Good day's !!

まんず、よく来たなぁ~!ありがてえ事だぁ~!何にもねえけどよぉ、ぼちぼちやるからよぉ、ゆっくりしてってけれやぁ~!

音楽の原点はバッハにあり!

2005年08月31日 | music


音楽の原点と言えば各地域の原住民の太鼓の音色でしょうか?
しかし、今日残されている最古の音楽といえば、やはりヨーロッパ音楽の
グレゴリオ聖歌だと思います。それ以前の古代ギリシアの音楽も、
楽譜はいくらか残されていても、その生命力を再現させえることは
不可能のように思いますが、グレゴリオ聖歌とはローマ、カトリック教会の
典礼(礼拝)のための音楽です。
中世のルネッサンス時代から今日まで歌いつがれてきたものですから、
ヨーロッパ音楽の根源、あるいは源流ということができるでしょう。
ハーモニーもなく、旋律線ひとつだけで斎唱(ユニソン)で歌われる
単純きわまりないものですが、それでいてその訴えはたいへん深く、
不思議な魅力を宿しています。
キリストの血と肉を象徴するパンとぶどう酒をうけるミサ聖祭のための聖歌は
特に重要なものです。そこではイントロイトゥス(入祭唱)とか
キリエ(あわれみの賛歌)とかいろいろの聖歌が順々に歌われていきますが、
それらは、一年間を通じて原則として変わることのない歌詞によるものと
クリスマスとか復活祭とかいった特定の祝日のための歌詞によるものと、
二つのタイプに分けることができます。
特にレクイエム(死者のためのミサ)は「死」に出会うことによって、
はじめて自分が生きている意味を知り、また、生きることの理由を
考えるようになります。人間の生き、そして死ぬことの本質的な意味を
強い説得力で、音楽で見事にとらえつくしているのも、当然といえるでしょう。

小学校の音楽室の壁に画鋲で留められた古ぼけたおじさん達の写真を
見たことがあると思います。髪を振り乱しているベートウベン、
すまし顔のシューマン、流し目のワーグナー、おしゃれな服装のモーツアルト、
小太りのブラームスなど、その中に髪をカールした太目のおじさんがバッハです。
私は現代音楽の原点はこのへんにあると思われますが、いかがなものでしょうか?

ヨハン・セバスチャン・バッハの創作活動は、「ワイマール時代 1708~17年」
「ケーテン時代 1717~23年」「ライプツィヒ時代 1723~50年」の3つに
分けられます。オルガン奏者から官廷楽員、楽長となり管弦楽作品として
重要なものの多くはケーテン時代の作であるが、フルートのための作品に
関していえば、ライプツィヒ時代の作と考えられるものも少なくありません、
1000曲にあまる音楽作品は今日、シュミーダー編のバッハ作品目録に
したがってBWV番号を付してしるされるのが習慣となっています。

フーガの技法(BWV1080)の未完成のまま、静かにこの世を
去ってしまいました。

Monologue (独り言)

2005年08月30日 | Good day

人生、永いようで、短いような、短いようで永いような…?
昔であれば三十年生きればモウケモノ!
この世に生まれて何秒かで亡くなった人もいますし、災害、難病などで、
幼くして亡くなった方もいます。運悪く、殺された方もいます。
江戸時代であれば戦国の武将、織田信長も謡ったように、古来、
日本人にとっては「人生五十年」でした。
その間に元服(げんぷく)や成人式の祝いもありました。
しかし、戦後、豊かな社会の到来とともに、過去半世紀の間に
日本人の平均寿命は、三十年以上も延長し、今では「人生80年」といわれ、
何時しかわが国は、世界一の長寿国になっていたのです。
この傾向は、今後さらに続くと思われます。まだ、やったことよりも、
やらないことのほうがたくさんある、そんな気持ちで日々新たです。
21世紀ではいよいよ「人生100年」の時代を迎えるのでしょう。

満60歳で還暦を迎えた老人?を赤いチャンチャンコを着せ床の間に据える習慣は、
日本では、はるか昔からありました。60年を経て、ふたたび生まれた
干支(えと)にかえることから、人生の振り出しに還るということからですが、
それがそのまま続き、60歳というとまだまだ働ける男女にも定年の判が押され、
現役時代の幕がとじられるというのが今の世のならわしなのです。

60歳で老人、ブタでもない!マチガイ!トンでもない!
今の60歳は若いですよネ!人間の体力や頭脳は、使わないと、どんどん退化
します。ある程度の年齢を越えると、新しい事に挑戦しても、
最初はうまくいかないかもしれません。「若い時はこんなんでなかったのに?」
「この年齢では無理なのだろうか?」とガッカリする事も有ります。
しかし、気持ちの持ち様です。年をとっているからと思って、
やりたい事をやる前から、最初から諦めてしまう前に、トライして、
少しづつでも、出来るように成るのであれば、まだ、登り坂を
登っているようなものであって、諦めるには早すぎます。
よく、人間が生まれてから死ぬまでの成長の段階を、「幼年期」「少年期」
「青年期」「壮年期」「中年期」「老年期」の六つに分けて考えます。
還暦が「第二の幼年時代」を迎えたことを意味します。老人は子供に返って、
おしっこを漏らす。足腰が弱く、ヨチヨチ歩きで転びやすい。
子供が寝たがるように、老人もすぐ寝たがる。
それでも、そこまで長生きしたのだから、おめでたいという意味をこめて、
赤いチャンチャンコを贈るのです。御祝いの中にも、寂しい老後の人生が
暗示されています。しかし、60歳と赤いチャンチャンコが結びついたのは、
すでに過去の話しといえます。還暦を迎えても、血色は良いですし、
歩き方も堂々としています。スポーツや海外旅行にも行きますし、
車の運転もします。チョット古いですが、モダンボ-イにモダンガールは
たくさんいます。耄碌(もうろく)しているという面影は探すべくもありません。
人生のステージにおける最後の部分が、まったく変わってしまったのです。

寂しい老後どころか、気力も体力も十分で、昔の「老人」という言葉は
あてはまりません。年齢に関係無く、新しい世界を広げ、新しい楽しみを
見いだすことはいくらでも出来るのです。新しいところは、慣れきった人には
当たり前のことでも、新鮮な発見と感動を得られる事です。
知らない事を知る、出来ない事が出来るようになる、楽しいですネ!

人生とは生き方の洗濯、おっと、失礼!選択です。
「偶然が支配するあみだクジ」です。すべてが「選択」の歴史であり、その選択は、
自分の意思ではなく偶然が支配します。過去を振り返って、もし、あの時に?
もしも、この人と?とか無数の“もしも”という偶然によって、右に、左に、
上に、下に、翻弄(ほんろう)されている事です。
キリスト教や仏教では摂理(せつり)とか縁と呼び、大宇宙の真理によって
生かされているというわけです。
そもそも私たちがこの世に生まれたこと自体が、ハプニングです。
ハプニングで生まれ、縁という偶然で生かされ、
翻弄(ほんろう)され、人生のしがらみにがんじがらめにされていく、
それが人生です。

ブッタの教えではこうした世俗のしがらみから、いっさい解き放されて
自由になることを、「解脱」とか「悟り」といいますが、「般若心境」なんかは
人生の哲学書ですネ!仕事とか子育てとか,自分の意思以外で強制される人生は
還暦を迎えるころで終わります。しがらみから解き放たれるのです。
これは「余生」などというものではありません。人生の余りや、付録ではなく、
まして、おまけつきグリコではないのです。

ここからが新たな第二の人生です。なにものにも束縛されない、楽しい人生?
の始まりなのです。孔子は『論語』の中で、「四十にして惑わず」
「五十にして天命を知る」です。そろそろ組織からはみだされ、肩書きを失い、
子育ても終盤を迎えようとしています。当然、子離れもしないと成りませんが、
転換期が近づいているのは確かです。「魔女の宅急便」のキキではありませんが、
旅立ちの時期が近づいています。この旅立ちこそが、第二の人生のスタート、
あるいは人生の折り返し地点といえるのではないでしょうか、
今までの慣習とは違います。好奇心を発揮し、新しい慣習をみいだし
「ライフワーク」を持つことがこれからの残りの人生の生きがいにもなるはずです。
勿論、プラス思考の考え方が基準に成りますが、心の健康、体の健康は
年齢の隔たりはありませんので、其れなりの行動が出来ると思います。
半世紀生きて今が「少年期」かも知れません、そして、折り返し地点がまだまだ
先かもしれませんが、私は魅力あるおじいちゃんに成りたいのですが……?

Good day !!

2005年08月25日 | Good day

宮澤賢治の雨ニモマケズを人生の哲学書とし、喜怒哀楽で良寛、
山頭火を心の師と仰ぎ、太宰治を恋愛の師とし、バッハ、ブラームスを
拝聴し、牧水を酒の肴とし、あしたのジョーで男樹を感じ、
巨人の星で親子愛を感じ、亀有の両津さんで人生の面白味を実感し、
サザエさんを愛読して楽しんでいます。
50才に成ると小泉の純ちゃんではありませんが、おそれず、ひるまず、
とらわれずをモットーに出来れば良いのですが?小心者ですので
中々そうはいきません、
晴耕雨読の精神で残りの人生を楽しんでいきたいと思いますが、
それには健康が必要です。
ストレスを貯めない様に、トラウマ症候群にはならない様に体の健康、
そして心の健康に心がけスポーツも楽しみ、自然と仲良く遊び
楽しんで行ければ、高望みはしません、
半世紀以上大地に根付いてたくさんの酸素を一生懸命吸収し、
必要である水分を不老長寿の媚薬としてアルコールに変え
楽しみ生きています。

桜の咲く季節の春には開花と同時に野外に繰り出し、
熱帯夜の夏には熱さをものともせず、実りの秋には
冬眠前の熊の様に収穫を貪り、厳寒期の冬には
冬の良さと戯れ楽しみを見出し生き延びてきました。

文明、慶応の江戸時代であればもう、この世の時代では
存在していないかもしれませんが明治、大正、昭和、そして平成と
世代交代がめまぐるしく変化していく中で、ほんの少しの
足跡を残して行こうと思いますが、
未だに浮遊物の様に巷の一郭で淀んでいます。