◆瓦 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/瓦
瓦(かわら、英: roof tiles)は、屋根葺きに用いられる代表的な建材である。
瓦は、屋根葺き(屋根の表面を覆うこと)に用いられている建材の中でも代表的なものである。 洋の東西を問わず、瓦は古代から用いられてきた歴史がある。
◆屋根材・瓦の屋根総合サイト【瓦屋根ドットコム】
http://www.kawarayane.com/
屋根材・瓦の屋根総合サイト【瓦屋根ドットコム】では、和形瓦、平板瓦、S形瓦、波形瓦、スパニッシュ形瓦、輸入瓦、金属屋根、鋼板屋根材など多種多様な屋根に最適な屋根材・瓦を簡単にお選びいただけます。
◆屋根が瓦って今どき古いのかな・・・?|ガイソー|住まいの外装
https://www.gaiso.co/column/detail
2017/07/21
日本人に古くから馴染みのある瓦屋根ですが、瓦にも地域特性があるのはご存知でしょうか?最近は一般住宅においても金属屋根や陸屋根の採用が増え、瓦屋根は徐々に減少しつつあります。日本人と共に長い歴史を歩んできた瓦屋根。今回は私たちの住まいを長い間支えてきた瓦屋根について、その特徴と最近の状況をまとめました。
1.瓦と屋根の歩み
2.地域により特色のある瓦
3.瓦屋根のメリットとデメリット
4.瓦の形状と種類
5.阪神大震災以降、耐震性を理由にイメージがダウンしたと思われる瓦屋根ですが、メンテナンスにあまり手がかからないことや、
断熱性などの機能的な利点が近年見直されつつあります。形状やカラーも以前に増して種類が増えたことにより、選択の幅も広がっています。
日本人には馴染みのある伝統的な屋根材ですから、これからも大切に守っていきたいですね。
◆かわら【瓦】
粘土を一定の形に固め,焼成したもので,大量生産が可能でまた堅固なため,建物の屋根葺き材の主流を占め,屋根瓦とも呼ばれる。同様のものが世界各地に見られるが,中国,朝鮮,日本において独自の発達をみせた。 瓦(歴史的かなづかいでは〈カハラ〉)の名はサンスクリットのカパーラkapāla(原意は〈皿〉〈鉢〉〈頭蓋〉などの意)からきたとの意見が《箋注和名類聚抄》に見える。近年の学者にもこれを採る者が少なくないが,ほかに亀甲の意の〈カワラ〉あるいは甲冑を表す〈カハラ〉に由来するとか,屋上の〈カハ(皮)〉の義,もしくは〈カハル(変わる)〉(土を焼いて板に変えることから)の転訛とする説などがある。
和瓦と洋瓦があり、現代ではセメント・金属・ガラスなどを原料としたものもある。
鬼瓦・丸瓦・平瓦・軒のき瓦・鐙あぶみ瓦など。
◆すべての屋根材料の種類を徹底比較!価格や特徴がまるわかり ...
https://www.yanekouji.net/character-yanekouji/kind-feature-price/
屋根材の種類について徹底解説&徹底比較!屋根材料の特徴、価格、メンテナンス、ランニングコストなどをまとめてみました。
屋根リフォームをお考えの方は屋根選びの参考にしてください。
一般住宅で使用されている屋根材は粘土系、セメント系、スレート系、金属系の4種類に分類されます。
さらに粘土系には、釉薬と無釉。セメント系ではプレスセメント瓦とコンクリート瓦。
スレート系では彩色(化粧)スレートと天然スレートに分かれます。
それぞれの屋根材にはメリット・デメリットがあり、自分の好みやお住まいに合った屋根材を選ぶ上で、それぞれの商品の特徴を確認しておくことが大切です。
目次
1. 屋根の比較表
2. 屋根材料一覧
2-1. 瓦(和瓦・洋瓦)
2-2. スレート(コロニアル・カラーベスト)
2-3. セメント瓦(プレスセメント瓦・コンクリート瓦)
2-4. トタン
2-5. ガルバリウム鋼板
2-6. 石粒付ガルバリウム(ジンカリウム)
2-7. ステンレス
2-8. 銅
2-9. アスファルトシングル(グラスファイバーシングル)
2-10. 陸屋根(ウレタン防水・シート防水・FRP・アスファルト防水)
3. まとめ
◆瓦(和瓦・洋瓦)
粘土を使った焼きものの屋根材です。
耐久性が高く、塗り替えの必要がありません。
厚みや重さがあるため、耐熱性、断熱性、遮音性にも優れた屋根材です。
他の屋根材と比較して重量が重いので、工事の際には耐震性を考慮する必要があります。
最近では、軽量化を実現した商品、遮熱タイプなどもみられます。
耐久性 50年~100年
価格 8,000円~12,000円 / ㎡(材工費)
メリット
不燃材料なので耐火性に優れている
破損しても1枚単位で交換できる
断熱性、遮音性に優れている
デザイン性に優れている(特に洋瓦)
耐久性が優れている
日本の気温・風土に合っている
日本家屋には非常にマッチする(屋根の輝きが美しい)
屋根裏の熱がこもらないので夏は涼しく冬は暖かい(天井が熱く感じない)
デメリット
重量があるため地震の揺れに弱い
暴風で瓦がずれる
瓦によっては、非常に高額な工事になる
施工できる職人が少ない
基礎工事をしっかりとしたものにしなくてはならない
メンテナンス
下葺材(屋根の下地)・棟部のしっくいの定期点検、それにより必要なメンテナンスを行う必要がある。屋根替えを行う場合は、カバー工法は不向き、既存を撤去する葺き替えが適している。
◆石州瓦物語:現在(平成24年12月)粘土瓦の産地は24箇所 全国に点在
http://www.sekisyu-kawara.jp/howto/story/sanchi/index.html
江戸時代に考案された施工費が安くあがる桟瓦が、全国に普及するのは明治に入ってからのこと。
原料となる粘土に恵まれ、交通の便のよい地域に瓦造りが育っていきます。
現在(平成24年12月)は全国24箇所で、
いぶし瓦や釉薬瓦が生産されていますが、
中でも愛知県の三州瓦、
島根県の石州瓦、
兵庫県の淡路瓦は日本三大産地といわれ、
三地域の生産シェアは80%以上になっています。
◆起源は、古代中国 今から2500年前の春秋戦国時代
http://www.sekisyu-kawara.jp/howto/story/kigen/index.html
現在判っている瓦の起源は、春秋戦国時代の古代中国にまで遡ります。時の思想家、墨子の書物に、瓦葺きの家を示す「瓦屋」という文字が記されており、およそ2500年前という長い歴史を持つことになるわけです。
「瓦(グワ)」という中国語は“粘土を焼いたもの”の総称。かまどの周囲の土が燃焼して固く強くなっていることを発見した古代中国の人々は、住居の壁や床といった強度を必要とする部分に粘土を塗り、直接火で焼き固めていました。やがてこれが瓦という建築材料へ進化していったのでしょう。
◆越前赤瓦|越前町 織田文化歴史館
https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/21.html
最古級の越前赤瓦の窯跡が平成18年(2006)に福井県越前町平等(たいら)で発見され、新聞紙上をにぎわした。
越前赤瓦とは、鉄分を多く含む土の薄めたものを塗り、独自の方法で焼き上げた越前焼の瓦である。
それまで赤瓦は、福井城や金沢城の発掘調査で大量に発見されていたが、その生産地までは特定されておらず、謎の瓦だったのである。
◆越前赤瓦 えちぜんあかがわら | うんちく 豆事典 | 福井新聞ONLINE
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/851
越前赤瓦. えちぜんあかがわら.
2007年4月9日 午後6時07分.
還元焼成と呼ばれる独自製法で江戸期から作られた越前産の瓦。
鉄分を含む釉薬を塗って焼いたため表面が赤くなる。
坂井市三国町や越前市などの寺院や民家の屋根に今も数多く残る。
◆金沢城福井城の越前赤瓦 | ふるさと福井 - 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/masasandiary/diary/200702160000/
2007/02/16
越前町の小曽原(旧宮崎村)や平等(たいら=旧織田町)の丘陵地帯は、日本六古窯の一つ「越前焼」の産地として広く知られているところですが、この地域は越前焼だけでなく、いぶし瓦や石州瓦とともに江戸後期から明治期の3代瓦として名をはせた「越前赤瓦」の発祥地でもあったようです。17世紀中頃に生産された初期の越前赤瓦は、平等の丘陵斜面から窯跡とともに見つかっており、福井城跡や金沢城跡から出土した赤瓦の文様、焼き具合などがよく似ていることから、それらの城郭建築にも用いられたと考えられています。
◆建築素材の再発見 赤瓦 - 日本建築学会北陸支部広報誌Ah!
http://news-sv.aij.or.jp/hokuriku/m1ah/ah35/03shisyodayori/shisyo35-fu.htm
国京 克巳(若越建築文化研究所 代表)
どの地方にも特産品がありますが、福井はすいせんやカニが有名です。
建築に関係したものとしては越前和紙が有名ですが、江戸時代には笏谷石や瓦も有名な産物でした。
笏谷石は地元福井でも花崗岩にその座を奪われて久しく、さらに近年採掘が中止され、その面影はありません。
しかし、日本海側各地の神社の鳥居やお寺の石塔や祠、さらには立派な町家の基礎や敷石などに使用されています。
笏谷石は研究対象として多くの人が取り上げていますからご存知の方も多いと思います。
一方、瓦はあまり知られていませんが、笏谷石と同様に江戸時代末から明治時代初めにかけて北前船により福井県から北の日本海沿岸の地域、遠くは北海道まで運ばれ、使われていました。
寒い北海道に瓦とはおかしいと思いの方もおいでかと思いますが、ぽつぽつと建物に瓦が使用されているのです。
瓦の研究者によると、江戸時代末期には福井の瓦技術が石川県・新潟県・秋田県にもたらされていたそうで、古文書には職人が出向いて瓦を焼いた記述が残っているそうです。
瓦といっても福井の越前地方は釉薬を塗った赤瓦で、若狭地方では燻した銀鼠の瓦です。
◆「越前赤瓦」 | 志葉楽のブログ
https://ameblo.jp/shibaracu/entry-12261404764
2017/03/31
福井県瓦工業組合のページによると、「耀変瓦」と呼び、「高温還元焼成により、無釉でありながら、吸水率・強度等の品質は遜色なく、素朴な色彩感覚で品格の上にも落ち着きを醸し出す」とある。もちろん赤瓦である。なお、「越前赤瓦」という ...
◆越前赤瓦 - 株式会社 越前セラミカ
http://www.e-seramika.com/xps/modules/tinyd0/index.php?id=4
戊辰戦争最後の戦場「箱館五稜郭」。
その中心的な建物「箱館奉行所」の屋根には、越前にルーツを持つ赤瓦が使われていたことが発掘調査から明らかになりました。
このたび、「箱館奉行所」の復元にあたり、福井で幕末の色と風合いを再現した「越前赤瓦」が製作され、用いられました。
越前から日本各地に広まり、歴史の舞台を彩った赤い瓦で、住宅、寺社の屋根を飾ってみませんか?
◆続・加賀の赤瓦屋根-橋立、東谷-: Yagiken Web Site
http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2011/05/post-382d.html
2011/05/25
<加賀地方の赤瓦屋根>
このウェブログの前々編「加賀の赤瓦屋根」で触れた加賀市大聖寺、片山津、さらには小松市那谷町で見た加賀地方の赤瓦屋根のことである。この時周遊バスで通過した加賀市橋立町には、北前船の船主屋敷や資料館とともに、伝統的建造物群保存地区に指定された赤瓦屋根の町並みもあるということを帰ってから知った。
加賀の赤瓦屋根
加賀市は広報かがという広報誌を発行しており、ウェブでも見られるが、H17年8月号には、「昔も今も赤い瓦屋根がある町並み 加賀橋立」という記事があり、平成13-15年度の3年間の調査を経て、平成17年4月に都市計画で橋立を伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に決定したことが出ている。
この中で、赤瓦が残る橋立の町並みが紹介され、「赤瓦は光沢がある釉薬瓦で雪や凍結に強い。戦国時代末期の城郭建築で使われ、江戸末期に北陸の一部に普及した古い製法。色合いや軒先の紋様から、石州瓦の系統で、北前船での交流により技術移入したと考えられている。」とある。
これを読んで、前々編の我が推察通りではないかと喜んだのであるが、ことはそんなに単純ではなかった。
<越前赤瓦の存在を知る>
久保智康 各地の赤瓦生産
http://yagiken.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/05/21/kubo.jpg
Kubo前々編を読んで下さった大聖寺にお住まいの先輩技術士から、日本セラミックス協会北陸支部が2001年に発行した「北陸の瓦の歩み」の中の、「近世赤瓦の系譜」という文献のコピーをお送り頂いた。この文献の中に、日本各地の、赤瓦生産、技術移転、搬出入の関係がどうなっていたのかについて、1600年~1900年にわたってまとめた表があった。
執筆者は京都国立博物館の久保智康先生で美術史や考古学がご専門であり、近世の瓦生産や越前、加賀の赤瓦についての論文も多い。そこで京都国立博物館に、久保先生の文献を京滋近辺で見ることが出きるかお尋ねしたところ、何と久保先生ご自身から「日本海域をめぐる赤瓦」という2005年発行のご著書や論文をお送り頂き感激してしまった。
◆幕末期の富山城瓦
(2)千歳御門の赤瓦
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/toyamajyo/kawara/bakumatu/2.htm
千歳御門創建瓦は、表面に赤い釉薬がついた、いわゆる「赤瓦」で、越前で製作された赤瓦「越前赤瓦」の系統に属する瓦です。赤い釉薬は鉄釉で、雪国では燻瓦が凍結して割れやすい点を改良し、耐寒瓦として18世紀以降に流行したとされています(京都国立博物館・久保智康氏の研究)。
◆越前 [概要と歴史] | 旅する、千年、六古窯 公式サイト
https://sixancientkilns.jp/echizen
17世紀中葉に赤瓦の生産が開始されました。
鉄分を含む土壌を水に溶いた釉薬を用いることで、瓦は赤黒く発色し、「越前赤瓦」と呼ばれています。
越前町平等で焼かれた赤瓦と同一の製品が、金沢城や福井城の発掘調査で出土。
◆周辺情報 | 名勝 養浩館庭園 特設サイト - 福井市 文化遺産
http://fukuisan.jp/ja/yokokan/other/area.html
福井のさまざまな歴史文化をお楽しみください。
昭和20年(1945)の福井空襲と、昭和23年(1948)の福井地震をくぐりぬけた福井市は、
福井城下の歴史的文化遺産のほとんどを失うこととなります。しかし、
その主な素材のひとつである石等によって今に残されている養浩館庭園をはじめ、
豊かな歴史文化を知ることのできる場所はいくつか存在します。
福井市立郷土歴史博物館
越前松平家伝来の重宝や資料を所蔵し、松平家資料展示室で随時展示しています。常設展示では、福井城本丸の模型や九十九橋の実物模型などを展示するなど、福井の歴史をわかりやすく紹介しています。「へんしん越前屋」では、江戸時代の衣服や道具を体験できます。
[公式HP]
http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/
福井城舎人門遺構
福井城外堀にあり、養浩館庭園から西に徒歩約3分の舎人門。発掘調査で、門の礎石や門脇の石垣、土居や外堀、武家屋敷跡や池、石組水路、また砂利敷道路などがみつかり、絵図等を参考に、越前赤瓦の屋根をもつ舎人門や土居が復元されました。
なお、越前赤瓦は、鉄分を多く含む釉薬を塗ることで防水性と耐寒性を高めて凍結に強く、越前で多く用いられています。江戸時代後期から明治時代初めにかけては、北前船で北の日本海沿岸から北海道まで運ばれました。
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