以前に辻潤の本を立ち読みして、その時は高くて買えなかったのだけれど
今回とうとう買ってしまいました。1800円でした。

唯一絶後(分かりやすく言うと後にも先にも無いという事ですよ)
プロローグを読むと、最近のドラマについて
なんか言っているように読み取れますが昭和42年の本です。


↑パソコンのマウスで抑えております。
本に申し訳ないですね。
続いて目次を載せておきます。
余計な表示がありますが、自分のインスタからの画像なので。
あと、欠けている項があると思いますが、だいたいこういう内容です。







*ちなみに辻潤は、伊藤野枝の他にも女の人とのお付き合いが
あったそうです。
今2章しか読んでいないので詳しい話しはまた。
「ニヒリスト・辻潤の思想と生涯」
しかし、NJUさんは辻潤に引かれますね、、
辻潤の言葉です・・・・・。
「自我とはなんぞや? 自我とは人間の錯覚より起った一つの迷妄である。一切は相対的である。宇宙は歪んでいる。エーテルは果して存在しているか否か? マルクス的価値とアインシュタイン的価格とはいずれが高価なるや否や? 神聖にして犯すべからざる物は世界に果して幾個存在するか否か?――凡そこれ等の問題は極めて高遠に形而上的なる問題である。
凡そ形而上的思索とは現実的な価値から遙かに距離した物品である。われ等はパンによってのみ生きる者である。思想は決して飯の菜にさえなり得ない程に空漠たるものである。「自我」の存在の有無の如きはわれ等の生活となんのかかわるところぞ。むしろ、市会議員の選挙に狂奔するこそ有意義である。
価値は機制に付帯した副感情である。副現象である。複雑な主観がおのれの中にある惰性必然の機制を感ずると、それを遂ぐる事においてある快感を感ずる。この快感から誘われてある価値感を主観は感ずる。そうして何かある特殊な偉大な価値が実在するかのように錯覚を起す。ゆえに価値は意志同様にこの盲目必然の傀儡である。
人生における一切の価値の真相はこれである。誠に一つの錯覚である。形而上的な原本的無価値の妄動に惰性が加わって出来た動向に主観的錯覚の加わった空想が価値である。
人生が形而上的に巨大なる無意味だといい得る事はこの処から確証を得る。徹底的な形而上的虚無思想はここを通らねばならない。」
唯一絶後でしょうか・・・・・。
「人間が生きる上において哲学や芸術が不必要だというような考えは、生きる上にタバコや酒が不必要だという説と少しもちがいはないのである。必要[#「必要」は底本では「心要」]、不必要を論じて極端に行けば人間が生きていることそのことが不必要であるとさえいえる。われわれはなんのために生きているのか、国家のためか、両親のためか、愛する女のためにか、無産階級解放のためか、芸術のためか、酒のためか、資本家のためか――生きる対象は無数に存在する。しかし、決して自分一人のわがままのためには生きてはならないのである。」
https://www.youtube.com/watch?v=fifDazoxwl8
https://www.youtube.com/watch?v=bgRvjr2ai4c
ところで私は辻純の思想は西田幾多郎と少し似て居る
と思うのですが、どうでしょうか、、、、
https://www.youtube.com/watch?v=3SueDdNkMa8
まあ、辻純の本読むので忙しいでしょうけど。。
良かったら観て見て下さいね・・・・・・。
それでは また来ます・・・・。♪( ´▽`)
出版されたのは1967年だそうですね、、
ちょうど「新宿争乱」で学生運動がピークになる
1年前ですよね。あの時代は熱かったから、、、
辻潤の思想がもてはやされて居たのでしょうね。
あの当時は吉本隆明の「共同幻想論」とか学生たち
は、こぞって読んで居たしね・・・・・・・。
あの時代特有のものがありますよね・・・・・・。
それでは また、、、、( ´∀`)
西田幾太郎さんの、観ましたよ。西田さんは、禅→キリスト教に そして宗教から導いた答えの書「善の哲学」を書いているようですね。
ところで辻潤は、「キリスト教ー老・荘ー社会主義ー自然主義ーアナーキズムーニヒリズムーダダイズムー仏教ーこれらの要素から自分は成立しているのである。」と書いているそうですが、書物好きの辻潤はそういう影響をうけたものをいっさい否定するという作業もしており
偉ぶらずに自分を「低人」等と言い、きどったインテリ層より市井の人間と酒を呑みかわすほうが好きだった人生だと云います。
しかし一番影響を受けたのは、辻潤が翻訳をしたスティルナー。そして辻潤が特に好きなのはショーペンハウアーだそうです。(私は二人について詳しく知りません)
あと、辻潤はわざと本意を否定、逆説的に書いたり
するので彼の文を直訳的に読んではいけないようです。
また、彼を「唯一絶後」と書いたのは、辻潤とフランスで出会った松尾邦之助です。辻潤研究者として一番の人でしょう。寄稿している人達も辻潤の息子や辻潤の愛人、友人などです。
実際は吉田喜重解釈の像では無く、他の小説の人物でも無かったのですが、私は尚更面白いと思いました。
コメントありがとうございました♪(´▽`)
ヘーゲル左派のマックス・スティルナーは、
矢張りニヒリストでアナキズムを信望して居た、
埴谷雄高が影響を受け、彼の形而上学小説
「死霊」に影響を与えましたよね。まあ、
彼はその頃からニヒリズムに影響を受けて居た
そうですが・・・・・・。
ショーペン・ハウアーは私が哲学書を読んで居て、
彼の「孤独と人生」と言う著作は私に取って
一番の哲学書と成りました・・・・・・。
これら2人の哲学者から、、影響を受けて居た、
辻潤と言う男は矢張り唯者ではありませんよね。
私は辻潤と言う思想家の書籍を読んだ訳ではあり
ませんが、あの時代、辻潤がああ言った思想に
傾倒して行ったのは解かる様な気がします。
https://president.jp/articles/-/45336?page=5
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC
また来ますね・・・・・・。( ´∀`)
やはりkiyasumeさんは読書家ですよね…
今、スティルナーはどうなのかと思うのですが…
(アナキズム思想は理想としては正しいのかもしれないけれど
そういった世界を確立する事は難しく、
そしてその世界の維持は誰がどうするのか。
金銭的にもそうだし、運営に至っては成功するとはとても思えず、私はその思想に食指が動きません…)
ショーペンハウアーは、いつかは知らないとと、
思います。辻潤が、もっとも好きらしいし
kiyasumeさんも好きなんですものねぇ🤗
今はちょっと心の余裕が無い状態なので難しいの
ですが…
それではkiyasumeさん、コメントの返信が遅れました。ごめんなさい。
またコメントがありましたら宜しくお願い致します
♪(´▽`)