またまた更新せずに月日があっという間にたってしまいました。あれだけ、前回時間って限られてるとか言っているのに私自身が、時間を有効活用できていないような気がします。きちんと有効活用できるようにしたいです。
さて、最近は『いじめとは何か』(森田洋司、中央公論新社、2010年)を読んでいます。
読むきっかけは、何年か前にいじめってそもそも何だろうって考えたのがきっかけです。
今いじめ問題はよくクローズアップされますよね。いじめによる自殺とか悲しいニュースも耳にします。
でも、その「いじめ」ってそもそも何なんだろう?って思います。確かに文科省はいじめられた側がいじめって思えばいじめであるみたいな定義をしていますよね。相手にされて嫌だなと思ったら、いじめっていうか。
でも、結局いじめって何?ってなりますよね。暴力もいじめの範囲内だと思いますし、ことばによる暴力も精神的苦痛になるのでいじめに当たると思います。いじめっていうなんかあやふやな言葉だから余計よくわからないなあと個人的に思います。
この本でも出てきたのですが、海外では加害者に重きを置いて懲罰とかそういうレベルでいじめを捉えています。日本では、いじめと聞くとどうしても被害者の方へ関心が向けられていると思います。加害、被害の関係がまずいじめという言葉を捉える時に出てくるポイントのようです。
日本は被害者の方に関心が強いので、いじめがあった時、いじめられた側への対処や転校等の処置などがとられますよね。そうなると、いじめという言葉を聞くと、被害者の方を連想することになると思います。
一方で海外のように加害者に重きを置いていれば、いじめはダメなことで、いじめた側には責任が問われるというふうになっているので、いじめという言葉を聞くと加害者の方へのイメージが強くなるのではないかと個人的に考えました。
まだ実は本を3分の1くらいしか読んでないのでこれくらいしか言えませんが、いじめっていう曖昧な言葉を使うことでなんとなく日本は加害者の責任が軽くなっているような気がします。日本社会の性質なのかもしれませんが。
暴力という言葉にしたら、誰しもがやってはいけない、刑罰に関わるといった連想をすると思います。いじめっていう言葉ってなんで曖昧なんだろうって思いながら、少し本を読み進めてまたブログ更新できればいいなと思います。