怠け者の日記

何となく、何か書いてみようかな・・・

大友亀太郎像

2006-04-09 17:45:08 | Weblog
大友亀太郎は天保5年(1834年)今の神奈川県小田原市に生まれる。22歳で二宮尊徳の弟子になるが1年後に尊徳は病死,その後3年間尊徳の息子や兄弟子の教えを受ける。幕府に蝦夷地の開拓を頼まれた尊徳の息子が,蝦夷地に送る弟子の中に大友亀太郎も入れた,貧しい農夫であった亀太郎は武士になり出身地にちなんで大友姓を名乗るようになった。

函館付近の開拓を成功させ32歳のとき石狩地方の開拓を命ぜられた。当事今の札幌はアイヌ語で「サッポロベツ」「サホロベツ」(大きな乾いた広い土地と言う意味)と言われていた。開拓地を元村(今の元町)と決めた亀太郎は農民を入植させる為用水路,道路,橋を作る事に。亀太郎の掘った大友掘りは今も南3条から北6条付近まで創成川として残っている。

この像は創生川沿いにあったが工事中のため,今は記念館の前に移された、工事終了後には又移設される可能性が強いとか・・・記念館の女性はこの周囲の住民からの強い要望があれば此処に置かれるのでしょうがと言っていた。