夕焼けの挨拶、一部改稿しました。
作者が自分の作品の解説的な事をするのは、あまり恰好のいいものではないかもしれないです。
友人にも、作品鑑賞において大事なのは鑑賞者が感じたことで、作者サイドの背景には拘り過ぎてはいけない、という人が居ます。もっともだと思う部分もあります。
が、今作に限ってはセカイ系の実験作であること、思い入れがいよいよ強まってきた事から簡単にではありますが作品に言及してみたいと思います。自分語りが過ぎて痛々しい事になりそうですが、お付き合いください。
さて、まず改稿点を簡単にまとめます。
・季節をぼかした事
・女の子の年を年上に修正したこと(凡ミスでした)
・少女の二人称呼び掛けを僕、から君に変えたこと
・男の子の挨拶をこんばんはに変えたうえで、二節にしたこと。
・女の子の告白を、ささやく様に、と形容したこと。
今作の成り立ちはセカイ系の構造を持つ作品で中間項を極限まで削ぎ落したらどうなるか、を提示するための実験作として短時間で書き上げたことです。
普通の男の子と神様の女の子が前触れも必然性もなく出会い、結果として世界が救われる話と言えるでしょうか。
伏線として、世界がどのような危機を迎えていたかは草が猛烈に枯れかけていたり、学校が休みになっていたり、寒かったりという辺りに込めてありますが、はっきり言って重要ではありません。
もう少しぼかしても良かったかもしれない位ですが、言い訳程度には。他にも色々あって、兎に角世界がやばい。これでオッケーです。なんて投げやりな事か。でも、これで構わないんですね。
何故なら、セカイ系の構造で大事なのは結局君と僕、の二者であるから。
僕ははっきりした年齢設定をしていません。世界を背負っている存在と向き合って臆さない程度にはまだ純粋である、というのが彼の持つ性質です。
もう一方の少女。少しお姉さん。マジックナンバー14歳くらいの外見、なんてすると狙いすぎでしょうね。女神さまです。彼女の頑張りで世界は維持されております。感謝。
彼女も明確な設定はありません。ただ、自分の統べる世界が好きで夕日を追いかけて世界一周してしまうくらいには可愛い性格と超越的な力を持ちます。
そして、その事に全能感を感じたりはしていません。むしろ大変そうです。ノブレス・オブリージュとは違うのかもしれませんが、高位の存在には高位の責任が伴っているのでしょう。
今作の工夫としては会話文を平易に、形を揃えて羅列したことにあります。セカイ系を意識した造りで、普段あまりこういう事をしないので、変でないか少し不安ですが挑戦です。
そして、重要な個所を破格の形式にすることで、視点を集めようと試みました。文章上の視点誘導、強調のつもり。分かりにくいですが。
今作はセカイ系を突き詰めたため、テーマがありません。自分がセカイ系をジャンルと言いたくないのもここにあって、私が唱える(予定の)物語構造論から考えても相当に異常です。
だから、エンターテインメント性を考えた時、雰囲気でグッと持っていく構造がセカイ系には絶対に必要です。逆に言うと、雰囲気で持っていくまでがセカイ系の限界ともいえるでしょう。
個人的には新海誠作品が初期において特にセカイ系構造を有していたのは氏が絵と音楽で作る雰囲気で人の心を動かしてしまえる才能を有していたからであると考えています。相性がいい。
この観点から見ると、君の名は。がポストセカイ系と言えそうだ、と私は感じて居りまして、それをしっかり基礎から本ブログで論じて行きたいと思います。
本作品の肝は、表題にも挙げた夕焼けの挨拶、にあります。夕方に自分が感じていたのは遊びの終わり、一時の別れであったろうという考えから、このような形になりました。
そこに、夕方に挨拶無いんじゃないか、というアイデアがうまく乗りました。
手前味噌ではありますが、セカイ系として必要とされる最低限の雰囲気を作ることには成功したと言えそうです。
反省点としては、僕が少女に好きだというシーン。作者の意図としては、これは別に少女が好きだ、という意味ではないのですが、唐突な告白には違いないので自分でも違和感が残ってしまいました。
彼が好きなのは彼の周囲の世界です。その上で幼いながらも、少女=女神さま=世界そのもの、という事情を理解し、彼なりの短い人生経験から世界全てを肯定した、その事が少女の救いになった、そして世界の行く末は変わったのだ、という文脈を表現したかった。完全に力不足で悲しいほどですが、作意としてはこの一点に尽きる、と言えます。
ここで女神さまの二人称が重要で、僕、だとどうしてもちょっと年下扱いが強まるかな、と感じて変更しました。君、を使うことで彼女が少年を軽視せず世界の一員として一人前に見ていることを示唆し、だからこそその言葉に救われたし、彼の生きる世界、彼が好きな人が生きる世界、彼が好きな世界、を維持するのをもう少し頑張ろう、という動機への橋渡しを試みたのです。
と、大体このあたりでしょうか。純粋な意識が世界を肯定する力。そんなものが少しでも描けていれば幸いに思います。
以上、やっぱり恥ずかしい文章になったような気もしますが、このまま公開いたします。お読み頂きありがとうございました。。
作者が自分の作品の解説的な事をするのは、あまり恰好のいいものではないかもしれないです。
友人にも、作品鑑賞において大事なのは鑑賞者が感じたことで、作者サイドの背景には拘り過ぎてはいけない、という人が居ます。もっともだと思う部分もあります。
が、今作に限ってはセカイ系の実験作であること、思い入れがいよいよ強まってきた事から簡単にではありますが作品に言及してみたいと思います。自分語りが過ぎて痛々しい事になりそうですが、お付き合いください。
さて、まず改稿点を簡単にまとめます。
・季節をぼかした事
・女の子の年を年上に修正したこと(凡ミスでした)
・少女の二人称呼び掛けを僕、から君に変えたこと
・男の子の挨拶をこんばんはに変えたうえで、二節にしたこと。
・女の子の告白を、ささやく様に、と形容したこと。
今作の成り立ちはセカイ系の構造を持つ作品で中間項を極限まで削ぎ落したらどうなるか、を提示するための実験作として短時間で書き上げたことです。
普通の男の子と神様の女の子が前触れも必然性もなく出会い、結果として世界が救われる話と言えるでしょうか。
伏線として、世界がどのような危機を迎えていたかは草が猛烈に枯れかけていたり、学校が休みになっていたり、寒かったりという辺りに込めてありますが、はっきり言って重要ではありません。
もう少しぼかしても良かったかもしれない位ですが、言い訳程度には。他にも色々あって、兎に角世界がやばい。これでオッケーです。なんて投げやりな事か。でも、これで構わないんですね。
何故なら、セカイ系の構造で大事なのは結局君と僕、の二者であるから。
僕ははっきりした年齢設定をしていません。世界を背負っている存在と向き合って臆さない程度にはまだ純粋である、というのが彼の持つ性質です。
もう一方の少女。少しお姉さん。マジックナンバー14歳くらいの外見、なんてすると狙いすぎでしょうね。女神さまです。彼女の頑張りで世界は維持されております。感謝。
彼女も明確な設定はありません。ただ、自分の統べる世界が好きで夕日を追いかけて世界一周してしまうくらいには可愛い性格と超越的な力を持ちます。
そして、その事に全能感を感じたりはしていません。むしろ大変そうです。ノブレス・オブリージュとは違うのかもしれませんが、高位の存在には高位の責任が伴っているのでしょう。
今作の工夫としては会話文を平易に、形を揃えて羅列したことにあります。セカイ系を意識した造りで、普段あまりこういう事をしないので、変でないか少し不安ですが挑戦です。
そして、重要な個所を破格の形式にすることで、視点を集めようと試みました。文章上の視点誘導、強調のつもり。分かりにくいですが。
今作はセカイ系を突き詰めたため、テーマがありません。自分がセカイ系をジャンルと言いたくないのもここにあって、私が唱える(予定の)物語構造論から考えても相当に異常です。
だから、エンターテインメント性を考えた時、雰囲気でグッと持っていく構造がセカイ系には絶対に必要です。逆に言うと、雰囲気で持っていくまでがセカイ系の限界ともいえるでしょう。
個人的には新海誠作品が初期において特にセカイ系構造を有していたのは氏が絵と音楽で作る雰囲気で人の心を動かしてしまえる才能を有していたからであると考えています。相性がいい。
この観点から見ると、君の名は。がポストセカイ系と言えそうだ、と私は感じて居りまして、それをしっかり基礎から本ブログで論じて行きたいと思います。
本作品の肝は、表題にも挙げた夕焼けの挨拶、にあります。夕方に自分が感じていたのは遊びの終わり、一時の別れであったろうという考えから、このような形になりました。
そこに、夕方に挨拶無いんじゃないか、というアイデアがうまく乗りました。
手前味噌ではありますが、セカイ系として必要とされる最低限の雰囲気を作ることには成功したと言えそうです。
反省点としては、僕が少女に好きだというシーン。作者の意図としては、これは別に少女が好きだ、という意味ではないのですが、唐突な告白には違いないので自分でも違和感が残ってしまいました。
彼が好きなのは彼の周囲の世界です。その上で幼いながらも、少女=女神さま=世界そのもの、という事情を理解し、彼なりの短い人生経験から世界全てを肯定した、その事が少女の救いになった、そして世界の行く末は変わったのだ、という文脈を表現したかった。完全に力不足で悲しいほどですが、作意としてはこの一点に尽きる、と言えます。
ここで女神さまの二人称が重要で、僕、だとどうしてもちょっと年下扱いが強まるかな、と感じて変更しました。君、を使うことで彼女が少年を軽視せず世界の一員として一人前に見ていることを示唆し、だからこそその言葉に救われたし、彼の生きる世界、彼が好きな人が生きる世界、彼が好きな世界、を維持するのをもう少し頑張ろう、という動機への橋渡しを試みたのです。
と、大体このあたりでしょうか。純粋な意識が世界を肯定する力。そんなものが少しでも描けていれば幸いに思います。
以上、やっぱり恥ずかしい文章になったような気もしますが、このまま公開いたします。お読み頂きありがとうございました。。