100% Coconuts Flavor

アーバンでメローなあなたにおおくりします。そう。VIENDA!

最近とこれから。

2010年10月26日 15時03分37秒 | Kin
さて、何から書けば良いのやら。

夢の様な時間を過ごさせていただきました。

僕とあんちゃんは打ち上げの席でそう宮沢さんに伝えた。


高校の頃サッカー部には所属していたものの、持ち前の運動神経の悪さと、声の大きさを監督に評価され、

ベンチから選手を鼓舞すると言う大切な仕事をまかせらてられていた。

心身ともにズタボロな僕の楽しみと言えば、

TSUTAYAのレンタル半額デイ

上限の10枚、何を借りようかいつも迷っていた。

そんな何が良い、悪い、とかわからずに借りたCDのうちの1枚にスチャダラパーと言うアーティストのアルバムがある。

いわゆるマッチョ、体育会系の逆を行くそのラップはズタボロの僕にはとても心地よく、
これでも良いんだな、
と、妙な自信を与えてくれた。

サマージャムを聞いて夏が大好きになった。

暇の過ごし方を聞いて暇の大切さを教えられた。

喜怒哀楽を聞いて27歳までに何かになりたいと思った。

そんなスチャダラパー。
MDウォークマンで何度も繰り返し聞き続けて、


スチャダラパーってすごい名前だな、とある日、ふと考える。

ゆえんを調べるうちに出てきた名前が宮沢章夫、その人だったのです。

本も出ていると言うことで、
探すものの、田舎の本屋にはなかなか置いて無くて、熊本市内まで買いにいった、電車を乗り継いで約二時間。
電車代は本の値段よりも高かった。

帰りの電車で舐める様にその本のページをめくり、日常に有るくだらない事の面白さ、独特の語り口に僕は一気に宮沢さんのファンになった。

で、何かになりたくて、入った文化服装学院。

僕は何にもなれないかもしれない。と絶望した。
はきそうになるくらい服を作るのが難しかったからだ。

切り替えがいくつも入ったジャケットや、不思議なパターンのドレス、何とか賞に入選した。
などの会話。
劣等感にまみれる。
湯あたりするほどに。

そんななか北海道出身のチリチリ頭と出会う。あんちゃんだ。

最初は中々よそよそしく接していたけれど、
ある日、あんちゃんが彼女と別れた。
僕らは急に仲良くなった。

色々話を聞く、あんちゃんは演劇やダンスが好きで宮沢さんの舞台もいつか見に行きたいなーと。

宮沢さんの話を友達とするのは初めてだった。

そしてプリントを勉強していたあんちゃんに服の染め方を教わる。

そこから急に学校も課題も楽しくなりだす。
すべての作品を布から作った。

流石にあんちゃんみたいに蚕から育てたりはしなかったけれども。

それから何年かたち、僕はあんちゃんと服を作っていた。

ある日遊園地再生事業団、
ニュータウン入り口を二人で見に行った。
打ちのめされた。観劇後、衣装とかやれたらもう服を作るのやめてもいいよね。
などと二人で鼻息をあらくした。

で3年後。

あんちゃんから信じられない言葉を聞く事になる。

遊園地再生事業団の衣装をやれる事になるかもしれない。

と。

僕は正直そんなうまい話がある訳無いと話を半分に聞いていた。あんちゃんのもてた時代の話を聞く様に。

だけれども顔合わせの日が本当に来てしまった。
僕とあんちゃんは待ち合わせの1時間前から同所の別の喫茶店で作戦を練っていた。

しかし実際宮沢さんにお会いして、僕はファン過ぎて中々しゃべれず、スラスラと話すあんちゃんのもみ上げの剃り残しだけが記憶に鮮明に残っている。
頼りになるなぁ、あんちゃんは、ってさ。

それから、
練習、本番。

となる訳だけれども、
宮沢さん、役者さん、制作のかた、皆さん気さくに接してくれ、人見知りな僕も最後の方には普通に話せる様になっていた。そして、とにかく話が合う。単純にうれしかった。

舞台は連日満員。
衣装も何人かの方に褒められた。

淡々と書きつづったけれども、夢みたいな話だ。

だから宮沢さんにそう伝えました。

最後に言ってもらえた、またね。

の一言がどれだけうれしかった事か。

まだまだ辞められない。
これからです。

まずは山村さんに指摘されたホームページの解凍作業からかな。

制作の黄木さんをはじめいろんな方に迷惑もかけてしまいました。もっと精進しなければ!
反省点も沢山ある。
だけどだからこそ、また別な何かを作りたくなる訳だ。

最後に兄貴、起きてますね!


ちゃおもといきん。






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