日本茶とお茶の間

お茶の間を復活させたい思いから、日本茶に関連する情報などを発信し、みなさまとの情報交換の場にしていきたいです。

オキナ草・アイちゃん・ケンさん

2017年07月03日 17時25分19秒 | 茶戸庵日記


早や、一年の半分が過ぎたのですね。
七月は、風待月とも書くのだそうです。
涼しい風が吹くのを待つから・・・ご存知でしたか?
熱い日ばかりではなく、風を待つことをまるで、
最大の目的であるかのような植物も沢山あります。 


 
 うずのしゅげを知っていますか。
うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと
よばれますがおきなぐさといふ名は何だか
あのやさしいわかい花をあらはさないやう
におもひます。
 そんならうずのしゅげとは何のことかと
云われても私にはわかったやうな亦わから
ないやうな気がします。
 それはたとへば私どもの方でねこやなぎ
の花芽をべむべろ云ひますがそのべむべろ
が何のことかわかったやうなわからないや
うな気がするのと全くおなじです。とにか
くべむべろといふ語のひびきの中にあの柳
の花芽の銀びろうどのこころもち、なめら
かな春のはじめの光の工合が実にはっきり
出ているやうに、うずのしゅげといふとき
あの毛葦科のおきなぐさの黒嬬子の花びら、
青じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉、
それから六月のつやつや光る冠毛がみなは
っきり芽にうかびます。

宮澤賢治作品の中に花鳥童話と呼ばれるも
のがあります。
その中の童話『おきなぐさ』のいちばんはじ
めの語りかけのことばです。名前を表面的に
とらえ『翁草』であってはならないことを、と
てもていねいに書いています。うずのしゅげ
とは何のことかわからないのですが、そのこ
とばの持つ響きこそが伝えたい事のひとつの
ような気がするのです。

なぜ、この様なお話をするのかと言いますと
まるでその響きをもつうずのしゅげは、私の
大切な友人と繋がっているような気がするか
らです。始めて写真で見せて頂いたその美し
い控えめな花は可憐でいながら逞しいと思え
ました。
それから、しばらくして偶然同じ名前の童話
をみつけました。やはり、友人のアイさんだ
と確信しました。どうしても、胸に収めるこ
とが出来なかったアイさんとの別れ、しかし
より強くわたくしの中に息づいている。
お話の中で蟻や山男のうずのしゅげとの対話、
根底にあるものは大きな大きな自然との対話
でした。

「いいえ、お日さまの光の降る時なら誰にだ
って真っ赤に見えるだらう思ひます。」

山男は鳥を食べるのも忘れて1本のうずのし
ゅげを見つめている。

蟻の視線になり山男の姿に重ねて、ふたつの
おきなぐさの会話に耳を澄ます。春の花から
ふさふさの銀毛の房にかわっている。
風によって飛ばされる日を待って・・・

「いいえ、飛んだってどこへ行ったって野原は
お日さんのひかりで一杯ですよ。僕たちばら
ばらにならうたってどこかのたまり水の上に
落ちようたってお日さんちゃんと見ていらっ
しゃるんですよ。」



大きな大きな、自然を愛し愛で取り入れ、そ
の豊かな恵みを全身全霊で、受けとめ慈しみ
育てたアイさんがいます。
山の恵みを、畑の恵みを薬草に酵素にと自ら
縦横無尽に手のうちに入れていたアイさん。
昨年、宮澤賢治の命日の前日に帰らぬ人とな
りました。
おきなぐさは、賢治さんでもありわたくしの
中では、アイさんでもあります。
風を待ち、その気高い魂を天上に舞い上げま
した。大きな風が吹くのを待っていたのです。
恐くもなく、静かに穏やかに吹く風を受け止
めたのですね。

風とおきなぐさとアイちゃんの物語、創作し
ています。おたのしみに











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