バラの冬剪定の際にでたツルを使ってリースを作ってみました。私の庭のつるバラ、とりわけランブラーは枝も長くしなやかなので輪っかを作るには最適です。もちろん多かれ少なかれ棘がありますので取らなければなりませんけどね。今回主に利用したのはフランソワ・ジュランヴィルとクリムゾン・シャワー。幾重にも丸めて輪っかを作り、シナヒイラギとヒノキの小枝をそれに挟み込んでいきました。作業時間は30分ほど。別のシーズンには、オリーブや月桂樹でも作ってみようかと思います。
秋の味覚の代表といえば、秋刀魚の塩焼き。今や魚焼きの手段も、オーブンの魚焼きグリルやフィッシュロースター、魚焼き専用フライパンなど様々なグッズが勢揃いし選択に迷うほどですが、何といっても一番は七輪による炭火焼きではないでしょうか。ていうか子供の時から魚焼きといえば(魚焼きでなくても焼くといえば)七輪しかありませんでした。キッチンにはガスレンジのグリルもありますが、旬を迎え脂の乗った三陸沖の秋刀魚塩焼きなど、煙や匂いのことを考えれば七輪が一番ですよね。もちろんマンションのベランダなどでは屋外といえども、ご近所のことを考えればその使用は難しいかもしれませんが・・・。
キッチンペーパーで余分な水気を取り塩をふった秋刀魚を、炭火が落ちついたところで遠火強火の焼き網におけば、たちまち油がジュ~となって炎が立ち煙がもうもう。でも庭のデッキなら安心です。立ちあがる香ばしい秋刀魚の匂いに誘われ、早くも缶ビールに手が伸びてしまいます。日本の秋って本当にいいですね。
画像にある焼き網は、何年か前にソウル東大門界隈の調理道具専門店で買い求めたもの。網は熱伝導率に優れた銅で、取っ手のある枠部分は熱くならないステンレス。千円足らずの買い物でしたが、一生ものです。
なお、レンガ外壁に這っているのは、ガートルード・ジェーキルです。
この数年来、花の便りに誘われての京都日帰りドライブが、春夏秋冬の楽しみになっています。片道2時間足らずの距離なので、行くときはいつも突然、「そうだ、京都へ行こう」という具合です。
それでもさすがに桜前線北上の話題がメディアを賑わす季節になると、今年の京都はいつ頃どこへ行こうかとそわそわしてしまいます。
つぼみ・咲き始め・満開・散り際・・・桜だけはどの開花ステージでも興趣がある上、早咲きの寒緋桜や河津桜はともかく、染井吉野から山桜、さらには遅咲きとなる里桜の一連に至るまで開花期は意外に長いので、とにかく思い立ったらどこへでも出かけてみるのが一番かもしれません。
平安神宮、京都御苑、二条城、大覚寺、天竜寺、退蔵院、平野神社、醍醐寺三宝院・・・。そして今回は仁和寺の御室桜を観に行くことにしました。蹴上から岡崎疏水、賀茂川沿い川端通りを走れば、パノラマ・ルーフ(シトロエン初代ピカソ)いっぱいに花吹雪が舞い、もうこれだけで京都へ来た甲斐があったと思わせてくれます。悠久の古都の風情には何といっても桜が似合いますね。
仁和寺は888年(仁和4)、宇多天皇創建による門跡寺院で、御室御所とも呼ばれた格式高い寺。古くから桜の名所として庶民にも親しまれ、「御室の桜」は中門を入った左手に200本ほどが江戸時代初期に植栽されました。「お多福桜」とも呼ばれる樹高2mほどのいわゆる里桜で、品種はほとんどが「有明」。香りの高い単弁白花で株元から枝分かれする特徴的な樹形をしています。4月20日前後が満開ですから、京都の桜シーズン最後を飾る名桜と言えるでしょう。
さて、京都に来れば必ず立ち寄るのが、京阪「出町柳」駅徒歩5分にある創業1899年の老舗和菓子屋「出町ふたば」。いつ訪れてもたじろいでしまうほどの行列ですが、美味しいものにたどり着くためにはひるんではなりません。列が出来るにはそれなりの理由がありますからね。赤えんどう豆が沢山入った名代豆餅は甘さと触感が絶妙のバランス。餅の柔らかさと豆の歯ざわり、上品な餡子の甘さがたまりません。季節によって品揃えが変わりますが、今回はいつもの名代豆餅に加え、柏餅と粽も買い求めました。季節は早くも初夏に向かっています。
【参考】 漆器:山田平安堂
庭の千草も、虫の音も
枯れて寂しくなりにけり
ああ白菊、ああ白菊
一人遅れて咲きにけり
露にたわむや、菊の花。
霜におごるや、菊の花。
ああ あわれあわれ、ああ白菊。
人のみさおも、かくてこそ。
'Tis the last rose of Summer,
Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
Or give sigh for sigh!
'll not leave thee, thou lone one,
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go sleep thou with them.
Thus kindly I scatter
Thy leaves o'er the bed
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.
So soon may I follow,
When friendships decay,
And from Love's shining circle
The gems drop away!
When true hearts lie withered,
And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit
This bleak world alone?
明治17年以来「庭の千草」のタイトルで歌われ親しまれてきたおなじみ小学唱歌の原題は、『夏の名残のバラ』 T‘Tis the Last Rose of the Summer’と呼ばれるアイルランド民謡。これは、アイルランドの国民的詩人トマス・ムーア(Thomas Moore、1779-1852)の詩に、ジョン・スティーブンソン(Sir John Stevenson、1761-1833)が曲をつけたもので、里見義(さとみただし)の歌詞では、バラが白菊となりました。どうしてバラが白菊に置きかえられたのかはいろいろな説があるようですが、私は当時の日本人には白菊のほうが身近で親しみやすかったのでは、と単純に理解しております。
原詩の雰囲気を見事に表現された志村建世氏の訳詞も紹介させていただきましょう。
1.夏の終りに咲く名残のばらよ 花のさかりは過ぎ さびしい姿
友は散りはてて残るはひとつ ゆれてひそかに咲く 日暮れの庭に
2.ばらよ私のばら いとしい花よ しばし別れ惜しみ心にきざむ
やがて散るならば根元の土に そこがおまえの里 生れたところ
3.いつか私もまた土へとかえる 友は遠くに去り のこるはひとり
思いは同じか花のいのちよ せめて夢みてあれ またくる春を
いずれにせよ晩夏から初秋へと向かう頃になると、決まって聴きたくなる名歌にはちがいありません。
懐かしくも物悲しい「庭の千草」ですが、年端の行かぬ私にどれほど内容が理解できていたのか。 「埴生の宿」も「ロンドンデリーの歌」もおなじことですが、生意気盛りのくせに世の中の事はほとんど分かっていなかった年頃ですからね。
ちなみに私の愛聴盤は鮫島有美子。しっとりした情感をたたえながらも抑制のきいた気品。はるか遠くの日々がよみがえってきます。
なお、原詩に登場するバラは、オールド・ブラッシュ・チャイナ(画像)であるとされています。
毎日5杯は欠かさない大のコーヒー党でも、庭仕事の手を休めて一服というときには、日本茶と甘い和菓子が欠かせません。今日は朝一番で、近所の老舗和菓子屋玉井屋さんで桜餅を買ってきました。
和菓子には干菓子・生菓子・半生菓子という種類のほかに、「朝生菓子」と言われるものがあるのをご存知でしょうか。「朝作ったものをその日に食べる」つまり「日持ちしない新鮮さが売り物の生菓子」のことで、他でもない桜餅・鶯餅・草餅などの製品が、このようなジャンルでひとくくりされます。和菓子屋さんを覗いても、今日は自宅用にとか親しい友人のところへというようなときは、こういったものに手が伸びてしまいますよね。
さて、この時期にピッタリの桜餅ですが、なんと言っても桜葉の香り(芳香族化合物:クマリン)がたまりません。サクラは日本に自生する野生種だけでも百種類近くあるのですが、塩漬けされたときの色の具合や味から使われるのはオオシマザクラ Prunus lannesiana のみ。それも静岡県西伊豆・松崎町からの出荷が全国の7割から8割で、残りも南伊豆で占めています。15センチほどに育った葉を傷つけないように手で摘み取るため、樹高はなんと50㎝(!!)。摘み取った葉は、大樽の中で半年間塩漬けにします。
和菓子に使われる木の葉は色々ありますが、まもなく和菓子屋の店先に並ぶ柏餅もそのひとつ。江戸時代中期から武士階級では、端午の節句に子孫繁栄を祈って、カシワ(ブナ科) Quercus dentate の葉を使った柏餅がもてはやされるようになりました。カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちない、つまり家系が途切れない、という縁起をかついだもの。平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡をはさんでカシワの葉で包みます。
端午の節句に柏餅となれば、アジアの多くの地域でおなじみの食べ物、粽(ちまき)も、この手の代表格。今ではササですがもともとはチガヤ Imperata cylindrica の葉でまいたことから「ちまき」と呼ばれるようになりました。中国の故事によれば、粽には「難を避ける」という意味があるのだそうです。
そう言えば沖縄には、ゲットウ(ショウガ科) Alpinia zerumbet という多年草の亜熱帯植物が自生していますが、旧暦12月8日に消臭抗菌の月桃(ゲットウ)の葉で包んだ餅(ムーチー)を子供の年齢分、軒に吊るして健康を祈り厄除けとする、という習慣があります。
最後にもうひとつ、塩漬けされたサルトリイバラ(ユリ科) Smilax china の葉をつかった麩饅頭も忘れるわけにはいきませんね。麩は小麦粉に含まれるタンパク質のグルテンを取り出したものですが、隣県江南市にある「大口屋」―文政元年(1818年)創業の「餡麩三喜羅」はことのほか有名。独特の食感を持つ生麩と上品な味わいに仕上げたこし餡の絶妙の組合せに魅せられ、ついつい車でひとっ走りしてしまいます。
今年も桜の季節になりましたが、それでもなお、日本人や日本の景観にとって最もかかわりの深い樹木はアカマツPinus densifloraやクロマツPinus thunbergiiであることを認めないわけにはいきません。白砂青松の浜辺や、複雑に入り組むリアス式海岸は、我が国を代表する景観ですが、このような心に抱く原風景は、ほかの樹木が入り込めない乾燥地や貧栄養といった厳しい条件を耐え抜いて生育するアカマツやクロマツがあってこそ、はじめて成立するものですからね。
一般的にアカマツは本州・四国・九州の内陸部、クロマツは沿岸部に生育しますが、現在の海岸のクロマツ林の多くは、江戸時代以降防風林として大規模に植林されたものでした。先人から受け継いだその貴重な財産も、戦時中は松根油を採るために伐採されたり、戦後は松食い虫(マツノザイセンチュウ)、海岸浸食、開発などによって生育環境は日々厳しさを増しています。
狭い国土ながら、地球外周八割にも匹敵する長い海岸線をもつ島国日本。亜寒帯から亜熱帯までを網羅する多様で美しい日本の海岸線は世界に誇れる宝なのですが、埋め立てによる港湾施設や石油コンビナート、火力・原子力発電所などによって急速に形を変え、「松原遠く消ゆるところ・・・」と唱歌にもうたわれる青々とした松の風景は、しだいに記憶のかなたに追いやられようとしているのです。
今のうちにこの美しい海を自分のものにしておかねば、と感じて私が選んだツールはシーカヤック、20数年前のことでした。海無し県に住む私は、5mのカヤックをワゴンに積み、あるときはフォールディング・カヤックを肩に担ぎ、そして仕事出張時には現地レンタルを活用し、機会をとらえては日本の海を漕ぎました。西表島、沖縄本島や慶良間諸島、日本海舞鶴や敦賀の海、琵琶湖、浜名湖、富士を仰ぐ三保松原から土肥へと駿河湾を横断した西伊豆の海・・・。
何年か前の4月、1週間の東北出張旅行の終点仙台で出張カバンを会社へ送り返し、晴れて自由の身になった私は塩釜でカヤックをレンタルし、あこがれのシーカヤック絶好のゲレンデ、宮城の海を楽しみました。260の島々が点在するしっとり穏やかな女性的景観の松島湾とはうらはらに、東松島の野蒜海岸につながる宮戸島や寒風沢(さぶさわ)島、桂島などの奥松島は、海蝕崖で有名な嵯峨渓など男性的な景観で知られるところです。
湾内のコースタル・カヤッキングには平和でも、ひとたび舳先を水平線に向けて1海里も漕ぎ出せば、2mもの大きなうねりに持ち上げられ谷間に落とされてはデッキを波に洗われる、豪快な外洋クルージング。岬をかわすたびに変わる風向きや潮の流れ、複雑で厄介な三角波に悩まされ疲労困憊の一日でしたが、リアス式海岸特有の切り立った崖や変化に富んだ景観を満喫しながらの印象深いツーリングとなりました。
関東・東北沿岸部を襲った未曾有の大震災と津波の惨状をみるにつけ、思い出すのは美しい奥松島の海と何十回となく訪れた杜の都・仙台の街。今となってはただただ犠牲者の方々のご冥福と、一日も早い復旧・復興を祈るばかりです。
画像は在りし日の、いや、いつまでも変わらぬ姿であって欲しいと願う、奥松島(東松島市)の浜辺です。
昨年のこの時期、当方には娘がいないにもかかわらず35年ぶりに雛人形――家内の嫁入り道具――を飾った経緯は、当ブログ2010-02-28 「モモ」に記したとおりですが、今年もご覧のように虫干しがてら引っ張り出してみました。さすがに今回は要領もわかり、手が止まることなく次々雛段に勢揃い。一年前の半分の時間で完成と相成りました。これで女の子のひとりでもいれば恰好がつくのですが・・・・・
雛あらば 娘あらばと 思ひけり
雛人形を飾り終えた私の心境はかくや、と思わせるような句ですが、もちろんこれは私が詠ったものではなく、東京・根岸、旧前田侯下屋敷の長屋で、35歳の短い生涯を終えた松岡子規の句。
故郷松山から母と妹を呼び寄せて同居し、病に伏したままこの庵でたくさんの俳句や短歌を詠み、門弟たちと交流していた子規。生涯独身を通した子規にとっても、愛らしい娘をもつことは見果てぬ夢だったようです。
ところで桃の節句といえば、
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり
おなじみ『うれしいひなまつり』 (昭和10年 サトウハチロー詞 河村光陽曲)の一節ですが、発表当時のサトウは夫人と別居中、3人の子供を引き取り、東京上野松坂屋で200円の雛飾り(当時の大卒初任給:50円)を娘たちに買ったばかりのことでした。飾ってもらった雛人形のぼんぼりをつけたり消したりしている情景が目に浮かぶようではありませんか。ところでサトウの姉・喜美は、結核のため結婚式を目前に19歳という若さで早世しているのですが、これに続く「お嫁にいらした姉様に…」のフレーズに、姉を想うサトウの気持ちがうかがえて、これまたウルウルしてしまいます。
もうひとつ、私のようなラテン音楽大好き人間ならずとも団塊世代ならすぐ思い浮かべるものは、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスが60年代にスペイン語でカバーした POBRES HUERFANITOS ではないでしょうか。『哀れなみなしご』 という邦題のこの曲は、直接ひなまつりとは関係がなくなってしまいましたが、ボレロになった日本童謡『うれしいひなまつり』として、当時はよく聴かれたものです。
どうも「ひなまつり」というものには、うれしい、たのしいだけではない、どこかウェットな想いがつきまとってしまいますね。
雪降れば 冬籠りせる 草も木も
草や木どころか、ヒトも冬籠りしたくなってしまうような長い冬の楽しみは、何と言ってもストーブ・ライフではないでしょうか。 薪ストーブの魅力やその思い入れについては当ブログ2009-03-08 「薪ストーブ」や2009-03-01「薪」の項でも書きましたので、ここでは触れませんが、今年のように雪の多い年になると、なおさらその感を強くします。
十数年前の建築時にはクッキング・ストーブも導入したかったところですが、さすがにこれは予算とスペースの都合で断念。そのかわりに薪ストーブだけは設計図面から削られないよう、最後まで死守しました。おかげで毎年11月中旬から3月中旬までの4ヶ月間は、生活の中心にいつも薪ストーブがあります。
そんなわけで今日も薪ストーブが大活躍。上面ではスティーマー(緑色)で部屋を加湿しながら、銅鍋でポトフをグツグツ・・・ おき火になった炉内にはダッチオーブンでポテトをふかしながら、そのうえで銀杏を炒っています。薪ストーブの‘三段活用’です。炉のドアを開いたまま暖炉のように使う場合は、樹脂が少なくパチパチ火花を飛ばさない柿材は最適です。着火性や火力に難があっても、スギやスプルースのように爆ぜることなく安心して燃やせますからね。それにひとたび火がつけば炉内は250~300度くらいの温度をトロトロとキープできます。
庭に出る時間が少なくなる冬場は、それなりの、いやそれに勝る楽しみがあるというものです。
近郊バラ苗生産会社のデルバール品種の圃場では、「大苗」生産のために4月に植え込まれた芽接ぎ苗が梅雨晴れの日差しの中ですくすく育っています。25cm間隔2条植えですから一反につき約5000本の苗が植えられていますが、これらは11月~翌2月に掘り上げられ、「デルバール国産大苗(二年苗)」として市場に投入されます。
バラ苗生産出荷額日本一を誇る岐阜県は、休耕田活用による水田での苗生産を早くから確立しましたが、これはバラの連作障害や病害虫を軽減し、生物多様性豊かな水田環境を維持するという観点からも大変有効な方式と言えます。
英・オースチン社や仏・デルバール社の圃場は、フラットな畑地に延々とバラ苗が植えられていますが、我が国では他の農作物栽培と同じように、細長く直線状に山型の畝を立てます。水はけや通気を良くし、施肥・消毒・除草・花摘み・掘り上げなど管理作業の通路を確保する上で、大きな利点があります。
そしてこの畝には通常、フィルムでマルチングをします。マルチは、①地温制御、②土壌水分保持、③雑草防除、④肥料流亡防止、⑤土壌浸食防止、⑥黒点病予防など様々な使用目的がありますが、掘り上げ期のマルチ回収作業と廃棄費用も無視できません。これら省力化とコスト・カットを一挙に解決するものとして、近年は生分解や光分解マルチの使用が普及してきました。つまり酸素や光の存在下で微生物によって分解し、圃場鋤き込みが可能となるわけですね。もちろん畝立てとマルチ張りは機械による一体作業ですから、何反もの圃場はまたたく間に出来上がります。これはこれで、ちょっとした見ものですよ。
画像の畝は、バガテルのコンクールで金賞を受賞した仏・デルバール社の人気品種エモーション・ブルーです。
チドリ目 チドリ科
英名 Grey-headed Lapwing
近郊の田園地帯では一斉に田植えが始まりました。バラ苗生産者のところでも5月下旬~6月上旬は台木苗(ノイバラ)の植え込みシーズンです。昨今はいたるところ耕作放棄地や休耕田だらけですが、その休耕田にトラクターが入り、耕起・除草・施肥のあと、畝を立てた水田に水が引かれると、命が蘇ったようになります。これこそ日本の原風景、と都会に住むこちらも嬉しくなります。
画像にあるような台木苗の圃場には、長さ40mほどの畝に条間8㎝で2条植えしますから、20畝前後とれる一反(10アール、300坪)には、約2万本の台木苗が、植えられることになります。これが一町歩あるとすれば20万本の苗を一本一本手で植えるわけですから、想像するだけでも気が遠くなりますね。バラの芽接ぎ作業は台木苗の肥大状況によって加減されますが、9~10月の二ヶ月間にこの圃場でされます。一方、切り接ぎ用の台木苗は1月に掘り上げられて、切り接ぎ適期の1~3月に穂木が接がれます。
ところで生物多様性豊かな水田環境は、鳥類にとっても理想的な生息環境。以前も同時期にヒバリの巣を確認しましたが、今回はこの台木苗の圃場でケリの営巣・抱卵に出会いました。
ケリは青灰色の頭部に黒い胸、腹は白く背中は茶褐色。先端が黒い黄色の嘴と黄色の長い足をもっています。水田や湿地・砂泥地など地上部を動き回りながら昆虫・ミミズ・カエルなどを採餌し、キリッ、キリッと甲高く鳴きながらカモメのように上空を旋回したり急降下するので、すぐにそれとわかります。抱卵は雌雄で行い、雛は約28日で孵化、約48日で独立します。ケリは中国北東部から日本列島に繁殖し、冬季は中国南部など暖地に渡るのですが、東海~関西地方に生息するケリは留鳥となっている場合が多いので、もっとも身近な野鳥のひとつであると言ってよいでしょう。
自家製マーマレード Homemade marmalade
3月は庭仕事から一番開放される月。 2月末までは、バラの剪定・誘引作業や施肥に手をとられますから、つかの間の骨休めでしかありませんが。 そして庭の木々の芽が膨らみ春の兆しが感じられる頃には、早くも腕がムズムズ、無性に土いじりがしたくなります。今はこれというあてもなく園芸店をひやかしたり、図書館で一抱えの園芸書を借りてきたり・・・ 園芸シーズン到来も間近です。
庭仕事はなくても、この時期にやらねばならぬこと、この時期しかできないことは結構あるもの。そのひとつがマーマレード作りです。毎年沢山の実をつける我が家のナツミカン(当ブログ 2009-03-15 参照)、2月末までにはすべてを摘果するので、3月に入ると日曜日ごとに1年分のマーマレードを一気に作ってしまいます。今日も5個のナツミカンから5瓶のマーマレードを作りました。薄くかりかりに焼いた食パンに苦味の効いた山盛りのマーマレード、これにベーコンアンドエッグ、シリアル、新鮮なオレンジジュースを添えれば、まがうことなきイングリッシュ・ブレックファーストです。なんといってもホームメイドのマーマレードは最高!! 自分の庭で無農薬栽培するからこそ、なんですけどね。
それでは、簡単にレシピを紹介しておきましょう。
材 料 ナツミカン 2~5個分の果肉と果皮
上記材料の5~7割(私の場合は5割)相当の白砂糖かグラニュー糖
作り方 1. ナツミカンの果皮をたっぷりした水に一晩つけるか、鍋で茹でこぼしてアクを抜く。
2. 包丁やスライサー、フードプロセッサーなどで、果皮を細かく削ぐ。
3. 房と種を取り除いた果肉と果皮を計量し、その5~7割の白砂糖かグラニュー糖を準備する。 4. 果皮を同量の水で煮て、透明になったら果肉と砂糖を加え、ピュレ状態になるまで煮詰める。
5. マーマレードが熱いうちに、煮沸・乾燥させたビンに満たして密封し、ふたたび軽く煮沸する。
ほら、簡単でしょ? 鍋はほうろうか銅がお勧めです(アルマイトやアルミ鍋は不向き)。私の銅鍋は30年以上使い込んだものですが、軽くて熱の通りが良く、こびりつかないのでマーマレード作りには最適。
出来あがったマーマレードを空きビンに詰めるには、横口レードルが便利です。なお、冷えると固まるので、煮詰めすぎないこと。また、市販の柑橘類を使用するときは表皮のワックスや薬品を十分に洗い流してください。使用する柑橘類によっては、酸味をレモンで補うことも可。アクの取り方や煮詰め方、あるいはブランディやリキュールを加えるなど、かけられる手間・暇と‘こだわり’に応じて様々なレシピがありますから、いろいろ試みて自分流‘マイ・レシピ’にたどり着けるといいですね。
バラ科 サクラ属
英名 Peach blossom
三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花のいまさきはじむる。
柳などをかしきこそさらなれ、それもまだまゆにこもりたるはをかし。ひろごりたるはうたてぞみゆる。 おもしろくさきたる櫻をながく折りて、おほきなる瓶にさしたるこそをかしけれ。
清少納言 『枕草子』 第4段
平安時代にはこの時期、モモやヤナギ、サクラを身につけて遊んだことが、『枕草子』の第4段からうかがえますが、もちろんこれは旧暦三月三日(現在の暦では4月上旬~中旬)のことですから、モモもサクラも花盛りなのは当然ですよね。私の庭でもウメは満開ながら、モモは蕾どころか硬い冬芽のまま。手折って部屋に取り込むにはどうみても早すぎるので、《桃の節句》に備え、加温で蕾を膨らませたモモを買ってきて飾りました。
ご承知のように、《桃の節句》は五節句――1月1日(この日は元旦のため1月7日に)、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日――のひとつ。古来中国では、奇数は縁起の良い日とされ、奇数が重なる日を吉日として祝いました。ただ、最良の日というのはこれ以上良くはならない、つまり悪くなることにつながるため、節句では植物の薬効を利用して邪気を払い長寿を願ったのですね。お屠蘇(山椒・肉桂・桔梗などの生薬から作られた薬酒)、桃の種子を煎じた杏仁湯、菖蒲の根を煎じた薬湯、ほおずきの根の薬湯や菊花酒など薬効成分の高い植物が、節句などの行事を通して人々の暮らしに深くかかわってきたことがわかります。
ただこれらの植物どれをとっても、現代の新暦では季節感が一ヶ月以上ずれてしまうのが残念。 「新春」「迎春」という言葉も、フクジュソウ(別名:元旦草)が鮮やかな黄色の花を咲かせる季節、中国や韓国で盛大に祝う新年・旧正月(今年は2月14日)の頃こそ、一番ピッタリ実感できるのではないでしょうか。 七草、桃、菖蒲も菊もすべて本来は旧暦で季節感を培ってきたもの。ときには旧暦を暮らしに取り込んで季節を眺めてみるのも、自然や植物が身近に感じられていいかもしれません。
というわけで、先日「雨水」の頃に飾った我が家の雛人形も、庭にモモが咲く旧暦《桃の節句》までは飾っておこうと思います。50年以上前の家内の人形ですが、女の子に縁がなく、結婚後はお蔵入りになっていたもの。風を通さないのもいかがなものかと何故か気になり、思い切って取り出してみることにしました。
35年前の空気を封じ込めた箱を恐る恐る開けてみれば、先ずは緩衝材の新聞に、当時へタイムスリップ。 そしてくるんでいた和紙をそっとはがすと、少しも色褪せない15体の人形が姿をあらわしました。35年間の時の隔たりで唯一変わらなかったのは、この雛人形だけかもしれません。