written by えっち
まず問題です。「旧国鉄の事故で、1000人以上の死者を出したものが1つだけあります。なんでしょう?」
朝市の帰りぎわ、函館港に碇泊展示してあるかつての青函連絡船「摩周丸」をえーが見つけました。「せっかくだから見に行こう」ということで、入館料500円を払って入場しました。
中では洞爺丸事故の解説が流れていたり、青函連絡船の就航から廃止までの歴史が述べられていたりと、歴史的にもなかなか骨のある展示があったりもしたのですが、

歴代の青函連絡船の模型が展示してあったり(おそらくマニア垂涎)、

通信室やブリッジがそのまま保存されていたりして、大変興味深く思いました。

これは、当時の寝台客室の呼び物で、客室係が毛布を色々な形に飾り折りして置いておいたというもの(今でもテーブルのナプキンを折ってありますがあれみたいなもの)。

上から「花」「桜」「菊水」「朝顔」「日の出」「灯台」

上から「松竹梅」「兜」「大沼」「初日の出」「富士」「双子台」
その季節に合った折り方をしていたそうです。

摩周丸から見た函館山。左のほうに「凸」の形に見える建物が、この日泊まっていた函館国際ホテルです。
普段はあまり語られない歴史に触れる機会だったと思います。予定していたわけでもないのに、いい体験でした。
この日のオマケ

当時のユニフォームを自由に着られるコーナーがあったので、ちょっとコスプレ。
こちらは船長さんの冬服です。裏が起毛してあって大変重いコートだそうです。余談ですが青函連絡船の船長というのは、東京や大阪などの大きな駅の駅長ぐらいの格(と待遇)だったそうです。