いま日本も悩ましている「市場原理主義のグローバリゼーション」という妖怪は、じつはラテンアメリカのチリのピノチェト独裁体制の下で誕生したものです。「市場原理主義世界帝国」の国づくりの創生神話は、米国ではなくチリにあるわけです。
「金で買えるアメリカ民主主義」グレッグ・パラスト著
1973年、チリでCIAの支援による軍事クーデターが発生します。アウグスト・ピノチェト将軍は、民主的に選出された左派大統領のアジェンデ大統領を含め7000人以上もの市民を虐殺し政権を奪取したのでした。
ピノチェト将軍によるチリの市場原理主義革命の実験を担ったのが、マネタリズムの教祖であるシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授とその弟子たちでした。そして、フリードマンはチリでの実験の「成功」とされる怪しげな物語を踏み台にしてその権威を高め、ノーベル経済学賞も受賞し、ついにレーガン政権においてその教義を米国でも実施させることに成功したのです。以来、ウォール街・IMF・米国財務省は、フリードマンの教義を強制的に世界に広め、今日における世界の惨状を生み出したわけです。
ジャーナリスとのパラスト氏はチリの「神話」のウラを知っています。なぜなら彼はシカゴ大学経済学部の卒業生で、ちょうどチリでの実験中にミルトン・フリードマン教授のゼミにいたのですから…。
パラスト氏によれば、チリにおけるネオ・リベラリズムの「成功」の「物語」は、単なる「おとぎ話」であり、まったくのデマだというのです。
実際にはピノチェトの「市場原理主義改革」によって、米国の投機家たちのパラダイスは誕生しましたが、市民生活はといえば、1973年から83年のあいだに貧困層は20%から40%に倍増し、失業率は4.3%から22%にも上昇したそうです。ピノチェトはフリードマンの助言に従って、国営銀行をはじめありとあらゆるものを民営化し、ハゲタカが乱舞するマネーゲームの楽園を生み出しましたが、結果は惨憺たるものだったのです。
さすがの残忍なピノチェト将軍も、シカゴ・ボーイズと呼ばれるフリードマンの弟子たちを追い出して、オーソドックスなケインズ政策を多用し、ハゲタカ対策として短期的投機資金の流入を規制する法律まで作って国を立ち直らせたのでした。
シカゴ・ボーイズによる荒廃を経て、ピノチェトがチリ経済を復興させるために役立った「遺産」が二つあったそうです。それらはいずれも、ピノチェトに殺された社会主義者のアジェンデ大統領が行なった政策でした。具体的には銅山(チリ最大の外貨獲得源)の国有化と、農地改革の二つだったのです。
ピノチェトは賢明にも、アジェンデが国有化した銅山だけは、国有のまま死守したのです。当時のチリの輸出収入の30-70%は銅からもたらされていました。基幹産業である銅資源を国有状態に留めている国を、はたしてフリードマンの教説通りの「小さな政府・自由放任市場主義」の国と呼ぶことは可能でしょうか? 国営の銅産業の発展によって経済が回復したとして、その功績をフリードマンの市場原理主義に帰することが可能でしょうか?
アジェンデが行なった農地改革の遺産も、クーデターを経ても多くは引き継がれたそうです。アジェンデの農地改革の結果、活力ある自作農階級が誕生し、チリ農業はピノチェト時代に大いに発展したというのです。
つまり、殺人鬼の独裁者ピノチェト将軍と市場原理主義者フリードマンの絶妙なコンビが作り上げた「チリ経済の奇跡」と呼ばれている物語は、その多くが歴史的事実に基づかない「捏造」なわけです。「奇跡」の源の多くはピノチェトに殺されたアジェンデ元大統領にあったというわけです。
「金で買えるアメリカ民主主義」グレッグ・パラスト著
1973年、チリでCIAの支援による軍事クーデターが発生します。アウグスト・ピノチェト将軍は、民主的に選出された左派大統領のアジェンデ大統領を含め7000人以上もの市民を虐殺し政権を奪取したのでした。
ピノチェト将軍によるチリの市場原理主義革命の実験を担ったのが、マネタリズムの教祖であるシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授とその弟子たちでした。そして、フリードマンはチリでの実験の「成功」とされる怪しげな物語を踏み台にしてその権威を高め、ノーベル経済学賞も受賞し、ついにレーガン政権においてその教義を米国でも実施させることに成功したのです。以来、ウォール街・IMF・米国財務省は、フリードマンの教義を強制的に世界に広め、今日における世界の惨状を生み出したわけです。
ジャーナリスとのパラスト氏はチリの「神話」のウラを知っています。なぜなら彼はシカゴ大学経済学部の卒業生で、ちょうどチリでの実験中にミルトン・フリードマン教授のゼミにいたのですから…。
パラスト氏によれば、チリにおけるネオ・リベラリズムの「成功」の「物語」は、単なる「おとぎ話」であり、まったくのデマだというのです。
実際にはピノチェトの「市場原理主義改革」によって、米国の投機家たちのパラダイスは誕生しましたが、市民生活はといえば、1973年から83年のあいだに貧困層は20%から40%に倍増し、失業率は4.3%から22%にも上昇したそうです。ピノチェトはフリードマンの助言に従って、国営銀行をはじめありとあらゆるものを民営化し、ハゲタカが乱舞するマネーゲームの楽園を生み出しましたが、結果は惨憺たるものだったのです。
さすがの残忍なピノチェト将軍も、シカゴ・ボーイズと呼ばれるフリードマンの弟子たちを追い出して、オーソドックスなケインズ政策を多用し、ハゲタカ対策として短期的投機資金の流入を規制する法律まで作って国を立ち直らせたのでした。
シカゴ・ボーイズによる荒廃を経て、ピノチェトがチリ経済を復興させるために役立った「遺産」が二つあったそうです。それらはいずれも、ピノチェトに殺された社会主義者のアジェンデ大統領が行なった政策でした。具体的には銅山(チリ最大の外貨獲得源)の国有化と、農地改革の二つだったのです。
ピノチェトは賢明にも、アジェンデが国有化した銅山だけは、国有のまま死守したのです。当時のチリの輸出収入の30-70%は銅からもたらされていました。基幹産業である銅資源を国有状態に留めている国を、はたしてフリードマンの教説通りの「小さな政府・自由放任市場主義」の国と呼ぶことは可能でしょうか? 国営の銅産業の発展によって経済が回復したとして、その功績をフリードマンの市場原理主義に帰することが可能でしょうか?
アジェンデが行なった農地改革の遺産も、クーデターを経ても多くは引き継がれたそうです。アジェンデの農地改革の結果、活力ある自作農階級が誕生し、チリ農業はピノチェト時代に大いに発展したというのです。
つまり、殺人鬼の独裁者ピノチェト将軍と市場原理主義者フリードマンの絶妙なコンビが作り上げた「チリ経済の奇跡」と呼ばれている物語は、その多くが歴史的事実に基づかない「捏造」なわけです。「奇跡」の源の多くはピノチェトに殺されたアジェンデ元大統領にあったというわけです。