きょうは久し振りの雨模様となりました。
きっと、次女のお友達の涙雨だったのだろう・・・
娘は昨晩、友人のお通夜に参列。
きょうは午前中に執り行なわれた、お葬式にも参列致しました。
はじまりは高校2年の秋。
学園祭の頃だったと聞いています。
それから約3年間、大学病院の入退院を繰り返されていました。
娘は病状について、お母さまからお話を聞いていたそうだけど細かな事まではわかりません。
小児がんを患っておいででしたが、のちに肺の病気を併発されてしまいそれが結局、死因となられたようでした。
ドナーの順番を待っていらしたそうです。
小児がんは、小児がかかるさまざまながんの総称となっていますが、主な小児がんは、白血病・脳腫瘍・神経芽腫(しんけいがしゅ)・リンパ腫・腎腫瘍(腎芽腫(じんがしゅ)・ウィルムス腫瘍)などだそうです。
血液のがんである白血病やリンパ腫を除いたら、大人ではまれなものばかりになっています。
詳しくはわからないのですが、病状に限らずドナー登録して2年間経過した方(申請順だが2年待っても順番は来ず)の順に手術が回ってくるらしく、今回残念な事にドナー待ちの間の悲しい最後になりました。
女の子のひとりっ子さんだったから、もちろんご両親は花嫁姿も見たかっただろうし、お孫さんも抱きたかっただろうなと思うと、悲しくて涙がとまりません、、、
娘を斎場に送った時、入り口のロータリーで降ろしました。
自動ドアが開いた際にお別れのメッセージ的なボードがあって、クラシックバレエを幼い頃から習っていらしたので、レオタード姿の素敵なお写真が目に飛び込んできました。
私は、高校の卒業アルバムでのお写真でしか拝見したことはありませんでしたが、とても聡明なお顔立ちでした。
何度もお見舞いに通った娘ですが、ICUに入ってらっしゃる時はガラス越しの面会だったなど聞いていたので、頑張ってそんな重篤な時期も乗り越えられていたし、個室に戻られたと聞けば良かったねと娘とふたりほっと胸を撫で下ろし、完治という訳にはいかないけれど安定した時を迎えられる日がじきに来る事を、娘も私も信じていました。
本当に残念で仕方ないのですが、始まりはちょっとした身体の異常を感じられ大きな病院に診察に行かれました。
誰もが知っていて、全国的に展開されている病院です。
そちらで、特に心配はないとの診断があったそうですが、病状がすぐれず本当にちょっとの期間が経ってから他の病院で診て頂かれたそうです。
でも、その時にはもう思いのほか病状が進んでいたらしいです、、、
最初に見てもらった病院で異常に気がついてくれていたら、もっと違った治療が出来ていたはずでは?
若いと病気の進行がとても早いそうです。
お別れの時のお顔は、とても安らかで可愛らしいお姿だったと娘が申しておりました・・・
もう痛い事もないし、ゆっくり出来るね。
会葬のお礼状で、心に残ったフレーズがありました。
「闘病生活は辛かったはずです。それでも弱音一つ吐かず本当によく頑張ってくれました。早すぎる別れが悔やまれますが、安らかに眠る娘の顔はどこか笑っているようにも見えます。身も心も自由になったこれからは、また大好きなバレエを満喫して美味しいものもいっぱい食べて、変わらぬ笑顔をこちらに見せてほしいと願っています。」
「◯ーちゃん、生まれてきてくれてありがとう。」
長女は、平成三十年八月二十九日、二十歳にて生涯を終えました。
娘を温かく支えてくださった皆様へ、深く感謝申し上げます。
と、綴られていました。
同じ年頃の娘を持つ親として、本当に胸が張り裂けそうな思いになりました・・・
そして、日本のドナー登録についても不信感を感じずにはいられませんでした。
すぐに移植が出来ていれば、助かる命だったはずです 、、、
調べてみましたら、
ドナーを受けられた方の登録日から、移植日までの平均待機期間は886.8日(約2年5ヵ月)でした。
そんな長い期間、病気の身体が持ちこたえられるとは到底思えません!
本来、大学が遠方で親友だった子が今日帰省されるようになっていたそうです。
お互いに面会を楽しみにしていたでしょうに間に合わず、その日がお別れの日になってしまうとは、、、
神様が本当にいるのなら残酷だと思いました。
もう少し待っていてくれたらよかったのに・・・
ご冥福をお祈りします。