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月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

冬便り

2010年12月16日 | 思うコト




ふと頁を開くと、
その人は茶色だった。

吉岡君は、
茶色だった。

それはとても茶色であり、
しかしカメレオンのような役者さんであるから、
その部屋に入るまで彼の上着は、
クーピー1260色だったかもしれず。

されどそこにいるのは茶色の君。
茶色。
すごく茶色。
ものすごく茶色。
茶色なんだよ。
ああ茶色だ。
気付けば茶色な歳末だね。
というくらいに茶色。
だから思わず、
「あ、ちゃ~!」
と呼びかけてしまった。
寒かったわ。

もちろん吉岡君からの反応は何もなく、
ただ凛然とした横顔を見せたまま、
うふ、
茶色。

かっこええやんか、
吉岡君よ、
かっこええぞう、
ほらほら見て見てもうあの背中がぁ・・・
高倉健さんにも劣らぬくらいの、
茶色なのだ。(←しつこい)

ということでいきなり公式サイトにお出ましになった、
ブラウン吉岡殿。
なんだか男性剃刀のブランド名みたいな響きでありますが、
だってだってだってあの横顔から首のラインときたらぁ・・・・・
切れ味二枚刃っ!
剃り残しなし。
ってなくらいなシャープさであってよ。そしてそこから、
流れ込むような曲線を描いていく広い背中と・・・・
それを支える長い左腕・・・・・ついでに耳まで出ていたりする。
来年の干支にちなんでの耳出しなのだろうか・・・う~む・・・なんというか、



きっとあの麗しの姿に向かって、
「ちょっとあともう左斜め28度でこっちを向いてなのよブラウニ~!」
と嘆願申請してしまったのは何も私だけではあるまい。少なく見積もっても
関東甲信越内で9488.5人、四捨五入すると繰上げで9489人くらいはいるはずだ。
くはぁ~吉岡くんったら出てくるたびにかっこよさ増量キャンペーン中じゃないかぁ、
もれなくハートが飛び出てしまうのだこっちときたら、まったくチミって人は、
吉岡という表札を持った惚れさせ星出身の惚れ惚れ君なのですか?
はぁ~~~~~~まったくねぇ、一体どうしてくれるのでしかあの、

香り立つ男の品格。

そこにあり。

といった姿は。
惚れちまうじゃないかぁ。
まいったね。



吉岡君という人には、
とても独特な香りが漂っていて、
それはこの人が備える、
品格と色気の諧調によって、
その佇まい全体に、
自然と醸し出されてくるものなのかもしれないですねぃ。
フ。
そうさそうさそうなんだよ、おやっさん。
男の香りはむんむかむんむんコンビニの蒸し饅頭みたいに
押し出し放散すればいいってもんじゃあ、
ありませんぜぃ。

男の香りというものは“醸し出されてしまう”ということに、
色気があるのだ。
そこはかとない漂いの色気は、
男の品格でもあるわけで。

何と言いますかこう、
いいかい男ってやつはさ、
その生き様その歩みで香りが決まるんだぜ。
吉岡君から放たれる香りは、

ストイックに、

静謐。

森に都会に自浄するように立ちこめていく、
朝霧のような香りを持つ人でありますだ。


彼は雑じり気のない美しさを、
奇跡的に保ち続けている人なのかもしれなくて、
「美しい」ということが、
言葉の範疇によって浮き出されてくるのではなく、
その心骨に明鏡止水と存在しているのかもしれない。
と感じさせる人なわけであり、嗚呼吉岡くん、
もなむ~る。
たまらんぜぃ。




こうして彼の姿を見る毎に思うのでありますが、
吉岡君のいる景色は、
いつも風景画。
風景の中に、彼はいつもいる。
決してそれを人物画にはしない人であって。

添え木のように自然へと溶け込んで、
周囲の景色を透きながら、
雑音を洗い流すようにして、
すっと風景に回帰してしまう。

吉岡君は、
そんな風に、
素敵でいられる人。


たった一枚の写真だけれど、
そこに切り取られた風景の中へと、
多様な想いを織り込ませてくれる人であり、
あなたのファンでいてよかったと、
吉岡君はいつも信じさせてくれる。

信じるということの強さを、
その姿からいつも肯定してくれる。

吉岡君は、
そんな人。

吉岡君は、
ずっとそんな人だ。
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夕空模様

2010年09月22日 | 思うコト

念願だった祖国に帰りもうして約2ヶ月。
一体いつから日本は、
サバナ気候に変化してしまったのだろう?
もしや赤道が名古屋あたりに移行してしまったのか?
なんなのでしかこの、
「サウナだよ、全員集合~!」
みたいな暑さは?! あたしゃ蒸し蒸しまんじゅうですかっ?
ケッペンさんだってびっくりずらよ。
だいぶ涼しくなったとはいえど、九月の下旬だというのに、
「暑さの56連勝新記録、ごっつぁんですっ!」
ってなどすこい気合のはいった暑さっぷり。ふぃ~やれやれまったくもって、
あいも変わらずの夏日でございまする。
そして変わらずといえば、
自宅にやっとPCケーブルが繫がって、
放たれた闘牛の如し一目散の勢いで行ってみたところの、
ザ・吉岡君の公式サイト。
潔いほどの模様替えなし、ザ・横綱級でございます。
Newsページでの吉岡殿はお馬さんにのったまま。
吉岡君・・・・・・・・・・・・・・・それはいくらなんでも・・・・・・・、
凛々しいぞう。
キリっと周囲の空気ごと引き締まっている武者姿。
内外脂肪分ゼロ体質とはこのことさ、
んふ、
んふふ、
んふふふ、
んもうっ、
かっこいいじゃないかぁっ、
吉岡くぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んっ、

好きっ

でも数ヶ月まえと同じ写真だったりする。
好きっのリサイクル活用なのだ、
さすがのエコ。 キラン
いやでもまてよ、
細部にまで隠し技を効かせる吉岡君のことだ、
もしかしたらあの写真のお馬さんは実は今月、
茨城産のニンジンをくわえているのかもしれない。
先月は食前で無ニンジン、またはチョーヤの梅酒を飲んだ後であり、
来月は食後の一服のタバコをくわえているかもしれないわけで。と思いきや
食欲の秋なのでおかわりして栃木産のニンジンを食しているかもしれない。
あなどれないのだ、ヒヒン。さすがだよう、吉岡君、芸が細か・・・・・おや、こりは?
ええええええっ、なんなのなんなのなんなのでしかこれはっ、

「Mi/Do/Ri ~緑遊のすすめ」

(・◇・ )

 

すすめられてしまった。
吉岡君に。
なんてことなの、吉岡くん、そうなのね、そうなのですね、そうというならその薦め、
秋刀魚の開きになった気分で全面的に受けてたとうではないかっ!!!(←何やつ?)
しかしこり→「緑遊」は、一体なんと読むのでしよう? りょくゆう? 
はたまた、みどりゆう? みどゆう? みどあそ? りょくあそ? ろくゆ? 
みどゆ? キミの飲むお茶、きみのえん? あ、ちょっとちがった。っていうか、
話がずれちゃったわ、とにかくっ、
吉岡君の声が毎週聴けるのだ~~~~~、
しかも日曜日にぃ~~~~っ、
そんなのはもう、
はぁ~んはぁ~んはぁ~んびゅりほ~さ~んで~♪
って田中星児さんじゃなくったって白いパンタロン姿でスィング手拍子しながら唄っちゃうよっ!!!

日曜日
幸せじゃないか
休みだし

喜びの余り久々に一句詠んでしまった。
はぁ~~~吉岡くんの声・・・・吉岡君の・・・・・吉岡くぅ~~~~ん・・・・・
秋雨の日だってふわっと心はやわらか仕上げ♪
って高性能布団乾燥機みたいなキャッチフレーズになっちゃったけど、とにもかくにも
あのふわりと光の束の角度を変えながらやさしく心を包み込んでくれる陽だまり声が・・・・・
聴けるのだ。
しかも抽選ではなく毎週もれなく全員に。い、い、
いやったぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いっ!!!!
おいどんがなにをやりもうしたわけではなかとですが気分は、

グッ

週末ほがらかプレゼント実施中♪
って感じの幸せ大放出キャンペーンであってよ、さいっこぉ~だぁ~、むはーっ こうなったらあたくし、
笠ではなくダンボ耳を設置した地蔵のようにテレビの前に陣取って
名曲アルバムにも匹敵する美しい吉岡旋律を一言たりとも
聴き逃さなくってよっ!!! 
放送開始日を念入りにチェックしておかなくっちゃだわっ、
ほほうっ、
なりほどっ、
そうですかっ、
放送は九月十二日からなのですねっ、
ということはっ、
あ、
聞き逃しちゃったわ。
しかも初回を。
というより何回分も。

(・◇・ )

 

なんて遊泳一時停止したフグみたいに凍結している場合じゃなくってよ、なんてことなのぉ~
もれなく全員プレゼントからもれてしまったじゃないかぁ、
そりゃあ・・・・・そりゃぁ・・・・・ないじゃないかぁ・・・・んもう、んもう、うがあっ、
NHKの受信料恩知らず~~~~~~っ!!!(←一般的に云う八つ当たりというものらしい)
もう泣いちゃうぞう、ぶひぃ、あ、でもちょっとまって、そうだ再放送があるじゃないかっ、おおっ、
NHK受信料バンザ~~~~~~~~~~~~~~~~~イッ!!!
ってうちにはテレビがないのだったっ!



ひゅ~~~~~~~~~~~っと秋風、昭和のにほい。。。ああもう、
\(*T▽T*)/ アハアハアハハーーーーーーーーーー!
哀しみを通り越して笑っちゃうぞうっ、はぁ~~~~、
日本に帰ってきてもあたすのあほうは治らなかった・・・。
もうイヤ。。。よりにもよって、
テレビがないだなんて・・・・・
茶川さんちですか、我が家は?
いや茶川さんちになら住みたいわよ、住めるもんならずっと一日中店番じゃなくて
茶川番の内職するわ、あたし、時給なんていらなくてよ、年間茶川鑑賞券で十分ですの、うふ、でも、
それは茶川さんがいる茶川さんちだから、うふ、ってなるのであって、
茶川さんがいない茶川さんちなんてただのテレビがない茶川さんちじゃないかっ、
それはスカってもんですぜい、旦那!!!(←理不尽に壊れてしまったらしい・・・)
そういえば新しい自宅の住所は三丁目であったりするのだった・・・・・・・・・・・うふ(←なんとなくうふ復活)
なんてなことを思いめぐらせながら見つめた窓の外に、
ふと夕日。
三丁目に夕日が広がっておりました。
そうだぁ、そうだよう、どんなにどすこいな日であっても、
その終わりにはそこに夕日があるわけでありそうなのであるから、
それでもういいのだ。



西空を茜に染めながら、
知らない土地の誰かに次の朝日を届けにいく陽の光。

見つめるその地点から、
いつもそこにいてくれる、
光の美しさ、
そして逞しさ。

ふいに浮かぶそんな想いの行方は、
ふと吉岡君へと環流していくわけで。

巡る想いを馳せるたびに、
ほっと安心させてくれるその立ち姿。

押されず、
引かれず、
流されず。

自分の立つその場所から、
力強い素志を保っている、
存在の美しさ、
そして逞しさ。

素晴らしかですばい。。。


吉岡君は、
どんな夕空模様を眺めているのかな・・・。
コメント (8)
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2010年02月10日 | 思うコト


言い訳に聴こえるかもしれないのでおそらく言い訳なのだと思うのですが、
長い間海外で暮らしておりますと、日本の四季折々の行事などには
とんと疎くなってしまうという、久保田早紀さんに歌わせるところの、
悲しみをもてあます異邦人でありまする。つい先日も、
こちらに在住の日本人の友達からの電話で、
「ねぇ、今年は節分する?」とふいに尋ねられて、
「え、セツブン? それはもしや新種のカナブン?」
と言い返してあやうく電話を切られてしまいそうになってしまった
誰にいわせることもなくあほうな異邦人であります。
いかんいかんよ、
あほうはもう治らないかもしれないけれど、
しかしやはりどこに住んでいても
大和撫子魂は持ち続けていないとね。
ということで、
友達との電話をきった後でさっそく豆撒きをすることに決定。
よぉ~しっ、気合入れて豆まくぞうっ!!!
なんてたって気合だけで今まで生きてきたあたしなのだ、
鬼だって気合で退治してくれるぅっ、さぁ~いくわよっ、
鬼は~~~~~~~~~~~~~そ、
あ、
しまったぁあああ~~~~!!!!

豆がなかったわ。

あたくしとしたことが・・・・不覚でござんす・・・・・う~~~む、
どないしよー。
まく豆がなかったら鬼退治できなくってよ、んもうっ。
まさか豆といっても丸大豆醤油の瓶を庭にぶちまけるわけにもいくまい。
というかそれはただ名前の一部が、
「やぁ大豆です!」
って出生の秘密を打ち明けているだけなのであった。
ならば納豆ではどうだろう?
ちょっと発酵しているけど大豆だし、
固形だからつかめるし、
手のひらにぴったりくっつくし、
でもいざまいた時に、
鬼は~~~~~~~~そとぅわねばり~~~~~ん・・・だろ~ん・・・
ってなって歯切れがよくなくて鬼だって出て行く張り合いに欠けちゃうと思う。
鬼くんだって別れ際くらい爽やかに去って行きたいに違いないのだ、
何事も去り際って肝心よね♪ お、そうだ、それならば(←って何が?)
M&Mのチョコレートでカラフルに見送ってあげよう。
丸くて小粒だし、見ようによっては派手な大豆くんって感じでアメリカンだし、
中には甘党の鬼だっているかもしれなくってよ、それに私だって、
年の数だけ19粒チョコが食べれるしね、うっふ~。(←時々記憶障害をおこすらしい)
ささ、チョコらしき豆(←明らかにチョコです)もあるし、
さぁ今度こそいくわよっ、いよぉ~~~~~うっ、

鬼は~~~~~そと~~~~~

福は~~~~~~~~~~~~う、

ピンポーン♪

と玄関のチャイムが。
だぁ~~~~~っ、もう誰なのぉっ、
福を呼んでいる最中に邪魔をする不届き者はっ?!
とプンスカしながら玄関の戸を開けると、
そこには日本からの宅急便が。
箱にはアマゾンJPの文字。
ふむ、はて、こりは?
って、
ひぃやぁああああああああああああっ、

キネ旬だわ。

おおっ、神よっ、
マッハの速度で福到来っ!!!
時代はどこもスピード化してるのね。
ありがたや~、待ちに待っていたキネ旬がぁ。。。。
うぅ、おいどんはなにもせんとですがなんだか気分は
やりもうしたっ!!!
いえい。

ということでありまして手に取ったキネ旬。
ドキドキしながらページを捲ってみて、おわぁっ、よ、よ、よ、よ、
吉岡くんがぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
いる。
ってそりゃぁ~そうなのよ、だから購入したのよっ、はいはいはいはいもう
ちゃんと落ち着いて見ないとであってよっ! ページ開いてっ、チラ、
っ、ふぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
いたりする。

ダメだぁ・・・・また血圧が上300下299まであがってしまった・・・。

どうしていつもこんなにドキドキしちゃうのだろう。。。
でもこれが恋心ってやつなのよね、吉岡くん・・・きゅぃ
しょうがないから気持ちが落ち着くまで部屋の掃除をして、
川に洗濯に行き、山へ芝刈りをして、鬼退治は済んだし、あとは
桃太郎の学費の準備を・・・ってそんなんじゃないのだった・・・。
きちんと吉岡君の写真と対峙しなくちゃであってよ、そうだ、
なんてたって人生は、愛と勇気と気合なのだ、それでいいのだ。
ということで再びページを開いて、おおっ、すばらしいっ、なんとも
美味しそうなカレー。印度カレーかしらん? それともジャワ?
って反対のページ見てどうすんのおっ!!!
なんてなことをほぼ半日繰り返した挙句に、やっとこさ拝見できた
吉岡くんのお姿。

なんか渋い。。。。

うっすらと伸びたお髭のせい?
いやそれだけじゃないぞう。
なんかもう全体的に、

渋いぞな、吉岡殿。

洋装だけど、
なんだか、どことなく、武士っぽい。
というか、
武士の精神の雰囲気がする。
それは吉備真備を演じていた最中だからなのかな・・・。
でももっとなんというか、
武士道の精神っぽい・・・。
身体はカメラのすぐ前に立っているのだけれど、
でも心は凛として一定の遠距離をレンズへと保っているというか・・・、
己を主張することなく己でいる、というか・・・、
かっこええ。
渋し、吉岡っ、
極上だぁ~!

今回の写真を見て、更に頭の上でファンファーレが鳴ってしまったのが、
その立ち姿・・・・。
吉岡君が両手をズボンのポケットに入れている、
という姿勢が昔からものごっつう好きでありまして、
とても細身な体躯なのだけれど、
だけど肩幅がしっかりとしていて広い、
というそりゃぁ~もうブラボーな体型が、
その立ち姿でいっそう強調されるというか、
とにかくもうその姿を文学的に表現いたしますると、
す・て・き。
んはっ となりまして大いにクラッ、
でありまする。
それに服~~~~~~~~~~っ!!!
このチョイスはもう、
ちょっと間違ったら、
紫な気分のルパン三世となりかねない。
しかしさらりんと着こなしてしまうのだ、はぁ吉岡君ったら
さすがのレインボーマン、とれびあ~~~~~んっ!!!
無敵じゃ。
紫は人を選んでそこから個別色を発光するのだ、吉岡君の紫は、
気品。
たまらんぜ、吉岡、って何度も呼び捨てにしちゃったわ、ふふ。(←なにやつ?)

しかしその姿もさることながら、
今回のインタビューでの彼の言葉を読んで、
さらに惚れ直してしまったでありもうす。
いつものことだけど。。。

吉岡君のインタビューを読んだり聴いたりするたびに思うのが、
どうしてこの人の世界はこんなにも素直なんだろう、
ということでありまするだ。

その目、眼差しが、心のまっすぐ中心から開いている、
という感想をいつも受けるとです。

そして逞しい。
その魂のありようが、
とても逞しいと思うとです。

演じるにあたって、しいては生きることに対して、
悩んで悩んで悩みまくるのだろうけれど、
けれども吉岡君はそれを試金石として
いつでも己の原点に戻れる、白紙になれる強さがある。
それはすなわち常に真新しい勝負に真っ向から立ち向かえるという
潔い逞しさがあるのだと思うです。

一つの作品に出る。
それは一つの勝負に出るということで、
まったくのゼロからの始まりであり、
例えばその前の作品でどんなに高評価をとったとしても
それはその時の勝利の喜びであり評価なのであって、
次の仕事の結果には実際には関係してこないわけで、
だからその都度やってくる好結果は、
「これからの」自分に自信を与え、後押ししてくれる力とはなっても、
それは自分のあぐらの下に積んでいく賞賛として、
山田君に座布団を重ねてもらうことではないと思うわけで。
埃と誇りは溜めすぎてはいけないものですよねい。

でも誰だって座布団を重ねてもらうのは嬉しいですだ。
ふかふかして暖かいし、重ねた上に座る座布団からの視界は高く、
そしてなにより足元がやわらかい。
だからもっともっと座布団が欲しくなる。
しかし直にあぐらをかいているのは積み重ねられた布団の上であって、
しっかりと踏み固められた大地の上に直に立っているのではないわけで。
自分は一体どこに立っているのか、
どこに立つべきなのか、
そこから何を見つめるべきなのか、
何を見出すべきなのか、
生きていく、ということは、
一体何を意味しているのか。
吉岡君は、その立ち位置を、その先に広がる視界を、
しっかりと自然に認識できる人なのかもしれないですだ。

かっこいいとか、素敵とかって、
自分の既成の理想にあてはまっているような人だからそう思うのではなくて、
生き方に触れ、その言動を見続けていくうちにこれが理想なのだと気付いていく、
その旬の瞬間に感じとる姿こそが、まさにかっこよいのだと思うわけであり、
そして素敵なのだと思うですばい。

吉岡君は、常に旬の人。

べらぼうに、
かっこええ。
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ご挨拶

2009年12月26日 | 思うコト




寒さも厳しい季節となりましたが、
皆様お元気でお過ごしでしょうか。

いつもこのブログを訪ねてくださいまして
ありがとうございます。
皆様に読んで頂ける事が嬉しく大きな励みとなり、
今年も一年、私なりの思いを書き綴っていくことができました。
皆様には感謝の思いでいっぱいです。
本当にありがとうございました。


これから三週間ほど日本に帰ります。
その間、しばらくブログはお休みします。

更新がままならないブログではありますが、
これからも私なりの想いを綴っていけたらと思っております。
来年もまた遊びに来ていただけましたらとても幸いです。


これから寒さも一段と厳しくなっていくことと思いますが、
皆様どうぞお身体にはお気をつけて、
お元気で新しい年をお迎えください。


明年も皆様にとって
幸多き素晴らしい年となりますように。


心からの感謝を込めて。


                      
風子


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冬の灯り

2009年12月17日 | 思うコト



年の瀬でございますねぃ。

日々忙しゅうございまするが、
あっちゃ~いったりこっちゃ~いったりと
そこかしこでテンテコの舞を踊りながら
ああ忙しい忙しい忙しい忙しいと
言葉は空回りの回転木馬でございまして、
ばあさんや年越しの用意はできたかね、
あいよじいさん藁傘を売ってきておくれでないかい
餅が必要じゃけんねなどと全く一体何に忙しいのやら
ついつい忘れてしまくらいに忙しい季節でありもうす。
ふぃ~やれやれ。

しかしそんな忙しさの中でも忘れてはいけないことが一つ。
そりはもちろん、
ゴールデンスランバーの試写会のゴールデンチケットゲット!

大掃除をするのは恣意的に忘れても
この申し込みは忘れないのであってよ、ンフフフ、
気分はもうすっかりゴールデンサンシャインなのだ、
ささ、さっそく試写会の日程をチェックしなくっちゃだわね、
と覗いてみた映画公式サイト。
ありんした、ありんした、試写会情報、
やっほぉ~うっ~ほ~とらんらんらん♪
出ましたよう、試写会の日程!
なになに、東京での日にちは、ぇええええええっ、
三回もあるですわよっ、ちょっとちょっとどうしましょう、
ほらほらほら、1月21日、22日、23日とな。
ほう。

ってあたしゃ18日にロスに帰るのよう、おおマドモゼ~ル!!!

日程を見た途端、公式サイトに載っている堺さんと同じ顔をしてしまった。
そ、そりゃぁ・・・ないじゃないか、レイちゃん・・・、ん?
ちょっと待って、
もう一社提供の試写会もあったわ、ふぃぃぃぃ、よかったぁ、
こっちの日にちは、きぃやぁあああ~っ、あるわ、あるわよ、15日にぃっ、
さっそく応募しなくちゃだわよっ、応募用ボタンをクリ~~~~~~ックっ!

って携帯からだけのアクセスだった。

もう・・・こっちからは応募できないぢゃないかあぁぁぁぁぁぁ泣いちゃうぞう、
ぶひぃっ。

せっかく、せっかく、やっとやっと念願だった銀幕の吉岡君を観れると思って
謹賀新年の喜びも翳んじゃうくらいに日々心待ちにしていたのにぃ・・・・・。
きっとこういうのを縁がな・・・・・・・な、な、な・・・・・・・・・・な、
ナハナハナハ。(←ネガティブな気持ちを打ち消したらしい)

いやまだ望みはあるかもしれないぞうっ、
希望を入れるバッグの大きさにサイズ規定はないのだ。
希望は毎朝リニューアルするしね、んふ。
と気持ちも新たになった朝、お友達からメールを頂き、
なんと、
ゴールデンスランバーの冒頭部分、しかも殆ど吉岡君の映像が観れますよ、
とのご一報が。

 

ありがたやです~~~~~~~!!!

もうそのまま顔を洗わず急いで公式に行ってみたら、
「特別映像配信中 クリック!」のお知らせマークが。
ええ、ええ、何度でもいたしますわよ、クリッククリックらんらんらん♪
いようっ、クリ~~~~~~~~ック、となっ、
ポンっ!

【日本国外からは映像を視聴できません。】

(・◇・ )

こんなんでました。

アハアハアハ~♪ (←悲しすぎると笑ってしまう体質らしい)
アハハハハ~~~~~~~フラ~~~~~~~~、
バタ。

風化されたモアイ像となって背面に倒れてしまったとです。うぅ、
特別映像も観れないなんてぇ・・・そんなぁ・・・・そんなぁ・・・・
こんな状態は二宮金次郎さんだって背中の薪を放り出して自棄酒しちゃうぞう!
ショックすぎる・・・・。
泣いても泣ききれないずらよ・・・・。
森田く~ん・・・・、

あの渾沌とした沼を心の奥深くに沈めこんでいるような森田君・・・、

ヒリヒリとした緊張感を、薄い皮膚の下ぎりぎりに
ひた隠しているような森田君・・・、

離れた距離からじっと群れを静観している
孤独な狼のような森田君・・・、

会いたかったよう、スクリーンで・・・・・。

悲しい・・・・。悲しすぎる・・・。
悲しすぎて悲しみの樽付けになってしまった・・・・
いや、
いかんいかん、
悲しみは引き摺るものではなく、
肩をたたきあって共に歩んでいくものであるからして、
元気をださねば。
「悲しみよ、こんにちはっす!」ってサガンもいってたしね、
と思っていたら、折り返しお友達からメールがあって、
「配信は1月6日までありますよ」との励ましのメールが。

(・◇・ )

おお、じゅてぇ~む!
はぁ~もうはっぴぃ~だわぁ~~~~っ、
って恋心もジェットコースターのように忙しい年の瀬でございます。
すんません、
毎度お騒がせしております。



なにはともあれどんな形であっても、
吉岡くんの頑張る姿がひと目でも見れれば、
吉岡君がどこかで頑張っているのだと思えば、
即ちそれは私の元気の素であり、心の灯台なのであった。


大好きだようっ、吉岡く~~~~~ん!!!


ようし、また明日もがんばるぞう。








お友達さん、本当にありがとうございました。
お心遣い、とても嬉しかったです。


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翌檜

2009年10月01日 | 思うコト





おや?

という間に10月になっております。

秋深まる季節でございますねぃ。

秋といえば恒例満男くん家出の季節でございますが、
名月の季節でもございまする。


夜ごと冴えゆく月の眼差し
ススキの銀色 鈴音の虫


なんてな秋の夜の名月を縁側に、
銀の波を浮かべた酒杯片手に、
着物姿の粋なお人とほんのり眺めてみたい乙女な年頃、
気持ちはエイティ~ンフォ~エヴァ~。

っはぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~唐突ですが、

着物の似合う男の人って、
えらく魅力的であります。


温泉旅館に宿泊の際などにおいて、
超特大サイズの浴衣を着ているのにもかかわらずその姿は、
バカボンUSAと化してしまう旦那さんを持つ私にとって、
丹前を羽織った浴衣姿がさらりと絵になってしまう殿方は、
永遠の憧れ。。。きゅぃ。

しかし和服姿がさらっと様になってしまう男の人なんてぇのには、
なかなかお目にかかれないのが現実でありまして、だから極稀に
そんなミラクルな人を目にしたりなんかするとついつい、

「吉岡くんったらおわわわわぁ~~~~~~~~~っ!!!」

とテレビの前で叫んでしまうあたくしでございます。

そう、
吉岡くんは、
和服がたいそう似合いなさるでござります。

そのお似合い射程範囲ときたら、
着物、
袴、
浴衣、
丁髷、
体育着ジャージ、
どれだって外しはしないぜ、おやっさん、ってな
ミスター和服でどんとこい。

着物に身を包んでいる、という非日常感覚をまるで感じさせずに、

「呉服屋の若旦那はんですか、もし?」

と声をかけたくなってしまうよなしっくり感で、
さらりん、
と着物を着こなしてしまえる人なんてあたしは吉岡君と
フグ田マスオさんしか知らなくってよっ、んもうっ、
吉岡くんたらぁ~~~~~~~~~~~~~~~~ん、

粋だぜぃ。

そうだ、新作発表されたNHKの古代史ドラマでだって、
あの聖徳太子ウェアーなるものを、

「どうも、吉備です。」

てな、普段着感覚で着こなしてしまうに違いないずら。ハッ! 
ということは、この秋のトレンドは古代史カジュアルテイスト、略して、
古カジ路線でいにしへのかほり、ってことなのね、ふふ・・・・吉岡くん、
フ。(←何奴?)



吉岡君の着物姿は、
もう、
ほんっとに、
すこぶる、
美しいっす。

風韻と気韻の見事な調和。

とでもいいましょうか、
双方の内在させる美しさが、
ぴた、
と自然に相俟り馴染み合うようでいて、
二つの間には溝がないでありますたい。

すいっ
と直線的に流れていくような美しさがその姿にはあり、

凛、
とした薫りが体全体からストイックに放散されていて、

もうなんともいえない空気感が
醸し出されているのでありますが、
その空気感とはいわゆる一つの、

男の色気。

艶。

というものなのかもしれまっしぇん・・・ふ・・・・ふふ・・・・んふふ・・・
んはぁっ
あ、またハートがもれなくもれてしまいますた。



もちろん和服を着ている時だけに限らず、
吉岡くんは平素でもとても艶のある方でござりまするが、
100色クーピーペンシルみたいに、
その出色も様々な男の人の色気の中、
吉岡君の持つ艶色というのは、なんだかとっても、
透明っぽいですだ。

独特に色出たせている、というのではなくて、
清廉と薫ってしまっている、
というのに近い感覚がするとです。

その薫りには、煮詰めた媚からくる灰汁なんてものは
全然感じられなくて、
あくまでもきっぱりと透明に引き締まっていて、
とても潔いであります。

質で薫る男の色気を持っている、
というか、例えば、
仕事に対する「力の向け方」一つからとってもみても、
吉岡君は、「どこに、何を、どう向けていくのか」、
その舵取りの方向性に外連味がまるでなくて、
とても男らしいでありますねぃ。
港から船を出すのは容易なことではないだろうし、
航路はひたすら孤独との闘いであり、
その間には迷いも多々生じるだろうけれど、
けれども一旦決めた大地を目指すべく櫂は、
決して中途半端に投げ出したり、近道を模索したり、
目的地をすりかえたりなんかせずに、
ひたすら一意専心に漕ぎ続ける、というような、
彼の意志の底力に真の男の色気を感じるわけでして、
ベリーマッチに惚れてしまいもうす。


メッキのように外側から塗りつけた艶ではなく、
掘り出された原石を長い時間かけて磨き出していく男の艶、
すなわち人生の美学が艶となって、
内面から外面へと光り放たれている、という、
とてもストイックな潔さが、
吉岡君からは感じとれるでありますです。

男の色気の質は、その生き方から出る。

ってやつなのかもしれないですけん、か・・・・・・・・・・・
かっこええ。
たまらんぜ。




吉岡くんを想うときって、いつも、
その姿から一本の木が連想されてくるです。

自然の厳しさにもまれながら、
自然の恵みに感謝し、
すくっと一本立っている
あすなろの木のような美しさ。

明日は檜になろう

明日は檜になろう

と日々努力しながら、
空高く枝を伸ばしていく、
孤高の精神の美。
そして、
それを持ち続けていく実践力。

真の男らしさとは、
どうあるべきなのか。

そんな問いの答えを、
吉岡君は、
わかっているような気がするとです。


美しい人ですたい。

大好きや。
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A HAPPY NEW YEAR

2009年08月12日 | 思うコト




旅に出る度にいつも思う。


賑う繁華街のネオンに染まる街路で、
飛び交う陽気な笑い声を聞くときや、

人気のないハイウェイを車で走っている途中、
遥か遠方にぽつんと一つ建つ
小さな家をふいに見つけたときとか、

絵筆でさっと溶け合わせたような
ラベンダーと橙色に染まる夕暮れの空の中、
巣へと戻っていく鳥たちの姿を見たときに、

ふと心に交錯する思い。

それは、

みな同じ時の流れの中で、
生きているということ。

そんなことは、
当たり前の事なのかもしれないけれど、
でも、
当たり前すぎて、
それを心で感じることに、
少し、
鈍感になってしまっているのかもしれない。

当たり前って、
一体、
何なのだろう。

そんな問いに、
もっと敏感になれたならば、
もっと、
生に対して
やさしくなれるのかもしれない。

こうしている今も、
街は陽気な笑い声に包まれ、
荒涼とした大地に家の明かりは一つ灯り、
巣へと帰った鳥達は明日へと羽を休めている。

様々な生が
様々な場所で、
様々な地図を紡ぎながら、
様々にそこで生きている。

世界は広い。

本当に広い。

「自分はなんてちっぽけな存在なんだろう・・・」

といつかどこかで語っていた吉岡くん。

星の数ほど地球上に満ちる生。
悠久の流れ全体から見渡せば、
それは確かに、
とても小さな存在なのだと思う。

けれども、

人はみな心細くて、
いともたやすく
道に迷ってしまう
人生の旅人であるけれど、

見上げる空に見る
数え切れない無数の星たちの中で、
たった一つ、
確かな道標として
そこに光り輝いている彼の存在は、
かけがえのない、
とても大きな力であって。

「信じる」という、
とてもシンプルで
基本的なことを、
だからゆえに
継続していくことが
とても難しいことを、
吉岡君は、
その歩幅で、
ゆっくりと、
諭してくれる。


その存在自体を、
心から祝える人に、
人は人生の中で
どれだけ出会えるのだろう。


吉岡くんのファンであることを、
いつもとても誇りに思う。

たくさんの人の想いが、
あなたの幸せへと繋がりますように。


お誕生日おめでとう。
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雲心月性

2009年08月01日 | 思うコト




わかりづらかったのだと思うのですが実は何を隠そう私は、
吉岡君のファンです。

なにせシャイな大和乙女であるがゆえ、
この胸に地層のように堆積した吉岡くんへの恋心を、
例えばこんな風に、


吉岡く~~~~~~んっ!!!

とか、

髪切ったのねーーーーっ!!!

とか、

ちょっとぉ~ええわよぉ~~っ!!!

とか、

シャンプーなに使ってるのぉ~~っ?!!

とか、

牛乳石鹸よい石鹸♪かもね。


なんて最後はスポニチの一面見出しみたいになっちゃったけど、いや、
でももしかしたらエメロンシャンプー特大サイズとか使っているかもしれない・・
意外なところで資生堂バラ園シリーズとか使ってたらビックリだ・・・・
ふむ・・・・・・・・・・ふふ・・・・・・・・きゃぃ・・・・・・・・・はて、
何を書いていたのだっけ?
そうだ、内気な乙女のことを書こうと思っていたのだわ、拙者は。
そうそう、
そうなのでござるですの、
とにかく、
そんなこんなの、
上記の例文のような大文字の愛情表現をするなんてことは、
日常茶飯事でございます。
ならばついでにもう一丁、

かっこいいぞうっ、吉岡くんっ、 美の殿堂!


 (←乙女はなんとか堪えたらしい)


ということで、

しょっちゅうお見舞い申し上げます。

八月でございますねぃ。

やはり八月と言えば満男くんなのでありますが、
先ほど久方ぶりに観ようと棚から取り出してきた
「男はつらいよ・46作」のDVDのカバーを見た途端、
なんかきゅいってなってしまって・・・・・・・お腹が。そういえば、
おやつにすいか半ペタを平らげてしまったのだったわ、
お腹が冷えちゃったのね~、あはあは♪
ってあほうだよ、まったく。
すいか大食いチャンピオン志木那島代表のコトー先生だったら
いくら食べてもお腹なんて痛くならないのに・・・・・・・・・・フ、
さすがだわ、五島くんったら、その胃までもが白い糖衣に包まれながらの
ラッパのマークの正露丸なみな強さを持っているのかもしれない、
男だね~、五島くん! 惚れるなってぇのが無理な話よ、
べらほうにモナム~ル、うぃ~

なんてなことはどうでもええとして、
真面目な話、長い間、
夏もお正月も満男君を観て四季の折り目を綴ってきたせいか、
この時期は特に、その姿を観ると、
満男くん、元気かなぁ~・・・・・・・・・・ちゃんと、
ピーマン食べてる?
なんつって気持ちはちびっと
センチメンタルジャーニーになってしまう私でありまして、
はぁ~~~伊代はもう40すぎだから・・・・などと呟きながら
タメ息交じりに吉岡くんの公式サイトを覗いてみたりすれば、

更新されてるやんっ!

いやん、もう、吉岡くんったら、いつの間に、
忍びの術ですかい?
さすがのサスケのさりげっぷりですと、略して通称
ささっとくん。きゅいんっ
って、ただ私のチェックするのが遅いだけだったずら。


いつも、賞味期限も季節制限もない
ある意味とてもエコに更新されていく
NEWS頁の写真だけれど、
今回は夏バージョンなのかしら思いっきり、
長袖だわぁ~♪ 

「エアコンの冷えには気をつけようね」

っていうメッセージなのかしら、ひょっとしてこれは? 大丈夫よ、
大丈夫~、チミの姿を見るだけで私の心は、
灼熱に燃える恋のフラダンス!
って新作ドラマでのワンショットだから長袖なのだったわ。。。


それにしても、
なんとも・・・
美しい立ち姿。

やはり「背中の君」、
とユネスコ認定されたことだけはある。
いや、「360度、パノラマの君」でもあるんだけど、
なにはともあれ、

美しい。

そして、
ちょっと切なかったりもしちゃうわけで。

美しいから切ないのか、
切ないから美しいのか、
匂い立つような青草に立つ後ろ姿が、
一枚の詩情豊かな絵画みたいであってよ、吉岡くん。

この人は、どうしてこんなにも
風景に溶け込んでしまえるのだろう?

以前にも繰り返し書いてしまっていることだけれど、
吉岡くんは、絶対に風景を邪魔しない。

はるか昔から息吹いてきた土地の空気に、
すっと馴染んで調和してしまう。

周りの景色と触れ合うように馴染みあい、
決して自己主張したりせずに、
けれども、
凛然とした存在感は、
確かにそこに奏でられているわけで、
なんというかそれは、風景にそっと
そよ風を渡らせていくような感覚に近いというか・・・。

その姿を見ているうちに、
ふいに言葉の存在を忘れてしまう。

そんな原風景的な美しさを、
吉岡君は携えていると思うです。


それは生きとし生けるものに、
慈しみと、
尊敬と、
感謝の気持ちを持っていなければ、
決して醸し出されることはない、
本質的な心の美なのだと思うであります。


人を生み育てていく土地には、
そこに吹く風や、揺らめく日の光や、
町の匂いや、木立の音の中に、
その土地それぞれの
多様な人間模様が織り込まれているわけで、
だからこそ人の住む土地は温かく切なくて、
だからこそ、そこに人の生は繰り返していく、
という自然の回帰を、
吉岡くんは五感で感じ取れる人なのかな、
なんて、
そう思ったりなんかするであります。


吉岡くんがそこで呼吸をし、
眺めた風景から綴っていった人の生。
そこから、
どんなことを語りかけてくれるのだろう。

8月10日の放送がとても楽しみです。


コメント (4)
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花明かり

2009年07月16日 | 思うコト



夏でございます。

お暑うございますわね~、おほほほほ。
ほんとうですわね、さ、いかが?
チリン、と風鈴の音。

なんて、井村屋の水羊羹を食しながら優雅に語っている場合では、
ござりませぬのよ、奥様。
もうっ、暑いっ!!!
何なのでござるか、この暑さはっ、けしからんぞう! ほんまにもう、
「なにもそんなに根性入れんでもっ、そこの君!」
と灼熱の太陽を指差してダメ出ししてしまうくらいの暑さでございますの、
こちらロスも。
その暑さはですね、例えて言えば、
軽自動車にお相撲さんが8人乗ってちゃんこ鍋を食べていた。
ごっつぁんですっ! とでもいいましょうか、もしくは、
あっづぅぅうううわああああぁぁぁぁあああああぁぎぃぶあーーーっぷっ!!!
と砂漠で絶叫しているラクダのような暑さでありまして、まったくもって、
よくわからない。
でも暑いのさ。
夏ってやつだね。
ああ青春だ。

そんな暑さでございます。

はぁ~いやだよぉ~あっちぃ~のはねぇ~くわばらくわばら。
真夏生まれのくせして、暑さにはとことん弱いあたくしでございますが、
んもうっ、とにかく暑くって湯たんぽ妖怪みたいであってよっ、
どうしてくれるのっ、困っちゃう! 
と嘆いているのは何もわたくしだけではありますまい。そんな、
「世界共通リンダじゃなくても困っちゃう連合会」の皆様、
こういう時こそ、心のオアシス、吉岡くんでございます。それでは久々に、
オアシス運動をば。

㋔お、君よ、

㋐っとびっくり、

㋛ごとをしていて、

㋜ばばばば~ん!


吉岡くん・・・・・・・・、


 (←どうやら何か堪えているらしい)


吉岡くん・・・・・・・・、


 (←さかんに耐えているらしい)


さいっこうだぁっ!


しかし叫んでしまった、ついでに古典的に言うと、
扇風機が田んぼで棒って感じよっ、それはすなわち、

ファンタスティック!!!

あ、

体温がよけいに上がっちゃったわ。

いやそんなことより、吉岡君が仕事をなさっているのだっ、
うわおぅっ、今年は大漁じゃねぃですかぃ、祭りだねぃっ、いやっほぉ~いっ、
吉岡君の公式サイトをチェックしなくっちゃあ! ウッキィ~ウッキィ~
クリック、クリック、きぃやぁ~~~~~~~~~~~~~~~~っ、

全く同じだわ、

数ヶ月前と。

一気に涼しくなってよ、心が。

さすがのクールビズよね、吉岡くん、惚れるじゃねぃか。いやまてよ、
さりげスーパー星人の吉岡君のこと、もしかしたら
意外と何気にさりげに公式は随時更新されているのかもしれない。
トップ頁で遠く横を眺めている写真の、
あのぴょいぴょいって撥ねている髪の毛が、
二週間前は4束だったかもしれない。
今日は5束だった。
明日は6束になるかもしれず、気付かなかったけど
六ヶ月前は三束のQ太郎バージョンだったかもしれない。
「おばQなんだよね」
って吉岡君が言っていたかもしれなくってよっ、なんてことかしらぁ~~っ、
バケラッタ。
あのニュース頁の写真だって、だって、だって・・・・・・・・・・クラ。
ってなっちゃうのは毎度のことだけど、でももしかしたら、
あの組んだ長い足の角度が分度器0.3度くらいで違っているのかもしりない。
開いている台本のページが56Pから58Pに変わっていたりするのかもしれない。
だからなんなの?
って人は思うかもしれない。
でもいいのだっ、それが愛ってものよのうっ、うわあっはっはっはっは~!!!
でもやっぱりちびっと涼しくってよ。

なんてなことを言っているうちにきっといつの間にか
さらりとほんまに更新されているに違いないのだ。憎いねぇ、旦那ぁ、
たまらんのだよ、そのさり気なさがぁ・・・くぅ・・・くはぁっ、
大好きなんだよう、吉岡く~~~~~~~~~~んっ!!!!
もう、「愛!」って書いた熨斗つきのお包みを、
とうっ!
って日本に向かって投げたくなっちゃうくらい好きなのよっ、ってそれはねっ、
真心こもった夏のお中元です。
ってとんだ迷惑だろうけど。
すんません、鼻息の荒いファンで。


でもほんとに、公式の更新頻度に象徴されてもいるように、
えらくさりげないお方であります、吉岡くんってば。

なんていうか、吉岡君って、生き方に臭味がまったくなくて、
もうぶっちぎりでかっこええ!!!

さらっと、さりげな~~~く掴んだ心を空高く舞い上げて、
それまで気付けなかった風景、真新しい世界を、
次々と見せてくれるところなんて、魔法の絨毯みたいだわ。


吉岡君は、更なる高みへと確実にのぼっていく人だけれど、
けれどもやはり、人波の中にもきっといる、と、
安心させてくれる思いもずっとずっと変わらずに
抱かせ続けてくれる人でもあって。

自分であり続けながら、素敵に変わっていける人は
とても美しいと思う。


人の心の中にも、きっと種があって、
そこに沢山の花を咲かせられる人もいれば、
せっかく生まれ出た芽を枯らし続けてしまう人もいると思うです。

悩んだり、悔やんだり、貪欲になったり、傲慢になったりしてしまうのは、
生きているからこそ生まれてくる、ある意味不可避な感情であって、
それは誰もが持っている感情でありますばい。
けれどそれは不可避に湧き出てくる感情だからこそ、
きちんと見つめなければならないものなのであって、
その見つめ方によって、それらの感情は、花を育てる肥やしにもなれば、
栄養を横取りして枯らしてしまう雑草にもなりえてしまうわけで。
花を咲かせるのも、朽ちさせるのも、
結局は自分の選択次第なのでありますよねぃ。。。


吉岡君は、心に芽生えた一つの花を、
大切に大切に、じっくりと育てていける人なのかな、
なんて思ったりするであります。
心に育つ、たった一つの花を、美しく咲かそうと、
日々の生活の中で努力していける人なのかもしれないな、
なんて、
その純一無雑な姿を見ていると、
そんな思いが自然と心に浮かんでくるでありますです。


吉岡くんがいてくれて本当によかった。

大好き

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Prism

2009年05月23日 | 思うコト




もうすっかり初夏でございますね~。
初夏といえば満男君でございます。

と書きたいところなのでありますが、
ここのところ、ため息の風船が
しょび~んぶわ~んと膨らんだりしぼんだりでありまして、
なんだか浜辺にうちあげられた
なまこのような私でございます。
姉に云わせると、
「そのくらいが正常の人のテンション」
とのことなのでありますが、
しかしそんなこといわれても、
DVDケースに写った満男くんの姿をみてハァ~~~~、
コトー先生のチャリンコ白衣姿を見てふぅ~~~~、
ヤマサの写真を見つめて・・・・・・・・・・・・・・んふ、
マヨネーズの賞味期限を見て切れてるやんっ!
となったりしての、
乙女心は複雑でございます。

もし心に万歩計をつけたとしたら、一日の総計が、
歩数=マイナス3
みたいな状態とでもいいましょうか、
いやそれはあんたがただのナマケモノだからやん、
というジャイアンの言葉はいつものようにBGMと化し、
しかしそんな昭和枯れススキみたいな状態の時に限って、
一歩部屋を歩き出した途端に、ばいんっ
と足の小指を箪笥の角に当てちゃったりなんかして、
くわぁっ、こんな時にしか存在を主張できぬとは小指め、卑怯者っ、
痛いじゃないのぉ~~~~~~~ジャイアンのばかぁ~~~っ!!!
と正当に異議を叫んだりして・・・・・・・って、何を書いていたのかしら?
アホだわ・・・・いつも以上に・・・。

これはもう生態学的にいうところの、
恋煩い 
その8867回目。
であるに違いなく、
ならばその煩わせちゃって三千里のお人はもう書くまでもなく、
ずばり吉岡君でありましょー! となるわけであり、
愛しき人に心を馳せれば私のハートは飛んでイスタンブール、
そのとき一羽のカモメが飛んで君に薔薇薔薇・・・・・・
という感じさ。
と膝をポンと叩いてしまう極めて危ない状態でございまして、
毎度お騒がせしております。


いつも、こう、なんというか、例えると、
9回裏ツーアウト満塁の打席にさっと代打で登場して、
大逆転勝利のホームランをぶっぱなし、
きゃい~んっ
これぞ真のヒーローだわ~~~  
吉岡く~~~~~んっ
た~まや~ か~ぎや~ か~めや~~~万年堂
ナボナはお菓子のホームラン王です。
森の詩もよろしく。
と歓喜喝采雨あられの直後に、
シーズンオフ到来!
とすいっとそのまま退場してしまうよな吉岡君。。。。

祭りの興奮がすんで、
新たな季節の到来を感じさせながら
喜びと寂しさの残り香を
残照の中にさりげなく置き去っていくよな吉岡君。。。
いけずやわ・・・。
たまらんぜ。

そうそう、んだんだ、
以前にも何度も書いていることでごじゃりまするが、
吉岡君という人は、とても香っているですだ。
かほり高き香気なお人、
という印象がすごくするでございまして、
その香りは、

香らねば、香らせてみせよう、これでもかぁっ!

とムンムン発散させている偽装消臭剤的な香りでは決してなく、
それはもう、その仕草から、声から、眼差しから、笑い声から、
佇まいから、そこはかとなく自然に芳香している香り、
というかなんというか、
ああ、そうなんだよなぁ~吉岡君は・・・と、
ただそう素直に浮かんでくる感情のままに、
しっくりと心に染み入ってくる香気であり、
それは人としての品格から漂う香りなんだろうなと、
そう感じさせるものでありますです。


露出度の極めて少ない吉岡君でありますが、
しかしそれでも多くの人に支持され続けているのは、
たとえいつもその姿を目にしていなくとも、
「吉岡くん」とその名を言葉にしただけで、
自然と人の心に温もりを湧き上がらせてくれる存在の人だからなのかな~
なんてなことも思ったりするです。


吉岡君からは、きちんと体温が伝わってくるですねぃ。
TVの画面や、映画のスクリーン、そして雑誌などの
紙面を通して伝わってくる彼の人肌の温度には、
吉岡くんは生活を大切にしているんだな~・・・
深く愛している生活があるんだな~・・・
と感じさせてくれる彼自身の人生が、
しっかりと宿っているのだと感じられるわけで。

人が人生を生きていくうえで、
自然と求めていく理念を、
私たちと変わらない生活の流れの中で、
吉岡君もそれを求めて生きている。
だからこそ伝わってくる、
心安らぐ温度なのだと、そう思ったりするです。


吉岡くんは、目立つことがかっこいいなんて思う人ではなく、
与えられた場所で意義深い光を賢確に放てる人であり、
それは彼の趣きであって、
自ら固執しているイメージではないと思うわけで、
脚光、流行り、時好に投ぜず、
そんな些細な事柄を超越したところに、
真の魅力は存在しているのだと、
そう心から感じさせてくれる凛然とした美しさを
持っているのだと、
持っていられる人なのだと、
そげなことを思ったりもするとです。

かっこいいって、どういうこと?

と聞かれれば、

そりゃ~吉岡君みたいな人のことさ。

と自信をもって答えられる円熟した風格を、
吉岡君は、彼なりの、大らかな速度で、
ゆったりと豊に実らせながら生活しているのかなと、
そう思ったりなんかしていた今日の私は、
気付けばまた元気になっているわけで、
うるる~んとなったり、うきゃ~っとなったり、
はぁ~~~、っとなったりしての、
まさに女心と春の空でありますが、でもそれによって
心が活性化していることには違いなく、
とても綺麗な酸素を吸っているような恋心でございまするので、
吉岡くん、
ありがたや。
と想いは更に深まるわけで。。。

エンドレスでございます。



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窓辺の風景

2009年03月04日 | 思うコト



悲しみの佃煮のようになっていた民雄への気持ちも
ようやくやんわりと収まってきたので、
ここらでまた警官の血をピンポイントで観直してみようかのぉ~、
と思いたっていざDVDを再生したやいなやそこで電話が鳴り、
出ると母親の声が。

一通りいつものように近況報告をしているものの、
どことな~く何か気がかりそうな響きをもった母の声に、

「どうしたの?」

と尋ねると、

「実はね・・・」

とやっと本題に切り出した母。

「お母さんずっと考えていたんだけど、
この前の吉岡くんのドラマがあったでしょう? 
あのドラマもう観ちゃったの?」

そりゃ~もう。

「観ましたわよ」

「やっぱり?」

当然ですがな。

「今ちょうどそれを見直そうと思ってDVDを再生したところなの」

「えっ、そうなの?」

「これからじっくり観ようと思っていて」

大菩薩峠のシーンを観てみようかな、
でもその時代以降の民雄の髪型はぶっちぎりでツボだった・・・
うきゃ。

「聞いているの?」

あ、やべ。

「聞いています」

「今からもう一度観るの?」

「そうですの」

そういえば急に思い出したぞう!
北大時代の回想シーンで、自分のアパートを訪ねてきた守谷女史を
寄せるようにしっかりと抱きしめたあの民雄は~~~~~~~~~~~、
胸の奥に押さえ込んでいる哀切が、落ち着いた包容力漂う香りの中で
ゆらっと切なく揺れてしまっているようで、もうたまらんくらいの
大人の男の魅力満開だったずらよ!民雄ポーーーーーーインツッ!
そんな様子のあ~んな仕草で抱き寄せられてしまったらららららららら
ららららららららららららららららららららららら

「ダメだと思うのよ」

らららららららららら、え?

「観るのはやめたほがいいと思うのよ、お母さんは」

えぇええ?

「どうして?」

「だって、だってね、あの吉岡くん・・・・・・・
コトー先生じゃないでしょう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

クラ。

気のせいかもしれないけど、今立ちくらみが・・・。

「それはそうでしょう。だって違う役を演じているんだもの」

「だからね、だからお母さんとしてはね・・・」

「どうしたの?」

「コトー先生じゃないからお母さんはもうどうしたらいいのっ?!」

そんなことわたすに聞かれてもっ!

「だって違う人物を演じているんだから、
コトー先生じゃないのは当たり前でしょう? 
それに吉岡君はコトー先生じゃないのよ。コトー先生は、
“只今の人物は吉岡くんの提供でお造りいたしました”
っていう吉岡スポンサーの中の一人なんだもの。
お母さんだってず~~~っと長い間、吉岡君のことを
純君、純君って呼んでいたじゃない? でももう純君じゃないでしょう? 
それと同じ。吉岡くんはコトー先生でもないの。役者さんなのよ」

凄い役者さんなのだよ、吉岡君は、ママン。

「それはわかっているのよ。でもお母さんの言いたいことは
そういうことじゃないの」

ではなんだと仰るのですか?

「あのね、観ている最中はのめり込んじゃっていたから
全然気にならなかったんだけど、でも観終わった後にね、
そういえばこれはコトー先生じゃなかったってことに気付いたの」

ほ~~う。

「それで?」
 
「思い返してみたらコトー先生のコの字もなかったんだもの。。。
吉岡君に癒してもらえると思って観たのに、
全然癒されなかったうえにね、暴力振るうシーンもあったから
それを思い出したらお母さんはもうショックで・・・」

なりほど。

「あんなのコトー先生じゃないわっ」

ふぃ~~~~っす。

「だからあれは二代目の民雄であってコトー先生ではないのだから、
そこにコトー先生の面影がなくて当たり前でしょう? 
でもその当たり前なことを当たり前のようにこなすのは
実は至難の業であり、しかし吉岡君はそれをいとも当たり前のように
出来てしまう当たり前ではない才能の持ち主人であるのにもかかわらず
当たり前のように普通の兄ちゃんでいられる人でもあるから
ミラクルくんだわっ! 惚れちゃうのですの。惚れてるけどっ!
吉岡くんってば惚れさせ大王

「ちゃんと人の話を聞いてちょうだい」

「聞いていますわよ」

「今から観直すのならね、あのドラマ三部に分かれているでしょう?」

「うん、えぐっちゃんも伊藤さんもそれぞれ良かったよね」

「一部と三部だけ観たら?」

どしゃぁっ?!

「一部と三部だけ観るなんて、お通しとお茶だけで済ませてしまう
寿司屋の巻みたいじゃない。そういうわけにはいかないのです。
というか二部だけ見たいのですのよ、あなたの娘は」

「悲しくなってもいいの? コトー先生のイメージがなくなっちゃうわよ」

  

  

  



思わず土星に飛び立ってしまったではないか。

「あのね、思うんだけど、吉岡君は一定のイメージを保つ為に
仕事をしているわけじゃないと思うのよ。
今まで多く生み出してきた嵌り役は
吉岡くんの実力が生み出したものであって
イメージが作り上げたものじゃないでしょう。
新しい役を演じればその役しか浮かばせずに、
それまで人が抱いていた役のイメージを新しい空気で
消し去ってしまうのが吉岡くんなんだから、
なんかファブリーズみたいよね。
再演する時だって吉岡くんは形状記憶合金のように
またその役にすいっと戻ってくれるんだから
安心していればいいと思うの。
その人を観ればその人しかいない。
それが名優のなせる業であって、吉岡くんの凄さでしょう? 
生み出した人物の土台を崩してしまうことなんて
吉岡くんは絶対にしないもの。
やっぱり最高の男っぷりよね、吉岡くんったらべらぼうに頼もしいわ。
んきゃ

「歓声は別にいいから、きちんと真面目に会話してちょうだい」

「大真面目ですわよ。
民雄はただお母さんの好みに合わなかっただけです。
でもこの役も吉岡君が一球入魂して演じきった役だということは
間違いないわけだし、お母さんだって観ている最中は
好き嫌いを感じずにどっぷりドラマの中に引き込まれてしまったのだから、
それは即ち、素晴らしいではないですか、吉岡くん、わぉ! 
ということではないのでしょうか?
それにまたもしコトー先生が戻ってきたら、
その時に観る吉岡君はもうコトー先生以外の何者でもないのだろうし、
それでいいんじゃないのかなって思うけど」

「それはわかっているのだけど・・・でもね、」

「でも何?」

「今年こそ続編はあるんでしょうね、コトー先生?」

そんなこと知らないよっ!!!  

っていうかこんなことを言う為に
わざわざ国際電話をかけてきたのですか、母よ? 
って思っているそばから電話口の向こうで、

「満男が大変なことになっちゃったぞぉっ!!!」

って何やら叫んでいる父の声が聞こえたりして一体

なんて家族なんだ。。。

立ちくらみがしたのは気のせいではなかった。


しかしこういう会話をした後にいつも思うのだけれど、
これだけの確固たる幾人もの人物像を
沢山の人々の中に植えつけてしまう吉岡君は
やはりすごい役者さんですだ。


父も母も、役者吉岡くんのことは
もちろん大好きで認めてはいるけれど、
しかしどうしても満男くんや純君、コトー先生に
気持ちの基点が戻ってしまう。
というか戻らせてしまう。
母にとっての吉岡君は、昔は純君であって、
そして今はコトー先生であり、
父にとっては永遠の寅さんの甥っ子くんであり、
きっとずっとそうあってほしいのだと思うわけで。

愛着というものでありますのぉ~。。。

純君や満男くん、そしてコトー先生として
吉岡君自身の姿を見てしまうのは、
その役の人物に作為の臭みを全く感じることがないから、
ごく自然にそこから吉岡くんという役者の枠が外れて、
その人物そのものが観る者の心の中で自呼吸を始めてしまうのかも
しれないですねぃ。

そんな息づいた人物を生み出しながら吉岡君自身はしかし、
一体その人物達のどこに潜んでいるのだろう?

もちろん台詞を言うのも、感情を表情に出すのも
吉岡くんの心から生まれ出ていることはわかっているけれど、
でもなんといっていいのか上手く表現できないのでぃすが、
吉岡くん自身の「姿」は、その役の中に
すぃ~と深く潜り込んでしまっていて、
まるで気配が見えないわけで。
その体も吉岡君のものなのだけれど、
でもそれはなんか吉岡君のものぢゃな~い! 
と思ったりもしちゃうわけで、摩訶不思議くんでありまする。

すべてをその役の心に委ねてしまう、
という感じで演じているのかな~
とも思ったりしたのですが、でも先日読んでいたある本の中の一節に、
世界的に有名なジョッキーさんの競馬レースでの逸話が載っていて、
それを読んだ時に、ふと
吉岡くんのことを思い出したとです。

そのジョッキーさんの話によると、
どんなに名馬と呼ばれる馬でもレースの途中で、

「あ、もうあかん、ヒヒン」

とギブアップしてしまう
ブレーキング・ポイントと呼ばれる瞬間があるそうで、
それを騎手の人はどんな大歓声の中にいても
聞き取ることができるそうです。
その時にどれだけその馬を励ますことができるか、
心の底からどれだけ大きな声で馬に語りかけることができるか、
それが勝利の明暗を決めると。
闇雲に鞭でゴールに追い立てるのではなく、
「一緒に行こう。がんばろう!」
と励まし続けることが大切で、
それを馬は絶対に聞いてくれると。
馬の気持ちを読んで
馬と一心同体となりゴールへ向かう。
そうするのが名騎手なんだと、
そう語ってらっしゃったであります。

もちろんこれは憶測でしかないけれど、
なんか吉岡君が演じるときって
これに近いものがあるのかな~
なんて思ったりしたとですばい。

役の人物を励ましたり、また時には
その役の人物に本人が助けられたりしながら
共に叱咤激励しながらゴールへと一心同体となって向かっていく
馬上の見えない騎手のような感じなのかな、と。。。。

「純君とはケンカしながらずっと演じてきた」

と以前語っていた吉岡君だけれど、
でもそれだってやはり純君という人物と、
吉岡くん本人が真っ向から向かい合っていたから
そうなってしまったわけだと思うわけであり。

役の人物をきちんと見つめることができる。
役の人物にしっかり語りかけてあげることができる。
役の人物の気持ちをないがしろにしない。
そういった優しさが
彼の演技の根底にはあるのかな、と。
そういった優しさが、
己の姿を消しさり、深く潜り込んだ内面から、
役の人物の姿だけを外面へと
そっと押し出してあげることができるのかな、と
なんかそげなことを思ったとですたい。


役者さんは作品の窓であると思うわけで、
その窓が一方的に役者さん自身に向けた内側に開いているのか、
それとも観客側に向けて外側に大きく開いているのかで、
作品自体が語りかける力も変わってきてしまうと思うです。

吉岡くんの開く窓は
いつも外側に向かっていると思うでありますです。

だから受け取る側は、
その先に広がった景色を広く見渡すことができるのだと、
そう思うでありまする。


ハッ


気付けば三月また長文。


最後までお付き合いしてくださって
ありがとうございました。
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宵待草

2009年01月18日 | 思うコト


こんなことはありませんか?

PCを立ち上げ、あるサイトをクリックし、
出てきたその画面を見つめた時に、

ぃよぉおよよよよよよよしおかきゅぃ~~~~んっ!!!!

クラッ。

となってしまうことが?

え、ないと?

いや拝啓 恵子ちゃん、

こうなってしまう人は少なくとも8人くらいは
オセアニアにいると思われ、
関東平野にならざっと359人くらいはいるに違いない、
と思いたいわけで、しかし北米には間違いなく
一人ほど生息しているわけで。
しかしどうして急にオセアニアなのか、
それは僕にもわからないわけであり。
たぶん思いつきなのではないかと。

今日も世界は広いです。


などと書いている今日この頃、

待てど暮らせと来ぬ人は、宵待草のやるせなさ

と詠った夢二の心境の私でございまして、したがって

はぁ~~~~~~~、

吉岡きゅ~~~~~~~~ん、

春ですよーっ!!!

サイトをポチッ。

クラ~~~~~~~。

となっている次第でございます。

こりはずばり、
吉岡めまい症候群でありましょう。

思い起こせばこの病いにかかって早・・・・っふ~。
と温泉につかったニホンザルのような遠い目をしてしまいましたが、
治らなくってもええよ、別に。んふ

ということで、ここ最近チェックしているそのサイトを見ると、
この吉岡めまい症候群が出てきてしまうのだよ、ヒデタカく~ん。
そこに掲載されている写真を拝見するたびにですね、わたくしは、
「おわわわわわわわわ」
って初めて黒船を見た幕府の役人みたいになっちゃうのだけど、
それってどういうことや、きみ~?
と自分に自分でツッコミをいれてしまうほど 
もうわけわからなくなっちゃうのだっ。
って書き忘れちゃったけどそのサイトとは、
「警官の血」の公式サイトでございます。

いやいやいやいや、何もあの写真はなんてったってリサイクルだし、
その写真に全く免疫がなくはないのでありますが、
でも、しかし、だぁ~ってぇ~、あの吉岡くんってばぁ~~・・・・
ちびっとだけ、
びみょ~~~~に、
かすか~~~~~に、
憂いってしまっている。
あの憂いの「漂い」がぁ~~~・・・・・・・

漂いの人、吉岡。

↑松っ!!! (←松竹梅の「松」ということらしい)

漂える人って、な~かなかいないでざますわよね、奥さん。
そりは「雰囲気を出す」というのとは微妙にニュアンスが違う。
しかし絶対的にそれとは種類が異なるものですねぃ。

吉岡くんから放たれる気配は、「出す」のではなく、
「漂ってしまう」という種類のものだと思うでぃすだ。

彼の佇まいからは、微かに漂う気配で、空気全体が
さりげなくやんわりと「包みこまれてしまう」、
といった感覚を受けるとですばい。
そういった「漂い」を出せる人なんてぇ~のは、

よぴおかくんちかいばいどおぼうの~@$^&*(($#ジョワッ!

とうとう言語感覚までおかしくなってしまった。
そういえばまだ風邪の熱が下がりきっていないのだった~。
ってそんなことはどうでもええのだった、吉岡くんは、

「この人はその背景をきちんと背負っている」

といったことを決して押し付けがましくなく、しなやかに、
その佇まいから、そしてその眼差しから、
そっと常温で伝えてくるですね。そりはもう、

眼差しの君、吉岡。

↑うぴゃぁ~~~~~っ!(←人類語がみつからなかったらしい)

何度見ても松っ!

吉岡くんの眼差しは、文句なしに絶品でございます。
「眼差し」という文字が彼のそれにはまさにぴったりんこですだ。

彼の眼差しには、光の温もりが宿っていると思う。
それは、やわらかな午後の日差しだったり、
真新しい夜明けの光だったり、
雲に翳ってしまう日の光だったり、
すっと静かに夜空に浮かぶ月の光だったりと
多様に変化していくけど、
しかしどんな強弱を放つ光であっても、
それが内包する「温もり」は決して失わずに、
そこに確かに宿っているというやすらぎ感というか、
安心感があるですねぃ。

不確かである心の状態というものを肯定してくれる
寛容さを持っているというか、
人生の存在自体を浮かび上がらせながら、
それをふわっと受け止めてくれる逞しさがあるというか、
人生色々やね~、でも前にしか進めへん生き物でっせ~人間は~、
といった共感覚を呼びこさせる力が、
その光には宿っているのかもしりませんのぉ。

そ・れ・に、

と何もわざわざ「・」を文字間に入れることはないのですが、
この写真の吉岡殿の髪は、
形も長さも一束ぴよりんと浮いている髪の束も
文句なしのツボっぷりっ! 
まさにお見事のツボ侍でござるので拙者としては、
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~・・・・・・・・・・・んふ
とタメ息の町娘でございます。(←いつの間に“娘”にっ?)

だからもうそんなこんなの吉岡くんの姿をPCの画面で見つめるとですね、
こう、思わず、なんというか、見つめても、見つめても、猶わが見つめならざり 
じっと手を見る。

って啄木じゃんかっ!

なんてまた一人ツッコミをしながらクラ~っとなっちまうんですぜぃ、吉岡く~ん、
この私のちゃんこ鍋のような主体性のない思考のごった煮は
風邪の熱のせいばかりではなくってよ~~恋心ゆえにそうなっちゃうのよ~~~
生まれつきって話もあるけど~~~はぁ~~~~どうにかしちくり~んっ、
んもぉ~~~~~~~~~~~~~っ、とまたまた牛になっちゃったわ、って
 


ついでに、



丑年だからこう叫ばせるのですねい。
さすがのさすけだ、吉岡くんったら
ヨッ、年男! 無敵だねぇ~。
って戌年だったずらよ、吉岡君は。そういえば、
確かにしばわんこに似ている時がある気がしないでもないにあらず。
(↑どっちなのだ?)
ってほぉらぁ~またちゃんこ鍋思考になっちったわっ。

でもわたすにとっちゃ~吉岡君は毎年星の年男、
三つ星ミシュラン君なのだば。

クラっとなってもええ、ちゃんこ鍋でもああいいさ、クラっとちゃんこで
かましたるでぇっ、と今日も君の姿を見るのですのよ、ごっつぁんです!(←あんた何者?)
というかいつになったらサイトの更新をしてくれるのでしか、テレ朝さんよ? 
番宣どど~んっと頼んます!!!



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迎春

2009年01月05日 | 思うコト

新年でございます。

新年。

なんて建設的な響きなのでましょう。
全ての心風景をリセットできるなんて、
なんて素晴らしい習慣なのだ~。

去年起きたイヤ~ンなことはもうすんじゃったことだしね、
もうそんなことはどうでもええのだ、
さっさとホイサとハイサッサしちゃえばええのよね。

なんてたって今は新しい門出ときたもんです。
おまけに今年の干支は丑ということでありまして、
なんだかそれを聞いただけでも
鼻息が荒くなっちゃったわ。そういえば、
年明けて新年の誓いを立てたときの私は心なしか、
赤い布を見てしまった闘牛チックのようだった気がする。
いやなにもそれは今年に限らず
毎年そういう状態になっている気がしないでもないけど、
でも勢いはないよりあったほうがええ気がするので、
んだんだ。
ンモンモッ。
そうよね、
そうなのだっ。
新年明けて、
鼻息荒く私は誓ったのでぃす。
今年、私は、
今年の私は、
今年こそ私はっ、

きちんとする。

そういえば今年はきちんとまめにブログを書く!
と決めていたのにいつのまにかもう
一月の五日になっていたりする。

なんてことだ。

もうすでに
きちんと怠けてしまった。
わぉ。
けっこうやるじゃん、あたしってば~。うふん。

ってち~が~~~~うっ!

こりじゃ~新しい門出じゃなくて、
古いかまどのままじゃね~ですかい。
きちんとするのだ、今年こそはっ。
いやだいじょぶ、だいじょぶずらよ。
人は変わろうと思った瞬間から、
何度も生まれ変わることができるリサイクル生物なのだ。

何事もポジティブに行かないとね~♪

それにもうすぐ、待ちに待った
吉岡君の新作も観れるし~。
なんてたって続編ではない新作ですわよ、そこの旦那。 
全く新しい役を演じる吉岡君が観れるなんて・・・・・うぅ・・
今年もいい年でした。ありがとー!
って年明けしたばかりだったずら。とにかく、
なんてめでてぇ~のかしらぁ~、ヨ~ロレイッヒ~!
もう待ちきれないぞぉ~~~~。
早く観たいよ~、警察官の吉岡君!

そういえばドラマのあらすじを読むと、
どうやら彼は高校生時代から演じるらしいので、
ってぇ~ことは、
学生服姿の吉岡君も観られるということなのですかいっ?
そんなっ、そんなっ、それはれっきとした
カンコー学生服なのですか?! そんなことは全くもって、
シェ~~~~~~!!!
ざんす。

なんてこったいオリーブ。
もう二度と観れることはないと思っていた、
カンコー学生服姿の吉岡くんをこの歳でまた拝められるなんてぇ・・・
きゅいん。
クラ~~~~~~~~~~~~。
ってなってる場合じゃなくてよ!こういう場合はこうざます、

きぃやぁ~~~~~~~~~~~~~~っ!!!

んまーっ、なんてことなのっどうしましょーっ?あ、そういえば、
桜田の淳子ちゃんもその昔カンコー学生服を着ていたわよね、百恵ちゃんは
デジタルはカシオだったけど、って興奮しすぎて思考がぶっ飛んじゃったわ。
でもいつものことだから気にしなくってよ、そんなことより、
カンコー吉岡くんなのよ、おまけにスパイですってよー、そんでもって
警官だよ、おっかさん! 
んもぉーーーーーっ、吉岡く~ん、君の存在自体が
大吉でございます。
ありがたや~。んきゃ

そんなこんなでありますが、(って?)
民雄さんから幕開けする今年の吉岡君、
他では一体どんな姿を見せてくれるのだろう?

一ファンとしてはね、もう欲はいわないよ、だから
映画に3作、連ドラ2本、スペシャルドラマ一本、
CM5つまでにも出ちゃったりなんかしてね、
んきゃ~今年は吉岡君の目白押しやで~、うほうほや~~
なんてなことになる可能性はやはりゼロに近いかもしれないけど、
髪は短い方がいいと思う。
ってこれも余計なお世話だったずら。

しかしどんな形になるにせよ、
吉岡くんが決めて選んだ仕事を見れるということは、
とても幸せなことでありますば~い。

あまりお仕事をしない吉岡君でありますので、ついつい
「もっと出てくれぃっ、吉岡くんよぉおおおっ!」
などと言いながら地団駄を踏んだり、シコを踏んだり、
お茶をすすりながら遠い目になったりいたしまするが、
しかし当の吉岡くん本人にしてみれば、
想像以上の苦労に苦労を重ねて、それこそ文字通り
心身を削って生み出している仕事をしているのだと思うと、
やはり彼には休むこともとても重要ことなのだな~、と
そんなことも思ったりするです。

休息があるからこそ、野生の馬は風の中も雨の中も
必要とあらば走り続けることができる。
といった感覚に似ているのかもしれないですねぃ。

吉岡君は、
走り抜く人だと思うです。

一旦こうと決めたら、
そこから決して逃げ出さずに、
切ないほど一途に走りぬく。
ただ一直線に走り抜いていける人だと。

全力で走りきってしまうから、
そのあとにはどうしても
心身を休める必要があるのかもしれない。

でもそれが吉岡君なのだと思うし、
そこに彼の生き方が現れていると思うです。

それは決して器用な生き方ではないのかもしれないけど、
でも真の男らしさに器用不器用は関係ないのでどうぞよろしく、と
健さんも言っているわけであり、
要は質に対する実直さなのかもしれず、
吉岡君はそれを絶対的に持ち合わせている人だと思うです。

すごく
かっこいいと思う。

そんな人は、
そんじょそこらにはいないぜよ。

と思わせてくれる質感が吉岡くんにはあるですねぃ。

時の流れに媚びることなく、
身一つでまっすぐに歩んでいるような、
その清冽に漂う質感は、すなわち
彼の存在自体の質なのかもしれないですたい。

真の潔ぎよさって、
そういうことを云うのかもしれないですだ。

ほんまに、何度も書いちゃうけど、
すこぶるかっこええ。
大好きやで、吉岡君。

今年も良い年になりますように。

A HAPPY NEW YEAR 
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ご挨拶

2008年12月28日 | 思うコト




あっという間に年の瀬ですね。

今年もブログを読んでくださってありがとうございました。
お越しくださることが何よりもの原動力となって、
今年もここまでブログを書きつづけることが出来ました。
貴重な時間を割いてくださり、ありがとうございました。
とても嬉しく、感謝の気持ちで一杯です。
ほんとうにありがとうございました。

なかなか更新がままならないブログでありますが、
来年も私なりの思いを綴っていきたいと思っております。
またみなさんとここでお会いできたら幸いです。


これから寒さが更に厳しくなりますが、
皆様、どうかお体にはお気をつけ下さい。


来年も皆様にとって
実り多き素晴らしい年となりますように。



                 敬具
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そこから、ここへ

2008年12月10日 | 思うコト



なくて七癖。
などという諺がありますが、
確かに、人は気付かぬうちに、
幾つかの癖を抱えながら
日々暮らしているものでございます。

私など目薬をつける時には必ず、
息を止めてしまう。

というへんちくりんな癖がありますだ。

この人間の持つ七癖でありまするが、
コトー先生もやはり人の子、例に漏れず、
無くて七癖を持っているようでございまして、
それを羅列すると、

① コトー先生は薄暗闇で電話を取る。

② コトー先生は玉子焼きをみるとウルウルする。

③ コトー先生は考え事をしている最中は、
背後にいる和田さんに気付かない。

④ コトー先生はすいか畑の前でよく呼びとめられる。

⑤ ついでにいやというほどスイカをご馳走されてしまう。

⑥ それでもお腹が痛くなったりしないらしい。

⑦ やっぱり男らしいわ、五島くんったら。うきゃ

⑧ あ、8までいっちゃった。

ってこれは七癖じゃなくて七不思議だったずら。
⑦と⑧の事実以外は。

そうなのだった。
コトー先生には癖が多いのではなく、
謎が多いのだ。
彼はその家族背景からしても不思議な面が多いけど、
しかし行動面においてでも、
「なぜに?」
と思わせることがどうも多いでございます。
中でも特に不思議に思うのは会話においてであり、
何故か彼の会話の中では、

「・・・、」

「コトー先生っ!」

のように話を途中で、
第三者に遮られてしまうことが多く、
これは特に咲ちゃんとの会話で顕著に見られる
不思議現象のようであります。

2003、8話においてのコトー先生の部屋でおこなわれた
二人の会話では、
「柏木先生と五島君、どちらにするのか迷っているのよ、
はっきりかたをつけてよ、はっきりかたをつけてよ~」
と、百恵ちゃんの絶体絶命的なシチュエーションを
柔らか~なオブラートで包みながら五島くんに答えを
迫っている咲ちゃんの言葉はしかし、

「五島くんは・・、」

「コトー先生っ!」

と肝心な所で遮られてしまう。

五島くんは・・、何なのだ?

五島くんは・・、出前何にする?

とかではあるまいな。もしくは、

五島くんは・・、シャンプー何使ってるの?

とかだったらそれは私も聞きたい。
サラサラ髪の秘訣はなんなのですか、と。
しかしそんなわけはない気がする。

しかしその後に出てくる場面で五島くんは、
東京に帰るとリーチをかけてきた咲ちゃんに、
自分の気持ちを話そうとするらしい。しかし、

「君は僕にとって・・、」

「先生っ!」

とここでもシャットアウトなのだ。

んもーーーーーっ、気になるじゃないかぁ!
君は僕にとって、なんなのでしかーっ?!
謎なのだー。

いやでもこんなことを挙げ出せば、
なにもコトー先生に限らず、
吉岡君の演じてきた人物には、
同じく謎を抱えた人物は他にも沢山いたりする。

例えば四日間の奇蹟の敬輔くんは、
どうしてわざわざ白の手袋をはめているのだろう?
余計に目立ってしまうと思うのだが
どうなのですか、敬輔くんよ。
しかもあんな手袋姿でいたら、
そこいらの酔っ払いのおっちゃんに、
「おい、兄ちゃんちょっとそこまで頼むわ。」
とタクシーの運ちゃんに間違われてしまわないのだろうか?
とそんなことを作品鑑賞中に心配してしまったのだった。
外道な見方だったよぉ、吉岡くん。ごめんなさい。

などなどの謎を生み出す人物は
少なくなかったりするわけで。

でもこの際だから書いちゃうけど、
四日間の奇蹟の場合は、その作品自体が
多くの問い、即ち「ホワ~イ?」な謎に
包まれているような気がするでごわす。
なんというか、
東京ディズニーランドに行こうと思ったのに、
着いたら日光江戸村だった。
みたいな感じがするのでございますので、
どうしましょう?
でもそれは吉岡君のせいじゃないもんねー。
編集段階においての問題なのかもしりないぞなもし。
吉岡君自身はこの作品の中でも美しかったよ~。
特に、以前にここでも書いたけど、
病院の裏庭(?)で、看護婦さんに詰問されるシーンは
絶品の演技だったですばい。
あれはスクリーン上ならではの醍醐味演技だったと。
ここでの吉岡君は、台詞が無かったと思う。
感情論をぶちまけている看護婦の暴言を
じっとその場で静かに受けてとめている敬輔は、
しかし気焔の塊みたいだった。
敬輔の中に消えることなく燻り続けている怒り、
悲哀、痛み、焦燥といった暗い焔が、心の奥底から
ふつふつと沸きあがり、やがてその細い体全体から
めらめらと発散されていく様が、怖いくらいの迫力でもって
スクリーンからこちらに伝わってきて、
もう文句なしにお見事だったでございます。
さすが銀幕の君。
無制限にヘビー級で無敵に素晴らしいのだ、吉岡く~ん、
映画に出てね。

コトー先生でも、敬輔でも、満男くんでも、純君でも、
即ち吉岡産だよ全員集合!なのですが、彼は、
声にならない声を吐かせたら、
天下一品の役者さんだと思うです。

台詞のない場面でも、吉岡君は決して、
作為的な表情で演技を塗り固めたりなどせず、
幾層にも重なり合った繊細な気持ちの襞で、
その場の空気を「揺らす」ことのできる人だと思うです。

吉岡君の繊細さは、ただか弱いだけではなく、
その感受性には、何か生への意志力といったものが、
宿っているような気がするとです。

ナイーブな演技をすることなんて、
それほど難しいことではないのかもしれない。
しかし「観客が」役者のナイーブな演技に呼応することは
意外と難しいことだと思う。

役者から発せられる台詞や表情は、
必ずしもそこに観客との共通性があるわけではなく、
みな人それぞれの言葉を持ち、表情を持っているわけで。
しかし心の内面に渦巻く様々な感情には共通性があり、
そして普遍性が宿っているわけで、
そこに観客は感応するのだと。
それを吉岡君は伝えられる人なのだと。
それが名優なのだと、
そう思いますです。 
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