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8月6日、広島平和記念式典に寄せて。

2009年08月06日 18時00分00秒 | 一般論―世間話
 皆様、今晩は

 西暦1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分。広島県広島市。

 太平洋上の、テニアン島を離陸した、アメリカ陸軍航空隊(約2年後の西暦1947年、空軍として独立するまでは、陸軍の一部門であった)第509混成部隊、第393爆撃戦隊所属のボーイングB―29・スーパーフォートレス(超空の要塞)戦略爆撃機“エノラ・ゲイ”(44―86292号機)が、広島市の上空に飛来した。そして“エノラ・ゲイ”から投下された、1発の『特別な爆弾』―ウラニウム原子爆弾「リトルボーイ」―は広島市の上空600メートルで、核分裂爆発を起こした。「リトルボーイ」が核分裂爆発を起こした次の瞬間、その高熱により、特殊な形の爆煙『キノコ雲』(原子雲)が発生して、美しい広島市は一瞬にして、地獄絵図に変わってしまったのである
 広島市への原子爆弾の投下については、様々なメディアにも詳細なものが多いので、省略させて頂くが、こちらではわたしなりに書かせて 頂く事にする

 わたしは、あの日から約64年目を向かえた今日・8月6日の広島平和記念公園の平和記念式典をTV中継で見ながら、『平和の鐘』が鳴るのと同時に、1分間の黙祷を捧げたのである。地球上から、全ての核兵器 が1発残らず廃絶される事を、心の底から願いながら …………。
 その時、広島平和記念式典の会場である、「広島平和記念公園」では、慰霊碑や千羽鶴の前で、平和への祈りを捧げている人々もいれば、合掌や脱帽をするなどして黙祷している人々もいたし、爆心地では「ダイ・イン」をして、抗議している人々もいた。
 そして原爆ドーム(産業奨励館)は、今年・西暦2009年(平成21年)も、あの日のままの姿であった

 原子爆弾の破壊力は、熱、圧力波、放射線などからなる。熱は、太陽の表面温度の数倍で、圧力波は、ビルなども吹き飛ばす威力がある事は、『湾岸戦争』のあった、西暦1991年夏に公開された、アメリカ映画『ターミネーター2』を御覧になった方は、どなたもよくそのワンシーンを御記憶の通りであろう。そしてまた、放射線も人命を奪い、人体に癌 や白血病 などの悪影響を及ぼすのである

 原子爆弾の爆発で発生する一次放射線は、強烈な浸透力 を持っているのである。放射線の量をレントゲン単位(レム)で示す と、一度に600レムを超越する放射線を浴びると、死から逃れられない。それ以下の量であっても、前述 した通り、癌 や白血病 などの、重大な障害が発生するという事は、あの日から約64年が経過した現在でもなお、核分裂爆発の後遺症に苦しんでいる被爆者 の方々に、例えるまでも無いのである

 しかしながら、被爆地や被爆者 は、原子爆弾を落とされた広島や長崎ばかりではない。世界のあちこちに、原子爆弾や核兵器 の実験などで重大な被害に遭ってしまった、被爆地や被爆者 も多いのである

 アメリカの水素爆弾の実験の煽りを受けて、日本の第五福竜丸も被害に遭ったビキニ環礁と、その付近のロンゲラップ島の人々もまた、広島や長崎の人々と同じように、被爆者 なのであると、言える。何しろ、核兵器の何たるかも知らないままに、ロンゲラップ島に降り注ぐ「死の灰」を、粉末クリームなのかと思って、コーヒー に入れて飲んだり、御飯 にかけて食べた()というのだから 、その影響によって、何も知らないままに、癌 や白血病 になってしまった人も、多いのだろう
 オーストラリアに於ける、イギリス軍の核実験で被爆した、原住民のアボリジニー、イギリス軍、 オーストラリア軍の将兵達、フランスの核実験の「死の灰」を被ったポリネシアの様々な島の人々も、被爆者 であると言える。西暦1995年の、ムルロア環礁の「臨界実験」で、海面が真っ白に泡立つTVのニュース映像を見て、当時のわたしは、あまりの怒りに、全身の毛が逆立ち、全身の血が逆流したほどなのである
 そして、あのチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故により、放射能が飛散して行った周辺住民もまた、被爆者 であると言える

 ひょんな事から、わたしがCSで見た『特捜最前線』という刑事ドラマ(西暦1977年 西暦1987年)では、その初期作品の中で、第29話“プルトニウム爆弾が消えた街”と、第30話“核爆発80秒前のロザリオ”という前後編のお話 があった。そのうち、前者の劇中で、二谷英明氏が演じられている主人公の警視庁特命捜査課々長・神代恭介警視正が、
「核を弄ぶ貴様に、平和を云々する資格はない
「上手く行く 抑止力になる 平和利用する あらゆる核 保有国がみんなほざく、空疎な言葉 原子爆弾は一旦出来上がってしまうと、途中で自由に動き出す
 と、原始物理学 の権威で政府の原子エネルギー審議会 のメンバーである、刈屋教授に対して、激しい口調で噛み付いているのであるが、神代恭介警視正の台詞は、本当にごもっともな台詞 である、と思った
 同じ事は、前述 したロンゲラップ島の人々や、オーストラリアの原住民のアボリジニー、イギリス軍、オーストラリア軍の将兵達、ポリネシアの様々な島の人々―被爆者 ―にも言えるのであろう
 
 太平洋戦争の終戦から半世紀を迎えた、西暦1995年(平成7年)3月 、文化庁は文化財保護法 の史跡指定基準を改正して、同年6月に原爆ドーム(産業奨励館)は国の史跡に指定された。
 そして、西暦1996年12月 、原爆ドーム(産業奨励館)は世界遺産として登録 されたのである。

 西暦1945年(昭和20年)8月6日に、原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下した、ボーイングB―29・スーパーフォートレス(超空の要塞)戦略爆撃機“エノラ・ゲイ”は現在、アメリカの首都ワシントンD.C.のワシントン・ダレス国際空港郊外、スミソニアン航空宇宙博物館の別館となる、スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターで、公開展示されている。
 しかしながら、“エノラ・ゲイ”は、重要な常用展示機であり、その歴史的背景から、破壊行為などが行なわれないように、複数の監視モニターにて監視 されていて、不用意に機体に接近する不審者に対しては、監視カメラが自動追尾して、同時に警報が発生するシステムを採用。西暦2005年には映像解析装置までもが組み込まれるなど、厳重な管理下の元で公開展示されている。
 或る意味では、この飛行機がいなければ、今の日本は無かったであろう。しかしながら、東京や大阪など、日本の主要都市に大編隊を組んで飛来して、通常爆弾(焼夷弾)を大量投下して焼け野原にして、最後には広島と長崎に原子爆弾を投下してとどめを刺した、ボーイングB―29・スーパーフォートレス戦略爆撃機が、わたしは、
「嫌いだ

 今年・西暦2009年の4月5日 に、チェコ共和国の首都・プラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が、
「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」
 に触れて
「核 のない、平和で安全な世界を、アメリカが追求して行く
 と宣言した言葉に、共感した人も多い事であろう。わたしも、バラク・オバマ大統領と彼の言葉を、心の底から信用しながら、支持して行きたいものである

「核兵器 が国家を生む」
 というのは、人類の思想の中では、最も極悪・最悪な思想そのものであり、核兵器 はこの地球上から1発残らず、廃絶されて、然るべきものなのである