長野に住むにあたって最初にしたのは車の「思い出し教習」でした。
しばらく運転をしていなかったし、高地特有の山道やくねった道に慣れたいと3日間、近くの教習所に通いました。
「奥さん、田舎暮らしってのはね、なーんでも、みーんな自分でやんなきゃなんねーだよ!」と助手席のおじさんが言いました。
最初の年は庭も畑もセイタカアワダチソウや木化した草に覆われ、中で作業すると埋もれそうでした。
でもやるしかない、
幸い、前の持ち主のおばあさんは花好きで土がホクホク、、
少しづつ草取りが進むとなぜか征服欲が出て、手に負えない根の深い草以外はやり終えてしまいました。
通りかかった土地の人はみな、「奥さん、よくやるねぇー」と驚かれ、
ある人は、「以前にしたことがあるんかい?」と聞かれたので
「はい、前は百姓でしたから」とジョークのつもりで言いました。
しかし、そこは勤勉で真面目な長野の人、そのまま受け取られたようです。
百姓は「百の仕事ができる人」
野菜、米作り、天体にも気候にも詳しく、機械を使い、家まで建てて、糸を作り、織って衣服を作り、水路を作り、森を守り、川を守り、鳥に詳しく、祭りをし、、、、、、きりがありませんね。
「自然を体と経験から学ぶ百姓はみな科学者です」と
韮崎の農家出身のノーベル賞受賞者大村さんはそう言っておられました。
百姓はマルチ人間なのです。
百姓でありたいと思いますがまだまだです。