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縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●役小角●安倍晴明●空海

2021年02月09日 05時35分53秒 | ●日本人の特質
●役小角●安倍晴明●空海
この三人は日本で最高の人たち
三人とも死人を使役として使っていたとのこと
日本て面白い国ですね
明治維新は霊能者が全国に一万人は居て雨降らせたり色んなことをしていた
都市伝説と言うならそれもいいと思う
この日本は浅いようで底の深いところ面白い国である
おまじないなんかも残っている
◆役小角 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/役小角
役 小角(えん の おづぬ / おづの / おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている。姓は君君。 日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。
没地: 天上ヶ岳(箕面市)
寺院: 役行者霊蹟札所など
諡号: 神變大菩薩
弟子: 韓国広足
‎前鬼・後鬼 · ‎韓国広足 · ‎修験道 · ‎一言主
 
◆役行者霊蹟札所会 * 開祖 役行者
http://www.ubasoku.jp/introduction/ennogyoja.htm
「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。もっとも、伝説の多くは、舒明天皇六年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に「没した」のでなく、「昇天した」としています。いずれにせよ、この世の人でなくなった、ということでしょう。
 
◆役行者
https://minohkankou.net/minoh-kankou-mvg/minoh-story/enno.htm
役行者、名は役小角、後に、光格天皇から「神変大菩薩」の号を贈られる。白鳳時代の山岳修行者で、修験道の開祖として山伏たちに崇められている人物である。彼は実在の人物であるが、史書に残るところは極めて少なく、その生涯の殆どは伝説の中で伝えられている。しかも、その伝説には色々な異説があり、真実は杳としてつまびらかでない。
 しかし、それらの伝説の中の多くが語っているところによると、彼は大和国南葛城郡の茅原村(現在の御所市茅原)で、舒明天皇の六年(634年)に、賀茂氏の流れを汲む家に生まれたと云う。十七才で元興寺に学び、やがて、葛城山で山林修行に入り、さらに、熊野や大峰の山々で修行を重ねる。
 ある時、北の方角に霊光を見、その光を追って摂津国の箕面山の大滝に至り、滝の上の竜穴(御壺)の中へ入って、そこで龍樹菩薩から大いなる法を授けられて悟りを開く。龍樹菩薩は二世紀頃の南印度の人であるから、もとより、それは事実ではなく、滝は龍であるとの観念によるものであろう。
 
◆歴史と由来|西浦清六本舗 陀羅尼助丸
http://darasuke.net/history.html
大峯山開祖の「役行者えんのぎょうじゃ」と陀羅尼助
陀羅尼助は江戸時代に、売薬として広く庶民の中にとけこんだ家庭薬である。
しかし実際に胃腸薬に効く薬としては、江戸時代よりも、もっと昔にさかのぼった古代から知られていたにちがいない。山林の修行者であった小角(役の行者)が、修行中にオウバクからの調薬の術を会得していて、病人に施薬として与えたのであろう。
特に弟子の後鬼には、製薬の秘法を伝授したという。その子孫である洞川(どろかわ)の村人が陀羅尼助を製造販売して、これが大峯修行の山伏や山上講社、山上参りの人達によって各地にもたらされ、次第に普及し、薬効とともに有名になったと言われている。
陀羅尼助という名称は、後世になってつけられたのである。
 
◆吉野本葛の老舗・奈良・井上天極堂の公式サイト
https://www.kudzu.co.jp/cp-bin/wordpress5/blog/kudzunohanashi/%E9%83%B7%E5%9C%9F%E3%81%AE%E7%A5%9E%E4%BB%99%E3%80%80%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92/ › 郷土の神仙 役小角
葛の話シリーズ第七十七話
郷土の神仙 役小角(えんのおづぬ)
役小角は舒明(じょめい)六(六三四)年元旦に大和の国葛城(かつらぎ)の上郡(かみのこおり)茅原(ちはら)の郷に生まれた。現在、奈良県御所(ごせ)市茅原の吉祥草寺と言う名の寺院が生誕の地である。この寺には、役小角が産湯を使った井戸が史跡の一つとして保存されている。ちなみに、井上天極堂は今から約百五十年前に葛城郡葛村(現御所市戸毛)で葛粉製造業を興している。当地方に産する葛粉は、吉野【奈良県吉野郡国栖(くず)、葛の呼び名の発祥の地】生まれの吉野育ちで、葛粉の代名詞「吉野葛」として全国的に通用するまでになっている。他方、役小角は吉野地方の山や野を自身の庭として駆け回って育っている。もちろん成人した後も、小角は吉野を修験者としての活動の中心地として修業を積んだ。
 
◆史実と伝説の間にみる役行者の魅力 - CORE
https://core.ac.uk/download/pdf/229615004.pdf
役行者という呼称は、役小角という名に与えた. 後世の尊称である。役小角は7世紀後半から8世紀にかけて生存した山岳修行者である。役小角が. 最初に文献に登場するのは続日本紀であり、次が. 日本霊異記である。いずれも伊豆への配流者 ...
 
◆起源と歴史 - 瀧安寺
https://www.ryuanji.org/history
日本最初にして最古の弁財天
西暦658年、役行者が箕面滝で修業し、弁財天の導きを受けて悟り宗教家として大成しました。行者は報恩感謝のもとに、自ら弁財天の像を作製し、滝の側に祭祀して箕面寺と称しました。(当寺の始めと伝える。後に、瀧安寺と改称)以後、多くの修行者が入山し、山岳の道場として発展しつつ、最盛期には堂舎が八十余りも存在した。名高い宗教家に、奈良時代の行基を始め、空海(弘法大師)、聖宝(理源大師)、圓珍(智証大師)、鎌倉時代の法然、日蓮、そして蓮如の諸師達がいます。
しかし、明治以降は時勢の大変動によって当区域のみとなり、大阪府による森林公園の企画下のもと、堂跡には土産店や食堂が建ち並んで今日に至ります。
本尊は七福神の一神である弁財天で、財運の向上、芸能の上達を願い、一方、観音堂の主尊である如意輪観音には除災招福を求め年間を通じ参拝者で賑わっています。
 
◆安倍晴明神社 安倍晴明とその歴史
https://abeouji.tonosama.jp/abeseimeijinja/rekisi.html
謎に包まれた誕生
安倍晴明の出身地については、大きく分けて3つの説があります。
一、 大阪説
二、 讃岐説
三、 茨城説
この中で最も有力なのは、一、大阪説です。
『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。以下、引用文です。
「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」
 
◆空海(弘法大師)ってどんな人?真言宗開祖の生涯とゆかりの地
https://www.e-sogi.com/guide/29468/      2021/01/26
空海(弘法大師)とは、平安時代初期に留学僧として中国に渡り、日本に真言密教をもたらした僧です。真言宗の開祖として、日本天台宗の開祖・最澄とともに平安仏教を勃興し、日本の仏教の礎を築きました。今回は、その生い立ちや真言密教を日本に広めた道程など、空海の生涯をゆかりの地やエピソードとともにご紹介します。
目次
1 空海(弘法大師)の生涯
2 空海(弘法大師)ゆかりの地
3 空海(弘法大師)のエピソード
4 まとめ
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