おもしろい内容でした。違った視点で映画にするとヒットしそうです。
イギリス海軍艦長の経験があり、コロンブスやディアス、カブラル、ヴァスコ・ダ・ガマが渡った世界の海を航海し、マゼランやクックの探検航路をたどった経験をもつ著者が天文学・海の知識(海流や季節風)や航海術をベースに明の時代の鄭和の成し遂げただろうことを現存する根拠をあげて推測してゆきます。
少なくとも元の時代から中国 - ペルシャの海洋ルートは確立されていた(マルコ・ポーロの帰路)ので、この明の時代の鄭和につながる素地が中国にあったようですね。
鄭和は世界の果ての国々まで明に朝貢させ交易するため(なんだかモンゴル帝国に似ている)、鄭和指揮下の提督たちに世界を探索させ、世界地図を作製させた。提督たちは追い風と海流にのって世界をめぐった。その提督たちにより、西インド諸島はじめ北米・南米はコロンブスより70年早く中国人に発見されていた。提督たちのオーストラリアをはじめルートにあった(存在するほとんどすべての)大陸を地図に描きあらわした。驚くべきことにその地図には南極大陸も描かれていた(根拠も説明されています)。
そして、この地図は中国では破棄されたが、欧州には伝わり後の大航海時代の生み出した... そんな話でした。
この本は、結果的に ピリ・レイスの地図 - Wikipedia オーパーツ説を否定するものでもあります。
参考:
204 G.メンジーズ 1421 中国が新大陸を発見した年/モナ丼/本読
1421-中国が新大陸を発見した年 - Bookstack
book 616
book 613
イギリス海軍艦長の経験があり、コロンブスやディアス、カブラル、ヴァスコ・ダ・ガマが渡った世界の海を航海し、マゼランやクックの探検航路をたどった経験をもつ著者が天文学・海の知識(海流や季節風)や航海術をベースに明の時代の鄭和の成し遂げただろうことを現存する根拠をあげて推測してゆきます。
少なくとも元の時代から中国 - ペルシャの海洋ルートは確立されていた(マルコ・ポーロの帰路)ので、この明の時代の鄭和につながる素地が中国にあったようですね。
鄭和は世界の果ての国々まで明に朝貢させ交易するため(なんだかモンゴル帝国に似ている)、鄭和指揮下の提督たちに世界を探索させ、世界地図を作製させた。提督たちは追い風と海流にのって世界をめぐった。その提督たちにより、西インド諸島はじめ北米・南米はコロンブスより70年早く中国人に発見されていた。提督たちのオーストラリアをはじめルートにあった(存在するほとんどすべての)大陸を地図に描きあらわした。驚くべきことにその地図には南極大陸も描かれていた(根拠も説明されています)。
そして、この地図は中国では破棄されたが、欧州には伝わり後の大航海時代の生み出した... そんな話でした。
この本は、結果的に ピリ・レイスの地図 - Wikipedia オーパーツ説を否定するものでもあります。
メンジーズ,ギャヴィン(Menzies,Gavin)
1937年中国生まれのイギリス人。第二次世界大戦が始まる前の5年間を中国で過ごした。1953年に英国海軍に入隊。潜水艦の潜水士、のちに艦長をしてコロンブスやディアス、カブラル、ヴァスコ・ダ・ガマが渡った世界の海を航海し、マゼランやクックの探検航路をたどった経験をもつ。海軍退役後は「1421」の謎に取り組み、中国や東南アジアをたびたび訪れる。世界の120を超える国々、900以上の博物館や資料館、そして当時港だった場所をみずからの足で丹念に歩き調査を重ねた
あらすじ
15世紀のはじめ、明は世界的な大国家の建設を始めた。鄭和を最高指令官とした艦隊が世界の大海原へと飛び出していった。目標は、多くの周辺国を傘下に収め、世界を制覇すること。当時中国は、西洋がおよびもつかない航海の技術を待ち合わせていたのだ。鄭和のもと、提督たちはそれぞれ違った進路を取ることとなった。喜望峰を越え南極へと向かった者、さらに大西洋を越えアメリカ大陸にたどり着いた者――
コロンブスより遡ること70年、中国人たちによる航海の軌跡は驚愕に値する。
参考:
204 G.メンジーズ 1421 中国が新大陸を発見した年/モナ丼/本読
1421-中国が新大陸を発見した年 - Bookstack
book 616
book 613
1421―中国が新大陸を発見した年 (ヴィレッジブックス)ギャヴィン メンジーズヴィレッジブックスこのアイテムの詳細を見る |