LeuciのCPB

事の真相を自分なりに探究し記録しています。

公より私のための記者クラブ

2006年01月07日 | メディア
記者クラブ問題と言えば、雑誌や外国メディアを閉め出し独占的に一次情報を得るという「閉鎖性」(メディア間の不平等性)や、何の法的根拠もないのに行政機関から税金でオフィスなどを提供されている「利益供与」が主な問題とされてきた。これらは議論の余地がない明白な不正で、権力と結託しその一部と化した大新聞・テレビが既得権にしがみついている実態がある。



記者クラブは、体制側が効率的に自らに有利な情報を流すためのマシーンだ。政・官・業の主たるところには必ず記者クラブがあり、記者を通して効率的にPRするシステムがまかり通っている。クラブは官庁ごとにあるのはもちろん、NTTやJRといった大企業にも張り巡らされ、様々な利便供与がなされている。ここで官僚によって既に加工されて発信された情報が記者を通すことで中立性を装い、宅配制度によって毎日二回、自宅に有無を言わせずに送りつけられる。また、ダイレクトに自宅のテレビに映し出されるのである。




なぜ新聞社がこのシステムに組み込まれてしまうのかといえば、紙面を埋めるためには、このシステムはすこぶる都合が良いからである。戦後、一貫して増やしてきたページ数を支えたのは、まさに記者クラブで発表される官報チックなネタだった。更に一見関係ないようで非常に関連深いのが、米国にはない「夕刊」というシステムである。夕刊があるがために、記者は朝から夕刊締め切りの時間(午後二時ごろ)まで記者クラブに詰めて(つまり現場に取材に行かないし行けない)、ひたすら官僚のレクチャーや発表モノをすばやく処理しなければならない。疑問を感じていたら次々に重ねられる「版」に間に合わないので、官僚が作ったペーパーに基づいた報道にならざるを得ないのだ。これは現場の記者には解決困難な問題で、経営者マターである。

しかし、広告収入を増やすために必要以上に紙面を増やしてきた新聞社は、もはや減収につながるページ減など考えられない。再販規制がなくなり競争が起これば紙面の質で勝負することになろうが、現在の『護送船団』状況では、週刊誌と違って販売部数に増減が少ないので、質はともかくページを増やすことで利益を出せる。記者クラブは、経営の論理と見事に合致するのである。




自己変革は無理

 なぜ個人の言論の自由が重要なのかと言えば、経営者サイドからの改革は、絶対に無理だからだ。株式会社は、株主の利益を追求する建前がある。記者クラブや再販といった利権を手放すことは、社会全体のためにはなるが、日経の経済的な利益には明らかに反する。自ら利権を手放すことで読者の信頼を勝ち得て部数増につながるかと言えば、残念ながら300万もの読者を平均すれば、知的・倫理的レベルはそれほど高くない。欧米の高級紙のように、収入レベル・知的レベルが高くジャーナリズムを理解できる数十万の読者だけを相手にしていれば良い、という訳ではないのだ。

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