●日本髪 2
●時代行列 http://ja.wikipedia.org/wiki/時代行列
時代行列(じだいぎょうれつ)とは、祭りの中で古墳時代から昭和初期までの時代考証に基づき、各時代の扮装を復元した上で行う行列であり、歴史まつり、武者行列、等の呼称で呼ばれることもある。
特に近代以降を発祥とする都市祭礼のなかで見られ、戦後に観光業振興のため地域の歴史的資源が着目されて創始された例が多い。
地域住民を主体とする伝統的祭礼と異なり行政主導である事が多く、宗教的側面が薄く伝統的制約が少ないため集客を目的としたさまざまな趣向が凝らされて華やかなイベントとなる傾向にある。
江戸時代
諸大名が国許(くにもと)と江戸を行き来する参勤交代の様相を再現した大名行列の形式をとる場合が多い。
大名行列の象徴は毛槍や挟箱を振って歩く奴行列であり、その所作は奴振りと呼ばれて人々を楽しませた。
現在みられる時代行列においても、各地でその地域特有の伝統的な奴振りがみられる。
又、姫役、腰元役、町人役、大道芸人役、等の女性や少年少女が登場する場合も多い。
各種の日本髪を観察する絶好の機会。
おいらん道中、丸髷、稚児髷も参照。
●髪油 http://ja.wikipedia.org/wiki/髪油
髪油(かみあぶら)とは、頭髪用の油で整髪料の一種。
椿油、丁子油、オリーブ油、ミネラルオイル(鉱物油)といった物単品か、混合したもので、髪の色艶をよくし、形を整え、扱い易くする為に用いる。香料で香りを付けた物は、香油、頭髪香油とも呼ばれる。
日本髪を結う際には欠かせない鬢付け油・梳き油や、主に男性用のポマード・チックなども含む。ブリリアンティン。
また、ヘアアイロンを使ったストレートパーマを作るときにも頭髪を痛めないために用いることがある。
●髢 http://ja.wikipedia.org/wiki/髢
髢(かもじ・髪文字)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。今日では、日本の女性がいわゆる日本髪を結う際に用いることが多い。
頭部全体に被る「かつら」とは別物であるが古くは両者に明確な区分は無かったと言われ、語源としては「かつら」の女房言葉表現として用いられた髪あるいは鬘に“文字”を付け加えた「か文字」という言葉に由来していると言われている。そのため、今日でも「髪文字」という当て字表現が用いられる場合がある。
古来より髪を結う際に形を整えるために用いたと言われており、記紀においては天鈿女命が天岩戸の前で神がかりを行うために「真拆の葛」(テイカカズラの蔓と言われている)を頭部にまとったのが髢・かつらの原型であるとも言われている。律令制で六位以下の女性の服制にあった「義髻(ぎけい)」と呼ばれる義髪も髢の一種であるとされている。平安時代では女性が髪を垂らすために髢を補ったとされる。後においては結髪・垂髪両方に用いられるようになり、結髪においては髷の根元部分に用いた「根髢(ねかもじ)」や鬢を補うために用いた蓑状の「鬢蓑(びんみの)」などが良く知られ、垂髪においては宮廷で行われたおすべらかしにおいて髪を後ろに垂らすために用いた「長髢(ながかもじ)」や前髪を平額にすらための「丸髢(まるかもじ)」などが用いられていた。
昭和に入ると、日本髪の減少とともに髢も用いられなくなり、一般においては日本髪にする際にもかつらが代わりに用いられる場合が多い。ただし、神社の巫女などの場合、長髪の女性でもより黒く豊かに見せるために髢を付ける場合がある。
●夜会巻き http://ja.wikipedia.org/wiki/
夜会巻き(やかいまき)とは、鹿鳴館時代に流行した日本の髪型(束髪)の一種である。 後髪の束をねじり上げて髻を作た型を基本とし、揚げ巻き・花月巻きとも言う。 髪を位置ごとにブロッキングして結い上げる工程が従来の日本髪と共通することから、和洋折衷の髪型とも言える。 日本髪になじんでいた明治の夫人には、結い方が馴染みやすかった所から愛好された。
風俗研究家の河合長範によれば、日清戦争前後に割烹処「花月」の女将が着物にも洋装にも似合う髪形として結い始めたのが元になって花月巻きといわれている。 非常に人気が出たため後には、富裕な夫人が舞踏会等の夜会に向かうためドレスに合わせて結う髪型として人気が高くなった。
大正時代には山の手夫人の間にこの髪型に結い上げた後、プラチナ製の大振りな扇形の簪を挿すのが流行した。
髪を片側に巻き込んで左右非対称に結う様子が特徴的で、優雅な印象に根強い人気があるため十数年ごとにブームが再来するとも言われる。
●島田髷祭 http://ja.wikipedia.org/wiki/島田髷祭
島田髷祭(しまだまげまつり、島田髷まつり)とは、毎年9月第3日曜日に静岡県島田市にて行われている、島田髷の考案者とされる「虎御前」を偲ぶ祭りのこと。1933年9月19日に行われた虎御前感謝祭以来、島田髷祭として行われている。当初は休止と催行を繰り返していたが、1968年以降は毎年実施されるようになり、2008年で51回目の開催となる。
数十名の参加者が日本髪を結い、お揃いの浴衣に丸帯、袋帯等を結んで奉納踊りを舞う(島田髷道中)。その後、虎御前の菩提寺でもある鵜田寺にて髷供養感謝祭を行う。島田髷をはじめとして兵庫髷、勝山髷、笄髷といった多様な日本髪を見ることができる。
なお、かつらを使用する者は数名にとどまり、ほとんどの参加者が地毛で日本髪を結うという。
平成22年(2010年)の島田髷まつりには、髷娘が70名以上参加して12:00スタートの髷道中が島田市内の『本通り』商店街やJR島田駅前広場・大井神社・市民病院前などで手踊りを披露します。 3歳から和風好みのミセスまでの艶やかな髷娘の皆さんの伝統美をご観賞ください。 なお髷娘の皆さんはその方の髪型が背中の団扇に書いてありますので、ご参考下さい。 また野田の鵜田寺(虎御前の菩提寺)には、約20種類のかつらの展示もあります。
●半玉 http://ja.wikipedia.org/wiki/半玉
半玉(はんぎょく)とは関東地域を中心とした花柳界における年少芸妓(芸者の見習い)のことである。
別名「おしゃく(しばしば雛妓の字があてられる)」「赤襟」「半線香」など。
名前はかつて「玉代(ぎょくだい)」が一人前の芸者の半分であったことに由来する。
服装
髪型は日本髪で唐人髷または桃割れ、少し大きくなると結綿に結ったりもしたという。
現在は鬘使用が圧倒的多数だが、かつては地毛結いであった。髪には花かんざしを飾る。
年少芸妓である半玉の着る振袖は、現代にいたるまで「肩揚げ」のついた子供仕様である。
また、半玉の間は正式な座敷姿で(白塗り日本髪)お座敷に出るが関西の「舞妓」と異なり正式な形であっても裾は「おはしょり」をしているのが特徴。
帯は錦の帯を半玉独特の形(通称「おしゃく結び」・一般に後見結びと呼ばれるものに近い)に結ぶ。
半襟は紅系統で豪華な刺繍が施され、足元はぽっくり下駄である。かんざし、着物の雰囲気などに各街の特徴が出ていたようである。
●手拭 http://ja.wikipedia.org/wiki/
手拭(てぬぐい)は、汗や顔や手を洗った後の水を拭ったり、入浴時に体を洗ったりするための木綿の平織りの布である。本来は寒暑除けや塵除けなどの目的や、祭礼においての装身具として頭にかぶるものである。
[[歌麿]]画:『汗を拭く女』。日本髪を結った女性の鉢巻き、歌舞伎で言うところの「お三輪? ...わからないが、「'''道心被り'''」というものもある。[[日本髪]]から大きく変わったこともあり、被り方の名称は時代により色々と変わってきた。
●櫛 http://ja.wikipedia.org/wiki/櫛
櫛(くし)は、髪をといたり、髪を飾ったりする道具。英語でコーム (comb) と呼ぶこともある。
●檜山うめ吉 http://ja.wikipedia.org/wiki/檜山うめ吉
檜山 うめ吉(ひやま うめきち、本名:林知惠、12月8日生)は、落語芸術協会所属の俗曲師。
岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷天城高校卒業。1991年から国立劇場研修生として寄席囃子を学び、1993年に落語芸術協会に入会、お囃子として活動した。その後、檜山さくらに師事して端唄を習得。2000年から檜山うめ吉として俗曲師の活動を開始した。
着物に自毛で結った日本髪、白塗りの厚化粧という格好で三味線を用いて端唄、民謡や昭和歌謡を歌う純和風アーティスト(純邦楽奏者)。ソロの時はうめ吉の名義で歌う。バンドとダンサーをしたがえたユニットUmekichi(うめきち)としても活動。
●島田(しまだ、しまた) http://ja.wikipedia.org/wiki/島田
日本髪の結い方で髪型の1つ。島田髷。高島田、娘島田、芸者島田、つぶし島田などがある。
●年少芸妓 http://ja.wikipedia.org/wiki/年少芸妓
年少芸妓(ねんしょうげいぎ)とはまだ芸妓としては一人前でない若い芸妓、または芸妓見習いとして花街のお座敷に出ている少女を指す。
肩揚げ、袖揚げをした振袖の着物に紅系統の刺繍の半衿、ぽっくり下駄、少女向きの日本髪(桃割れ、唐人髷、結綿、割れしのぶ、おふくといったもの)、花かんざしといったいかにも幼さを強調したいでたちであるのが特徴である。
かつては「半人前」の身分であるとして「花代」(玉代、線香代とも)が芸妓の半分であることもあった(京都の舞妓はそうではない)。現代ではそのようなことはない。
呼称としては「半玉」「おしゃく(お酌とも雛妓とも書く)」「舞妓」「赤襟」「金魚」「雛妓(ひなつこ)」「振袖」など。
関西では「舞妓」、それ以外の地域の花街では「半玉」が一般的である。
山形・酒田では若手の社員芸妓を「舞娘」と呼んでいる。
また、半玉も含めての「若手芸妓」を「きらり妓さん」(神奈川・箱根湯本温泉)「からり妓さん」(福島・会津東山温泉)といった愛称で呼ぶところもある。
また東京・浅草には「半玉」の姿を借りた「振袖さん」がいる。彼女らは「株式会社 浅草観光振袖学院」に所属する「社員芸妓」であり、浅草花柳界とは無関係(浅草の「半玉」さんとは違う)である。
●神戸の花街 http://ja.wikipedia.org/wiki/神戸の花街
神戸の花街(こうべのかがい/はなまち)では、神戸市に存在した花街、また遊廓について述べる。
瀬戸内海の港町として栄え、随時して遊廓も誕生した。日本髪の一種である「兵庫髷」の発祥の地である。
●抜衣紋 http://ja.wikipedia.org/wiki/
抜衣紋(ぬきえもん)は、和服の着付け方のひとつである。 後襟を引き下げて、襟足が現われ出るように着ること。
概要日本髪の髱、結髪をくずさない、襟の汚損を防ぐために生じた着方と見られる。
身頃の肩山を後ろにずらして襟肩回りを髱の形や位置にあわせてU字型、あるいはV字型に後ろに引いて着る。
仕立てのときに繰り越しを加減しないと十分に衣紋を抜くことができない。
繰り越しはだいたい1cmから5cmくらいまでであるが、着付けの良し悪しに衣紋の抜きかたは重要である
「松屋筆記」93によれば、「追衣紋(のけえもん)多くは誤てぬきえもんと云へり」という。
●元服 http://ja.wikipedia.org/wiki/元服
元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降、男子の成人を示すものとして行われる儀式のことであり、通過儀礼の一つである。
「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。
女性の元服
江戸時代以降は女性も元服と称し、結婚と同時に、あるいは未婚でも18 - 20歳くらいで行った。女性で元服という場合は、地味な着物を着て、日本髪の髪形を丸髷、両輪、又は先笄に替え、元服前より更に厚化粧になり、鉄漿親(かねおや)によりお歯黒を付けてもらい、引眉する。お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園の舞妓、嶋原の太夫等、一部の花街に残る。
●美容師 http://ja.wikipedia.org/wiki/美容師
美容師(びようし、英: beautician、hairdresser)は、厚生労働大臣の免許を受けてパーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくする者をいう。
なお、染毛(ヘアカラー)は、美容師法第二条第一項に明示する行為に準ずる行為であるので、美容師又は理容師でなければこれを業として行ってはならない。
[[結髪]]技術<ref>日本髪や束髪を結う技術。</ref>の教授を目的に「女髪結」の師? ...(本格的な洋装化は第2次大戦後)であったとはいえ、日本髪や束髪の衰退傾向は見え始めていた。
●嘔吐 http://ja.wikipedia.org/wiki/嘔吐
嘔吐(おうと)とは、動物やヒトの口から胃の内容物を吐き出す行為、又は症状である。
きつすぎる衣服(特に着物)、帽子、ヘルメット、[[日本髪]]の[[鬘]]([[結婚式]]、[[舞踊]]発表会、等)
●時代考証 http://ja.wikipedia.org/wiki/時代考証
時代考証(じだい こうしょう)とは、映画・テレビの時代劇や時代小説などで描かれる歴史的な過去の言葉遣い・名称や呼称・生活習慣・建築様式・美術様式・政治制度などが、史実として適正なものか否かについてを検証すること。
専門分野に応じて美術考証(びじゅつ こうしょう)・衣装考証(いしょう こうしょう)などともいい、また略して単に考証(こうしょう)ともいう。
●禿 http://ja.wikipedia.org/wiki/禿
禿(かぶろ、かむろ)とは、肩までで切りそろえた児童期の髪型。 またその髪型をした者。 狭義では、遊郭に住み込む童女をさす。 または歴史用語として、平安時代に市中の見回りをした若者をさすこともある。
●大垂髪 http://ja.wikipedia.org/wiki/大垂髪
大垂髪(おすべらかし、または、おおすべらかし)とは、平安時代の貴族女性の髪形。
●(文化講座)
伝統の水引を使ってかわいい小物をつく りませんか。初めての人も気軽にどうぞ。file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/kanpou.pdf
●亀山楽市 / 雑貨
https://www.h-onoya.co.jp/ec/products/list.php?category_id=18
伝統工芸 水引細工【天空の亀】 緑色. 販売価格(税込): 1,650 円. “天空の城”越前大野城を有する亀山を表した大野市の伝統工芸「水引細工」です。匠の技術で結われた縁起の良い亀は、持ち主様の末永い良縁と恋愛成就を願って作られました。ぜひ、貴方のお側に飾ってください。
●大野マルシェ - こんにちは。水引小物や陶器の販売をします ...
https://www.facebook.com/fukuionomarche/posts/842842369145089/
こんにちは。micinoです。
前回に引き続き、今回も出店させていただくことになりました!
水引細工・紙製品などの和小物、陶器などを販売予定です。
「水引」は、実は大野でとっても盛んだった工芸のひとつなんですよ!
おばあちゃんやお母さんが水引細工の内職をやってた!なんていう方も少なくないのではないでしょうか?
大野で作られる水引細工はとても上質で、水引で最もよく知られる長野県飯田でも、最高級品として取り扱われるほど。
そんな水引をもっと身近に、もっと手軽に手に取ってもらいたい。そして大野の伝統を繋げていきたい!!という思いで、水引を編んでいます。
当日は皆さんとのおしゃべりも楽しみたいと思っておりますので、ぜひたくさん声をかけて下さい!
お会いできるのを楽しみにしております!
現在大野の結楽座にて、お土産用の、水引を使ったポチ袋も販売させていただいております。レジ横に置かせていただいておりますので、お立ち寄りの際にはぜひお手に取ってみて下さい。
私は大野生まれで 若い頃は 母の手伝いでこんな亀を作っていました。
もう五十年も前のことになる。
今は 福井市に住んでいますが 年寄ると交通機関 長く乗っていられないので
二年に一度 息子が東京から帰って来て レンタカーに乗せて連れてくれます。
墓参りも ご無沙汰になっています。
●水引の色は地域によって違う?|メモリアルアートの大野屋
http://www.ohnoya.co.jp/faq/okoden/000191.shtml
2006/12/21
私の母方の祖母が亡くなりました。
Q.姑が香典を持ってきたのですが、水引きの色が白と黄色でした。私の母親は関東出身なので、これはおかしいのでは?と疑問に思ったそうです。
関西と関東では色は違っているのでしょうか?私達も関西に在住ですが、友達に聞いても普通は黒と白で黄色と白は法事や仏前用に使うというのですが・・・。
2006年12月21日
A.香典の水引については地域ごとに違いがあり、関西地域におきましても同じ県内でも地域により違いがございます。
お問合せの白と黄色の水引につきましては、大阪をはじめ京都や奈良、和歌山の一部地域で使用されているようですので、その地域の方の場合、白と黄色の水引をお使いになる可能性がございます。
●飯田水引 http://ja.wikipedia.org/wiki/飯田水引
飯田水引(いいだみずひき)は長野県飯田市地方に伝え続けられてきた伝統工芸。良質な飯田水引は、現在水引製品の全国の約70%を生産している。
http://www.cosmo-oil.co.jp/dagian/43/11.html
●元結〈もっとい 〉 http://ja.wikipedia.org/wiki/元結
日本髪の髻(もとどり)を結ぶもの。〈もっとい 〉とも。古くは麻糸や組紐(くみひも)を用いたが,江戸初期から元結紙でこよりを作り水 糊(みずのり)を塗ったものを用いるようになり,これを文七元結と称した。
●一髻 http://ja.wikipedia.org/wiki/
一髻(ひとつもとどり)は平安時代から現代の宮廷行事まで続く男性貴族の髪型。別名:冠下髻(かんむりしたのもとどり)
肩を越すぐらいまで伸ばした髪を一つにまとめ、元結で根元を二度巻いた後に千鳥掛け(正面で紐を交差する� ...見によると、高位の人間は紫の、身分の低い人間は白の元結を使い、通常は奇数回(およそ十三回)巻上げ凶事には
◆コメント
鈴音
髪油には
鬢付け油という
主に日本髪で、髪を固めたり乱れを防いだりするのに
用いる固練りの油。木蝋(もくろう)・菜種油・香料などを練ってつくる。
固油(かた あぶら)。 等在るそうです。
整髪には椿油があります。
曾祖母は日頃、この椿油で髪を整えたり洗髪後に使用していました。
今で言うリンス・トリートメントの役割をしていると思います。
艶を増し美しい髪になりますね。
ツゲの櫛は普通に水では洗いませんので、この椿油で汚れを落とします。
そのツゲの櫛で髪を梳く(すく)と、
また美しい艶のある髪になると言われています。
私はこの椿油とツゲの櫛を使用しています。
美しい黒髪は日本人の特色でもあります。
黒髪を大切にして戴きたいと思うのですが・・。
ありがとうございます。
志葉楽(シバラク)
よく知っているね。
昔そのような事も教えられた事を思い出した。
花嫁衣装の着付けのモデルをさせられたときは三日ほど
食事するのが辛かった。
女とは言え若い娘が四人がかりでオビの両端持ち私に足を
掛けて踏ん張り締めたからすごく苦しくて。
花嫁さんの苦しみを体験できて良かったねと師匠は言われた。
これだけ締め付けられたら花嫁さんは食事も出来ないのは身に染みた。
女でなかって良かったとつくづく感じた一日だった。
ありがとう
コメント
鈴音
志葉楽様、花嫁衣裳のモデルをされたのですか?
白無垢ですか? 色打掛だったのですか?
文金高島田に角隠しもされて・・?
帯は確かに苦しいですね!
食事も満足に出来ませんから、奥ゆかしさは出ますね?
角は結婚後にジワジワと生えて来るかもしれませんね。
ありがとうございます。
志葉楽(シバラク)
お主出来るな。
昔はこういう時はこんな台詞で切り返した。
これを見えきると歌舞伎になる。
歌舞伎はテレビかネットでしか見たことは無いけれども
昔は映画小僧だったから時代劇はよく見た。
若い頃にこれでも少し演劇は囓ったから役者に勝てないまでも
足下へ少しは辿り着ける位の演技は出来る自信はある。
よく見えきったりして遊んだもの。
この笑顔には救われるね。
●時代行列 http://ja.wikipedia.org/wiki/時代行列
時代行列(じだいぎょうれつ)とは、祭りの中で古墳時代から昭和初期までの時代考証に基づき、各時代の扮装を復元した上で行う行列であり、歴史まつり、武者行列、等の呼称で呼ばれることもある。
特に近代以降を発祥とする都市祭礼のなかで見られ、戦後に観光業振興のため地域の歴史的資源が着目されて創始された例が多い。
地域住民を主体とする伝統的祭礼と異なり行政主導である事が多く、宗教的側面が薄く伝統的制約が少ないため集客を目的としたさまざまな趣向が凝らされて華やかなイベントとなる傾向にある。
江戸時代
諸大名が国許(くにもと)と江戸を行き来する参勤交代の様相を再現した大名行列の形式をとる場合が多い。
大名行列の象徴は毛槍や挟箱を振って歩く奴行列であり、その所作は奴振りと呼ばれて人々を楽しませた。
現在みられる時代行列においても、各地でその地域特有の伝統的な奴振りがみられる。
又、姫役、腰元役、町人役、大道芸人役、等の女性や少年少女が登場する場合も多い。
各種の日本髪を観察する絶好の機会。
おいらん道中、丸髷、稚児髷も参照。
●髪油 http://ja.wikipedia.org/wiki/髪油
髪油(かみあぶら)とは、頭髪用の油で整髪料の一種。
椿油、丁子油、オリーブ油、ミネラルオイル(鉱物油)といった物単品か、混合したもので、髪の色艶をよくし、形を整え、扱い易くする為に用いる。香料で香りを付けた物は、香油、頭髪香油とも呼ばれる。
日本髪を結う際には欠かせない鬢付け油・梳き油や、主に男性用のポマード・チックなども含む。ブリリアンティン。
また、ヘアアイロンを使ったストレートパーマを作るときにも頭髪を痛めないために用いることがある。
●髢 http://ja.wikipedia.org/wiki/髢
髢(かもじ・髪文字)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。今日では、日本の女性がいわゆる日本髪を結う際に用いることが多い。
頭部全体に被る「かつら」とは別物であるが古くは両者に明確な区分は無かったと言われ、語源としては「かつら」の女房言葉表現として用いられた髪あるいは鬘に“文字”を付け加えた「か文字」という言葉に由来していると言われている。そのため、今日でも「髪文字」という当て字表現が用いられる場合がある。
古来より髪を結う際に形を整えるために用いたと言われており、記紀においては天鈿女命が天岩戸の前で神がかりを行うために「真拆の葛」(テイカカズラの蔓と言われている)を頭部にまとったのが髢・かつらの原型であるとも言われている。律令制で六位以下の女性の服制にあった「義髻(ぎけい)」と呼ばれる義髪も髢の一種であるとされている。平安時代では女性が髪を垂らすために髢を補ったとされる。後においては結髪・垂髪両方に用いられるようになり、結髪においては髷の根元部分に用いた「根髢(ねかもじ)」や鬢を補うために用いた蓑状の「鬢蓑(びんみの)」などが良く知られ、垂髪においては宮廷で行われたおすべらかしにおいて髪を後ろに垂らすために用いた「長髢(ながかもじ)」や前髪を平額にすらための「丸髢(まるかもじ)」などが用いられていた。
昭和に入ると、日本髪の減少とともに髢も用いられなくなり、一般においては日本髪にする際にもかつらが代わりに用いられる場合が多い。ただし、神社の巫女などの場合、長髪の女性でもより黒く豊かに見せるために髢を付ける場合がある。
●夜会巻き http://ja.wikipedia.org/wiki/
夜会巻き(やかいまき)とは、鹿鳴館時代に流行した日本の髪型(束髪)の一種である。 後髪の束をねじり上げて髻を作た型を基本とし、揚げ巻き・花月巻きとも言う。 髪を位置ごとにブロッキングして結い上げる工程が従来の日本髪と共通することから、和洋折衷の髪型とも言える。 日本髪になじんでいた明治の夫人には、結い方が馴染みやすかった所から愛好された。
風俗研究家の河合長範によれば、日清戦争前後に割烹処「花月」の女将が着物にも洋装にも似合う髪形として結い始めたのが元になって花月巻きといわれている。 非常に人気が出たため後には、富裕な夫人が舞踏会等の夜会に向かうためドレスに合わせて結う髪型として人気が高くなった。
大正時代には山の手夫人の間にこの髪型に結い上げた後、プラチナ製の大振りな扇形の簪を挿すのが流行した。
髪を片側に巻き込んで左右非対称に結う様子が特徴的で、優雅な印象に根強い人気があるため十数年ごとにブームが再来するとも言われる。
●島田髷祭 http://ja.wikipedia.org/wiki/島田髷祭
島田髷祭(しまだまげまつり、島田髷まつり)とは、毎年9月第3日曜日に静岡県島田市にて行われている、島田髷の考案者とされる「虎御前」を偲ぶ祭りのこと。1933年9月19日に行われた虎御前感謝祭以来、島田髷祭として行われている。当初は休止と催行を繰り返していたが、1968年以降は毎年実施されるようになり、2008年で51回目の開催となる。
数十名の参加者が日本髪を結い、お揃いの浴衣に丸帯、袋帯等を結んで奉納踊りを舞う(島田髷道中)。その後、虎御前の菩提寺でもある鵜田寺にて髷供養感謝祭を行う。島田髷をはじめとして兵庫髷、勝山髷、笄髷といった多様な日本髪を見ることができる。
なお、かつらを使用する者は数名にとどまり、ほとんどの参加者が地毛で日本髪を結うという。
平成22年(2010年)の島田髷まつりには、髷娘が70名以上参加して12:00スタートの髷道中が島田市内の『本通り』商店街やJR島田駅前広場・大井神社・市民病院前などで手踊りを披露します。 3歳から和風好みのミセスまでの艶やかな髷娘の皆さんの伝統美をご観賞ください。 なお髷娘の皆さんはその方の髪型が背中の団扇に書いてありますので、ご参考下さい。 また野田の鵜田寺(虎御前の菩提寺)には、約20種類のかつらの展示もあります。
●半玉 http://ja.wikipedia.org/wiki/半玉
半玉(はんぎょく)とは関東地域を中心とした花柳界における年少芸妓(芸者の見習い)のことである。
別名「おしゃく(しばしば雛妓の字があてられる)」「赤襟」「半線香」など。
名前はかつて「玉代(ぎょくだい)」が一人前の芸者の半分であったことに由来する。
服装
髪型は日本髪で唐人髷または桃割れ、少し大きくなると結綿に結ったりもしたという。
現在は鬘使用が圧倒的多数だが、かつては地毛結いであった。髪には花かんざしを飾る。
年少芸妓である半玉の着る振袖は、現代にいたるまで「肩揚げ」のついた子供仕様である。
また、半玉の間は正式な座敷姿で(白塗り日本髪)お座敷に出るが関西の「舞妓」と異なり正式な形であっても裾は「おはしょり」をしているのが特徴。
帯は錦の帯を半玉独特の形(通称「おしゃく結び」・一般に後見結びと呼ばれるものに近い)に結ぶ。
半襟は紅系統で豪華な刺繍が施され、足元はぽっくり下駄である。かんざし、着物の雰囲気などに各街の特徴が出ていたようである。
●手拭 http://ja.wikipedia.org/wiki/
手拭(てぬぐい)は、汗や顔や手を洗った後の水を拭ったり、入浴時に体を洗ったりするための木綿の平織りの布である。本来は寒暑除けや塵除けなどの目的や、祭礼においての装身具として頭にかぶるものである。
[[歌麿]]画:『汗を拭く女』。日本髪を結った女性の鉢巻き、歌舞伎で言うところの「お三輪? ...わからないが、「'''道心被り'''」というものもある。[[日本髪]]から大きく変わったこともあり、被り方の名称は時代により色々と変わってきた。
●櫛 http://ja.wikipedia.org/wiki/櫛
櫛(くし)は、髪をといたり、髪を飾ったりする道具。英語でコーム (comb) と呼ぶこともある。
●檜山うめ吉 http://ja.wikipedia.org/wiki/檜山うめ吉
檜山 うめ吉(ひやま うめきち、本名:林知惠、12月8日生)は、落語芸術協会所属の俗曲師。
岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷天城高校卒業。1991年から国立劇場研修生として寄席囃子を学び、1993年に落語芸術協会に入会、お囃子として活動した。その後、檜山さくらに師事して端唄を習得。2000年から檜山うめ吉として俗曲師の活動を開始した。
着物に自毛で結った日本髪、白塗りの厚化粧という格好で三味線を用いて端唄、民謡や昭和歌謡を歌う純和風アーティスト(純邦楽奏者)。ソロの時はうめ吉の名義で歌う。バンドとダンサーをしたがえたユニットUmekichi(うめきち)としても活動。
●島田(しまだ、しまた) http://ja.wikipedia.org/wiki/島田
日本髪の結い方で髪型の1つ。島田髷。高島田、娘島田、芸者島田、つぶし島田などがある。
●年少芸妓 http://ja.wikipedia.org/wiki/年少芸妓
年少芸妓(ねんしょうげいぎ)とはまだ芸妓としては一人前でない若い芸妓、または芸妓見習いとして花街のお座敷に出ている少女を指す。
肩揚げ、袖揚げをした振袖の着物に紅系統の刺繍の半衿、ぽっくり下駄、少女向きの日本髪(桃割れ、唐人髷、結綿、割れしのぶ、おふくといったもの)、花かんざしといったいかにも幼さを強調したいでたちであるのが特徴である。
かつては「半人前」の身分であるとして「花代」(玉代、線香代とも)が芸妓の半分であることもあった(京都の舞妓はそうではない)。現代ではそのようなことはない。
呼称としては「半玉」「おしゃく(お酌とも雛妓とも書く)」「舞妓」「赤襟」「金魚」「雛妓(ひなつこ)」「振袖」など。
関西では「舞妓」、それ以外の地域の花街では「半玉」が一般的である。
山形・酒田では若手の社員芸妓を「舞娘」と呼んでいる。
また、半玉も含めての「若手芸妓」を「きらり妓さん」(神奈川・箱根湯本温泉)「からり妓さん」(福島・会津東山温泉)といった愛称で呼ぶところもある。
また東京・浅草には「半玉」の姿を借りた「振袖さん」がいる。彼女らは「株式会社 浅草観光振袖学院」に所属する「社員芸妓」であり、浅草花柳界とは無関係(浅草の「半玉」さんとは違う)である。
●神戸の花街 http://ja.wikipedia.org/wiki/神戸の花街
神戸の花街(こうべのかがい/はなまち)では、神戸市に存在した花街、また遊廓について述べる。
瀬戸内海の港町として栄え、随時して遊廓も誕生した。日本髪の一種である「兵庫髷」の発祥の地である。
●抜衣紋 http://ja.wikipedia.org/wiki/
抜衣紋(ぬきえもん)は、和服の着付け方のひとつである。 後襟を引き下げて、襟足が現われ出るように着ること。
概要日本髪の髱、結髪をくずさない、襟の汚損を防ぐために生じた着方と見られる。
身頃の肩山を後ろにずらして襟肩回りを髱の形や位置にあわせてU字型、あるいはV字型に後ろに引いて着る。
仕立てのときに繰り越しを加減しないと十分に衣紋を抜くことができない。
繰り越しはだいたい1cmから5cmくらいまでであるが、着付けの良し悪しに衣紋の抜きかたは重要である
「松屋筆記」93によれば、「追衣紋(のけえもん)多くは誤てぬきえもんと云へり」という。
●元服 http://ja.wikipedia.org/wiki/元服
元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降、男子の成人を示すものとして行われる儀式のことであり、通過儀礼の一つである。
「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。
女性の元服
江戸時代以降は女性も元服と称し、結婚と同時に、あるいは未婚でも18 - 20歳くらいで行った。女性で元服という場合は、地味な着物を着て、日本髪の髪形を丸髷、両輪、又は先笄に替え、元服前より更に厚化粧になり、鉄漿親(かねおや)によりお歯黒を付けてもらい、引眉する。お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園の舞妓、嶋原の太夫等、一部の花街に残る。
●美容師 http://ja.wikipedia.org/wiki/美容師
美容師(びようし、英: beautician、hairdresser)は、厚生労働大臣の免許を受けてパーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくする者をいう。
なお、染毛(ヘアカラー)は、美容師法第二条第一項に明示する行為に準ずる行為であるので、美容師又は理容師でなければこれを業として行ってはならない。
[[結髪]]技術<ref>日本髪や束髪を結う技術。</ref>の教授を目的に「女髪結」の師? ...(本格的な洋装化は第2次大戦後)であったとはいえ、日本髪や束髪の衰退傾向は見え始めていた。
●嘔吐 http://ja.wikipedia.org/wiki/嘔吐
嘔吐(おうと)とは、動物やヒトの口から胃の内容物を吐き出す行為、又は症状である。
きつすぎる衣服(特に着物)、帽子、ヘルメット、[[日本髪]]の[[鬘]]([[結婚式]]、[[舞踊]]発表会、等)
●時代考証 http://ja.wikipedia.org/wiki/時代考証
時代考証(じだい こうしょう)とは、映画・テレビの時代劇や時代小説などで描かれる歴史的な過去の言葉遣い・名称や呼称・生活習慣・建築様式・美術様式・政治制度などが、史実として適正なものか否かについてを検証すること。
専門分野に応じて美術考証(びじゅつ こうしょう)・衣装考証(いしょう こうしょう)などともいい、また略して単に考証(こうしょう)ともいう。
●禿 http://ja.wikipedia.org/wiki/禿
禿(かぶろ、かむろ)とは、肩までで切りそろえた児童期の髪型。 またその髪型をした者。 狭義では、遊郭に住み込む童女をさす。 または歴史用語として、平安時代に市中の見回りをした若者をさすこともある。
●大垂髪 http://ja.wikipedia.org/wiki/大垂髪
大垂髪(おすべらかし、または、おおすべらかし)とは、平安時代の貴族女性の髪形。
●(文化講座)
伝統の水引を使ってかわいい小物をつく りませんか。初めての人も気軽にどうぞ。file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/kanpou.pdf
●亀山楽市 / 雑貨
https://www.h-onoya.co.jp/ec/products/list.php?category_id=18
伝統工芸 水引細工【天空の亀】 緑色. 販売価格(税込): 1,650 円. “天空の城”越前大野城を有する亀山を表した大野市の伝統工芸「水引細工」です。匠の技術で結われた縁起の良い亀は、持ち主様の末永い良縁と恋愛成就を願って作られました。ぜひ、貴方のお側に飾ってください。
●大野マルシェ - こんにちは。水引小物や陶器の販売をします ...
https://www.facebook.com/fukuionomarche/posts/842842369145089/
こんにちは。micinoです。
前回に引き続き、今回も出店させていただくことになりました!
水引細工・紙製品などの和小物、陶器などを販売予定です。
「水引」は、実は大野でとっても盛んだった工芸のひとつなんですよ!
おばあちゃんやお母さんが水引細工の内職をやってた!なんていう方も少なくないのではないでしょうか?
大野で作られる水引細工はとても上質で、水引で最もよく知られる長野県飯田でも、最高級品として取り扱われるほど。
そんな水引をもっと身近に、もっと手軽に手に取ってもらいたい。そして大野の伝統を繋げていきたい!!という思いで、水引を編んでいます。
当日は皆さんとのおしゃべりも楽しみたいと思っておりますので、ぜひたくさん声をかけて下さい!
お会いできるのを楽しみにしております!
現在大野の結楽座にて、お土産用の、水引を使ったポチ袋も販売させていただいております。レジ横に置かせていただいておりますので、お立ち寄りの際にはぜひお手に取ってみて下さい。
私は大野生まれで 若い頃は 母の手伝いでこんな亀を作っていました。
もう五十年も前のことになる。
今は 福井市に住んでいますが 年寄ると交通機関 長く乗っていられないので
二年に一度 息子が東京から帰って来て レンタカーに乗せて連れてくれます。
墓参りも ご無沙汰になっています。
●水引の色は地域によって違う?|メモリアルアートの大野屋
http://www.ohnoya.co.jp/faq/okoden/000191.shtml
2006/12/21
私の母方の祖母が亡くなりました。
Q.姑が香典を持ってきたのですが、水引きの色が白と黄色でした。私の母親は関東出身なので、これはおかしいのでは?と疑問に思ったそうです。
関西と関東では色は違っているのでしょうか?私達も関西に在住ですが、友達に聞いても普通は黒と白で黄色と白は法事や仏前用に使うというのですが・・・。
2006年12月21日
A.香典の水引については地域ごとに違いがあり、関西地域におきましても同じ県内でも地域により違いがございます。
お問合せの白と黄色の水引につきましては、大阪をはじめ京都や奈良、和歌山の一部地域で使用されているようですので、その地域の方の場合、白と黄色の水引をお使いになる可能性がございます。
●飯田水引 http://ja.wikipedia.org/wiki/飯田水引
飯田水引(いいだみずひき)は長野県飯田市地方に伝え続けられてきた伝統工芸。良質な飯田水引は、現在水引製品の全国の約70%を生産している。
http://www.cosmo-oil.co.jp/dagian/43/11.html
●元結〈もっとい 〉 http://ja.wikipedia.org/wiki/元結
日本髪の髻(もとどり)を結ぶもの。〈もっとい 〉とも。古くは麻糸や組紐(くみひも)を用いたが,江戸初期から元結紙でこよりを作り水 糊(みずのり)を塗ったものを用いるようになり,これを文七元結と称した。
●一髻 http://ja.wikipedia.org/wiki/
一髻(ひとつもとどり)は平安時代から現代の宮廷行事まで続く男性貴族の髪型。別名:冠下髻(かんむりしたのもとどり)
肩を越すぐらいまで伸ばした髪を一つにまとめ、元結で根元を二度巻いた後に千鳥掛け(正面で紐を交差する� ...見によると、高位の人間は紫の、身分の低い人間は白の元結を使い、通常は奇数回(およそ十三回)巻上げ凶事には
◆コメント
鈴音
髪油には
鬢付け油という
主に日本髪で、髪を固めたり乱れを防いだりするのに
用いる固練りの油。木蝋(もくろう)・菜種油・香料などを練ってつくる。
固油(かた あぶら)。 等在るそうです。
整髪には椿油があります。
曾祖母は日頃、この椿油で髪を整えたり洗髪後に使用していました。
今で言うリンス・トリートメントの役割をしていると思います。
艶を増し美しい髪になりますね。
ツゲの櫛は普通に水では洗いませんので、この椿油で汚れを落とします。
そのツゲの櫛で髪を梳く(すく)と、
また美しい艶のある髪になると言われています。
私はこの椿油とツゲの櫛を使用しています。
美しい黒髪は日本人の特色でもあります。
黒髪を大切にして戴きたいと思うのですが・・。
ありがとうございます。
志葉楽(シバラク)
よく知っているね。
昔そのような事も教えられた事を思い出した。
花嫁衣装の着付けのモデルをさせられたときは三日ほど
食事するのが辛かった。
女とは言え若い娘が四人がかりでオビの両端持ち私に足を
掛けて踏ん張り締めたからすごく苦しくて。
花嫁さんの苦しみを体験できて良かったねと師匠は言われた。
これだけ締め付けられたら花嫁さんは食事も出来ないのは身に染みた。
女でなかって良かったとつくづく感じた一日だった。
ありがとう
コメント
鈴音
志葉楽様、花嫁衣裳のモデルをされたのですか?
白無垢ですか? 色打掛だったのですか?
文金高島田に角隠しもされて・・?
帯は確かに苦しいですね!
食事も満足に出来ませんから、奥ゆかしさは出ますね?
角は結婚後にジワジワと生えて来るかもしれませんね。
ありがとうございます。
志葉楽(シバラク)
お主出来るな。
昔はこういう時はこんな台詞で切り返した。
これを見えきると歌舞伎になる。
歌舞伎はテレビかネットでしか見たことは無いけれども
昔は映画小僧だったから時代劇はよく見た。
若い頃にこれでも少し演劇は囓ったから役者に勝てないまでも
足下へ少しは辿り着ける位の演技は出来る自信はある。
よく見えきったりして遊んだもの。
この笑顔には救われるね。
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