VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ

谷口雅春大聖師の教えを現代に生かす

人間の生活する4つの面

2015-10-01 12:41:01 | 生長の家

          生長の家創始者  谷 口  雅 春 大聖師


 人間は4つの世界に住んでいるのである。

 それは概括して、物質の世界、精神の世界、霊の世界、更に実相の世界に住んでいるのである。

 物質の世界に於いては物質の法則が働く。 吾々は空気を呼吸せずに生活することは出来ないのである。 水を飲まないでは生きることは出来ないのである。 この面では物質的法則が吾々に作用する。 この方面を無視することは出来ないのである。 だから吾々は自然科学の此の方面の研究を無視するものではない。

 併しながら自然科学はまだ発達の途上にあるのである。 昨日の良薬は今日の無効薬となりつつある。 治療の方法も日進月歩しつつある。 日進月歩すると言うことは昨日の是が今日の否となると言うことに過ぎない。 吾々は科学的研究の成果を無視することは出来ないが、全的にそれのみに頼ることは出来ないのである。 

 科学者は清水の成分と科学的に全く同一の成分の塩水を造ることは出来るけれども、此の精確な成分の塩水中では海水棲物は育たないのである。 この世界には、現在の科学者の未だどうしても発見し得ない生命に必要な或る要素が存在するのであって、科学的に構成要素は同一なるビタミンB1であっても、米糠のビタミンB1とは現在の科学者には未知のある要素に於いて異るのであって、これは臨床効果に於いても見られる処である。

 更に人間の一面は精神的なものであって、如何に医療を加えても、心の中に恐怖や心配や悲しみや、或る人に対する憤りや憎しみを捨てないでいる限りに於いては、薬効があらわれないことが屡々あるのである。

 それにも拘らず、現代の医学が人間の物質的面にのみに注目して不用意にその病気の恐るべき名称や今後の帰趨を言葉にあらわすために、患者は不要の恐怖心配にとらわれて生活力を萎縮せしめ、かかる不用意なる医者の診断がなかったならば。もっと長生きしたであろうと思われる患者を急速に死に導いて行く実例も多いのである。

 これなどは医者の言葉の暴力によって、人間を気死せしめたと言うべきであって、言葉の暴力は人間の法律上では罰せられないかも知れないけれども、神の掟の前には腕の暴力も言葉の暴力もその人を害した程度に従って、「罪あり」と認めらるべきものである。

 更に人間は霊的存在であって、霊の故障によって起る病気は、物質治療も、精神治療も結局は効果をあらわさないのであって、霊そのものを悟りに導く方法が必要なのである。

 生長の家の神想観や聖経の読誦によって病気が治る場合があるのは、本人の精神状態に及ぼす心理的効果も与って力があるけれども、その人の本霊の悟りと、その人の守護霊〈祖先霊を含む〉の悟りの向上による処が多いのである。

 医療や心理学的暗示療法などが効果をあらわさないところの脊椎カリエスや、癲癇の発作が聖経の読誦で全治してしまう実例が多いのも、これらの病気が霊的障礙であるからである。 

 顕微鏡によってのみ見える微生物の世界に病源体を発見するに吝かでない現代の医学が、何故肉眼で見えないと言う理由だけで霊の障害による病源を研究することを迷信視しようとするのであろうか。

 更に、人間は実相の世界に於いて、永遠不滅の存在であるのであり、それを悟ることによって現象界の一切の苦悩の上に超出出来るのであるが、此の問題は須臾く此処には省くことにする。




     『生長の家』  昭和26年10月号  巻頭言

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