2007-05-31 00:35:56 | Weblog
そんな運命は、ない !
2007-01-11 19:35:47 / Weblog
94年2月に交通事故で左足(大腿骨)を骨折して入院し、5月に退院しました。
退院後は元のようにスタスタ歩けるものと思いきや、足の筋力が衰えて、杖なしには歩けませんでした。
どこに行くにも杖をついて、ゆっくりと歩いていきます。
リハビリをして、なんとか膝の関節は曲がるようになっています。
それでもかかとがおしりに当たるまでは曲がりません。
病院に行けばリハビリを受けられますが、あまり行くことはありませんでした。
術前術後の期間は足を伸ばしたままにしていましたので、足の筋肉が硬直してしまい、ほとんど曲がらなくなってしまいました。
手術後の経過をみて、リハビリがはじまりました。
このリハビリ、何回か恐ろしいことが待っていました。
先生が「うつぶせになって」と言いますので、うつぶせになります。
曲がらない方の足の足首を先生がつかんだかと思うと、先生が体重をかけるかのように強い力で膝を曲げようとします。
足のふとももとふくらはぎなどの筋肉がボリボリと裂けるような感触と激しい痛みが襲います。
あまりの激痛に「ギャー」と悲鳴をあげそうにもなりますが、グッとこらえます。
ところがそのときに素直に悲鳴でもなんでもあげればいいのに、なにも言わないので先生はさらにグイグイと足を曲げていきます。
またまた強く曲げられ「ギャー」と叫びたくなりますが、これも我慢。
ほとんどの人は、この時に痛くて叫び声をあげるのだそうです。
むりやり筋肉を伸ばしましたので、次第にパンパンに筋肉が腫れてきます。
そうして、またリハビリの日がきますと、「ギャー」「ギャー」「ギャギャギャのギャー」。
口に出さないのでためこんでしまったためか、少々精神にきたようです。
まばたきをしなくなり、目をあけたままでもその痛みで涙が出ることがなくなりました。
何回も何回も「ギャギャギャのギャー」を繰り返していくうちに、次第に膝の関節が曲がるようになってきました。
でも、筋力は落ちたままです。
骨折した左足と、右足の太さを比べますと、左足の方が明らかに細いです。
病院では毎日筋肉を鍛えていきます。
退院した後主治医からは、「これだけ膝が曲がるようになれば、あとは自然に曲がるようになるよ」と言われましたので、以降はリハビリに行くことはあまりしませんでした。
事故のショックとそれによる足の不具合、リハビリの強烈な痛みなど、コテンパンにされた僕は退院後も数ヶ月はどうにかなっていました。
会社に行っても、どこからくるのか、例えようのない恐怖が襲ってきてガタガタ震えてきます。
会社の屋上に一人登っては、空に向かって「助けてください」と叫んでいました。
とは言っても、だあれも助けてくれるなんていう人はいません。
親だろうと、誰だろうと、どんなに話をしても、救いにはなりませんでした。
交通事故で骨折をしても、退院後は通常復帰される方はいらっしゃるかと思います。
僕の場合はそういう訳にはいかなかった。
ただでさえ、小学生の頃より試練に耐えているのに、病気も治っていないのに、事故の日はあまりに痛くてほとんど眠ることができなかった。
手術と術後の痛みはほとんどなかったものの、リハビリと体験したことのない不自由な生活、病室は一人なので夜は決まって一人。 その他諸々、どうにかならないのが不思議なのかもしれません。
退院し一ヶ月経ち、なんとかしたいものと、世話をしてくれた両親と伊豆へお礼もかねて誘いました。
大室山にリフトで登り、山頂を一周する。
一周する間に、子供の頃ここへ来た時の、楽しかった思い出と景色が重複します。
「あの時は、幸せだった」
伊豆ぐらんぱる公園では、父の呼びかけでパターゴルフをして、打っても打っても玉が変な所へころがり、その度に笑い転げる。
でも、帰りの車の中では正気に戻ります。
泊まりの宿は、僕がふんぱつして「吉春」という宿にご招待。
宿でゆっくりと休んで帰宅。
それでも、心身ともに本当にもとに戻るまでには耐える日々でした。
数年後には、さらに様々な出来事が待ち受けていますが、それらを過ごしていくうちに、心が透明になっていき(邪念が少なくなっていった?)、一部の人には「みち」のようなことを話すようになっていきました。
もともと、そんなことを話す人間ではなかったのですが、厳しさ、つらさ、苦しみに耐えていくうちに、自分でも気付かないうちに、なにかが変化していったのかもしれません。
○○先生の所へ伺ったときには「純粋だ」というようなことを言われて、思い返してみますと昔のように心の中でブツブツ言うようなことが少なくなっていました。
やはり、今でもいろいろと人の心にうったえる? ようなことを言うのは、これらの厳しい体験も関係しているのだろうか ?
これらの体験が、心や精神に影響を与えたのだろうか?
「ギャギャギャのギャー」から、こんなふうに話が変わっていきました。
あの時の「ギャギャギャのギャー」から、僕の精神と心は変化していったということなのでしょうか。
これから僕は、どのようになっていくのだろうか、まだまだ変化していくのだろうか。
ごくごく普通の生活ならともかく、こうも人生でもむにもまれてきますと何故人に幸不幸があるのとか、運命とか、因果律とか、生とか死とか、なんの為に生きているとか、人との縁とか、言い尽くせないほどの疑問点、知りたいこと、解明していきたいことが次から次へと出てきます。
「そんなコト言ってないで、人生楽しけりゃいいじゃないの」という意見もあるかもしれませんが、僕一人だけのことならともかく、これは、全ての人にかかわる問題であるように思われてならないのです。
今日幸せに生活している人が、明日にはどんなことが待ち受けているかは、わからないのです。
「人のことなど干渉する事ではないよ」と思われる向きはあるかもしれません。
それもあるでしようが、先に挙げてきた疑問などが少しでも解明できるのならば、それだけ人の不幸(堕ちていく)を回避することができるのではないかと考えてしまうのです。
自殺するのはだれでもよくないと言いますし、魂について述べる人がいるのならば、それは自分から地獄行きを選択するのだから、絶対にいけないよ、と聞きます。
また、生まれてくる前に、人生での目標や達成を決めてくるのだ、という話も聞きます。
この世に生を受けるのが魂の向上を目的とするのならば、自ら死を選択するのは全く生まれる前に計画のなかったことであり、せっかく生まれてきたのに、上がるどころか、かえって堕ちる選択をするのは、はなはだおかしいことになります。
自殺は絶対にいけない ! 絶対にしてはいけない !
こんなことを見て見ぬふり、見逃してしまうようなことは、天にさからうことであり、こればかりは因果律だから、などと黙認するようなことがあっては、絶対にいけない !
人の心にたずさわる使者たちは、絶対に、この人達をみのがしてはならない !
でなければ、存在価値がなくなってしまう。
自殺をするのが運命だったなんで、絶対に言ってはならない !
そんな運命は、絶対にない !
そんなこと、お父さんやお母さん、大切な人達、神様仏様は、絶対にゆるさない。
これだけは、認めるわけにはいかない。
もし、本人がどうしても、死を希望するということであれば、周りは全力をもって救いの手を差しのべるべきだと思う。
それが、唯一近くにいる人に与えられた、使命です。
でも、全力を尽くしたけれども、懸命に努力をしたけれども、間に合わなかった。なにをどうしても食い止めることができなかったという場合は、心よりお弔いをするしかないのではないでしょうか。
ああ、どうか、一人でも多くの人が助かりますように。
180610 13:47
210906 13:10 大室山 伊豆ぐらんぱる公園 LINK
211104 05:38
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「 そのかわり直感は鋭くなっているので、未来を予知したり、常識では予想できないくらい物事がうまくいったり、いったことが当たったりする場合が多くなります。 」
「 こういう人たちが精神病として扱われた場合は悲惨です。 大ゲサにいえば、キリストをはりつけにするような愚かな行為といえるかもしれません。 」
「 今の社会システムはこのような規格はずれの人を否定するメカニズムが働いているようです。 現在、世界を支配している精神は、このような高次の意識の目覚めを望んでいません。 」
キリストをはりつけにするような愚かな行為...
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[ 菅原神社 拝殿 / 画 上田博昭 様 ] ( 筆者 若干 arrange )
[ 同. 鳥居 桜 / ペン画 上田博昭 様 ]
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