Good day's !!

まんず、よく来たなぁ~!ありがてえ事だぁ~!何にもねえけどよぉ、ぼちぼちやるからよぉ、ゆっくりしてってけれやぁ~!

Monologue (独り言)

2005年08月30日 | Good day

人生、永いようで、短いような、短いようで永いような…?
昔であれば三十年生きればモウケモノ!
この世に生まれて何秒かで亡くなった人もいますし、災害、難病などで、
幼くして亡くなった方もいます。運悪く、殺された方もいます。
江戸時代であれば戦国の武将、織田信長も謡ったように、古来、
日本人にとっては「人生五十年」でした。
その間に元服(げんぷく)や成人式の祝いもありました。
しかし、戦後、豊かな社会の到来とともに、過去半世紀の間に
日本人の平均寿命は、三十年以上も延長し、今では「人生80年」といわれ、
何時しかわが国は、世界一の長寿国になっていたのです。
この傾向は、今後さらに続くと思われます。まだ、やったことよりも、
やらないことのほうがたくさんある、そんな気持ちで日々新たです。
21世紀ではいよいよ「人生100年」の時代を迎えるのでしょう。

満60歳で還暦を迎えた老人?を赤いチャンチャンコを着せ床の間に据える習慣は、
日本では、はるか昔からありました。60年を経て、ふたたび生まれた
干支(えと)にかえることから、人生の振り出しに還るということからですが、
それがそのまま続き、60歳というとまだまだ働ける男女にも定年の判が押され、
現役時代の幕がとじられるというのが今の世のならわしなのです。

60歳で老人、ブタでもない!マチガイ!トンでもない!
今の60歳は若いですよネ!人間の体力や頭脳は、使わないと、どんどん退化
します。ある程度の年齢を越えると、新しい事に挑戦しても、
最初はうまくいかないかもしれません。「若い時はこんなんでなかったのに?」
「この年齢では無理なのだろうか?」とガッカリする事も有ります。
しかし、気持ちの持ち様です。年をとっているからと思って、
やりたい事をやる前から、最初から諦めてしまう前に、トライして、
少しづつでも、出来るように成るのであれば、まだ、登り坂を
登っているようなものであって、諦めるには早すぎます。
よく、人間が生まれてから死ぬまでの成長の段階を、「幼年期」「少年期」
「青年期」「壮年期」「中年期」「老年期」の六つに分けて考えます。
還暦が「第二の幼年時代」を迎えたことを意味します。老人は子供に返って、
おしっこを漏らす。足腰が弱く、ヨチヨチ歩きで転びやすい。
子供が寝たがるように、老人もすぐ寝たがる。
それでも、そこまで長生きしたのだから、おめでたいという意味をこめて、
赤いチャンチャンコを贈るのです。御祝いの中にも、寂しい老後の人生が
暗示されています。しかし、60歳と赤いチャンチャンコが結びついたのは、
すでに過去の話しといえます。還暦を迎えても、血色は良いですし、
歩き方も堂々としています。スポーツや海外旅行にも行きますし、
車の運転もします。チョット古いですが、モダンボ-イにモダンガールは
たくさんいます。耄碌(もうろく)しているという面影は探すべくもありません。
人生のステージにおける最後の部分が、まったく変わってしまったのです。

寂しい老後どころか、気力も体力も十分で、昔の「老人」という言葉は
あてはまりません。年齢に関係無く、新しい世界を広げ、新しい楽しみを
見いだすことはいくらでも出来るのです。新しいところは、慣れきった人には
当たり前のことでも、新鮮な発見と感動を得られる事です。
知らない事を知る、出来ない事が出来るようになる、楽しいですネ!

人生とは生き方の洗濯、おっと、失礼!選択です。
「偶然が支配するあみだクジ」です。すべてが「選択」の歴史であり、その選択は、
自分の意思ではなく偶然が支配します。過去を振り返って、もし、あの時に?
もしも、この人と?とか無数の“もしも”という偶然によって、右に、左に、
上に、下に、翻弄(ほんろう)されている事です。
キリスト教や仏教では摂理(せつり)とか縁と呼び、大宇宙の真理によって
生かされているというわけです。
そもそも私たちがこの世に生まれたこと自体が、ハプニングです。
ハプニングで生まれ、縁という偶然で生かされ、
翻弄(ほんろう)され、人生のしがらみにがんじがらめにされていく、
それが人生です。

ブッタの教えではこうした世俗のしがらみから、いっさい解き放されて
自由になることを、「解脱」とか「悟り」といいますが、「般若心境」なんかは
人生の哲学書ですネ!仕事とか子育てとか,自分の意思以外で強制される人生は
還暦を迎えるころで終わります。しがらみから解き放たれるのです。
これは「余生」などというものではありません。人生の余りや、付録ではなく、
まして、おまけつきグリコではないのです。

ここからが新たな第二の人生です。なにものにも束縛されない、楽しい人生?
の始まりなのです。孔子は『論語』の中で、「四十にして惑わず」
「五十にして天命を知る」です。そろそろ組織からはみだされ、肩書きを失い、
子育ても終盤を迎えようとしています。当然、子離れもしないと成りませんが、
転換期が近づいているのは確かです。「魔女の宅急便」のキキではありませんが、
旅立ちの時期が近づいています。この旅立ちこそが、第二の人生のスタート、
あるいは人生の折り返し地点といえるのではないでしょうか、
今までの慣習とは違います。好奇心を発揮し、新しい慣習をみいだし
「ライフワーク」を持つことがこれからの残りの人生の生きがいにもなるはずです。
勿論、プラス思考の考え方が基準に成りますが、心の健康、体の健康は
年齢の隔たりはありませんので、其れなりの行動が出来ると思います。
半世紀生きて今が「少年期」かも知れません、そして、折り返し地点がまだまだ
先かもしれませんが、私は魅力あるおじいちゃんに成りたいのですが……?