「被災地では、何もかも流されてしまって、困っている人がたくさんいるのに、
普通に生活している我々が、断捨離するって、どうなの…?
使えるモノが捨てられるのを見たら、被災地の人は怒るんじゃない?」
出たな、もったいない仮面
我が家には、なんでもかんでも溜め込んでおきたい男がいる。
彼の辞書に「捨てる」という単語はない。
そのモノを今の自分が使うか否か…なんて、どうでもいい。
とにかく、もったいないから、捨てたくない。
深層心理には、捨てられたくない自分がいるのかな…。
私が断捨離に勤しむようになってから、なにかと文句をつけてくる。
家が片づくことに異論はないけれど、
捨てずにすっきり住まいを実現すればいいと思っているようだ。
そんなの無理だっちゅーーの
不要品が溢れかえったままで、片づくわけがない。
被災地の方々が困難な生活を強いられているのは、報道で知っている。
だからといって、私が、今、ここで、不要品を溜め込んで、
それがなにかの援助になるだろうか?
私の不要品が、即支援物資になるわけではない。
靴を送った時によく分かったが、支援物資にはそれなりの条件がある。
自分が要らないモノは、多分被災地でも要らない。
もったいない仮面の言い分は、かなり的外れだと思う。
…だが、夫はその事実に気づかない。
断捨離は住まいの片づけを通して、自分の内面や生き方を整えていく。
今回の大災害で、私たちは自然の猛威を見せつけられた。
安全神話は崩れ、ずっとあると思っていたものが、一瞬にして奪われることも知った。
普通の生活って、当たり前のことじゃなかった。
平凡な日常を送れることが、どれだけ幸せなことか、改めて思い知らされた。
だけどその幸せは、案外もろい。
こんな時に断捨離?
いや、こんな時だからこそ!
これまでの生活や価値観を見直してみるいい機会だと思う。
この一瞬は大切な一瞬だと自覚して、ただ漫然と生きていた自分を省みる。
本当に大切なモノって何だろう?
絶対に失いたくないモノって、何だろう?
逆に大切だと思っていたけれど、実は無くても平気なモノはないだろうか?
こだわってきたけれど、執着してきたけれど、それはなぜ?
モノに限らず、自分を縛っている人間関係や感情、手放したらどうなるのだろう?
断捨離はただの片づけ術ではありません。
住まいの片づけを通して、心の中もすっきりさせ、ごきげんな毎日を目指します。
住まいも心も整える断捨離を、一緒に学びませんか?
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