半かたぎ生活(?)の私は、お盆休みの有り難さを実感。
個人的な仕事に切れ目はなく、自宅で台本直しやマスク作りなど
しながらも、「出勤」しなくいていいという解放感を味わった。
9月『うぶすな』公演時に、福井からのボランティアの若者が
大勢我が家で合宿するので、布団干しも始めた。
母の葬式の時には廊下にも布団を敷いて、兄やいとこ達の家族が
泊まってくれた。松花粉の季節だった。寒いのでありったけの布団を
動員したっけ・・・。
この頃、死を意識して行動している自分に気づく。
面倒な事で溢れている日常を、「仕方ないよ、しばらくしたら
やりたくても出来なくなる」と思う。苦手な家事もパソコンも
人間関係も、何だかいとおしい。
その前に、いつまで人の手を借りずに生きていられるかという
問題が迫っているわけで、買い物袋をさげながら、脚を引きずり
腰を曲げて必至に歩いている老人たちを見ると、身につまされる。
そこまで考えるのは、せっかちに過ぎるか。
お盆最後の日の朝、お寺に霊送りをしに行った時、最近とても
親しくお話ししたのに、何処で会ったかサッパリ思い出せない方
をお見かけした。二日後、マーケットの出入り口でまたバッタリ。
この時は思い切って「あのー」と声をかけた。気になって仕方なか
ったからだ。彼は「あー、○○です!」と名乗って下さった。
彼も、お寺で私を見かけ「誰?」と気になっていたとおっしゃる。
私が話しかけた途端に思い出したそうだ。
彼は、先月末に亡くなった朗読会のメンバーの息子さんだった。
ご自宅にお線香をあげに伺った日、お母さんの思い出話を聞かせて
下さり、親孝行な息子さんだと印象に残ったのに思い出せなかったとは。
マーケットの自動ドアが、開いたり締まったりを繰り返した。
「母が遺したダブルカセットデッキがあるんです」
番号がついているところをみると、どうやら借り物らしいのだが、
あちこち問い合わせても「カセットデッキはもう使わないので、たとえ
うちのだとしてもお返しくださらなくて結構です」と言われ・・・、
「もう捨てようかと思っていましたが、あなたのではないですよね?」
そう聞かれて思わず、「私にください!」
と答えていた。そしてその瞬間に、亡くなった彼女が私達を出会わせて
くれていたんだ、と思った。
店頭にダブルカセットデッキを見かけなくなって久しい。我が家のは
2台ともとうに壊れてしまっていて、以前から困っていたのだ。
お盆がくれたご縁に、私はしばし呆然とした。
その夜の敦賀花火大会は一人で観た。華やかで力強い花火が、亡くなった
人々の笑顔に思えた。
彼岸は、なかなかオツなところのようだ。
個人的な仕事に切れ目はなく、自宅で台本直しやマスク作りなど
しながらも、「出勤」しなくいていいという解放感を味わった。
9月『うぶすな』公演時に、福井からのボランティアの若者が
大勢我が家で合宿するので、布団干しも始めた。
母の葬式の時には廊下にも布団を敷いて、兄やいとこ達の家族が
泊まってくれた。松花粉の季節だった。寒いのでありったけの布団を
動員したっけ・・・。
この頃、死を意識して行動している自分に気づく。
面倒な事で溢れている日常を、「仕方ないよ、しばらくしたら
やりたくても出来なくなる」と思う。苦手な家事もパソコンも
人間関係も、何だかいとおしい。
その前に、いつまで人の手を借りずに生きていられるかという
問題が迫っているわけで、買い物袋をさげながら、脚を引きずり
腰を曲げて必至に歩いている老人たちを見ると、身につまされる。
そこまで考えるのは、せっかちに過ぎるか。
お盆最後の日の朝、お寺に霊送りをしに行った時、最近とても
親しくお話ししたのに、何処で会ったかサッパリ思い出せない方
をお見かけした。二日後、マーケットの出入り口でまたバッタリ。
この時は思い切って「あのー」と声をかけた。気になって仕方なか
ったからだ。彼は「あー、○○です!」と名乗って下さった。
彼も、お寺で私を見かけ「誰?」と気になっていたとおっしゃる。
私が話しかけた途端に思い出したそうだ。
彼は、先月末に亡くなった朗読会のメンバーの息子さんだった。
ご自宅にお線香をあげに伺った日、お母さんの思い出話を聞かせて
下さり、親孝行な息子さんだと印象に残ったのに思い出せなかったとは。
マーケットの自動ドアが、開いたり締まったりを繰り返した。
「母が遺したダブルカセットデッキがあるんです」
番号がついているところをみると、どうやら借り物らしいのだが、
あちこち問い合わせても「カセットデッキはもう使わないので、たとえ
うちのだとしてもお返しくださらなくて結構です」と言われ・・・、
「もう捨てようかと思っていましたが、あなたのではないですよね?」
そう聞かれて思わず、「私にください!」
と答えていた。そしてその瞬間に、亡くなった彼女が私達を出会わせて
くれていたんだ、と思った。
店頭にダブルカセットデッキを見かけなくなって久しい。我が家のは
2台ともとうに壊れてしまっていて、以前から困っていたのだ。
お盆がくれたご縁に、私はしばし呆然とした。
その夜の敦賀花火大会は一人で観た。華やかで力強い花火が、亡くなった
人々の笑顔に思えた。
彼岸は、なかなかオツなところのようだ。
わたしも最近よく死を意識します。
がん、脳卒中に加え、関節痛、痴呆症まで心配の種になってきて、「一体いつまで元気でいられるのだろう」と思うと心配で夜も寝られない・・・なんてことはなく、いつでもどこでも寝られるのですが―(私の唯一の長所!)
それでこの頃つくづく思うのです。生きていくだけで大仕事だなと。
あちこち傷み始めた体をいたわりながら、家事をこなし仕事をこなし、年老いた親を気にしつつ、離れて暮らす子供たちの心配もし、夫と犬の健康にも気を配り(夫と犬が同列なのは如何なものか? でもこれが現実)、肩こり体操、腰痛体操、脳トレなどのアンチ・エイジングに励んでいると、あっという間に一日が終わってしまいます。
さらに白髪染めやお肌のお手入れが加わったら、寝る暇がなくなってしまいます。
あ~あ、めんどくさっ!
若い人がホントにうらやましい。
でも不思議と、若いころに戻りたいとは思わないのです。老いていく自分と向き合いながら、ゆっくりと後戻りのできない道を歩んでいくしかないと、頭のどこか深いところで分かっているのです。
ゴールまでたっぷり時間があるわけではありません。だからこそ今を大切にして、丁寧に生きていきたい―いえ、生かしてください、と祈るような気持ちになります。
ところで、人村さんをそんなに悩ます文芸協会のお仕事って、どんなんですか?
敦賀を、福井県をどうCHANGEなさろうとしているのですか?
私も一応福井県民なのですが、敦賀がそんなに文化活動に力を入れていたとは知りませんでした(お恥ずかしい・・・)
それに、「○○協会」などと看板が上がっていたりすると、一般人は気後れしてしまって、どうしても距離を置いてしまうんじゃないでしょうか?
いっそ、名前をCHANGEしてはいかがでしょう?
話が脱線してしまいました。
今回はこのへんで。
くれぐれもお体ご自愛ください。