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ばりん3g

テストの注力を強いられれば、テストのために動くようになる。必然的に。

※この記事は「1つのテストで図れるほど、教育は甘くない。」の補足です。リンク先の記事の閲覧を推奨します。

 

ハイステークステスト、特に2001年の落ちこぼれ防止法により制定された米国の教育策は、基準となるテストの点数次第で、教員の給与や在職期間、生徒の高校卒業の可否が決定されるという代物だ。

その特性上、ハイステークステストは教員や生徒にとって自分の人生を揺るがしかねないほど比重の重たいものとなる。

なので、学校側はカリキュラム(教育過程)の変更を、生徒側はテストへの注力を余儀なくされる。ここまでは、学力向上を狙う米国政府の思惑通りである。

 

が、ここで誤算が生じる。

参考文献の限りでは、学校や生徒が行ったのはあくまでもハイステークステストへの対処であり、学力全体の向上を目指したものではなかったというのだ。

まず、テストの内容を集中して覚えるべく授業内容の狭小化と断片化が起こった。例を挙げれば、連想や考察の源としてある歴史が、暗記科目として周知されているような状態である。このような形態は学力向上に結び付くかどうかは不明瞭だが、テストの点数向上にはつながる。

また、板書されたことをひたすらに学ぶような、教師中心の授業が増えた。授業の良解の1つに、生徒の意志も交えた授業、例えば歴史の一場面を題材にしたディスカッションなどが挙げられる。が、ハイステークステスト対策としてはこれが適当なのだろう、テスト範囲を覚え、点数をとればいいのだから。

そして、テスト範囲外の科目は授業数の削減が行われた。生徒の育みには多様な知識の暴露が必要となるのだが、テスト範囲外の授業に注力した結果、テストでいい点が取れなくなっては致命的である。ゆえに、削減したのだ。

 

補足として、これはあくまでも米国の例であり、日本教育にこの事例がそのままそっくり当てはまるとは思わない。

また、ハイステークステストは州ごとに異なる形体であり、特定の州で観測された上記のような現象は、一般に当てはまらないものの可能性もある。

ただ、ハイステークステストに適応するため、テスト以外の要素を無駄として削減するこの傾向からは、学べるものが多そうだ。

 


参考文献

Finbarr C. Sloane and Anthony E. Kelly (2010) Issues in High-Stakes Testing Programs.

National Research Council (2011) Incentives and test-based accountability in education.

Savich, Carl (2008)Improving Critical Thinking Skills in History.

Wayne Au (2007) High-Stakes Testing and Curricular Control A Qualitative Metasynthesis.


論文を参考にいろいろ喋るブログです。

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