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愛するとは? フロムを読みながら

2019-01-13 12:45:19 | 本の感想

こんにちは。

先日やっとブログを更新したので、本日、今年二回目の更新しようと思って書いています。

最近読み始めた本があります。
エーリッヒ・フロム 『愛するということ 新訳版』(鈴木晶訳 紀伊國屋書店 1991)です。

フロムのことは正直名前くらいしか存じ上げていませんでした。

この本は、恩師にすすめられたこともあり、読み始めました。

愛するということ。

どんなことが書かれているんだろう…そう思い読み始めました。

私はKindleで読んでいるのですが、読み始めた日は、ハマってしまい、風呂にまでスマホを持ち込んでなんやかんや二時間も読んでました。

ですが、まだ読み終えていません。(笑)
毎度読み終える前にブログを書いていますね。

半分くらい読み終えての感想を書きたいとおもいます。

愛するということといわれて思うことは、恋とか結婚とかなんかそういったイメージのものが浮かんでいました。

映画やドラマでも、愛しているという言葉はつかわれることかとおもいます。

単純に愛するということ、というと、自分の中の感情的なものを想像していました。

恋に落ちるというように、愛するということも、好きな人ができて、それで好きが深まって愛しているになるのかな?といった感じで考えていました。

フロムから言わせれば、そんなのではない!と言う感じですね。

愛するということ、それは技術なのだといっています。

えぇ、技術?
技術ってことは誰でもみにつけられるの?
そうおもいますよね。

それで、どんどん気になって本を読み進めていました。

「愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない」(Kindle 第二章 3愛の対象の冒頭)

個人的に、印象に残っているのはここですね。

私は愛といったとき、どうしても二人だけ(恋人関係)のことだと思っていたので、フロムのこの部分を読んで、なるほど~と思っていました。

この一部分を読んだだけでも、簡単に愛しているなんて言えなくなるなあと思いました。

反省というか、自分とみつめあうというか。

私なりに愛するということを考えてみました。

私の生まれ育った地域は、田舎なので人間関係が濃いところでしたね。
例えば、隣近所で夕飯つくりすぎたから食べてねとかそういうのがあるような田舎です。

そんな田舎で暮らしていたわけですが、周りのおじいちゃんおばあちゃんたちって愛に溢れていた人が多かったんだなと改めて感じます。

自分の孫でもない私に、「これ食べるかい?」とかお小遣いをくれたりしていました。

私の祖母も然りで、私の友達が遊びに来ると、普通にお小遣いとかあげたり、自分の孫のように可愛がっていたりしました。

こういうのって、血の繋がりがあるとか関係なしに、子どもを可愛がる、愛しているということなのではないかと思います。

きっとそれは、他の地域の子どもが遊びにきても同じように可愛がるのかと思います。

地域からうまれる愛というものなのかもしれませんが。

フロムが愛することは技術であるといっています。
技術であるならば、大人たちが子どもたちに愛を示すことで、子どもたちも学び、それがまた次へと繋がっていく。

まさに愛の連鎖になるのかもしれませんね。そういう世の中になったら、平和になるのかな?とも思ったり。。。


この本を読んでみると、人への自分の接し方とかをふりかえるようになる気がします。

自分はどのように他の人と関わっているだろうか、愛するということ以前の関わりに着目するようになってきたなあと思ってます。

このフロムが言っている愛というのは、人間関係が豊かとか、乏しいとかそういうことではない気がしますよね。

私にとって、この本は、自分がどのように、世界(人間、自然、動物など)と関わっているのかをふりかえる、そんな本になりそうです。

また、この本を読み終えたら書きたいとおもいます。とかいって、また違う本の途中で書くかもしれませんが。

それでは。

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