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反安保法案(米国の無法な戦争に加担する従米下請け戦争法案)反集団的自衛権、反安倍の管理人による真実を追求・周知するブログ

安倍議員の解釈改憲クーデターに至るまでのトンデモ発言と安保法案推進派の矛盾

2015年07月23日 | 改憲派・安保法案推進派への言いたい放題

平成26年(2014年)の7月1日、集団的自衛権の行使容認(9条の解釈変更)が閣議決定されたわけですが、これに至るまでの安倍議員によるトンデモ発言があり、身内の自民党内からも批判の声があがったことがありましたが、この件に関して今更ながら振り返り、安保保安推進派がいかに矛盾しているかということを示すために今回、この記事を書いてみました。

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平成26年(2014年)2月13日に行われた衆議院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり、その時に出た自民党・安倍議員(現最高責任者の総理大臣)のトンデモ発言の模様が映し出されている動画です。

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(※書きおこし)

憲法の解釈を政府が変更するだけで集団的自衛権の行使が認められるのか。

(自民党 安倍議員:最高責任者の総理大臣)

最高の、私は責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任をもって、その上において私たちは選挙において国民から審判を受けるんですよ。

この総理発言に今日、今日異論が噴出したのが身内である自民党の総務会でした。

(自民党 村上誠一郎 元行革担当大臣)

総理の発言は、選挙で勝ったら拡大解釈で憲法を改正しても、何をしてもいいのかと理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる

(自民党 船田元 憲法改正推進本部長)

拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう

野田総務会長は、こうした党内の意見を安倍総理に伝えるとした。

(※書きおこし終了)

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まず安倍議員の発言ですが、じっくり聴いてよく噛み砕いてみないと意味が把握できない状況です。

とりあえず、そのまま直訳すると(笑)、最高責任者たる安倍氏に解釈改憲で集団的自衛権行使容認を認めることは出来るが、選挙によって国民が再び自民党を政権与党に選び、私を総理として認めるなら集団的自衛権行使容認の解釈変更を国民も認めたことになる、というふうに勝手に解釈をしてみたわけですが、多分、これは安倍議員の発言の内容とはズレもあると思うので、その点ご了承ください。

仮にこういう解釈なら、村上議員の言うように前例が出来てしまい、その時々の政権も解釈で変更することが可能になる。安倍議員にだけ許される特権ではないはず。また船田議員の言うように、96条に則った憲法改正だって必要なくなってくる。

これは一種のクーデターのようなもので、それまで内閣法制局の判断による集団的自衛権は違憲であるという見解を代々政権も引き継いできた、そこには当然、根拠があって違憲であるという判断がなされてきたのだから、違憲と判断されてきた集団的自衛権の行使容認を根拠も曖昧なまま認める憲法の解釈変更を行う事は、暴力による政体変更と同様だと思うわけです。

 

◎安保法案:集団的自衛権限定行使案の推進派による集団的自衛権合憲説の根拠


巷の集団的自衛権推進派の言う、集団的自衛権は違憲ではなく合憲だと思う根拠として、国連憲章第51条において個別的自衛権や集団的自衛権を日本は認められている!そして9条では自衛権は認められているので集団的自衛権も認められていると判断できる、だから合憲だと思うという意見。

しかし、歴代内閣は、「集団的自衛権を行使して、自衛隊が海外で武力行使をすることは憲法9条に違反する」というのが見解であり、なぜ違反するのかといえば自衛権しか認めていない9条では、他国防衛のための集団的自衛権は自衛の概念には該当しないからでしょう。 また、他国防衛のための武力行使は、その武力行使の相手国の主権を侵害する行為だとして違憲であると解釈されている。→ 木村草太氏 集団的自衛権は憲法違反!(安保法制に関する国会での公述動画文字おこし)

つまり、推進派は、個別的自衛権も集団的自衛権も全て含めて自衛権だと思い込んでいるようなので、根本的に話がかみ合わなくなるのはこれが原因ではないでしょうか? 集団的自衛権は名称を変更するべきでしょう。『他国防衛権』とかに・・・。 本来の意味の自衛権は個別的自衛権のみでしょう。

 

◎集団的自衛権の行使は歴代内閣法制局見解に反する


集団的自衛権の解釈に関する質問主意書(平成二十六年四月二十五日提出質問第一四六号) ←こちらには、内閣法制局作成の「憲法関係答弁例集」、自衛権発動の要件として、「①我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したことこの場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」(同一三頁)である。したがって、「我が国の自衛権の発動が許されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られる」 ←このように示されています。

ということは、日本政府が集団的自衛権の・・一応定義としている『国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利』(「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答:内閣官房) これを行使するのは歴代内閣法制局見解、政府見解に反することになります。 つまり違憲という解釈も成り立つわけです。

 

◎解釈の曖昧な武力の行使の新3要件


しかし、このままでは認められないと判断したのか、安倍内閣によってそれまでの自衛権発動の要件(3要件)を変更し、武力の行使の新3要件として、「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」 ←このように変更された。

おきづきになっただろうか! 個別的自衛権で対応できる問題と、集団的自衛権で対応する問題をごちゃ混ぜにし、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」としているわけですが、我が国と密接な関係にある他国に武力攻撃が発生した場合、果たして我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求権の権利が根底から覆される明白な危険なんてありえるのだろうか?、それはどういう場合なのか?という大きな疑問があり、この危機事態が曖昧であり、これでは憲法に違反する恐れがあるとも言われています。

 

◎米軍に対する自衛隊の後方支援:兵站は戦争と一体不可分、戦争の一機能


安倍内閣の提出法案には、武力行使を行う米軍等への後方支援を定めた『重要影響事態法案』 『国際平和支援法案』という2つの法案がありますが、安倍議員は「我が国が行う後方支援は他国の武力の行使と一体化することがないように行うものです。このようなことから武力行使と一体不可分というご指摘は当たりません」と発言し米軍への後方支援を正当化していたわけです。

この後方支援を正式には兵站といい、米海兵隊が作った海兵隊教本には兵站について、『我々のドクトリン(政治や外交あるいは軍事等における基本原則)は、兵站が戦争と一体不可分であると認識している。』と書かれてあるそうです。

また、『兵站はいかに重要か。兵站は軍事作戦のいかなる実施の試みにおいても不可欠な部分である。兵站なしでは計画的で組織的な活動としての戦争は不可能である。兵站なしには部隊は戦場に辿りつけない。兵站がなければ武器や弾薬は無しになり、車両は燃料無しとなり、装備は故障し動かないままとなり、病人や傷病兵は治療のないままになり前線部隊は食料や避難所や医療無しに過ごさなければならない。』とも書かれてあり、兵站(後方支援)の重要性が示されているそうです。

そして、この教本の「兵站と戦争」という項では、『兵站は戦争の一機能であるが故に兵站システムと、そのシステムを作動させる部隊及び要因は、暴力及び危険の対象となる。兵站の部隊、設備、施設は軍事攻撃のかっこうの目標であることを認識することが重要である』 と書かれてあるそうです。

また安倍議員は、「兵站というのは安全なところでやるのは常識なんだ」という事を国会答弁で発言されたようですが、米海兵隊の教本には、戦闘部隊というのはいろんなところを動ける。だから柔軟性がある。そして兵站というのは計画的にやらなければならない。より軍事攻撃の格好の目標になる。このように書かれてあると言われており、軍事の常識とも言われているそうです。


つまり自衛隊が行う、米軍に対する兵站という後方支援は戦争行為に該当するものであると解釈できます。

安保法案(平和安全法制整備関連法案)は戦争抑止法案だ!!というわけのわからない事を推進派は主張していますけど、ここまで書いてきた事からすると戦争抑止どころか戦争促進法案ですよ。 米国に対する兵站(後方支援、安倍内閣では戦闘地域においても支援を出来るよにする)によって日本も戦争に巻き込まれる恐れが凄まじく高まる。 それに自衛隊の活動そのものが戦争行為といえるのだから。→ 安保法制推進派のデタラメな主張! 『集団的自衛権は戦争抑止のため』という詭弁

 

安倍内閣は、集団的自衛権といっても限定的に行使するだけだからといい正当化しようとしているが、そもそも限定だろうが、フルスペックの集団的自衛権だろうが、9条で禁止されている外国での武力行使、戦争行為に当たるようなのでダメなものはダメでしょう(笑)

 

(画像元):安倍総理「最高責任者は私だ」身内の自民から批判が(14/02/14)YouTube

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(※書きおこし)

集団的自衛権をめぐる安倍総理大臣の「最高責任者は私だ」という強気の発言に身内の自民党から批判が出るなど、政権運営への不満がにじみ出てきました。中継です。

はい、安倍総理の発言に対する批判について、石破幹事長はさっそく火消にまわりました。

(自民党 石破幹事長)

総理大臣がこう言えば何でもできるという話ではなく、(集団的自衛権の行使を)を容認をするとすれば、それはきちんとしたそれを裏付ける法律というものが必要だと思う。

「最高責任者は私だ」発言について、党内から「選挙に勝てば拡大解釈で憲法を改正していいのか」など批判の声があがっています。閣僚経験者からは、「さすがにあの答弁を聞いたら不安になる」と安倍総理の強気な姿勢に危機感を露わにしています。

(※書きおこし終了)

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下記は、外交防衛委員会調査室 中内康夫氏による資料のようですが、この資料には安倍議員による集団的自衛権行使容認(9条の解釈変更)に至るまでの具体的なトンデモ発言が記載されています。

集団的自衛権の行使容認と安全保障法制整備の基本方針 ― 閣議決定を受けての国会論戦の概要 ―

(立法と調査 2014. 9 No. 356(参議院事務局企画調整室編集・発行)

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(※一部転載)

(2)第2次安倍内閣の発足と安保法制懇の再開

平成 24 年の衆議院議員総選挙の結果、同年 12月26日に自民党と公明党の連立政権である第2次安倍内閣が発足すると、翌25年2月8日には、安保法制懇が再開され、安倍総理は、我が国の平和と安全を維持するために何をなすべきか、我が国をめぐる安全保障環境 の変化を念頭に置いて、改めて検討するよう指示した。

その後、同年 10 月3日の日米安全保障協議委員会(2+2)の共同発表では、日本の「集 団的自衛権の行使に関する事項を含む自国の安全保障の法的基盤の再検討」などの取組を 米国が歓迎する旨が記述され、翌 26年4月25 日の日米首脳会談後の共同声明においては、 「米国は、集団的自衛権の行使に関する事項について日本が検討を行っていることを歓迎 し、支持する」と明記されるなど、安倍内閣の取組に対する米国の支持が明らかになった。

また、26年1月に第186 回国会が召集されると、安倍総理は、施政方針演説の中で、集団的自衛権や集団安全保障などについて、安保法制懇の報告を踏まえ、対応を検討してい くと表明し、その後、この問題での国会論戦も本格化した。

特に、集団的自衛権の行使を認めるには憲法改正が必要であるとの過去の内閣法制局長官の答弁もあることから、安倍内閣が、憲法改正の手続を採らず、政府の憲法解釈の変更によって、集団的自衛権の行使を認めようとしていることの問題が繰り返し指摘された。

これに対して、安倍総理は、「そもそも憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい 解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらない」との認識を示した。この点について、従来の政府見解と異なっているとの指摘を受けた安倍総理は「先程から法制局に答弁を求めているが、最高の責任者は私です。選挙で国民の審判を受けるのは、法制局長官ではなく、私なんです」と発言したが、野党 やマスコミから立憲主義に反するといった批判を受けることとなった。

(※転載終了)

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上記の安倍議員の発言はどう考えてもおかしいと思いますね。 さも国民の負託を受けて選ばれた最高責任者たる自分の判断は内閣法制局より正しいといわんばかりの発言。 

誰も自分勝手に根拠もなく解釈変更していいという前提で選んだ人はいないと思うのだけど、こういうところが大きく勘違いをしているし、政治家としても不適合なのではないかと思いますが。 私には独裁者にしか見えないなぁ・・・。 そのくせ国民の意見はまるで無視するくせに、都合の悪い時だけ国民を持ちだすんじゃないよ、と言いたくなる。


内閣法制局というのは、行政府内における法令案の審査や法制に関する調査などを所掌する機関なわけで、その専門性と権威的なものから言えば、法の専門でもない安倍議員が内閣法制局を見下すような言い方自体がありえない話。これがこの人の本性なのでしょうね。

そして個別的自衛権や集団的自衛権の明文の規定はなく、集団的自衛権の行使が認められるという判断の解釈を明らかにすることによって可能であると発言されているけれども・・・

以下の自民党・稲田議員と民主党の細野議員のやり取りで、稲田議員は次のように述べています。 

 

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(※4分11秒あたりから、一部書きおこし)

(稲田氏)

憲法の解釈の基本は、最高裁の判決だと思います。砂川判決ですね。

それは憲法81条の中に憲法解釈の最高の権威というか、出来るのは唯一、最高裁であると書いてあって、その9条の解釈をしたのは唯一、砂川判決だけですね。

その判決に照らすとですね、勿論、自衛隊も合憲ですし、自分の国を守る自衛権の行使というのは主権国家であるなら持っているということですので、私は今回の集団的自衛権の極一部ですね、極一部を日本の国の存立が脅かされる、そして根底から覆されるような場合に集団的自衛権の行使をするのは違憲ではないと思います。

※2015年7月4日公開動画

(書きおこし終了)

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憲法の解釈の基本は、最高裁の判決だと思います」 このように述べられていますが、まず安倍議員は、集団的自衛権の行使は9条に違反しない、合憲だという前提で9条の解釈変更(集団的自衛権行使容認)したのだと思いますが、稲田議員の主張に沿えば、まず最高裁の判断を仰いでから解釈改憲を行うべきだったのではないかと思うわけです。

また、安倍内閣は集団的自衛権の合憲性を砂川事件を根拠にしていたようですが、これは米軍の日本駐留を合憲と認めた判決であって、集団的自衛権を合憲と認めた裁判ではなかった。 こちらの記事を参照→ 木村草太氏 集団的自衛権は憲法違反!(安保法制に関する国会での公述動画文字おこし)

 

最近、Twitterなどで憲法学者などが違憲だと言っているが、違憲か合憲かを最終的に判断するのは最高裁だ!といい、違憲主張するこちらに反論をしてくる安保法案(集団的自衛権限定行使案)推進派であり安倍親衛隊が多いですが、そもそも安倍議員は合憲を前提に集団的自衛権の行使を認める9条の解釈変更を閣議決定させたのであって、違憲を前提に行使容認解釈変更するわけがないので、主張に大きな矛盾があり、大きく自爆していると思うわけです(笑)

最高裁が合憲か違憲かを判定するといい、憲法学者の違憲判断を排除しておきながら、安倍議員の合憲を前提とした解釈変更閣議決定にはスルーする、その姑息さにはなんとも腹が立ちます。"(-""-)"

だったら解釈改憲の前にそれを言えと言いたくなりますが、解釈変更の閣議決定をしてから約1年も経って最高裁が合憲か違憲かを決めるのだし、憲法学者はこれまで自衛隊は違憲だと言っていたが結局、合憲だったのだし、所詮、学者のいう事などあてにならない、と捨て台詞のようなものを吐いて違憲説を否定する推進派が多いですが、じゃぁ、あなたたちの大好きな安倍議員に対してはどうなんだと!? 学者だけ批判して、安倍議員をスルーしちゃいかんよ!と強く主張したい。

 

そのくせ反論をしてくる推進派は違憲ではなく合憲だと思うと言い張るのだけど、一方では合憲か違憲かは最高裁が判断する問題だと言って学者の判断を排除しているが、これをダブルバインドというのではないでしょうか? 矛盾も甚だしい。 

正しくは、合憲か違憲かは最高裁が判断する問題なのだから、今は合憲か違憲かはわからない、というべきではないでしょうか!? そしてもう少し突っ込んでいうなら、憲法学者を批判するなら安倍議員の行動も間違っていたと批判すべきではないでしょうか!?(-_-;)

で、ふと思ったのですが、仮に最高裁判決で違憲の判定が下されたとき、安倍議員は総理辞任して内閣解散でもするのでしょうか? 「最高責任者は私だ」というなら当然、すべきでしょう。 最高責任者の意味を理解して言っているのなら・・・。



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