2006年12月、
北の果てのなんちゃらの島(今だに土地名を覚えていないらしい私・・・)から、
日本最西端の志木那島まで、はるばる来たで三上くん。
しかしいくら北国からやって来たとはいえ、南国の島でも
律儀にカチッとネクタイ、更にご丁寧にウールのベストまで
着用している三上くん。
見ているだけであっちぃ~ぞぉ~。
もしかしてその格好の理由は、
ある日突然、憧れのコトー先生から、
「三上先生、ボクの診療所を少しの間手伝ってもらえませんか?」
などという依頼電話を受けて浮かれっ子になってしまい、
電話を切った直後に、着の身着のまま荷物も持たずに、
ビュンビュン丸の如く、空港へ突っ走ってしまったのかもしれない。
いや、そんなアホな・・・。
しかし、君の島は確かその頃、
トドもしばれる大寒の季節だと思ったのですが、
ご自分の診療所は大丈夫だったのですか、三上先生?
いや、
すべてはコトー先生のためであります。
泣けるぜ、三上くんよ。
まるで忠犬ハチ公のようだ。
コトー先生ベストシーンin2006を挙げるとしたら
どこですか?
と聞かれれば、多分、私は、
一生このブログを書き続けても書き切らないほどの
ぶっちぎりハイホ~になってしまうのは
火を見るより明らかなのでありますが、
涙をのんでこぶしを固めておっふくろさぁんよぉ~、(←なぜそうなるっ?)
で一つだけ選ぶとしたら、それは、最終話での、
「五島&三上 屋上劇場」でありますだ。
いや、これは厳密に書くと、
「五島健助・屋上劇場 その他三上」
なのかもしれんですばい。
すんません、三上くん。
この時の五島君は・・・・・・いや吉岡くんは、いやコトー先生は、
えぇいまとめて一つだ、五吉コくんは、
限りなく空に近かった・・・・。
と思うのですだ、おっふくろさぁんよぉ~。
この時の彼は、
どこまでもどこまでも果てしなく澄みきっている空のようで、
そこからどこからともなく、サ~っとやさしく髪を和いで
吹いていくような、やわらかなそよ風のようでもあり、
そして木漏れ日から差し込んで地上にやわらぐ日の光のようでもあり、
それはとても優しく強く、同時に、どこまでも果てしなく透明であり、
そして悲しいほど「遠くへ向かっていく」感じ。
美しいっす。
存在自体が、すごく美しい。
「医師であることの、意味を、問い続けることを・・・、
放棄しては(~)いけないと思っています。」
とゆっくりと、自分自身に言い聞かせるようにも言ったあと、
サヤ~、
っと海のほうに顔を向ける仕種なんて、
ナイーブ固め一本勝ちだっ、吉岡くん!
そのあと三上先生の方に、
すっ、
と顔を向ける顔とか・・・・、
「ありがとうございます」の言葉に、これまた
フッ、
と少しだけ息を抜いて困ったように照れて微笑む顔がぁ・・・・・・・・・・
おっふくろさぁ~ん、あちしはどうしたらええのですか?
そしてその後、
三上くんに手を差し出して握手するその一連のチミのお姿、表情ときたら、
切なさヘビー級世界チャンピオンでロッキーもノックアウトだよぉっ、
吉岡く~~~んっ!
まさに「語りかける無言の表情」でありましただ。
同じ医師である三上くんに対する連帯感、
そしてそこへ三上くんを導いてしまったことに対する憂愁、
しかし確かに感じられる離島医師としての新たな決意と成長・・・
などなど書けばエンドレスのエトセトラ・・・。(←って全部書かんかいっ!)
ここでの吉岡くん、なにがすごいって、
その全身から放散されている最終話オーラ。
このシーンの撮影が行われたのは、
大学病院や、クランクアップの鳴海くん宅での撮影の前。
しかしもちろん屋上場面でのチミの表情は、
一山超えて一山成長した五島健助そのもの。
フッ、
さすがじゃ、吉岡くん。
降参じゃよ、いつもの如く。
よくありがちな、雰囲気で押し通しちゃう変化、
ってぇな演技はじぇ~ったいしないのだぁっ、チミってばぁ。
自分の奥底から沸々と生み出していく成長の変化を全身表現、
って感じなのです、ト~~~~~~~~~~~レビア~~ンッ!
「人として、生きていくこと」
という存在感を、あるがのままに、
美しく切なくその全身から放散している吉岡くん。
だからこそ、この場面での五島くんは、
ここからまた始まるんだよ、つ・づ・く、
という「人物余韻」を人の心に残せているのだと思われ。
吉岡くんの演技を見ていてよく思うのでありますが、
彼の演技って、とっても立体的でありますだ。
例えば、キャンバス上に、とても上手にその人物像を、
見える部分だけ描いていく、というのではなくて、
もっとこう、粘土でその人物像を多角面から形作っていく、
っていう感じがするであります。
だから彼の作り出す人物は、
とても奥が深くてリアルであり、
そして切なく美しい。
そうなのです。
チミの美しさは、とても切ねぃであります。
君から感じるその美しさ切なさは、
人が年を重ねていく毎に、世間体という壁を
高く構築していってしまうのに従って、少しずつ、
その壁の外に置いてきぼりにしてしまうピュアな感情たちを、
もしかしたら、吉岡くんという人は、今でもしっかりと
その心に持ち続けている雲心月性な心の持ち主なのではないだろうか?
と思わせるその存在感にあるのかもしれないでありますだ。
ピュアなものはいずれは消えてなくなってしまう、
という、自分の持つ刹那的な諦念みたいなものが、
今は大人とよばれる年齢に成長した彼から、
未だに静かに発散され続けているピュアな空気感に
触れることによって融和され、
あぁ切ない美しさだなぁ・・・・
と感じるのかもしれねぃであります。
そしてその彼の美しさは、
夏の終わりを告げる澄みきった空みたいな感じであるわけで・・・。
美しいのぉ・・・・ほんまに、チミって人は・・・。