縄文人の志葉楽さんのブログ

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●羅生門そして殺陣(たて)

2019年11月19日 19時28分12秒 | 文化
●羅生門
◆七人の侍 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/七人の侍
『七人の侍』(しちにんのさむらい)は、1954年(昭和29年)4月26日に公開された日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬。モノクロ、スタンダード・サイズ、207分。
当時の通常作品の7倍ほどに匹敵する製作費をかけ、何千人ものスタッフ・キャストを動員、1年余りの撮影期間がかかったが、興行的には成功し、700万人の観客動員を記録した。日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年[2])を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。
◆●七 人 の 侍 1  
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◆芥川龍之介 羅生門 - 青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html
 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。
 ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。
 それが、この男のほかには誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。
 旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。
 するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。
 盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。
 そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
  
◆羅生門 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門
羅生門(らしょうもん)
・平安京、平城京の大門羅城門の後世の当て字。「らせいもん」とも読む。羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多かった。
・平安京、平城京の大門羅城門の後世の当て字。「らせいもん」とも読む。羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多かった。
・羅生門 (能) - 観世信光作の謡曲。羅生門に巣くう鬼と戦った渡辺綱の武勇伝を・謡曲化したもの。五番目物の鬼退治物。
・羅生門 (小説) - 芥川龍之介の短編小説。『今昔物語集』の羅城門の老婆の話に基づく。
・羅生門 (1911年の映画) - 1911年の日本映画。尾上松之助主演。
・羅生門 (1941年の映画) - 吉田信三監督による1941年の日本映画。
・羅生門 (1950年の映画) - 黒澤明監督による1950年の日本映画。芥川龍之介の短編小説『藪の中』・『羅生門』に基づく。
・羅生門の妖鬼 - 佐伯清監督による1956年の日本映画。中村錦之助主演。
・羅生門 (日本酒) - 和歌山県和歌山市にある田端酒造の日本酒の銘柄。最高クラスの龍寿はモンドセレクション国際コンクールで2013年までで25年連続で最高金賞を受賞している。
  
◆羅城門(らじょうもん/らせいもん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/羅城門
羅城門(らじょうもん/らせいもん)
古代日本の都城の正門。
朱雀大路の南端に位置し、北端の朱雀門と相対する。
後世に「羅生門(らしょうもん)」とも。
 
◆3分でわかる!芥川龍之介の羅生門のあらすじと解釈 | まなぶンゴー
https://00m.in/PZNLJ
2018/05/01
芥川龍之介の羅生門は有名な作品ですが、ちゃんと内容を知っていますか?
こう質問されると、返答に困ってしまう方も多いと思います。
・「実際に読むのは面倒くさい」
・「登場人物の心境がよくわからない…」 という方も多いですよね。
今回はそんな方のために羅生門のあらすじ・解釈をわかりやすくお伝えしたいと思います。
登場人物の情報や、心情の変化のポイントをまとめているので、感想文や試験対策などの参考にもおすすめです。
目次
・羅生門の舞台と登場人物
・羅生門のあらすじ
・羅生門の解釈のポイント
①第一の勇気
②第二の勇気
③第三の勇気
・解説のまとめ
・書評・総合評価
・おわりに
 
◆羅生門 予告篇
22,078 回視聴
•2018/12/16
https://youtu.be/fORdVeWxiwA
Obsolete goku
チャンネル登録者数 1520人
 
◆羅生門(1950) | 映画-Movie Walker
https://movie.walkerplus.com/mv28517/
羅生門(1950)(1950年8月26日(土)公開)の映画情報を紹介。
芥川龍之介の小説『薮の中』を黒澤明が映画化。第12回ヴェネチア映画祭のグランプリ、第24回アカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)を受賞した。脚本は黒澤と橋本忍、撮影は宮川一夫。出演は、三船敏郎、森雅之、京マチ子。
映画のストーリー
平安時代のとある薮の中。盗賊、多襄丸が昼寝をしていると、
侍夫婦が通りかかった。
妻に目を付けた多襄丸は、夫をだまして縛り上げ、夫の目の前で妻を強姦する。
しばらく後、現場には夫の死体が残され、妻と盗賊の姿はなかった。
--物語は、この殺人事件をめぐり、
目撃者の杣売(志村喬)と旅法師(千秋実)、
捕らえられた盗賊(三船敏郎)と侍の妻(京マチ子)、
それに巫女により呼び出された、
死んだ侍の霊の証言により構成される。
ところが事件の顛末は、証言者によってくい違い、
結局どれが真実なのかわからない。
盗賊によると、女がどちらか生き残った方に付いていくと言うので夫と対決し、
彼を倒したが女は消えていたと言い、妻は妻で、盗賊に身を任せた自分に
対する夫の蔑みの目に絶えられず、
錯乱して自分を殺してくれと短刀を夫に差し出したが、
気が付いたら短刀は夫の胸に突き刺さっていたと告白。
そして夫の霊は、妻が盗賊に、彼に付いていく代わりに夫を殺してくれと
頼むのを聞いて絶望し、自分で自分の胸に短刀を刺したが、意識が
薄れていく中で誰かが胸から短刀を引き抜くのを感じながら、息絶えたと語った。
役所での審問の後、羅生門の下で雨宿りをしている杣売と旅法師は、
同じく雨宿りをしていた下人(上田吉二郎)に事件について語る。
下人は、短刀を盗んだのは杣売だろうとなじり、羅生門に捨てられていた赤ん坊の衣服を剥ぎ取ると行ってしまった。呆然とたたずむ杣売と法師。
杣売は、赤ん坊を引き取って育てるという。
法師が彼の行為に一縷の希望を見出し、映画は終わる。
キャスト
多襄丸 三船敏郎
金沢武弘 森雅之
金沢の妻・真砂 京マチ子
杣売 志村喬
旅法師 千秋実
下人 上田吉二郎
旅免 加東大介
巫女 本間文子
 
◆羅生門(らしょうもん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
日本映画。1950年(昭和25)公開の大映作品。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が『今昔物語集』に題材を得て書いた小説『藪(やぶ)の中』を橋本忍(しのぶ)が脚本化し、黒澤明が加筆して監督したものである。
平安時代末期の京の荒れ果てた羅生門で、雨宿りをしている僧と木こりが、こもごも今見てきた裁判の経過を語る。
それは一つの強姦(ごうかん)殺人事件をめぐる当事者と目撃者の四つの物語である。同じ一つの事件を4人がそれぞれ違う立場で述べると事実関係まで違ってくる。
この映画は、いったい真実は何なのか、と観る者に探らせる手法をとる。
三船敏郎(としろう)、京マチ子、森雅之(まさゆき)、志村喬(たかし)の名演と、宮川一夫(1908―1999)の黒白映像の粋(すい)を凝らした撮影を得て、黒澤明の映画的感覚がさえた傑作となった。
1951年のベネチア国際映画祭に出品されて、欧米の巨匠たちの作品を抑えてグランプリを受賞したが、これはそれまで国際的にはほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめた映画史上の画期的な出来事であり、以後日本映画は続々と海外に進出することとなった。 [ 執筆者:佐藤忠男 ]
◆『●剣と日本刀』⇒ http://amba.to/OZwzsE
 
◆『羅生門』(らしょうもん)(1950年の映画) http://bit.ly/f7bCUJ
1950年(昭和25年)に公開された日本映画である。
監督・黒澤明によるモノクロ映画の代表的作品。原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』だが、同 『羅生門』にも題材を借りる。
・芥川龍之介 藪の中 - 青空文庫
http://bit.ly/xhzOji
-目次-
+検非違使に問われたる木樵りの物語
+検非違使に問われたる旅法師の物語
+検非違使に問われたる放免の物語
+検非違使に問われたる媼の物語
+多襄丸の白状
+清水寺に来れる女の懺悔
+巫女の口を借りたる死霊の物語
 
◆羅生門 (小説) - Wikipedia  http://urx.nu/eiBH
 芥川龍之介の小説。『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたものである。
 生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出し、また、作者の解釈を加えた作品として著名である。高校教科書などでも採用され、広く知られている。
タイトルの由来は朱雀大路にある平安京の正門の羅城門である。
門の方は羅城門であるが、羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多く先行作品である観世信光の謡曲もタイトルは「羅生門」になっている。
 
◆あらすじ
背景は平安時代。
飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。ある暮れ方、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方にくれていた。
下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。
生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。
そんな折、羅生門の2階に人の気配を感じた彼は、興味を覚えて上へ昇ってみた。
楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。
老婆が松明を灯しながら、若い女の遺体から髪を引き抜いているのである。
老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人は刀を抜き、老婆に踊りかかった。
老婆は、抜いた髪で鬘を作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。
それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。
この女にしたところで、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。
それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。
だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろうと言う。
髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて勇気が生まれる。
そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。下人の行方は誰も知らない.......
 
◆羅生門 (1950年の映画) https://youtu.be/uwR2kVOcwNI
299,191 回視聴・2017/10/13
1950年(昭和25年)に公開された日本映画である。
黒澤明監督作品。モノクロ。
当時、映画芸術協会に参加していた黒澤明監督が、松竹で手掛けた『醜聞』に続いて、大映で手がけた作品である。
原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』。
人間のエゴイズム、人間信頼をテーマに、ある殺人事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿を、それぞれの視点から描いている。
本作の作劇は、「対立する複数の視点から同じ出来事を全く違う風に回想し、真実がどうだったのか観客を混乱させる」という法廷心理劇のような手法が用いられており、これはアメリカや中国など、多くの国の映画やフィクションに影響を与えている。
自然光を生かすためにレフ板を使わずに、鏡を使って撮影したり、当時はタブーとされてきた太陽に直接カメラを向けるという撮影を行ったり、その画期的な撮影でモノクロ映像の美しさを極限に映し出している。
撮影は宮川一夫が担当し、黒澤は宮川の撮影を「百点以上」と評価した。
音楽は早坂文雄が手がけ、全体的にボレロ調の音楽となっている。
日本映画初となるヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。黒澤明や日本映画が世界に紹介されるきっかけとなった。
 
◆Yojimbo, Akira Kurosawa, 1961 - 9:15
https://youtu.be/zCjsazHO0c0
用心棒
https://ja.wikipedia.org/wiki/用心棒
『用心棒』(ようじんぼう)は、1961年(昭和36年)に公開された日本のアクション時代劇映画である。監督は黒澤明。続編といわれる作品として『椿三十郎』(1962年公開)がある。同時上映は森繁久彌の『社長道中記』。
あらすじ
からっ風が吹きすさぶ中、一人の風来坊の浪人が、桑畑に囲まれた宿場町へとやってくる。そこは賭場の元締めである馬目の清兵衛と、清兵衛の部下だったが跡目相続に不服を持って独立した丑寅一家の抗争によって廃れていた。2人はそれぞれ町の有力者である名主多左衛門と造酒屋徳右衛門を後見人にし、泥沼化した抗争は終わる気配がなく、町の産業である絹の取引きも中断したままであった。ふらりと立ち寄った居酒屋の権爺からあらましを聞いた浪人は、代金の代わりに宿場町を平穏にしてやるという。・・・・・
 
◆「この映画(続編的存在の椿三十郎も)の最大の魅力は殺陣のシーンではなく、
主人公の三十郎の特異なキャラクター設定にある」と黒澤本人は主張している。
それまでの時代劇の殺陣は、
東映作品に象徴されるような従来の舞台殺陣の延長にあった。
いわゆる「チャンバラ映画」である。黒澤は、そうした現実の格闘では
あり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探っていた
(「羅生門」、「七人の侍」、脚本を書いた「荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻」)。
それは『用心棒』でひとつの完成形を見せ、当時の人々を驚かせた。
本作の殺陣の特徴は、桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき2度斬っていることである。
「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」という黒澤と三船の考えにより完成した殺陣であるとのこと。
一方で、仲代達矢演じる新田の卯之助に、スコットランド製のスカーフを巻かせるなど、時代考証よりも登場人物の造形を優先させた演出も見受けられる。
なお卯之助の持つ回転拳銃はスミス&ウェッソン モデルNo.1で、1857年から製造されたことから、幕末であれば時代が合う。
劇中では空砲を装填した実銃が用いられた。
 
◆「座頭市血煙り街道」近衛十四郎と勝新(かつしん)との殺陣。
https://youtu.be/_Hvc1Ae-YCU
 
◆近衛 十四郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/近衛 十四郎
近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)
戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。
本名、目黒 寅彦(出生名、寅一から改名)。新潟県長岡市出身。
 
◆勝新太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/勝新太郎
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)
日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。
本名・奥村 利夫(おくむら としお)。身長170cm。血液型O型。
市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。
その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。
勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、
不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、
好きな日本映画男優の第4位に選ばれている。
 
◆若山富三郎 殺陣 子連れ狼 '72-74
https://youtu.be/2Dcrhg5SDWA
 
◆若山富三郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/若山富三郎
若山 富三郎(わかやま とみさぶろう、1929年9月1日 - 1992年4月2日)
日本の俳優・歌手・テレビドラマ監督。本名は奥村 勝(おくむら まさる)。
別名は城 健三朗(じょう けんざぶろう)。東京府東京市深川区(現・東京都江東区)出身。
映画・テレビドラマ・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣に関しては当代随一の名手と評された。
父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟に勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子。
 
◆【子連れ狼】 公儀御口唇役 阿部頼母 【金田龍之介】
293,497 回視聴
•2013/04/18
https://youtu.be/s4pTDtz1CLc
zuikou Hatuhana
チャンネル登録者数 1060人
江戸城ではある祝賀の儀式が催されようとしていた。家康がまだ三河に在国の頃、この地に大規模な一向一揆が発生し、その戦に敗れた家康は領内の大樹寺に逃げ込んで漸く難を逃れた事があった。後に天下を平定するという大事業を成し遂げえたのはこの大厄難を逃れえた為であるとして、この日を祝日となし、年々祝賀の集いを催していたのである。
この日は御三家始め譜代大名、又特に縁故のある外様大名、他に交代寄合など諸役にも将軍自らお菓子を下し置かれる事になっていた。そのお菓子の盛付け役は御口唇役筆頭がこれを務めた。この口唇役とは将軍の食物のお毒味であり、自らの体、口をもって毒の有無を確かめる為に口唇役と称せられていた。
しかしその祝賀の儀式で、柳生烈堂はお菓子を受け取ることが出来なかった。烈堂が詰寄ると、拝一刀を討ち取れないのに目出度い菓子が受け取れると思うのかと将軍からの叱責を受ける。しかし汚名返上のチャンスを与えられ、その補佐役として、将軍の信任の厚い公儀御口唇役筆頭・阿部頼母(お毒味役)の阿部頼母が貸し与えられる事となった。
 
拝一刀:萬屋錦之介
柳生烈堂:佐藤慶
阿部頼母:金田龍之介
公方:江原真二郎
ナレーター:内藤武敏
 
◆萬屋錦之介
https://ja.wikipedia.org/wiki/萬屋錦之介
萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ、1932年(昭和7年)11月20日 - 1997年(平成9年)3月10日)
前名中村 錦之助(なかむら きんのすけ)、歌舞伎から映画に転じ
一躍人気スターとなった時代劇俳優、またテレビや舞台でも活躍した。
身長162cm。
中村錦之助時代の屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶、
萬屋錦之介と改名してからの屋号は萬屋、定紋は桐蝶。
愛称は錦ちゃん(きんちゃん)。
中村プロダクション代表(1968年~1982年)。
東映俳優クラブ組合委員長(1965年の約3か月間)。
本名は小川 錦一(おがわ きんいち)。
小川衿一郎(きんいちろう)と改名していた頃もある。
 
◆先月書いた◆時代劇 の中で殺陣について書きました。
よかったらもう一度目を通して下さい。
◆時代劇 2019-10-30
https://ameblo.jp/shibaracu/entry-12540592809.html
 
日本て本当に楽しい国ですね。
掘れば掘るほど色んな味の出る国です。
だから優しさや おもてなしの心や いただきますの心などが出てくる。
ありがとう+ございます。
勿体無いという言葉は 世界共通語になっています。
いろんな形で色んな言葉の説明はしてきました。
何度でもいいますけれども この国は世界中探してもモノマネのできない国です。
胸張って威張ってもよい国です。
桶の話もしています。
タガという治具を 周りのはちまきですが これを外してマダ器として使おうとしています。
タガ外したら形が無くなりバラバラに成ってしまいます。
日本が後 10年持つかなという人がいますが 良いものを沢山自分のものにして下さい。
身に付いたものは誰も取っていけない。
3.11以後 シナ人が水死体などから時計や財布などを身ぐるみ剥ぐように取っていきました。
でも その人達の心は取っていけませんでした。
私はアタマが悪いので こうしてタイプしていると 誤字脱字が多いから読みにくいことが多いだろうと思うので ページの紹介やコピペでして済みません。
良いものは良いし それを知らしめるのは私の役目だと思っています。
気に入らない人は沢山いると思いますけれども 違うこと伝達するのは悪いことだと思いますので ご容赦お願いいたします。
 
でも 日本てすごい国ですね。
学者の人の中にも昔みたいに 日本人なのにこの国を貶めていた人が減ってきました。
良いことだと思います。
いつも長くなって済みません。
これでも大分 端折っているのです。
お伝えしたいことは山程あります。
それだけ この国は凄い国なのです。
 
 
いつも お付き合い下り ありがとうございます。
今後ともヨロシクお願い致します。

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