(この記事は「米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月22日・PART―Ⅰ」からの引き続きなのです)
わたしはその救命ベストを一目見て、『ニルスの不思議な旅』のニルス(勿論、等身大) にも、その救命ベストを、フル装備の状態で着装させてやりたいと、「本気」で思ったのである。何しろ、飲料水、信号灯 、発炎筒、非常食糧などのサバイバル・キットが、その救命ベストに全部入っているのだから、救命ベストが役に立つのは、確実であろう。
『ニルスの不思議な旅』のニルスに、航空自衛隊の救命ベストをフル装備の状態で着装させるというのであれば、TVシリーズと劇場版の両方のアニメーションにマッチさせる意味で、西暦1990年代前半まで、航空自衛隊のフライトスーツとしては標準的なものだった、オレンジ色のものにする方が、良いだろう。それも、「おろしたての新品」 のもので。
そして、百里救難隊の隊員達の前で、映画『空へ ―救いの翼―』を見た事を前置きした上で、『空へ ―救いの翼―』のコレクターズ・エディションDVDを見せつけると、百里救難隊の隊員達は大喜びして下さった。
わたしは昼食の時間帯になると、「ステーキセット」を買う為、或るブースで並んでいたのであるが、晩夏の太陽の照り返しはとてもきつかった。漸く「ステーキセット」が完成した時には、嬉しかった。因みに、この「ステーキセット」は、ステーキとフライドポテトと飲み物 をセットにしたものである。飲み物 は、個人の自由で、チョイス出来るようになっているのである。
この他にも、ペパロニを配した程度の、「シンプル・イズ・ベスト」なペパロニ・ピザ を売っている模擬店があるかと思えば、ステーキやライス やコーンをセットにした、豪華絢爛なディナーを売っている模擬店もあった。
そしてまた、自家製のケーキ(主に、チョコレートケーキが多い)を販売している模擬店もあった。これが目的で毎年、この『日米親善友好祭』で来ている 人が多いのも、事実である。
エプロンの一角には「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを売っている模擬店もあった。この「ホットリンクス」もまた、個人の自由でケチャップやマスタードをかけられるのである。これを食べられる事も、年に一度の贅沢であると言えるであろう。
残暑も厳しかった為なのであろうか、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう。昨年の『日米親善友好祭』が、まる2日間も雨に降られてしまって 、コーラ や水の売れ行きが、伸び悩んだ のに比べると、まさに対照的なのである。
そうした中で、午後になって、思いもよらない航空機が、米軍横田基地のランウェイ18に着陸して来たのである。それは、C―32Aという航空機なのであった。
このC―32Aは、あの有名な『エアフォース・1』と同じ、第89軍事空輸航空団という、VIP輸送専門の航空団に所属している航空機なのであるが、米国の国務長官や国防長官などの高官が乗るこのC―32Aは、給油の為に米軍横田基地に立ち寄った、というお話らしい。しかしながら、これはわたしにとっても、素晴らしい「サプライズ」であり、「ハプニング」 でもあった。
C―32Aは、2時間ほどで給油を完了すると、大勢の来場者に見送られながら、南に向かって、米軍横田基地のランウェイ18を離陸して行ったのである。
いずれ発売される航空雑誌 にも、今日と明日の事は掲載されるので、その記事を見れば、理由は分かるだろう。
また、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊による、パラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機 のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から、1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的なスタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、その高度は500m~600mだと思う。
わたしが、西暦2003年(平成15年)3月5日 に、『ニルスの不思議な旅』劇場版のDVDを購入した当時も、丁度この時のような気持ちだったのである。
7月29日、航空自衛隊府中基地で、『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で、記念写真を撮影させて頂いたのであるが、その記念写真(日付入り)を、米軍横田基地司令官御本人に漸く手渡す事が出来たのである。米軍横田基地司令官は、『納涼盆踊り大会』の記念写真(日付入り)を手渡されて、大いに喜んで下さった のである。
その一方で、同じ『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと航空総隊司令官と現在の合衆国大統領のバラク・オバマ氏と同じように、黒人の在日米軍/第5空軍司令官(中将)と共に撮影させて頂いた記念写真もあったのだが、在日米軍/第5空軍司令官にお会い出来なくて、残念である。
わたしは或る模擬店に立ち寄って、航空自衛隊小松基地の小松救難隊の、フルカラーのパッチを、購入したのである。小松救難隊のパッチは、石川県の伝統工芸である「加賀百万石」の獅子舞をモチーフにしたものになっている。そして、新潟救難隊のパッチも欲しかったのであるが、生憎、そちらは無かった。新潟救難隊のパッチは、県鳥の朱鷺と県木の雪椿がモチーフである。とても分かり易い
わたしが、各救難隊のパッチを購入したその理由は勿論、昨年公開された、映画『空へ ―救いの翼―』に大いなる影響を受けたからで、また主人公の川島遥風三等空尉を熱演された、女優の高山侑子氏に刺激された事に、他ならないのである。
実際の航空自衛隊の各救難隊で制式採用されているパッチの多くは、色のトーンを落としたサブデュードのものになっているのであるが、わたしはフルカラーのものが、好きである。
そしてわたしは、午後6時00分に、米軍横田基地の『日米親善友好祭』から、一度離脱する事に決定した。何しろ、1日中歩きづめで疲れていたもので、牽引車を改造した「トレインライド」(片道100)に乗った。この「トレインライド」には、客車に相当する車輛が、4~5台牽引されていたのである。
わたしと同じように、1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。疲れている人はみんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。
わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、一言だけ言った。
「I LL BE BACK」(また、来る)
それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた、愛用の自転車に乗ってから、国道16号線と五日市街道を経由して、帰宅したのである。
明日もまた、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行こう。
「ステーキセット」もさる事ながら、パンにビーフと正方形のチーズを乗せたチーズバーガーが、美味であった。
わたしが帰宅した時、航空自衛隊府中基地司令より、一通の封書が、わたし宛てに届いていたのである。それを、開封してみると、前述 した、『納涼盆踊り大会』で、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で撮影させて頂いた記念写真(日付入り)を、封書でお送りした事の、返礼の礼状なのであった。
わたしはその救命ベストを一目見て、『ニルスの不思議な旅』のニルス(勿論、等身大) にも、その救命ベストを、フル装備の状態で着装させてやりたいと、「本気」で思ったのである。何しろ、飲料水、信号灯 、発炎筒、非常食糧などのサバイバル・キットが、その救命ベストに全部入っているのだから、救命ベストが役に立つのは、確実であろう。
『ニルスの不思議な旅』のニルスに、航空自衛隊の救命ベストをフル装備の状態で着装させるというのであれば、TVシリーズと劇場版の両方のアニメーションにマッチさせる意味で、西暦1990年代前半まで、航空自衛隊のフライトスーツとしては標準的なものだった、オレンジ色のものにする方が、良いだろう。それも、「おろしたての新品」 のもので。
そして、百里救難隊の隊員達の前で、映画『空へ ―救いの翼―』を見た事を前置きした上で、『空へ ―救いの翼―』のコレクターズ・エディションDVDを見せつけると、百里救難隊の隊員達は大喜びして下さった。
わたしは昼食の時間帯になると、「ステーキセット」を買う為、或るブースで並んでいたのであるが、晩夏の太陽の照り返しはとてもきつかった。漸く「ステーキセット」が完成した時には、嬉しかった。因みに、この「ステーキセット」は、ステーキとフライドポテトと飲み物 をセットにしたものである。飲み物 は、個人の自由で、チョイス出来るようになっているのである。
この他にも、ペパロニを配した程度の、「シンプル・イズ・ベスト」なペパロニ・ピザ を売っている模擬店があるかと思えば、ステーキやライス やコーンをセットにした、豪華絢爛なディナーを売っている模擬店もあった。
そしてまた、自家製のケーキ(主に、チョコレートケーキが多い)を販売している模擬店もあった。これが目的で毎年、この『日米親善友好祭』で来ている 人が多いのも、事実である。
エプロンの一角には「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを売っている模擬店もあった。この「ホットリンクス」もまた、個人の自由でケチャップやマスタードをかけられるのである。これを食べられる事も、年に一度の贅沢であると言えるであろう。
残暑も厳しかった為なのであろうか、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう。昨年の『日米親善友好祭』が、まる2日間も雨に降られてしまって 、コーラ や水の売れ行きが、伸び悩んだ のに比べると、まさに対照的なのである。
そうした中で、午後になって、思いもよらない航空機が、米軍横田基地のランウェイ18に着陸して来たのである。それは、C―32Aという航空機なのであった。
このC―32Aは、あの有名な『エアフォース・1』と同じ、第89軍事空輸航空団という、VIP輸送専門の航空団に所属している航空機なのであるが、米国の国務長官や国防長官などの高官が乗るこのC―32Aは、給油の為に米軍横田基地に立ち寄った、というお話らしい。しかしながら、これはわたしにとっても、素晴らしい「サプライズ」であり、「ハプニング」 でもあった。
C―32Aは、2時間ほどで給油を完了すると、大勢の来場者に見送られながら、南に向かって、米軍横田基地のランウェイ18を離陸して行ったのである。
いずれ発売される航空雑誌 にも、今日と明日の事は掲載されるので、その記事を見れば、理由は分かるだろう。
また、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊による、パラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機 のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から、1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的なスタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、その高度は500m~600mだと思う。
わたしが、西暦2003年(平成15年)3月5日 に、『ニルスの不思議な旅』劇場版のDVDを購入した当時も、丁度この時のような気持ちだったのである。
7月29日、航空自衛隊府中基地で、『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で、記念写真を撮影させて頂いたのであるが、その記念写真(日付入り)を、米軍横田基地司令官御本人に漸く手渡す事が出来たのである。米軍横田基地司令官は、『納涼盆踊り大会』の記念写真(日付入り)を手渡されて、大いに喜んで下さった のである。
その一方で、同じ『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと航空総隊司令官と現在の合衆国大統領のバラク・オバマ氏と同じように、黒人の在日米軍/第5空軍司令官(中将)と共に撮影させて頂いた記念写真もあったのだが、在日米軍/第5空軍司令官にお会い出来なくて、残念である。
わたしは或る模擬店に立ち寄って、航空自衛隊小松基地の小松救難隊の、フルカラーのパッチを、購入したのである。小松救難隊のパッチは、石川県の伝統工芸である「加賀百万石」の獅子舞をモチーフにしたものになっている。そして、新潟救難隊のパッチも欲しかったのであるが、生憎、そちらは無かった。新潟救難隊のパッチは、県鳥の朱鷺と県木の雪椿がモチーフである。とても分かり易い
わたしが、各救難隊のパッチを購入したその理由は勿論、昨年公開された、映画『空へ ―救いの翼―』に大いなる影響を受けたからで、また主人公の川島遥風三等空尉を熱演された、女優の高山侑子氏に刺激された事に、他ならないのである。
実際の航空自衛隊の各救難隊で制式採用されているパッチの多くは、色のトーンを落としたサブデュードのものになっているのであるが、わたしはフルカラーのものが、好きである。
そしてわたしは、午後6時00分に、米軍横田基地の『日米親善友好祭』から、一度離脱する事に決定した。何しろ、1日中歩きづめで疲れていたもので、牽引車を改造した「トレインライド」(片道100)に乗った。この「トレインライド」には、客車に相当する車輛が、4~5台牽引されていたのである。
わたしと同じように、1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。疲れている人はみんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。
わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、一言だけ言った。
「I LL BE BACK」(また、来る)
それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた、愛用の自転車に乗ってから、国道16号線と五日市街道を経由して、帰宅したのである。
明日もまた、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行こう。
「ステーキセット」もさる事ながら、パンにビーフと正方形のチーズを乗せたチーズバーガーが、美味であった。
わたしが帰宅した時、航空自衛隊府中基地司令より、一通の封書が、わたし宛てに届いていたのである。それを、開封してみると、前述 した、『納涼盆踊り大会』で、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で撮影させて頂いた記念写真(日付入り)を、封書でお送りした事の、返礼の礼状なのであった。