試合。
当時9歳の私が、親にねだって初めてプロ野球を球場に連れて行ってもらって見に行ったのが1988年8月の西宮球場、
阪急-西武戦。先発投手は山田久志と東尾修(リコパパ)。
序盤にウイリアムスと藤田がソロホームランを打つも、中盤以降に西武の猛攻に遭い逆転負けを喫したものでした。

巨人のクロマティのバッティングフォームは、
ウイリアムスのマネやと思ってたわ。
そんな試合でしたが、球場から帰る時に見知らぬお兄さんから「ボク、これあげるわ」と言われ、
頂いたものが阪急ブレーブスの応援旗。
その翌年には阪急球団はオリエント・リースに売却。
その後、阪神大震災もあり、実家の建替えなどで何度か引越しをしてるうちに、
応接間に飾られていた阪急の応援旗もいつの間にか処分されなくなっていました。
家のどっかに保管されているものだと思っていたのですが、
自分自身で管理していなかったわけで、親を責めるわけにもいかず仕方ないと諦めていました。
それが・・

今回の復刻試合の記念グッズとして、
あの当時の旗が売られていました。
神戸の人間にとっては、震災前と震災後で人生が分断されているところがあるのですが、
20数年の歳月を経て、震災前のモノに再び巡り合えたことに、ちょっとした幸せを感じたりしています。
(それは今の東北の方も同じかもしれません)
去年の70年代シリーズでのグッズは、まだ自分は生まれていない時代だったものですので、
今回の80年代の阪急ブレーブスこそが、私にとってのプロ野球の原点でもあり、震災前の自分でもあります。

ウイリアムズ・福良・ブーマー・松永・石嶺・藤井・熊野・藤田・弓岡・山沖・・・
地味で今よりもっと知名度はなくて、球場に人もいなかったけど、面白くて強いチームでした。
ということで、現在苦悩中の後継球団オリックス・バファローズには、
原点に立ち返って、選手も首脳陣も頑張っていただきたいと思ってます。
トンネル脱出記念日には、一緒に喜ぶのだ。


お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
オリックスとなった今もそのような選手がたくさん現れることを期待します。
最悪の状態が続きますね。
毎日本当に精神的に辛いですが、いい時もきっと来ると思いますし、一緒に頑張って応援しましょう。
来週末の復刻試合もちろん行きます。
いいきっかけになって欲しいですね。