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アニメーション『ニルスの不思議な旅』と航空機、日本国自衛隊、その他諸々の、バラエティーに富んだ話題をお届け致します。

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月22日・PART―Ⅱ

2009年08月22日 23時00分00秒 | 日本国自衛隊 各基地/各駐屯地 一般公開
(この記事は「米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月22日・PART―Ⅰ」からの引き続きなのです

 わたしはその救命ベストを一目見て、『ニルスの不思議な旅』のニルス(勿論、等身大) にも、その救命ベストを、フル装備の状態で着装させてやりたいと、「本気」で思ったのである。何しろ、飲料水、信号灯 、発炎筒、非常食糧などのサバイバル・キットが、その救命ベストに全部入っているのだから、救命ベストが役に立つのは、確実であろう
『ニルスの不思議な旅』のニルスに、航空自衛隊の救命ベストをフル装備の状態で着装させるというのであれば、TVシリーズと劇場版の両方のアニメーションにマッチさせる意味で、西暦1990年代前半まで、航空自衛隊のフライトスーツとしては標準的なものだった、オレンジ色のものにする方が、良いだろう。それも、「おろしたての新品」 のもので
 そして、百里救難隊の隊員達の前で、映画『空へ ―救いの翼―』を見た事を前置きした上で、『空へ ―救いの翼―』のコレクターズ・エディションDVDを見せつけると、百里救難隊の隊員達は大喜びして下さった

 わたしは昼食の時間帯になると、「ステーキセット」を買う為、或るブースで並んでいたのであるが、晩夏の太陽の照り返しはとてもきつかった。漸く「ステーキセット」が完成した時には、嬉しかった。因みに、この「ステーキセット」は、ステーキとフライドポテトと飲み物 をセットにしたものである。飲み物 は、個人の自由で、チョイス出来るようになっているのである

 この他にも、ペパロニを配した程度の、「シンプル・イズ・ベスト」なペパロニ・ピザ を売っている模擬店があるかと思えば、ステーキやライス やコーンをセットにした、豪華絢爛なディナーを売っている模擬店もあった
 そしてまた、自家製のケーキ(主に、チョコレートケーキが多い)を販売している模擬店もあった。これが目的で毎年、この『日米親善友好祭』で来ている 人が多いのも、事実である。
 エプロンの一角には「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを売っている模擬店もあった。この「ホットリンクス」もまた、個人の自由でケチャップやマスタードをかけられるのである。これを食べられる事も、年に一度の贅沢であると言えるであろう

 残暑も厳しかった為なのであろうか、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう。昨年の『日米親善友好祭』が、まる2日間も雨に降られてしまって 、コーラ や水の売れ行きが、伸び悩んだ のに比べると、まさに対照的なのである

 そうした中で、午後になって、思いもよらない航空機が、米軍横田基地のランウェイ18に着陸して来たのである。それは、C―32Aという航空機なのであった
 このC―32Aは、あの有名な『エアフォース・1』と同じ、第89軍事空輸航空団という、VIP輸送専門の航空団に所属している航空機なのであるが、米国の国務長官や国防長官などの高官が乗るこのC―32Aは、給油の為に米軍横田基地に立ち寄った、というお話らしい。しかしながら、これはわたしにとっても、素晴らしい「サプライズ」であり、「ハプニング」 でもあった
 C―32Aは、2時間ほどで給油を完了すると、大勢の来場者に見送られながら、南に向かって、米軍横田基地のランウェイ18を離陸して行ったのである。
 いずれ発売される航空雑誌 にも、今日と明日の事は掲載されるので、その記事を見れば、理由は分かるだろう

 また、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊による、パラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機  のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から、1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的なスタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、その高度は500m~600mだと思う
 わたしが、西暦2003年(平成15年)3月5日 に、『ニルスの不思議な旅』劇場版のDVDを購入した当時も、丁度この時のような気持ちだったのである

 7月29日、航空自衛隊府中基地で、『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で、記念写真を撮影させて頂いたのであるが、その記念写真(日付入り)を、米軍横田基地司令官御本人に漸く手渡す事が出来たのである。米軍横田基地司令官は、『納涼盆踊り大会』の記念写真(日付入り)を手渡されて、大いに喜んで下さった のである

 その一方で、同じ『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと航空総隊司令官と現在の合衆国大統領のバラク・オバマ氏と同じように、黒人の在日米軍/第5空軍司令官(中将)と共に撮影させて頂いた記念写真もあったのだが、在日米軍/第5空軍司令官にお会い出来なくて、残念である

 わたしは或る模擬店に立ち寄って、航空自衛隊小松基地の小松救難隊の、フルカラーのパッチを、購入したのである。小松救難隊のパッチは、石川県の伝統工芸である「加賀百万石」の獅子舞をモチーフにしたものになっている。そして、新潟救難隊のパッチも欲しかったのであるが、生憎、そちらは無かった。新潟救難隊のパッチは、県鳥の朱鷺と県木の雪椿がモチーフである。とても分かり易い

 わたしが、各救難隊のパッチを購入したその理由は勿論、昨年公開された、映画『空へ ―救いの翼―』に大いなる影響を受けたからで、また主人公の川島遥風三等空尉を熱演された、女優の高山侑子氏に刺激された事に、他ならないのである
 実際の航空自衛隊の各救難隊で制式採用されているパッチの多くは、色のトーンを落としたサブデュードのものになっているのであるが、わたしはフルカラーのものが、好きである。

 そしてわたしは、午後6時00分に、米軍横田基地の『日米親善友好祭』から、一度離脱する事に決定した。何しろ、1日中歩きづめで疲れていたもので、牽引車を改造した「トレインライド」(片道100)に乗った。この「トレインライド」には、客車に相当する車輛が、4~5台牽引されていたのである。
 わたしと同じように、1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。疲れている人はみんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。

 わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、一言だけ言った
「I LL BE BACK」(また、来る)

 それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた、愛用の自転車に乗ってから、国道16号線と五日市街道を経由して、帰宅したのである。
 明日もまた、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行こう
「ステーキセット」もさる事ながら、パンにビーフと正方形のチーズを乗せたチーズバーガーが、美味であった

 わたしが帰宅した時、航空自衛隊府中基地司令より、一通の封書が、わたし宛てに届いていたのである。それを、開封してみると、前述 した、『納涼盆踊り大会』で、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で撮影させて頂いた記念写真(日付入り)を、封書でお送りした事の、返礼の礼状なのであった

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月22日・PART―Ⅰ

2009年08月22日 23時00分00秒 | 日本国自衛隊 各基地/各駐屯地 一般公開
 皆様、今晩は

 わたしは、今日(22日)と明日(23日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛けていたのである
 今日は、その第1日目なのである

 わたしは、午前6時00分に家を出発して、陸上自衛隊立川駐屯地を経由して、五日市街道を西進 してから、午前6時50分頃に、米軍横田基地に到着したのである。『日米親善友好祭』の会場への入口となる、第5ゲートに、最初に自転車で到着したのはわたしであるが、『日米親善友好祭』が開始されるのは、午前9時00分の開門と同時なのである。それまで、余裕があり過ぎるので、わたしはあらかじめ用意していたCDを聴きながら 、待ち続けて いた

 そして、第5ゲートの、開門の瞬間が来た
 例年は、午前9時00分丁度に、第5ゲートが開門するのであるが、今年は開門が5分ほど早められた。それもその筈であり、国道16号線の交差点には、あまりにも大勢の人々が集まり過ぎていたのである。様々なファッションの人々がいた。飛行機大好き人間の多くは、沖縄県の嘉手納基地から、はるばる飛来したロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機を見に来た人々なのであろう
 人々は、横断歩道からはみ出さんばかりに溢れかえっていて、福生警察署と第9機動隊の警察官が交通規制にあたっていた。M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、日本人警備員の誘導によって、わたし達は米軍横田基地の中に入って行った。わたしの愛用の自転車は、駐輪場に置いた。

 第5ゲートに設けられた、「関所」で、M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、空軍憲兵隊による手荷物検査が行われてから、一斉にわたし達は米軍横田基地の中を走り出したのである。勿論、お目当ては、例のF―22・ラプター戦闘機×2機なのである
 わたしは、様々な模擬店がずらりと立ち並ぶ、メイン会場を通り抜けて、航空機展示場であるエプロン(駐機場)に向かって、息が切れるまで走って行った

 そしてわたしは、米軍横田基地のエプロンにずらりと展示された、日米両軍の様々な航空機を見て行った。また後で、もう一度ゆっくりと見られる であろう、そう思いながら

 前日に到着したF―22・ラプター戦闘機×2機は、エプロンの一番北側に展示されていた。大勢の人々が、砂糖の山に群がり集う蟻 の大群のように取り囲んで、格好の被写体になっていたのである
 その隣には、やはり嘉手納基地から飛来した第18航空団・第961空中指揮管制飛行隊のボーイングE―3・セントリー早期警戒管制機が、大型の回転式のレーダードームを背負った、或る意味でユーモラスな姿を横たえて、展示されていたのである。しかしながら、この3機の周辺一帯には、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げた空軍憲兵隊が、油断無く、警戒の目 を光らせながら、警備に就いていた。おそらくは、軍用犬 も付近にいたのだろう。3機への侵入者を阻む
『警告・立入制限区域・致死的武力の行使が許可されている』
 という警告が書かれた看板もまた、展示・公開されている他の航空機とは違う、異質な空気を感じさせる
 わたしが、個人的に欲を言えば、航空自衛隊浜松基地の警戒航空隊・飛行警戒管制隊のE―767早期警戒管制機との共演も、見たかったのである。これは、約4年前の西暦2005年(平成17年)に、一度実現したのであるが、後にも先にも、その一度だけなのである。

 戦闘機の系列としては、航空自衛隊の方からは、
茨城県百里基地の第7航空団・第302飛行隊のF―4EJ改・ファントム戦闘機
同じく第501飛行隊のRF―4E・ファントム偵察機
岐阜県岐阜基地の飛行開発実験団・飛行実験群のXF―2B戦闘機
 以上の3機種が展示されたのである
 しかしながら、今年は生憎、茨城県百里基地の第7航空団・第305飛行隊から参加する筈であった、航空自衛隊のF―15J/DJ・イーグル戦闘機は、飛来しなかったのである。それが、わたし自身にとっては、少し残念である。

 嘉手納基地から飛来した、第18航空団の戦闘機は、前述 の超最新鋭 のF―22・ラプター戦闘機×2機だけではなく、古参の第67戦闘飛行隊のF―15C・イーグル戦闘機×2機も展示されたのである
 しかしながら、今年は生憎、僚友である、第44戦闘飛行隊のF―15C/D・イーグル戦闘機の参加は、無しであった。
 青森県三沢基地の第35戦闘航空団・第14戦闘飛行隊から参加した、F―16C戦闘機×2機も飛来して、展示されたのである

 大韓民国の在韓米軍からも、烏山基地から、
第51戦闘航空団・第25戦闘飛行隊のA―10・サンダーボルト地上攻撃機×2機
同じく第36戦闘飛行隊のF―16C戦闘機×4機
群山基地の、第8戦闘航空団・第80戦闘飛行隊のF―16C戦闘機×2機
 以上の2機種×8機が飛来して、展示されたのである
 烏山基地の、第51戦闘航空団・第25戦闘飛行隊から参加した、A―10・サンダーボルト地上攻撃機×2機は、主翼の下面に装備される筈の武装は、通常爆弾の1発も搭載していなかったのである。武装の無い、クリーンな状態であると、少し物足りない。とても良い機会なのだから、主翼の下面が見えなくなるほどに、完全武装した状態で飛来すると良いのだが

 F―22・ラプター戦闘機×2機と、E―3・セントリー早期警戒管制機の丁度反対側、航空機展示場となるエプロンの一番北西側には、西側諸国の航空機としては、まさに文句無しに世界最大級と言える、F―22・ラプター戦闘機と同じメーカーである、ロッキード・マーチンC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機が、まるでマッコウクジラ のような巨体を横たえて、展示されていた。垂直尾翼の帯のマークから、カリフォルニア州トラビス空軍基地の機体と分かった。

 わたしは、C―5B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機に向かって、全速力で走って行った。コクピット(操縦室)の操縦席に座るのが、目的であり、夢だったのである
 昔から、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』で、C―5A/B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機が展示・公開されるのなら、わたしはそのコクピットに登って、操縦席や、その後部の休憩室 にある幾つかの座席などに、座りたくなるのである
 わたしは、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 の操縦席や、その後部の休憩室 の座席を、『スターの座』と、呼んでいる。

 少しばかり、話題は逸れてしまうのであるが、わたし自身が何故、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 の操縦席や、その後部の休憩室 にある幾つかの座席を、『スターの座』と、呼んでいるのかと言えば、芸能界では無名の新人俳優 が、TVや映画で、様々な端役や脇役役を演じながら、次第に頭角を現わして行って、ついには「スター」に登りつめる 事と、似たようなものなのである。これは極論であろうか

 閑話休題
 何はともあれ、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の、貨物室上部 まで登って 、そのコクピットの操縦席や、その後部の休憩室 の座席に座ったり、その雄姿を撮影したりする為には、わたし達のような、一般の入場者としても、コクピットの操縦席―機長は左側、副機長は右側―に座りたい為に、残暑の中を順序良く並んで、胴体前部左側から出る階段を経て、また機内前部左側の2階分の、高い階段を登る という苦労があるし、本物の軍人が、新入生 の二等兵から将軍(大将・中将・少将・准将の階級章が、星章なのである)に昇進 するにも苦労がある。それに耐え抜いた者が、この『スターの座』に座る権利を有する、と言ったら、大袈裟であろうか
 わたしは早いうちに行列に並んでいて、前述 の通り、胴体前部左側から出る階段を経て、また機内前部左側の2階分の高い階段を登って 、コクピットに入ってから、操縦席に座っての撮影の後、わたしはゆったりとした気持ちで、その後部の休憩室 の椅子に座って、くつろいでいたのである。また、休憩室 のさらに後ろには、クーラーが良く効く一室もあるのだが、そちらは今回、入れなかったのである。
 わたしは、今回展示された、C―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 から、タラップで降りる時にも、爽やかなそよ風に吹かれたり、深呼吸をしたりするなどしてから、十分に余裕を持ちながら、降りて来た

 米軍の輸送機としては、このC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の他にも、
地元の第36空輸飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機
前述 のE―3・セントリー早期警戒管制機と同様に、嘉手納基地から飛来した第18航空団・第909空中給油飛行隊のボーイングKC―135・ストラトタンカー大型輸送機
マクダネルダグラス(後年、ボーイングに吸収合併された)C―17・グローブマスターⅢ大型輸送機
 以上の3機種が、各1機ずつ展示されていた。わたしは、C―130H・ハーキュリーズは見慣れているし、他の2機には、あまり関心が無いので、寄り付かなかったのだが
 そして、嘉手納基地から飛来した第353特殊作戦航空群・第1特殊作戦飛行隊のMC―130H・コンバットタロン特殊作戦用機も、展示されていたのである

 また、航空自衛隊小牧基地のC―130H・ハーキュリーズも、展示されていたのである。機体そのものは米軍と同仕様なのであるが、今回展示されたのは、イラクへPKO任務に派遣された水色の塗装の機体であり、川崎重工で定期点検を受けたその後に、以前と同じ迷彩塗装に戻されると聞いた
 その垂直尾翼に描かれている第401飛行隊の部隊マークも、以前は小牧基地がある愛知県名古屋市・名古屋城の「鯱」を、モチーフにしたものであったが、部隊改編の折に変更されて、現在の第401飛行隊の部隊マーク(ペガサス)になった。しかしながら、遠目で見ると、そのデザインから、「蚤」(ノミ)だの「飛蝗」(バッタ)だのと、もう散々 な言われようなのである。幾ら何でも、蚤は無いだろう、蚤は
「大先輩」である、カーチスC―46D・コマンド輸送機「天馬」(ペガサス)を制式採用していた時代に制定された「ペガサス」のマークの方が、もっともらしく見えるとわたしは思う。これはどうでも良い事なのであるが、輸送機の飛行隊には、本当に馬 のマークが多い
「物流」や、「輸送」の手段が、荷馬車 から輸送機に進歩してもなお、その伝統は変わらないという事なのであろうか

 この他にも、入間基地の航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機―今回は同飛行隊のガルフストリームU―4の参加は、無し―、百里基地の百里救難隊のU―125A捜索救難機もあった。
 因みに、U―125A捜索救難機の原型となるレイセオン・ホーカー800は、元々はイギリスの、BAe(ブリティッシュ・エアロ・スペース)社で生産されていたBAe125―800であったが、米国のレイセオン社がBAe社より、ビジネス機事業部を買収して生産している。しかしながら、わたしは強硬に、
「U―125A捜索救難機は、あくまでもイギリス製
 と主張している。頑固者だと思われても、結構である

 海上自衛隊では、厚木航空基地から飛来した第3航空隊のP―3C・オライオン対潜哨戒機、同じく第61航空隊のLC―90連絡機が飛来して、展示されていた

 日米両軍のヘリコプターの展示では、わたしの理想の一部も実現していたので、それが嬉しかった。それは、シコルスキーH―60・ブラックホークのラインナップなのである
 全ての基本()となる、
陸軍座間キャンプ・第78航空大隊のUH―60A汎用ヘリコプター
航空自衛隊百里基地・航空救難団百里救難隊のUH―60J捜索救難ヘリコプター(コンバットレスキュー対応型)
陸上自衛隊北宇都宮駐屯地・第12旅団第12ヘリコプター隊のUH―60JA汎用ヘリコプター
海上自衛隊館山航空基地のSH―60K哨戒ヘリコプター
 以上の4機種が展示されていたのである
 それこそ、この4機種に加えて
米海軍厚木基地の第51軽対潜ヘリコプター飛行隊(浮世絵のマークが特徴)のSH―60B・シーホーク
米海軍厚木基地の第14対潜ヘリコプター飛行隊のSH―60F・オーシャンホークと、HH―60H・レスキューホーク
嘉手納基地の第18航空団・第33航空救難飛行隊のHH―60G・ペイブホーク
海上自衛隊館山航空基地の第73航空隊のUH―60J救難ヘリコプター
 以上の5機種も参加しての、「日米の鷹」、シコルスキーH―60・ブラックホークの競演も実現して貰えれば、わたしも嬉しいのである。いつか、この「夢の共演」が、実現する事をわたしは願って いる。

 以前にも書いた事なのであるが、昨年12月13日 に公開された、映画『空へ ―救いの翼―』では、クライマックスで、主人公の川島遥風三等空尉(演:高山侑子氏)が操縦する、航空自衛隊のUH―60J捜索救難ヘリコプターと、海上自衛隊護衛艦「はるさめ」搭載の、SH―60K哨戒ヘリコプターが併進するシーンがあって、それが印象的であった。

 百里基地・百里救難隊のUH―60J捜索救難ヘリコプターの前にはブースが出ていて、パイロット用の航空ヘルメットや救命ベストが展示されていたのである(この記事は、PART―Ⅱに引き続きます)。